第21話 パスト・アンド・フューチャー




 「狩人の通過儀礼イニシエーションさ」

 

 男は語る。

 暗がりに差し込んだあまりに眩い星光スポットライト。見る者の視界を焼き払わんばかりの輝きが、男の姿を影めいた曖昧さを打ち消してしまいそうだった。

 だからか、言葉だけがこの極光の差す部屋に響いていた。

 ちなみにケンゴは未だ件の彼女の胸の中。抱きしめる腕の強さが彼を離してくれなかった。

 

 「その女――重弐番上位存在トゥエルフスアッパーストレイタム・First:5thの抱擁は」

 

 「そう言われると趣がないではないか、我が17856300代目よ」

 

 頭上から聞こえる苦笑混じりの言葉。ケンゴとしてはさっさと開放して欲しかったが。

 

 「やっと会えたのだ。最初の最初にやっておくことだぞ。それが二回目にやることになってしまった。これはいけないことだ」

 

 「……そりゃすまないことで」

 

 言葉通りの感情が、男のそれに乗っていた。

 

 「とりあえず、そろそろ離してくれないか?」

 

 ケンゴは頭上で繰り広げられる応酬に辟易しながらようやくそう切り出した。

 

 「えー…………」

 

 絶世の美貌が口を尖らせる。それだけで絵になるのだから卑怯極まりない。

 

 「話進まないし、その辺で勘弁してやってくれ」

 

 声を震わせる男。後で殴ってやる――ケンゴは心に誓った。

 

 「仕方がない……」

 

 名残惜しげに背中から離れ――またぎゅっとそれまで以上の力でケンゴは胸に顔を埋没させた。思わず変な声が出た。

 しかし今度こそ、ぐいっとケンゴは腕の中から脱出――勢いのままその女、First:5thから距離をとる。

 強い視線を向けるケンゴにFirst:5thは困り顔で肩を竦めた。

 

 「じゃ、話の続きとしようか」笑みを堪えるような雰囲気「……どこまで話したんだったか?」

 

 「機械混ざりの異形の話、だったと思うが……その前にトゥエルフなんたらってなんだ」

 

 「重弐番上位存在トゥエルフスアッパーストレイタム――始祖たる我らが十二の先達のことさ」

 

 「……つまりこの女が五人目だと?」

 

 怪訝に指差す先には見せつけんとばかりに大きく張られたたわわ――認めるのは癪だが巨乳党たるケンゴにとっても極上の巨乳だった。柔らかで張りもいい。つまり触り心地よし。ケンゴの慧眼を以てもレジェンダリーだった。

 

 「うむ! 敬意を払っていいぞ!」

 

 ご満悦顔。どれだけ崩しても絶世の黄金比であることは変わらないのがなんだかむかつく。

 

 「まあ、何。我はお主らより少しばかり年寄りなだけだ。気にするな」

 

 「少しばかりっ――「煩いぞ」――はいはい」

 

 華麗なインターセプトが眼光と共に影へと突き刺さる。

 つーかこんなのが後十一人いるのか――おっぱいに視線を釘付けにしてケンゴはゲンナリした。

 

 「では、本題だな」

 

 先と一転。美貌に怜悧な笑みを浮かべ、First:5thは指を高く打ち鳴らす。すると彼女の丁度後ろ――部屋の中央に大きく豪奢な椅子が出現した。部屋の雰囲気に全く合わない。けれども彼女にはとても良く似合う。当然とばかりに腰を掛け、足を組み、肘掛けで杖をついた。

 

 「……人の部屋に何置いてんだ」

 

 ケンゴは自分の空間への侵食に明らかな不快感を示す。

 

 「まあ、我慢しろ。いつも――いや、俺の時もこうだった」

 

 真後ろ。ベッドに腰掛けたままの男が諦めを言葉にした。

 確かにこの女は言葉一つで改めそうにはない――我の強さを彼は既に目の辺りにしている。無駄だと肌に感じている。

 だから溜息一つ零してケンゴは、大人しく背を壁に預けた。

 

 「では――」

 

 彼の様子にフッと笑み一つ。後に、First:5th彼女は語るべく口を開いた。

 

 「語るとしよう。機械混ざりの異形――いいや」言葉を改め「異械形ホラーマータを」

 

 そして、と繋ぎ。

 

