第5話 ビースト・ハント 2



 ++++

 

 

 

 

 「――なるほど、確かに居るな」

 

 大理石を叩く硬いエンジニアブーツの靴底。十三の視線。もう二つは招かれざる客の方へ、若い男の声の方へと向けられていた。

 

 「置き土産・・・・は間違ってないらしいぞ、カレン」

 

 耳に掛けた骨伝導型インカムに向けて言葉を作る。

 

 『ボクの情報も間違ってなかっただろう、ダーリン。いい加減認めようぜー?』

 

 「……まあ、確かにな」

 

 今日までカレンの齎した情報は、ほぼ間違いなかった。

 残念ながら彼、ケンゴも認めざるがえなかった。

 彼女の情報収集能力は一級品である、と。

 

 『ほらなー?』

 

 ドヤ顔が見えた。若干彼はイラッとした。

 そこでインカムの向こう側へ向けていた意識の九割をカットした。彼女の無駄話がフィルターでもかかったように遠のく。

 意識の大半は最初から目の前に向けられている。無駄話の中でも集中力は途絶えていない。

 

 把握する。

 

 相手の位置や視線、体の動き、そして、呼吸を。

 

 相手が既に怪物――人食い人マンイーターになっていようとまだ生きていると同じ所作をする。


 ──異形とは形を持ったが故に、保つことと求めることを覚えてしまっている。

 特に最初期。生まれたばかりの異形は顕著にそれが現れる。

 そして、崩れやすいが為に外部から体を補強しようとするのだ。

 既に精神体かつてではないし、居る場所も故郷異界ではないから。

 

 生きていて、呼吸をするというわけではない。

 肉体、殻の反射がさせる。

 死骸であるけれど、物質界に馴染む為にせざるがえない。

 

 

 ──そこに狩人はつけ込む。

 

 

 硬い靴底が先より僅かに強く鳴る。

 大理石へ微かな罅が入る。

 

 疾風が如く。

 ケンゴはもっとも手前、彼に近い位置に立っていた人食い鬼マンイーターの首を切断していた。

 虚空を舞う首がクッションに沈む頃には彼の得物は新たな獲物に喰らいついていた。

 

 手にあるのは無骨な刃。

 以前、最初に見せた黒い、モヤめいた外見では無い。

 

 ──物質的な、この物質界世界に馴染んだような姿。

 

 肉厚で幅広。無骨にして獣の牙のような刃=鋸めいた返し。

 刃は、ナックルガードのある筈の場所、柄の辺りまでも覆っている。刃渡り自体はそこまで長くない。刀でいう脇差ほど。

 刃の厚みなどからどちらかといえば鈍器めいているというのが印象だった。

 言うならば、肉斬り包丁チョッパーを武器として昇華した姿。



 それを。

 

 叩きつける/喰らいつく。

 

 素早く腕を引く/瞬時に引き千切る。

 

 

 只々、彼は繰り返す。

 

 秒針が数周する頃には、屍肉がマットの上に転がり、マットに多量の血が染み込み始めていた。

 直ぐに、死骸は崩れて灰となって消えていく。


 人食い鬼マンイーターへと変化している以上、この世界には肉片一つ残れない。

 彼らにはもうこの世に残る資格がないのだ。

 ケンゴ/狩人は刃を振るってこびり着いた肉片を振り落とした。

 離れた肉片や血液も一瞬で空に消えていく。

 

 彼の戦闘術――今見せたそれは彼が元々持ち得た技能ではない。

 彼にできるのは、ちょっと物騒な路上喧嘩ストリートファイトくらい。

 これもまた置き土産ギフトの一つ。

 知識と技術。狩人としての最低限のものを彼は身に付けていた。

 

 彼の姿も人間態から狩人としての姿へと変化している。

 

 以前の黒もやめいた只の影はもういない。

 

