第22話 ザ・ロウェスト・オブ・ザ・デイ

 



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 「貴様が、御堂ヨシカゲでいいな」

 

 女だ。腰まで垂らした黒の長髪は、ピンと伸ばす背筋を覆う肩がけした薄茶の外套に流れている。鋭い眼光に宿る意思は刃が如く、ヨシカゲを貫かんとばかりに向けられていた。路地。少し離れた場所には彼女の護衛らしき男が数名控えていた。互いに路地を形作る灰色の壁に背中を預けて――預けるというよりも狭すぎて預けるしかないというのが正しい――向かい合っていた。

 

 〈蝸牛〉の八足機械オートマタことせてぃーちゃんの背中で揺らされて来たと思えば取り囲まれてこのザマだ。

 

 背は高い。ヨシカゲも大体百八十程とそこそこの高身長であるが、視線の位置が同じだった。女性としてはかなり高いほうだろう。例えブーツを履いていたとしてもだ。

 纏っているのは黒の隊服。ある部隊の正規隊員服だ。しっかりと詰め襟まで閉じた上着とセットのスリムなスラックス。華美な装飾は見えず威圧的。ただ、その胸だけはこの威圧感を和らげるように大きく主張が激しい。上着を閉じているボタンが、内側と組んだ腕の圧に挟まれて苦しげに自由を求めていた。

 腰には刀を一振り帯びている。見た限りでは太刀だが。実際のところ、抜いてみなければわからない。

 

 ――余談だが、ヨシカゲの扱う太刀は、大日本帝国が誇る冶金技術によって量産された傑作シリーズの一つ〈陽鋼〉。名の由来は、陽射しへの憧れを込めたものらしい。帝国は大体曇天だ。だからこその祈りであった。

 これの特徴は鈍らない斬れ味と頑丈さだ。単分子加工モノレイヤ振動剣ヴァイブレーションソードにありがちな想定外トラブルの極限排除へのアンサーだった。癖がないのもあり、初心から熟練までの広い層で人気だ。

 

 しかし、ヨシカゲにこれらを注視する余裕はない。

 何故か? 眼光? ああ、確かにある。それも彼を釘付けにして、喉をカラカラに乾かすだけの力はある。

 しかし、それだけではない。答えは彼女の首元を覆う黒襟にあった。

 金糸で刺繍されているのは、何かの紋章エンブレム

 

 「はい!」ぴしりと踵同士を鳴らし「治安維持連隊十七番隊〈蟷螂〉所属傭兵アルバイト御堂ヨシカゲであります!」

 

 軽く頷き。「楽にしていい」彼女に答え、休めの体勢に。

 

 「私が何者か。蝸牛の観測者より話は聞いていると思うが、改めて自己紹介をしておこう」

 

 一拍、置き。

 

 「多国籍企業郡大日本帝国企業富士山治安維持連隊一番隊〈兜〉副長、サクラ=〈兜〉=エーレンブルグだ。私のことは?」

 

 「……勿論、存じ上げてます」

 

 粘つく口をどうにか動かし、背中を伝う冷や汗は緊張を象徴していた。

 

 「副長殿が、私にどのような御要件でしょうか」

 

 ――多国籍企業郡大日本帝国企業〈富士山〉はとある一族によって継がれ、経営されている。

 名を〈兜〉。元は富士山の近く、静岡県と旧時代の日本にて呼ばれたそこに拠点を置くある中小企業を経営していた一族だ。

 決して何か世間の目を引く技術は無く。細々と製鉄をメイン事業にし営んでいた。

 そんな彼らにとっての不幸は、富士山が怒り狂ったこと。

 富士山一体は最も被害を受けた。焼け野原どころではなく、ここ数十年は灼熱の海に満たされることは約束されていた。

 極大の不幸であった。けれど同時に一つの可能性を運んできた。前述したことでもあろう。鉱石と蒸気。製鉄技術の隆盛。時代の移ろい。

 大日本帝国セカンドエンパイアが象徴たる鋼の時代エイジ・オブ・スチィールの幕開け。それは国中を巻き添えにして、民主主義を押し潰すビッグウェーブだった。

 簡単な話、彼ら〈兜〉の一族は上手く乗った。それだけ。

 

 だからこその多国籍企業郡が一角、大日本帝国企業〈富士山〉はこうして〈エンパイア〉の利権の一部を手にしている。

 

 つまるところ。〈兜〉という文字にはそれほどの意味がある。

 この都市でも、ましてや日本でも。そして、その名を語る彼女の存在は言うまででもない。

 血族の一員であると。現当主の愛娘の一人であると。彼女、レインが吹聴せずともその話は広まっていた。

 故、世事にあまり強くないヨシカゲの耳にも届くほど。けれど、彼がこうして喉をからからに乾かしている理由はそこにない。

 

