第24話  ムーン・イズ・シーン・オールウェイズ

 

 

 

 

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 ――夜に散歩をするのが好きだった。

 

 咬切ケンゴの自宅は中層の高層住宅地に存在する。建ち並ぶ様々な建築物の一つ、所謂マンションに彼は住んでいた。

 そもそもの話であるが、こういった高層住宅が中層等の一般市民クラスにとってはメインの住居だ。少し足を踏み出したとしても内装や部屋数に設備が向上するだけで結局は同じ分類に入る。一戸建てを所望するなら少なくとも上層域での生活圏を確保できる財力が必要だろう。

 日々の生活を支援企業の振込がメインになっているケンゴに充てがわれたのもやはり、そういうマンションの一角だ。1ルーム。一人暮らしでも手狭さを感じる部屋であったが――ご存知の通り、彼の部屋にあるのは小さな冷蔵庫とパイプベッドや部屋の隅に置かれたハンガーラックくらい。狭さに困る事は殆どないだろう。

 

 件のケンゴの姿は部屋にはない。丁度、彼の足は歩道を踏み締めていた。

 場所といえばこの〈エンパイア〉でも外へと通ずる数少ない場所、港区。その外れに彼は居た。

 随所に設置されているステーションから、モノレールを2回乗り継げば、この付近までやってこれる。ケンゴもそうしてここまで来ていた。

 

 目的という目的はない――言った通り、ただ夜の散歩が好きだった。

 

 人気の少ない道。港区の外れ、商業特区であるそこへと通ずる無数の街道の一つに足音は響いていた。

 通りすがるのは日夜働くことを止めない自動車達。ヘッドライトが一瞬彼を捉え、そのまま薄暗がりに消えていく。

 只々、夜闇を裂くモーターの静かな唸りとかつりと打つ靴音だけが世界にはあった。

 

 少なくともケンゴにはそう思えた。

 

 周囲にあるとすればケンゴの身長よりも遙かに高い鉄柵を二枚を越した向こう側には均された灰色のコンクリート、建ち並ぶ倉庫。それの入口を照らす街頭と床面に設置された光源。耳を澄ませば彼方から小波が聞こえた。

 もう反対側は四車線。先の通り、規則正しくモーター音がして、遠ざかっていく。

 見上げてみれば建ち並ぶ際限無き摩天楼。視線を持ち上げるにも首が痛くなる程に高く、壮大。

 海岸線。人気が無く、もう少しステーションに近づけばカップル等が居るだろう。ここは離れすぎて何もなかった。

 歩き慣れた道。代わり映えしない風景=日常の一部。彼の邪魔をする者はいない。だから、考え事をするのには丁度よかった。


 「最近は、騒がしかったからな」

 

 自分をこうでもしないと忘れてしまいそうだった。ケンゴは此処最近自分の世界に現れた――いや自分から引き入れたのかもしれない。その存在のことを思い起こす。

 カレン=T=オールドリッチ。金色の髪と瞳が鮮やかな少女。よく表情が変わる彼女。赤のライダースジャケットがトレードマークの彼女。

 出会い頭には自分も無茶をしたものだと、思い起こして苦笑する。

 普段ならスルーするところだったのに首を突っ込んで、色々と無理を通してしまった。よくぞ成功したものだとケンゴは自分に拍手の一つでも送ってやりたかった。

 最初は苛立ちからだった。自分の暇潰し場所にゴチャゴチャと鬱陶しいのが群がっていたから散らしてやろうと思ったのだ。そうすればあれだ。ああそうだともきっとあれが間違いなく悪いのだ。

 ケンゴは瞳を閉じればすぐに思い出せた。それほどに鮮烈だったと言えるだろう。

 

 「――あの巨乳が悪い」

 

 たわわだったのだカレン=T=オールドリッチは。目を離せないほどに。特にあの黒のタンクトップ。かなりの頻度で着ているのだが――あれは悪いものだ。目を離せない。特に真っ白な首、それから鎖骨を通って流れるように谷間へと繋がるライン。目を閉じれば克明に描ける程に焼き付いてしまっている。いけないものだ。とても、いけない――。