 消えかけの肉片を踏み潰したのはエンジニアブーツではなく、頑丈な黒革のロングブーツ。

 羽織っていたライダースジャケットは、闇に溶け込み、長い裾を揺らすロングコート。

 下には、黒塗りのボディーアーマー。カーボンの質感。

 顔のあるはずの場所には――表情の無い、マットブラックのフルフェイスマスク。

 

 これこそが彼の狩人としての正装である。


 屍の向こう側にオールバックの男は居た。逃げる素振りはない。

 むしろ、喜んですらいる。両手を大きく広げたと思えばまるで、知古の友人に再開したかのような素振り、表情。

 ――既に、狩人は眼前に迫っているというのに。

 

 無慈悲の一閃。

 

 「ああ狩人ォ!! 知ってるぞ!! 知っているぞ!!」

 

 ――勿論、ケンゴに面識はない。

 

 だが、そう。

 

 狩人としてならばどうだろうか・・・・・・・・・・・・・・

 

 「五月蝿えよ」

 

 刃を挟んで、ケンゴ/狩人はフルフェイスマスクの向こうから冷たく睨む。

 

 彼の放った一閃は受け止められていた。

 

 軋む音は肉斬り包丁チョッパーを受け止めた手から鳴っていた。

 人外的腕力と生み出された加速を受けた刃を真正面から受け止めたオールバックの男の手は無事ではない。


 無事で済むはずがない。


 実際、掌が真っ二つに裂けようとしていた。先の軋む音は骨が徐々に断ち切られようとしている。

 これだけで済んでいる、ということに驚嘆を覚えずにはいられないが。

 

 「つれないこと言うなよォ……なあ、狩人さんよぉ……。楽しいことしようぜぇ」

 

 いやにねっとりとした口調でオールバックの男は笑う。

 

 「気色が悪い」

 

 彼の視線が絶対零度を纏ったのは言うまででもない。

 

 「俺はお前なんて知らないし、知ろうとも思わない」

 

 お前は、言葉を一度切り、

 

 「ここで死ぬだけだ」

 

 ケンゴ/狩人は、ギチリと指と掌が柄を握り締めた。

 

 瞬間。

 

 

 ――発狂/変化――。

 

 

 オールバックの男から吹き出した精神エネルギーは、一瞬で熱風と衝撃波へと転換、周囲に吹き乱れた。

 捲れ上がる床。

 血痕、肉片。まとめて蒸発/粉砕した。

 

 接近していたケンゴ/狩人は弾き飛ばされる。

 

 「チッ……」

 

 真正面で受け止めた彼は、後方に吹き飛んだ――が、数メートル、ブーツが床を一直線に削るだけで終わる。

 

 『ダーリン大丈夫!?』

 

 「問題ない」

 

 心配げな声に返事をする。視界は前から逸らさない。

 舞い上がった土煙と白煙を裂くように、影がケンゴ/狩人へと迫った。

 

 火花が散った。一度ではなく数度、空を彩る。

 

 姿を現したのは――――獣。

 犬科めいた顔面。爛々と光る黄色みがかった眼。

 前のめりな体躯を覆うのは赤黒い体毛。柔らかな様子は見えず、刺々しい印象が強い。

 太く、しなやかな筋肉が覆う腕と腿、脛。先端には大きな手足を強調する巨大で鋭い鉤爪。

 

 「ばぁ!!」

 

 鉤爪と肉斬り包丁チョッパーの鍔迫り合いの最中。

 眼前で獣の顎門が大きく開いた。

 生臭さがケンゴ/狩人の鼻孔を突く。

 噛み付きが来るか、と身構えた彼の前で、

 

 「獣の口だと喋りにくくてさぁ!!」

 

 オールバックの男。

 ズルリと肩口まで口から這い出ると、人間体の顔の軽薄そうな笑みを浮かべた唇がケンゴ/狩人の眼前で饒舌に動いた。

 

 無視する。ケンゴ/狩人にその言葉は届かない。

 元来、非常にぶっきらぼう且つ無愛想な彼に軽口を返す趣味はない。

 