 「クローク=F=エンボルトを語ろうか」

 

 「クローク=F=エンボルト……?」

 

 突然出てきた名。聞き覚えのありすぎる名前にケンゴは眉を潜める。

 

 「我らの同胞であり異端者であり狩人であった者、我ら、重弐番上位存在トゥエルフスアッパーストレイタムのFirst:13th」 

 「奴らは、我ら狩人の天敵であり、不倶戴天の敵。幾億数年の合間、鎬を削る怨敵」

 

 言葉を切り「それこそが」繋ぐ。

 

 「裏切り者ダブルクロス=クローク=F=エンボルト」

 

 「なんだ、あれだ。また大きな話だな――」

 

 ケンゴと同じく――いや、彼よりも置いてけぼりな男は素直な感想を呟き。

 

 「――お前は、そうでもないみたいだな」

 

 ケンゴへと真っ直ぐに男の視線が伸びていた。

 剣呑な光が、彼の瞳に宿っていた。ケンゴの、何時も浮かべている険のある表情は何時にまして穏やかとは言いがたい。

 

 「…………足長おじさん」

 

 「随分と古い言葉を知っているな」

 

 男の意外そうな声に「そう、名乗ってたからな」ケンゴは不機嫌そうに返す。

 

 「教えてもらえるか、ケンゴ。お前とあれの関係を」

 

 これまた真っ直ぐな瞳。強者。勝利者。絶対者。何者にも惑わされない完成者の瞳だった。

 

 「……長くなる」

 

 嘘だ。あの男に関してケンゴが語れる事は殆どない。彼は、あの男について何も知らない。あの男を構成する一側面しか知らない。

 「構わない」

 

 この切り返しも分かっていた。誤魔化しは一蹴されることは間違いない。欺瞞は一言の元に看破されるに違いない。

 何よりもケンゴ自身の隅々に浸透しつつある狩人という機構システムの概要、全て。彼がいずれ、いや間もなく一部となる巨大極まりない存在。こうして語ることも不要になるという確かな感覚。自身の人間性おのれが溶けていく感覚。

 それら全てが証明していた。

 意識下まで伝わるあらゆる感覚から意識を逸し、ケンゴは深く息を吐くと。

 

 「――分かった」

 

 意を決するように、過去へ通ずる扉を叩いた。

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 「こんにちわ、君が――――かな?」

 

 咬切ケンゴではなかった頃の、まだ彼でしかなかった彼の記憶の始まりはその一言だった。

 それより前はない。これこそが、この瞬間こそが彼の始まりと言えた。

 その時どう呼ばれたか、彼には記憶はない。

 場所もただ光が強くて眩しくて。何よりも印象強烈な声の主以外、記憶には残っていなかった。

 

 「私は、クローク=F=エンボルト……」と悪戯小僧のような笑みを浮かべ「いや。足長おじさんだ」

 

 そう言い直し。

 

 「君の家族になる男だ。できれば、顔と名前は覚えてほしい」

 

 思い返せばとても演技臭い自己紹介だったと、彼は思う。

 それが始まり。

 彼とクローク=F=エンボルト。二人の家族としての生活の始まりだった。

 世界中を巡る旅こそが二人の家族としての共同生活といえた。

 家といえばエンボルトの仕事場も兼ねた彼特製オリジナル自家用プライベート飛行艇ジェット

 時に地上。時に上空。更には海上。時として海中。

 世界の到るところで寝食を共にしたのは彼も朧気に憶えている。

 

 何よりも記憶に根強いのは、教師としてのエンボルトだった。

 

 あの男が何をやって何を成していたか。当時も今も彼は知らない。知ろうにもあの男が口にする言葉は当時の彼には難しすぎた。

 だが、前述の通り。エンボルトが彼に視線を合わせ、口にする言葉は当時の彼でも容易に理解が出来るものであった。これは今の彼にも、咬切ケンゴにも残されいて、彼の確かな基礎になっているのは間違いない。

 

 といってもエンボルトが彼に伝え、教えたのは生きるための知識だ。エンボルト自身、彼と同じ素養――科学者としての才は感じていなかった。だから、親として当たり前の知識や論理を彼に伝えた。

 