 邪念が思考を過って、絡みつく。

 

 「何よりも……」

 

 見上げれば天上を穿つ大穴が視界に映る。黄金の輝き。今宵の闇を打ち払う煌めき。

 よく似ていた。そう、彼女の瞳にそれは似ていた。

 そう思えば、見られているようだった。見下ろす視線が捉えて離さない――と思えばまるでストーキングされているよう。また苦笑してしまう。

 

 「実際最近視線を感じるんだよな」

 

 ボヤいて、気の所為じゃないだろうなと察する。

 空から、そこらの街灯が届かない方へ視線をやってみる。

 

 「……まあ、それはいいか」

 

 良くはないが。どうしようも無いから意識の外へ追いやる。ああいう機械はどうにも苦手だ。この時代に何を言ってるんだかとカレンに呆れ返られたのは記憶に新しかった。

 デニムの膨らみに手を入れてみる。膨らみが元の形を取り戻す代わりに掌に乗っていたのは全面タッチパネルの端末デバイス一台。センサーが感知してバックライトが灯れば、見覚えのある顔と最近知り合った顔が並んでいた。

 首元を掴まれてるのが自分で、掴んで引き寄せているのがカレン。撮っているのは――ヨシカゲ。

 見る度に、微妙な顔をしてしまう。笑えば良いんだろうか。

 

 「変えても無駄なのは……」少しばかり指を動かして「駄目だな……俺にはどうにもならんか」溜息。

 

 言葉通り。何度戻してもこの画像になってしまうのだ。下手人は分かりきっているが……機械音痴にはどうしようもない。音痴じゃなくてもどうにもならない気がするけども。

 

 「……道理で眠いと思った」

 

 時針は真上を通り越していた。既に真夜中。月も、輝きを増していて――。

 

 「――――?」

 

 違和感が一つ。芽吹く。来た道を戻ろうと爪先を反転させた彼に現れた。

 静か過ぎた。足を止める。数秒―― 一分、二分、経過=静寂。聞こえるのは自身の呼吸と鼓動だけ。

 甲高いモーター音も道を照らすヘッドライトの何一つ足りとも、耳朶を揺らすことも視界を横切りもしない。

 ジジッ――街灯の光が揺らいだ。それだけではない。床に埋め込まれた光源も――――かと思えばまとめて消え失せた。一瞬で暗がりが帳を下ろして唯一の光が地上を染め上げた。

 ――青褪めた月が世界を覆い尽くす。

 月光が様変わり。死人の色が降り注ぐ。黄金彼女の庇護は何処かに追いやられてしまっていた。

 

 「なんだこれは……」

 

 世界の一変。まるで異世界に迷い込んでしまったような感覚に、流石のケンゴ自身も追いつかない。

 夢を見ているのかと思った。人生でも稀な、それこそあの時、独りになったあの日以来の混乱がケンゴの脳髄を掻き乱す。

 子供のような慟哭が過去から蘇ってくる――巫山戯るな、頭を振って払う。打ち消す。叩き壊す。

 俺はもう二度とあんな様は晒さない。絶対に。と、明確に自覚した弱さを咬み切り、砕く。

 

 さすれば、この闇も乗り越えられる――いやそれは幻想強がりでしかない。

 世界は優しくない。理解していた筈なのに。嗚呼、きっと理解とは遠いものだったのだ。只の感傷で解った気になっていただけ。

 ケンゴは再び、無理解であったのを眼の前に突きつけられた。

 

 ミチリ――何かが軋む音。凍りつく。息が止まる。けれど視線は音の方へと吸い寄せられていく。

 駄目だ。馬鹿。逃げろ。早く走り出せ。絶対に見るな。見るんじゃない。見てはいけない。警告が鳴り響く。レッドランプが騒ぎ出す。鼓動が喚く。けれど無駄。何もかにも無駄、無駄、無駄。凍りついた足は既に感覚を失っていて、視線は引きつけられて――――無言で見つめるそれと瞳が繋がった。