 視線の強さ。直接、ナイフを喉笛に突きつけられたが如し。並々ならぬ意志力の刃が瞳には伺い知れ得た。

 

 「――察しはつくだろう?」

 

 「あの異形、ですか」

 

 緊張のあまりに言葉を噛みそうになりながら慎重に言葉を作る。

 然りと頷く彼女。正解らしい。

 

 「ああ、それも確かにそうだ」ヨシカゲの中に安堵が広がり「――しかし、まだ一つ足りない」

 

 腹の中に重い鉛が落ちるように、彼は急降下した。

 動揺が目に見て現れそうになる。覆い隠す。どうにか隠してみせる。

 

 「お前の戦闘記録アクションログは確認済みだ――空白が目立つが、まあ今はいい。肝心なのは貴様の前に現れたあの異形体だ。

 此処に向かっている異形体共々、捕獲を私は命じられていてな」

 

 嫌な予感というのはいつも的中する。つい背中に回した手に力が篭ってしまう。

 

 「どうやら、異形体を駆逐する異形体――狩人というやつとお前は何かしらの仲なんだろう? 色々と聞かせてもらいたいと思ってな。お前の対応によれば、本日中に行われた命令無視は帳消しにしよう」

 

 試すような視線からの「どうだ?」と一応の提案方式。しかしこれはある種の脅迫、指揮系統的に見れば命令ともとれる。

 これを拒否すればそのまま帰してくれるかといえば、NOだ。再三に渡る命令拒否及び無視。これ以上の無法が見咎められない筈がない。既に企業兵としてのデッドラインの真上には居る。通常なら首を切られていてもおかしくない。

 しかも今回は常時とは違う。ある種のテロを受けている。しかも相手は人類種ではなく、企業としても喉から手が出るほどに望んでいるものだ。

 答えなければ、YESと言わねば、人道的ラインを外れた処置ブレイントーチャー――脳情報の完全電子化デジタライズは免れない。

 どう、する――堂々巡りに答えを見出す為、彼の精神回動ニューロンが渦を巻く。

 

 「おいおい、副長殿。そんなに虐めるもんじゃねえぜ」

 

 引き絞られた弓弦のような緊張を裁断するかのように言葉は、無粋に暗がりに踏み込んできた。

 

 「あんまり若い青少年をビビらせるもんじゃねえよ? こういうのはもっと穏やかにやるもんだ」

 

 粗暴と不良という言葉がよく似合う彼だった。見事に金一色の髪は片方へ流すように整髪料で整えられているし、一房垂れる赤色は金色によく映える。緑瞳の尖りようはケンゴを彷彿させるほど。しかし、彼と違って感情がよく見える。豊かといっていい。愉快げな唇から覗くのは鋭利な白。普通とは掛け離れた様は改造ファッションだろう。そういう人にない特質を付け加えるのは一部で流行している。着崩した風な黒色の隊服から覗く赤のインナーも合わせ、無機質な路地にはよく目立った。

 

 「なあ、後輩?」

 

 唐突に向いた話題の切っ先に「え、は、はあ……」とただヨシカゲは気が抜けた声を出すしかできない。ついで言葉を探す間もなく。


 「沖田。貴様には待機を命じた筈だが?」

 

 「ああ、そうだっけ? すまん。忘れたわ」

 

 すっとぼけた様子は怒りを呼ぶ為のわざとだろうか? 道化めいた様は如何にもそうだった。

 事実、挑発だった。愉快げな瞳と吊り上げた口端が示していたし、何より、向けられた相手の所作が如実だった。あからさまに眉はピクついているし、組んだ腕に添えていただけの指が食い込んでいる――目に見えて、怒気が膨れ上がっていた。

 眼前のヨシカゲとしては心臓が悪い。何よりも挑発している相手が問題だ。

 

 ――多国籍企業郡大日本帝国企業〈富士山〉治安維持連隊・特記戦力の一人、クロウ=Y=沖田。

 米国と日本のハーフという彼は、旧き侍の血を継いでいると噂の持ち主。その噂に違わぬ戦闘力が彼を特記戦力したらしめている。 

 しかし、ヨシカゲにとっては噂ではなく、事実。彼の戦いを目にしたのは、この治安維持連隊への所属が決まった最初の研修だった。

 思い出すのは模擬戦闘室シミュレーションルームの光景――始まりといえば通りすがりの彼を教官が演習に引き摺り込んだことから。

 

 あれは稀代の剣鬼といって過言ではない。化け物じみていた。まるで重力が無いような機動で跳ね回る。ほぼ一方的な会敵と同時に斬り捨てる豪剣は、彼の祖を彷彿させるほどに鮮やか。長距離射撃を斬り捨てた上で射手を斬り捨てる暴挙など狙撃手の面目丸つぶれだったろう。