 そうして、始まりからの数年間は経過した。

 穏やかな日々。

 幾万もの犠牲の上に成り立つ平和と日常を彼らは過ごした。

 彼は知らぬし、エンボルトは知っているけれど彼にはそれも日常。

 人の営みとは犠牲の上に成り立つものだろう。

 これもやはり当たり前のこと。

 

 そこから大きく変化があったとすれば、そう――空が遠のき、陸より離れ、海上に生活が移った事。

 そう、メガフロート〈エンパイア〉。

 太平洋上に浮かぶかの帝国に彼――いいや、もう彼ではない。

 咬切ケンゴ。そう新たな名を得た彼とエンボルトの姿はあった。

 

 しかし、エンボルトはケンゴの前から去った。

 急な事だった。幾つかの言付けと未だ幼い領分のケンゴが生きていける基盤を作り、姿を見せることは無くなった。

 彼を垣間見るのは、名ばかりの身元引受企業を通した毎月の振込。

 それだけだった。

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 「――俺が知っているのはこれくらいだ」

 

 そう、ケンゴは自嘲気味に締め括った。

 

 「それなりに生活を共にしておいてあれだが、俺は何も知らない」

 

 「悪いな」とシニカルに笑ったケンゴは深く深く息を吐いた。

 瞳がぼやけた照明へと向けられる。

 今の今まで、忘れていた――いいや、違う。目を向けていなかっただけだ。

 忘れたいから、暴虐と怠惰に身を任せた。だからこそ彼はこうなった。

 最低だ。ああ、言われなくとも分かっている。最低だとも――自嘲が脳髄を縊り殺すように縛りつく。

 

 「……やはり、やつを直接問いたださんと分からんか」

 

 First:5th彼女は柳眉の間に小さく皺を寄せ、口元に長く靭やかな指を添えた。

 

 「すまんな。手間を取らせた」

 

 「いい。それよりも、今もっとも必要な情報をくれ」

 

 天上から再び、First:5thへと向けられた瞳は元のケンゴの、虚無的で剣呑な瞳が穿つように向けられる。

 

 「こいつの言う通りだよ、上位権限」

 

 「First:5th……様はいいか。ともかく、First:5thと呼べ」

 

 不満げな横目に、男がりょうーかいとやけに大げさに肩を竦めた。

 

 「というかそうだ!」

 

 思い出したとばかりに鋭く尖った瞳が怒りを湛えて放たれる。向かう先といえば――男。椅子から乗り出すばかりの剣幕。

 

 「先代! 何だお前の体たらく! 説教部屋通り越してこっちに来るとは!!」

 

 「いや、すげえ急にこっちの矛先向けたな……」

 

 飄々とした男も流石に唖然と汗一滴。ケンゴも流石に話の方向転換と豹変度合いについていけなかった。

 

 「言えてなかったからな! 思い出してるうちにな!!」

 

 「お婆ちゃんかよ……」男がぼやけば「誰がクソババァだ!」美貌から発せられるとは思えないドスの効いた怒声が放たれる。

 

 「……狩人には芸人適正でもいんのか?」

 

 ケンゴは呆れ混じりに呟いた。この漫才を見続けるのもいいが、時間の無駄だなと口を開き。

 

 「そろそろ最初の話に戻ったらどうだ? あの異形――異械形ホラーマータだったか?」

 

 路線を修正されるべく言葉を作った。

 

 「…………むぅ、確かに」今度はFirst:5thが大きく息吐いて「それは後にしようか」

 

 いやもう忘れてくれとばかりの雰囲気を男は発していた。気にも止めない。あれは後で追求されるな。完全に他人事を決め込んだケンゴは僅かに笑う。

 

 「お、笑ったな。今」見たりとばかりにくすりと「なんだよ」居心地悪げにケンゴは他所に目をやる。

 

 「何、お前。ここに来てから湿気た顔しかしなかったからな」

 

 そういう顔をしている方がいいと頬杖をついて。

 

 「不貞腐れては、色男が台無しだ」ニタニタと曰うFirst:5thに「……ほっとけ」と鋭く一瞥。

 

 「ま、お巫山戯はこの辺りにしてやろう」

 

 自分で初めた事だろうに――男は口にせず、頭の奥深くにしまい込んだ。

 

 「異械形ホラーマータとは見ての通り。人と異民、そしてもう一つの要素が交わることにより生まれ出る」

 

 「……機械か」

 