 

 「ッ――!!」

 

 脅威判定エネミースキャン――失敗グリッチ。ケンゴの瞳は捉えたそれを正体不明アンノウンと断じ、受け取った脳は理解不能アンノウンと評した。

 強化外骨格エクソスケルトン――否、アレは人の鎧だ。人の道理を反する形にはなり得ない。

 義体者サイボーグ――否、アレは人の延長線だ。人の形を脱すれば扱うものが狂うだろう。

 薬物中毒者アッパー――否、アレは人の成れ果てだ。いくら脳髄を薬液で満たそうと思考が捻れようと人でしかない。

 機関人エンハンサー――否、アレは人の残骸だ。魂を半導体素子ソリッドデバイスへ書込、機関化エンハンスしようと本質は人だ。

 自動機械オートマタ――否、しかし確かに人ではない。しかし、瞳があり、浮かべる感情がある。機械マシンではない。

 これは、それらではない。

 

 瞳は、三つ。真っ黄色の眼球が泳いでいる。闇に浮かんで、上下左右と無秩序にそれぞれバラバラに。同時にまた、みちりと音が鳴る。直後、鉄柵が引き裂かれた。眼球と同じくバラバラになって勢いよく空を舞えば、重力に引かれて路上に落ちていく。

 悲鳴を上げないのは流石と言えた。感知よりも早く、鉄柵から距離を取ったのは日々積んだ業のお陰だろう。

 けれど飛ぶ鉄柵の破片は受けてしまう。ケンゴの体に細い裂傷が引かれていく。服が裂ける。血が滲む。痛みが走り抜ける。

 しかし、致命ではない。痛みは問題ない。だからこそ――後退る。

 それは、ずるりと這い出てくる。倉庫街の方からゆっくりと。

 

 「ヒヒ、ヒヒヒ」

 

 嗤う。それは青褪めた月光の下、せせら笑う。

 人面が合った。大きな、ケンゴの全身ほどある顔。顔と分かるのは鼻と口があるから。髪はない。つるりとした禿頭だ。

 件の眼は、黒々と底を晒す眼窩には収められていなかった。大きな頭から直接生えた腕の三本の先端に瞳はあった。これもまた大きい。水晶玉ほどの大きさはある。落ち着き無く瞳は周囲を見ている。

 移動は、瞳を生やした手以外で行っているようだ。忙しなく動作する老若男女の手が頭を支えていた。

 

 ――カッ!と靴底が路面を蹴りつける。逃げるが勝ち。三十六計逃げるに如かず。ケンゴの脳裏にうろ覚えな語学学習の結果が過った時には既に走り出していた。

 振り向きもしない。そもそも目を向けたのが間違いだった。感じた時点でこうするべきだった。


 「コンニチワ」

 

 間違い、だったのだ。

 瞳が、眼の前にある。澱んだ黄が見ている。濃い紅を引いた唇が優しく声を掛けてくる。女の声だ。甲高くもなく、決して低くもない。ただ女の声というのはよく分かった。

 嫌な汗が額から頬を伝う。

 退路を塞がれた。ケンゴの眼の前にそれは居た。速さの問題ではなかった。ありえない。しかし、ありえないことが今、彼の眼の前にあった。

 

 「コンバンワ」

 

 声がまたする。答えない。絶対に答えない。答えれば、存在を認めてしまうことになる。

 

 「オハヨウ」

 

 答えてはならない。悲鳴を零してはならない。呼吸をしてはならない。見られている。三つの黄瞳おうどうが見ている。

 虚ろなる眼窩が瞳無くとも笑みを浮かべている。怖気が、強化外骨格エクソスケルトンにすら恐れを一片抱きながらも立ち向かうケンゴの脳髄を舐め上げた。

 

 「ヒヒ、ヒヒ――」不気味に嗤い「――コンニチワ」ぎゅんと近づいた顔の生臭い吐息がケンゴに吹きかけられた。

 