 何よりも恐ろしいのが生身フレッシュであるという事実。プロパガンダか誇張かは兎も角だが、確実に達人級アデプト

 軽い気持ちで引き入れたであろう教官の顔が引き攣っていたのは目を閉じれば直ぐに思い出せた。

 そんな彼が、此処に居た。彼が居るほどに、今は緊急なのだとヨシカゲは直ぐに思い至る。

 

 しかし、だ。こういうタイプなのは知らなかった。些か、派手な様相だとは思っていたが――。

 

 「命令を無視してまで、何のようだ」

 

 「言ったろ? いたいけな青少年をいたぶるのを見過ごすのは趣味じゃないんだ――こう見えてな」

 

 とヨシカゲへとウインク。どうやら言葉の通りの助け舟らしい。信用していいか、そもそも飴と鞭かどうかは判断がつかないけども。

 

 「通すな、と言ってあったはずだが――まあ無駄か」


 嘆息。ヨシカゲはちらりと横目をやれば呻く護衛達。物音一つせずにこれとは。驚愕を禁じ得ないヨシカゲであった。

 

 「それよりもお相手さん、お越しらしいぜ」

 

 後ろを指す親指。路地の静寂と緊張がヨシカゲの五感を封じていたのか、ようやく外がにわかに騒ぎ出しているのにようやく気づいていた。

 自身の不甲斐なさにやや苦いものを覚えつつ、ヨシカゲは視線をサクラの方へ。見れば、丁度舌打ちをしていたところ。お嬢様というには粗暴な所作。しかし、威圧を示すのには丁度いい。

 

 「今は取りやめだ。また後で聞くとする」ヨシカゲに眼光が突き刺さり「そこの馬鹿に感謝するんだな」

 

 と言えばそのまま颯爽と立ち直った護衛達を引き連れて、ヨシカゲの視界から消えていった。

 ずるりと壁に背中を預けて、はあ……とそれは大きな溜息がヨシカゲから落ちていた。薄汚れた灰色にぶつかって消え失せる。

 

 「あの姐さんに絞られるのは効くよなあ」

 

 けらけらと愉快げな声が傍から。飛び上がるように体勢を整えてて、先と同じく敬礼。

 

 「……助かりました。ありがとうございます」

 

 見やれば救い主が居た。クロウ=Y=沖田。治安維持連隊の剣鬼。少年のように笑う彼。

 

 「そんな畏まるな。面倒くせえ。俺は自分が面倒くせえと思うことは他人に強要しないようにしてんだよ」

 

 「……ではお言葉に甘えて」と突きつけられる掌「口調もだぜ? 敬語は不要だ」

 

 思わぬ要求に、ヨシカゲは流石に眉を顰めて。

 

 「敬語も?」

 

 「敬語もだ」ニヤリと「お前の事は聞いている。十七番隊の仕事狂いオーバーワーカー、期待のアルバイトホープ

 

 いつの間にそんな二つ名あだ名が。それは言葉にはならなかった。前者は兎も角、後者は――いや後者にも思い当たりが無いこともなかった。文字通り、仕事の受け過ぎが招いた結果だが。

 

 「俺はさ。戦いたいと思ったやつとは対等でありたい。そう思うんだよな」

 

 ヨシカゲは思った――とんでもないものに目をつけられてしまったと。ああ、しかもなんて顔をするのだと。

 戦闘狂バトルマニア。ケンゴを満たす寒気の走る狂気とはまた別、灼熱だ。狂気が熱を纏って大気を溶かしている。

 まあしかし、悪くはない。特記戦力にある種、認められたということだ。悪くない。ああ、そうだとも。

 これは前進といえる。御堂ヨシカゲの殺戮理由キリングレーゾンを成し遂げられる。

 このコネは絶対にものにしなければならない。失敗は許されない。のし上がるのにこれは他にない――そう、確信がヨシカゲの脳髄に満ち満ちた。

 だからこそ。

 

 「それは――光栄だ」

 

 強気に返答を。返しへにかりとクロウは笑って見せ――どこか困惑げに小首をかしげ。

 

 「なあ、ヨシカゲ」彼の身体を指差して「どうしてお前そんなボロボロなんだ?」

 

 「…………あーこれは……」

 

 ヨシカゲが見下ろせばボロ布同然となった自らの衣服。羽織っていたパーカーなんてフードが無くて穴だらけのよくわからないものになっている。

 銭湯での強化外骨格エクソスケルトン緊急装着による代償だった。まとめて着込んだ結果。強化外骨格エクソスケルトンの熱と衝撃に挟まれてこの通りの酷い様。服の体裁をギリギリ保っていただけまだマシだった。

 

 「話せば、長くなるんだが……」

 

 「うっし。じゃあそれを代金に予備の隊服やるよ」

 

 また嫌味の欠片もなく笑えば、颯爽と踵を返すクロウの後に続こうとヨシカゲは背中を壁から離した――――。

 

 

 

 

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