 ――特に狩りの間は。

 

 拮抗が崩れる。

 ケンゴ/狩人の刃が獣の鉤爪に勝った。

 砕き折られる両の爪。男は悲鳴ではなく、驚嘆の声を上げる。

 

 「楽しいなあ! 楽しいよなァ! 楽しいに決まってるよなァ!!」

 

 少年のように男は叫んだ。

 何が楽しいのか。ケンゴ/狩人には解せない。


 理解しようとはしない。

 

 狩人と同じくして、異形も狂っている。

 狩人が同胞の血に狂い、現世に這い出たのならば、彼らは狂い憧れ、此処に這い出た。


 だから、きっと。

 獣は、享楽に狂っている。

 そういう異形は多い。

 なにせ物質界の生物の多くが発するのだ。

 だから多くが触れて、いつか狂ってしまう。

 

 だが、それを赦さないのが狩人が狩人たる所以。

 

 刃は、彼らへの特攻が宿る。

 

 砕けた爪が飛び散る中、狩人はそのまま詰める。

 超近接。振り下ろされる肉切り包丁チョッパーは獣を捉えた。

 

 叩きつけ/引き切る。

 

 肩から斜めに切り裂かれ、刃の軌跡を謎るように鮮血が吹き出た。


 獣の血は赤かった。

 

 悲鳴が男の口から上がる。

 痛みに仰け反る獣の鉤爪が再生した。

 折れたところから、乳白色の爪が巻き戻るように現れていく。

 

 追撃。

 

 刃が閃く。振り下ろされていた肉切り包丁チョッパーが瞬時に向きを変える。

 地から空、下から上に走った。

 今度こそ、獣は痛みに目を見開く。

 瞳に動揺はない。ケンゴ/狩人を抱き締めるように腕を振るう。

 

 後方退避バックステップターン反撃スラッシュ

 

 手慣れた様子で回避と反撃をケンゴ/狩人は繰り返す。

 

 回る。囘る。廻る。

 

 獣を翻弄し、撫でるように斬りつけながらケンゴ/狩人は獣に合わせて、走るステップ離れるステップ跳ねるステップ

 たちまち獣の身体は傷に塗れた。

 血が滴り、痛みが獣を苛む。

 

 「楽しい、なあ……楽、しよなあ……?」

 

 振り回された獣、口腔の奥で男は口端から血を滴らせながら未だ、笑う。

 狂気が彼ら・・の脳髄を掴んで離さない。

 

 『楽しめ、楽しめ、楽しめ。望んだことなのだから、最後まで何もかにもを愉しめ』

 

 呪詛が如く、蝕む。

  

 その様は、あまりにも悲痛で。

 目を反らしたくなるほどで。

 

 しかし。

 

 ケンゴ/狩人は、だからこそ、と刃を持ち上げる。

 

 この脳髄に刻まれた、置き土産知慧が言うのだ。

 

 彼らを救え殺せ、と。

 彼らに先はない。憧れに焦がれ続ける彼らに永久の安寧を与えろ、と。

 この世界に踏み入った者らを殺せ、と。

 

 狩人は確かに狂っている。

 

 だから、そんな声が聞こえる。


 狂気を以て、狂気を成すのが狂人たる所以。


 彼は内に蠢く狂気知慧に従った。

 

 

 

 

 ++++

 

 

 

 

 「オツカーレ!」

 

 「……さんきゅー」

 

 頬に押し付けられた冷たい感覚。手をやるとあったのはよく冷えた瓶コーラ。

 ……このメガフロートのどこにこんなものが売っているんだろう。

 王冠を親指で弾きのけて、一気に飲み干す。

 

 「美味い」

 

 「やっぱりコーラは瓶だよなー!」

 

 ケンゴの隣にカレンは座ってぶらぶらと足を振る。

 時間は夜。場所は公園。二人して備え付けのベンチに腰掛けていた。

 

 「そうだな」

 

 同意して、

 