 男女の言葉が螺旋を描くが如く重って、ケンゴの耳朶を貫く――助走なし、ただ脚力任せにそれの横へヘッドスライディング。

 直後、路面粉砕。噴き上がる灰燼を背景にぐるりと振り向いたそれの大口から覗くのは無数の掌。待ったなしとばかり、地獄からの手招きは蜘蛛の糸に縋る罪人を追い落とすような槍衾と成りて、ずるりとケンゴに迫る。

 蹌踉めきながらも一歩、二歩――トップスピードにあっと言う間に乗った彼の後を追い縋る。一瞬手前、足裏の着いていた場所を貫いていく。少しの油断が絶望へと直結していた。

 

 走る、只々――爪先にあるのは、商業特区――新規開発エリア。

 夜な夜な、自動機械オートマタ達が組み上げる新たな商いの場。巨万の富を元手に、それを上回る利益を生み出すであろう不夜城の一角。

 しかし、今宵は狩猟場――異形と狩人の戦場である。

 逸人であっても立ち入れられない絶対無窮の殺戮領域キリングフィールド

 

 ――運命の刻は近い。

 

 ケンゴは無論知らぬし、後を追う異形など言うまでもない。

 時針と秒針の行先を知る者は居らず、只、定められた道を彼らは疾走するしかなかった。

 

 

 

 

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 カレン=T=オールドリッチは良家の子女だ――いや、だったというべきだろう。

 オールドリッチ家。〈マーキュリー〉の一角を担い、数理の碩学として電子工学等に代々貢献していた。

 彼女の両親――父も、母もそうだった。

 父と母の議論を聞いて育ったカレン自身もやはりそちらに傾倒していた。

 絵本の代わりに父母の専門書籍。アニメーションの代わりに配信されている専門授業映像――高等ハイどころか大学カレッジの。それで得た知識の試しどころとして、電脳遊戯具ゲームをバラして別物のに改造してしまうなど日常茶飯事――これに関しては大目玉を食らった。改造よりも問題としては、それが他人のものだったことがこれを招いた。

 言わずもがな、彼女の兄のものである。

 そして、彼女を語るのには、兄であるコールド=J=オールドリッチについても語らざるを得ないだろう。

 して、彼女の兄、コールドは……強いて言うなら普通の少年だった。

 妹であるカレンに比べればかなり普通。社交的な能力を育てるために通っていたスクール。そこでの成績は優秀ではあったか異能の域は出ない。運動能力も優秀。スクールのクラブでも好評。しかして、通常の域を出ない。

 後残るとすれば、本来の目的である社交性だろう。なるほど、これだけは優秀の域を出ていると言えた。

 容姿に関しては、家族皆々が美しくあった。血筋だろう。けれどそれを台無しにしているのが両親二人。目の周りの隈だとか、長年の研究結果の皺だとか。

 カレンは相応に。日本語とすれば名の通り。可憐。両親共通する金髪に、父から継いだ黄金瞳。幼くも魔的な輝きがあった。

 ならば、兄はどうか。もう愚問の域を出かねないが一応言っておこう。

 正しく、血統にあった。真実美少年。セミショートの金髪は穏やかな凪でさえサラサラと波打ち、澄んだ緑瞳エメラルドが湛える柔和な笑みも相まって向けられた者、男女問わずと魅了した。嫉妬するにはあまりに隔絶しすぎていたのだ。

 そういう一家だった。完璧と不完全の境。奇妙なバランスが理想な家庭を作っていた。

 

 しかし、終わりは唐突に訪れた。

 終わり。企業群の策謀も誰かの嫉妬もなく。ただ、異形の手によって。

 血の惨劇だった。幸せな一家を襲った悲劇。上層の一角に巻き上がったゴシップ。人々を騒然とさせ、幸せな家庭の崩壊に涙をした。

 一体の異形に人は無力だ。だが、五体満足でカレンが生き残ったことと。コールドが狩人であることから察しがつくだろう。

 柔和な影に隠した苛烈さが日常の崩壊を以てして現出し、何よりも狂気を纏わせた。

 故に、狩人への道が開かれた。異形を原因とし、彼の狂気が呼び水となって。

 