 思い起こされる元となった男。腕を自由自在に作り変える機関人エンハンサー

 ――そもそもあれは誰を狙っていたのだろう? 一瞬浮上する疑問。けれど下手人が既に居ない事実が一瞬で上書いた。

 

 「御名答イグザクトリ。機械は人の手でしか生まれ出なかった。狩人の生まれ故郷たる異界には存在しない概念に目を付けたのが件の――――」

 

 「クローク=F=エンボルト……」

 

 「うむ」と鷹揚に頷き「しかし、人の台詞は取るものではないぞ」

 

 諌めるような言葉に、ケンゴは肩を竦めてみせる。

 

 「どういう役割ロール異械形ホラーマータに?」

 

 影の中から男の声。最もだ。答えを求める二人の視線がFirst:5th彼女へ。

 

 「そもそもの話だが過去にも異械形ホラーマータは出現をしているという認識で構わないな?」

 

 「ああ、何度か出現している。共有が進んでいない通り、出現個体は著しく少ない――異形自体がそこまで出るものではないが。

 ケンゴ、お前が討伐した異形は何体になる?」

 

 「……十と少しくらいか、確か」

 

 「俺の時もそうだったが、このメガフロートは異常だ」

 

 「都市構造が成した地獄の如く巡る螺旋構造が人々の精神を先鋭化させたか。多層化した社会を一極圧縮し、異形の出現を高める――エンボルト、これも貴様の策謀か……?」

 

 男とFirst:5thが考えを巡らす中。ケンゴの頭にあるのは唯一つ。

 

 「それで、俺はあれをどう狩ればいい」

 

 狩人としての基本機能、思想からくる問いかけ。向けられたFirst:5th彼女の瞳が僅かに、この輝きに紛れて見えぬほどに小さく、鋭さを帯びた。

 

 「異械形ホラーマータと呼べる個体は皆一様に持つ異形特有の先鋭願望と機械マシンを過剰結合させ、通常発現しない機能アートを得ている。手も足も出なかったお前なら、何か心当たりはあるだろう?」

 

 「異様な速度……」思考巡り、「いや、違う」否定と脳裏を過るのは無残とばかりの刃吹雪「あれはそんな単純なもんじゃない」

 

 一瞬の沈黙――後に電撃がケンゴに走る。

 過る光景。過るあの時。そう、このFirst:5thが介入してきたあの時。

 あの異形――翼の異械形ホラーマータが何をしていたか。

 

 「――あの声か」

 

 「活路が見えてきたな」

 

 はっと顔を上げたケンゴへとFirst:5th彼女は試すように言葉をかける。

 

 「では、音で何をしている?」

 

 「……試してんのか?」

 

 不機嫌なむくれ顔に早変わりしたケンゴにニッコリと微笑みかけて。


 「分かる。分かるから抑えろ」

 

 First:5thの後ろから同情的な声がとんでくる。分かってる。分かってるがこの女の顔面に一発叩き込みたくて堪らない。

 

 「……あの電子音めいた声。こっちに精神物理両面で干渉してきたな」

 

 仕方無しげに口を開いて予測を語る。

 繋がるという直感。ケンゴ自身には直接向けられた感覚は無かった――つまり、アレは余波だ。直接向けられれば今度こそ一溜まりもないだろう。

 異様な高速移動は自身の身体能力と精神錯乱惑わしの合わせ技。刃が瞬時に破砕されたのは共振現象レゾナンスによるものだ。

 思考に現れる見覚えのない知識から取捨選択からの推測。これも同期が進んでいるということだろうとケンゴは結論づけた。

 今はそれでいい。必要なのだから――不要な意識を切捨カット

 これすらも咬切ケンゴという存在が狩人への急速な同化が進んでいるという確かな裏付けだったが、当の本人に気づく様子はなかった。

 

 「さしずめ異形の呼声ホラーボイス。対策も何も無ければ喰らえば終わりだろう」

 

 男が言外に問いかけてくる。それを代弁したのは、First:5th。

 

 「それでは、どうする?」

 

 輝く双眸はすっと細められる。正しく狩人の始祖たるものであった。それほどの威厳を感じさせた。

 問い掛け。間違いなく今、試されている。狩人に相応しいかどうかを。

 

 ――――どうする。

 

 ぐるりぐるりと問い掛けはケンゴの精神螺旋ニューロンを廻り続け――そして。



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