 「運動の後には染みる」

 

 と大きく息を吐いた。

 

 狩りを始めてから、彼が狩人となってから幾らか日が経っていた。

 このメガフロートには、ケンゴの想像以上に異形が存在していた。

 今夜狩った獣型もこの島には有り触れている。

 教室で初めて遭遇した異形――蟲型もそれと同じ。

 この二種と後一種。

 彼が今の所出会っているのはその三種類だ。

 

 ――今の所。

 

 「今回ので何体目だ」

 

 「二桁突入。十体目だぜ」

 

 「そうか」

 

 「楽しい? ケンゴ」

 

 カレンの問いに頷き、

 

 「自分でやるって決めたことだ。楽しみもするさ」

 

 彼は笑う。いびつで不器用な笑顔。

 だけど、楽しそうなのは分かった。

 カレンは思う。

 最近、彼はよく笑うようになった。

 良いことだと思う。

 その笑顔も彼の一つだから。

 そうして素晴らしい彼に近づいていく・・・・・・・・・・・・・

 それは素敵で想えば想うほど胸の奥が熱くなって、愛したいと思う感情が高まった。


 「そっか。よかった」

 

 カレンは微笑む。嬉しそうに、いつもとは違うタイプの笑み。

 至近距離からの意図せぬ不意打ち。

 ケンゴは少しだけ、ほんの少しだけ。

 

 胸が高鳴るのを感じた。

 

 獣を狩るのとは近くて遠い。

 何か根源的な高鳴り。

 そんな小さい音を彼は聞いた。

 

 「そっち……学校はどうだ」

 

 だから話題の矛先を彼女に移して、はぐらかす。音の方を見ないように目を背ける。

 

 「んー何時も通り。つまんないぜ」

 

 ダーリンも居ないし。唇を尖らせて付け加える。

 

 「戻ろうよ。どうせ誰も気にしないぞ?」

 

 「それは無理だ」

 

 一言でバサリと斬り捨てる。飲みかけのコーラを一息に飲み干し、

 

 「俺が何をやってたのかは見られてるし、」

 

 空になった瓶を見つめて、座ったまま投げるオーバースロー

 

 「あいつ・・・は、最後まで見てただろ」

 

 回転する瓶は吸い込まれるようにして、ダストボックスへ。

 ぶつかる瞬間に口を開いたと思えば奥から飛び出たアームが巻き付き、口腔に引きずり込んだ。

 

 「あ・い・つ…………あー……あいつ……」

 

 思い立ったカレンはすごく嫌な顔をした。ケンゴは珍しいものを見たような気がした。

 

 「……御堂ヨシカゲ」

 

 「ああ、そうだ……お前、あいつとなんかあったのか?」

 

 不思議そうに訊く。彼女が他人に感情を向けるのは珍しい。

 無視かシカト。視界に入れても居ない扱いするようなタイプだから、ケンゴも思わず訊いていた。

 

 「あいつ……しつこいんだよな……」

 

 げんなりした様子で言葉を作る。

 あいつこういうのがタイプだったのか……?と、ケンゴは思う――も直ぐに勘違いだと気づいた。

 

 「顔を見ればダーリンのこと訊いてくるんだぜ? うっとおしいにも程があるし、身の程知らずだぜ」

 

 口を尖らせ、ぷんすかと怒りを全身で伝えてくる。どうやら相当しつこかったらしい。

 

 「……ああ、そうだよな。あいつはそういうやつだ」

 

 今度はケンゴが嫌そうに唇を歪めた。

 真面目一貫な奴だ。こういうタイプが好きなはずがない。

 そう、自分でも気づかず安心していた。何故だろうか。と首を捻る前にカレンから疑問が飛んでくる。

 

 「あいつって、ダーリンとどんな関係なの?」

 

 「…………あいつは、」

 

 何気なく夜明けの迫る、夜の消えていく空に視線をやって。

 

 「腐れ縁、だな」

 

 

 

 

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