 こうして、コールド=J=オールドリッチは狩人となった。

 柔和な笑みも、穏やかな気性も狂気の下に破り捨て。ただ、復讐を誓う輩としてただひたすら、異形への殺意を肉親への手向けとしたのだ。

 カレンは、そうやって変わり果てた兄への自責を胸に、しかし、湧き上がる興奮を隠しながらも狩りへの一役を買って出た。

 かくして、一つのチームが出来上がることになる。

 狩人と人。兄と妹。復讐者と贖罪者。二者一様の、しかし在り方は一つの共同体。

 比翼の鳥とでも、言おうか。

 

 

 

 

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 ――疾走る影一つ。

 

 壁面。新規開発エリアに一際高く聳えるシンボルマークタワーに張り巡らされた超強化硝子をその一歩で粉々に砕きながら駆け抜けるは、黒き無貌の彼――狩人だ。黒衣を纏いし、異形を狩るものが風の様にあった。

 恐ろしい速度だ。人の速さなど稚児と変わらず、まるで戦闘機のジェット加速が如く。常人にはこの一歩が致命の一撃であり、重力を背にした速度は彼を一瞬で地上へと導くだろう。

 

 しかして、立ち塞がる無数有り。

 

 羽撃く翼。吐き出される炎。苛烈な輝きが暗色の眼窩を底まで照らす。業火が硝子を溶かし、大気の隅々まで舌を伸ばし舐め尽くせば酸素を喰らい尽くしていく。

 喰らえば喰らうほど燃え上がるのは自明。瞬く間に黒煙が月光を蝕む。

 はためく翼と乱立する笑みの前で、揺らめく帳は引き裂かれ――翼、四散。空を失った矮躯達は、大地に引かれる前にばらばらと四肢を失って闇に溶けていった。

 擦れ違いと天を昇る黒煙を捻り切るように穿ち、空に躍り出る黒。火炎と黒煙が彩る闇夜を背にして狩人のコートが翻る。

 

 無手。得物の一つも無く、彼は悠然と迫る異形を見下ろしていた――いや違う。無いのではない――――。

 

 ぐわりと狩人の後を追って、黒煙を打ち払うように現れる巨大な影。それは月光の下に白貌を晒しだす。大きく開かれた顎門。蛇が如き風貌の先端に開かれているのは等間隔に並ぶ牙の乱立。

 一直線。全身を捻るようにしたかと思えば爆発的加速。出現とほぼ同時に狩人をその白貌寸前に捉えていた。

 

 穏やかに、緩やかに。眼前の白き異形白蛇とは正反対に狩人の両のカイナは、抱き締めるよう。

 ――ああ、タクトはかくあるべしとこの刹那に閃く。

 広げた両腕を額の前に振り上げ、交差クロスすれば、然りと死は幕を下ろす。

 ぴたりと虚空に固定された白き異形白蛇は一瞬で全身を等間隔に切断カット。牙は何を喰らうこと無く、物質界の隙間に溶けていった。

 刹那。月光と炎が彼の獲物を曝け出す。言葉通り、一瞬。光を無明の境間に誘う細線。生死を分かつ、断理アーツ

 ―――人の世に、鋼糸と呼ばれる暗殺技能アサッシンアーツがある。

 使えるものは久しく。いずれ闇夜に溶けていく技術。目視すら難しい、糸と見間違うばかりに研磨されたそれは愚者の指を裁ち、逸人に裂傷を刻み、達人に栄光を与えない。

 しかし、彼は人ではない。狩人である。異形を狩り尽くす追跡者スローターであるが故。

 

 「……デカイな」

 

 再びタワーの壁面に降り立ち、今しがた手にかけた異形への感想をぽつりと零す。

 彼を無貌と評する所以たるマットブラックのマスクを通す双眸が揺らめく炎と煙の奥に、欲望を瞳に灯す異形を捉える。

 

 「それに、多い」

 

 スナップを効かせた右が打ち払うように空を叩く。すれば、見えざる刃がそれを一瞬で致命に導いた。

 

 「今日は、異常だ」

 

 五指、合わせて十指。閃き――殺す。

 

 「煙い――」鬱陶し気にぼやけば「――な」晦冥を貫く無数の縫針。

 

 指先の微細な動きこそが彼の意思そのもの。空間を駆け巡り、虚空に組み上げられる殺戮結界キリングフィールドはさながら鳥籠。内に居るものを逃さぬ構え。五指、合わせて十指――と言った。だが、これだけで殺し切れるほどに異形は甘くない。

 鋼細工の糸――通称、鋼糸。しかし、それは名ばかりで、通称に過ぎない。狩人の武器は狩人そのものだ。狩人を材料にし、生成されている。意思そのものと前述もしたことであるが、正しくその通り。故に、これは指先よりも繊細的且つ殺傷的だ。

 

 そして、何よりもこれは狩人からの生成物であるということ――制限は無い。

 

 狩人総体バックアップによる随時再生と生成の行使による展開は物量的に押し潰すことすらも可能にさせる。

 構築された鳥籠こそがその象徴であった。

 

 だから、この結末は必然だろう。

 

 鳥籠がぐるりと、掲げ、手首合わせた両掌の下で廻る。

 螺旋は血飛沫代わりと異形の破片をばら撒きながらランドマークタワー壁面へ垂直に屹立し、周囲の炎と黒煙がとぐろを巻く。

 壮観であって、幻想的だった。

 しかし、その様が維持されるのもほんの刹那。

 ばきりと確かな不穏が狩人にも伝わって――ランドマークタワーが崩れていく。

 構成物質達の悲鳴。結合維持限界。空恐ろしい高温に晒され、数多の暴威を受け続けた巨躯は悲鳴を上げながら、その身を無残と崩していく。

 燃え盛る破片はおのずと地上に降り注ぐ。さすれば結果は知れたこと。

 

 見上げれば海雲を突き抜けるほどに高きランドマークタワーの破片は、容赦なく建築最中の建造物やオープンを待つだけの新店舗――建築済みの建造物郡、動き回る自動機械オートマタ達へとしとどに打つ。

 砕けて燃える。その一身に惑星の助力を得た馬鹿げた質量の豪雨は、紙細工を押し潰すように、億、いや、兆に渡る程の被害を児戯めいて叩き出す。轟音は空高く響いた。

 

 かつり――靴底が叩く音は、狩人に掛かっていた力に比べても、周囲の惨事と比べてもあまりに軽かった。

 

 炎上地獄に、黒が降り立っていた。

 濛々たる灰色砂煙を上げながら、残骸雨はまだ続いている。自身に降るそれを器用に片付けながら見渡す。一面炎と瓦礫。ランドマークタワーで視界に入れたのと変わりはない。変化とすれば、明確な天地。

 そして、地上であろうと奴らは止まらない。

 

 寧ろ――――。

 

 ひゅんと風鳴りが火炎を裂いて、背後のそれを三分割にした。どさりと何とも知れぬ液体を噴き上げて転がり落ちたのは――じたばたとうねる正体不明のそれ。赤と黄の下、てかりとぬめりは強調されていた。

 じゅるり。小雨となりつつある残骸雨の最中、やけに生々しく音はある。

 それはバラされてもうねりを止めなかった。いや、動きは増していた。先よりも動き良く、三つが瓦礫の隙間から狩人へ迫っていた。

 

 「……これは」すっと視線走らせ「なんだ」呟く。

 

 三つ――では足りなくなっていた。

 じゅるり、じゅるりと……音は増え続ける。既に片手を通り越し、両手、両手足――足りない。

 既に囲まれている。立場逆転。此度、策に嵌ったのは狩人側。策と呼べるほどそれが高尚なものかはさておき。

 具現するは、巨躯。未来にて、咬切ケンゴと御堂ヨシカゲの前に現れた人体にて構成されし異形とは違う趣。

 これは人の要素を持たない。近いものとすれば、あの獣の異形。異形の卵マンイーターを従えし、男の深層心理が口から現れ、内を晒してひっくり返った成れの果て異形

 しかし、分類が違うだろう。物質界の理の下に在るものらを当て嵌まるもので示すとすれば。

 

 重い地響き。蠢く粘質。顕現せしめた深き緑は地を満たし、天を冒す――そのものは無数である。

 

 数多の篝火と青褪めた月光に照らされしは、冒涜の使徒。本来ならば、物質界の法則が導くならば海底こそがそれの世界。けれど、これを在らしめるのは異界法則。この世の理の導きに従わぬ、酷く曲解された答えであった。

 掲げた触手が月光に濡れる。淵無しの瞳が無数と並んで触手達の玉座に腰を下ろし、睥睨していた。

 ――言葉はない。発声器官をそれは持たない。

 故に、先端は無造作に殺到した。疾く。いと疾く。狩人の反応速度を凌駕せんばかりに。

 強烈な炸裂音。打ち据えられた地は無残。瓦礫は粉と散って、塵になれば濛々と。

 

 砂煙が即座と散った。高速にて何かが迫る。先はかの異形。冒涜するモノ。人の忘れたモノ。過去より来訪せしめし忘れ形見。

 

 見えざる手はついでと触手を切り落とす。

 復元され続ける自らを鋼糸に変換し続ける狩人に際限はない。触手の物量に勝るとばかりに生成は続く。

 当たり前だが、両者は似て非なる。無数の手数を持つという一点のみが共通項だ。質も違えば使用法も異なる。最も明瞭なのはやはり、視認の難度だろう。

 

 速度に任せれば触手であっても常人には難しい。が、鋼糸は別だ。あまりに鋭利な様は他者を拒むように正体を覆い隠す。

 そして、この恐るべき速度で放たれれば――知れたこと。

 斬――音無く、風裁ち、闇間を縫いて地と触手を繋ぎ止めてはたたっ斬っていく。通り魔めいて、落ちた傍から踏み潰せば染みになるのは当然。影の接近は疾い。縦横斜と引かれた鋼糸を引き連れ、触手の海は開かれていく。

 

 突き出された触手を蹴り、飛び――達人の連続突きを彷彿させる剣気を纏った触手が狩人の歩みを予測して叩き込まれる。

 

 一突き。一が三と分かれる質量を伴う残像、その実態はあまりの速度によって質量情報を通り過ぎた道へ置き去りにしていくという荒業によって生まれている。わかりやすく言うならば、三撃は同時に存在してる。

 人の業で呼称するならば、かの三段突きに近しい。しかして、事実は人外のもの。

 この巨体から繰り出される人外魔境を飛び越えた技法ならぬ技法こそ、異形殺法モンストロ・アートに他ならない――!!

 

 狩人の業と異形の業。双方の衝突が生んだものは唯一つ――破壊である。

 

 遙か高き摩天楼達が無残と落ちていく。壁面を抉られ、胴を断たれ、何分割もされ、名もなき残骸へと変えられていく。包み込む暖かさを感じながら火炎地獄へ全ては沈む。

 人の叡智は、異方者の訪れには無力でしかなかったのだ。先達として逝ったランドマークタワーと同じ道を辿る未来しか、彼らには許されていない。未来は一筋に収束してた。

 ――かくして。無慈悲な月の下に、影と巨影は踊る。

 無数と無数。起源を同じくする留まりを知らぬ者らの衝突が終わるのは、やはり互いの無数テカズを切らした瞬間であろう。

 だが、得てしてチャンスとは突然にやってくるものだ。

 

 更地になっていく。それは同時に、機動力の損失。振り翳される触手の暴威と自らの行う破壊が、因果応報とばかりに狩人から速度を奪っていた。

 彼の手繰る鋼糸の真価は、驚異的な殺傷力の他、彼に速度を与えていた。障害物を足掛かりにした予測困難な軌道。指向性を自在に与えられ、一方的とも言える移動法は常人には殺人的でも、狩りにおいて必殺だった。

 しかし、敵は定法に、通常の異形に収まらぬ。

 加速の取っ掛かりが目の前で潰されていく。整然と突き立つ街灯も、仰げば遙かの高層ビルディングの群れも。何も、かも。ひしゃげて、砕かれ、形を失う。破壊は彼の希望を奪い去る。

 かくして狩人は、かつて無いほどに巨大な敵に追い詰められつつあった。

 

 前述はしたが――何も、狩人にチャンスが訪れるとは誰も記していない。

 

 故に、瓦礫の真ん中に狩人はその身を曝け出される。巨体を翻弄した矮躯――決して、一般的な目線ではないことを明言しておこう――は立ち止まるを得なかった。

 無数が見ている。無数が狙っている。無数が差し向けられている。深き緑が、青褪めた月光に滲む黒を一つ呑み込もうと大口を広げていた。

 

 刹那的、瞬き一つ許されない。

 ぐわりと大気を打ち据える音がして、内が晒されて、猛烈な呼気が地に叩きつけられて。そう、内面が、視界に大きく広げられて。

 ――撃ち抜く一条。

 

 束ねられた鋼糸が、騎乗で構えた突撃槍が如く。愚直な針路を向け、口を抜けて腹へと飛び込む……!

 一重にこれこそが狩人の狙いだった。外側は削っても無意味。物量で押し潰すのにはあまりに大きい。手数に関しては見ての通りだ。

 だからこそ、内側への侵入を以て、解決に挑んだというのが此処までの経緯だ。

 

 引き出したチャンスを前に、どうだ、と狩人が瞳を剣呑にすれば――眼前で渦巻く虚無が止まる。無臭の呼気が鼻孔に這い上がっていく。垂らした両腕の、鉤爪のように曲げた五指を徐々に、ゆっくりと持ち上げていく。まるで錆びた関節を動かす自動機械オートマタのように。

 

 今、この五指、合わせて十指はこの巨躯と鬩ぎ合っている。どちらが、折れるか。ただそれがそこに圧倒的重量として伸し掛かっていた。

 

 結果は、直後――――炸裂。

 

 無数なる深き緑の王は、眼窩の奥底を、その巨躯全身を大きく震わせ、周辺にのたうち回って、その最期は無残無残と吹き荒れる血風を撒き散らす、形無くす程の爆発が巻き起こった。

 四散と、ばらりばらりと砕け散った欠片達は一時の推進力を一身に背負って空を泳げば、万有引力の下、自然の摂理が、この物質界全てに満ち満ちる法則達が彼らの傍若無人を許さない。秩序の裁定者はすべからく、その刃の下に断罪した。

 分かりやすく言えば、叩き落とす。重力が地に引き戻す。あるべき場所に、あるべき物を戻すように。

 些か、耳障りな音をたてて、全ては収束した。

 

 そう、これで此処での戦いは全て――――。

 

 『兄さん!!』

 

 終わる――――。

 

 必死な声が届くか届かんした直後。狩人の、コールド=J=オールドリッチの知覚領域センサーが探知した一瞬。

 欠片が一斉に、牙を剥く。

 見たままを表現するならば、散った残骸がその身を刃に転化。刃先を槍めいて捻じくれて伸し、地に落ち行くままのそれを良しとせず、その身を放った。

 致命的なまでの、数多の、無数の、幾つもの穂先が黒法師を貫いた。

 踊る。あらゆる方向から同時に突き立った刃の衝撃に、四肢が滑稽と言わざるえない動きで、上下に腕振り、出鱈目に足振り――とすればステップ。

 すなわち、死を表す如くダンス・マカブル

 

 拍手喝采は訪れず、代わりとばかりに悲鳴が火花と崩落の最中に高く響いた。

 

 

 

 

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