第3話 テイク・ダーリン・フォア・ライド 2
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「それで」
虫よけの施された街頭。下にあるベンチでズズっとヌードルを啜る音。ケンゴは数時間ぶりの食事に舌鼓を打っていた。
美味い。やはりカップ麺は日心に限る……。
どうにかこうにか機動警邏を振り切った二人は、ハイウェイの各所に存在する無人のサービスエリアにたどり着いていた。
彼らの他に止まっているのはバッテリー交換の為に停車しているトラックくらい。
平日の真夜中に、こんなところをうろちょろしている変わり者は二人以外見当たらなかった。
仏頂面を緩めさせて思っていたところに、同じようにヌードルを啜っていたカレンの声。
割り箸を止めて、そちらに目をやった。
「あれ、なんだったんだよ」
「……あれ?」
質問に質問を思わず返してしまう。はてなんのことだろう。ケンゴは思考を巡らせる。
「ほら、不健康そうな化物とダーリンから出てきたもやもや」
「ああ、あれか……」
言葉を整理。ケンゴはすぐに口を開いた。
「異形っていうらしい」
「……どっちが?」
「教師の方だ」
「ダーリンの方は?」
「狩人」
疑問符を浮かべる彼女に、ケンゴは言葉を付け加える。
「俺の役目はその異形を狩ることだとさ」
「なる、ほど……?」
理解したようなしていないような表情でカレンは首を傾げる。
そんな彼女を意に介さず、ケンゴは思い出す。
――想起する。
あの時、何があったのかを。何が起こったのかを。
夢のような浮遊感。
しかし、意識はしっかりとしていて、記憶は彼に刻まれていた。
「……あの時、声を聞いた」
そう、声だ。
ケンゴは聞いた。
囁くように頭の中に語りかけてきた声を聞いた。
声といってもどんな声かも言葉にし難い。低いとも高いとも女性的とも男性的とも言えなかった。
「声?」
唐突な彼にまたまたきょとんとする彼女。
ケンゴは頷いて、続ける。
「『皆殺せ』ってさ」
「ダーリン、物騒だな」
「俺じゃねえよ」
ケンゴは苦笑して、少し真剣な声音で言う。
「でも悪くないと思う」
間をおいて。
「なんていうか、こう……そうだ」
逡巡。
それは直ぐに終わった。
簡単だった。率直に言葉にすればいいだけだった。
「やりたいと思えた」
夜闇に消えていく湯気。冷めていくスープ。伸びていく残った麺。
彼の視界にそれは映らない。上を見上げる。
何もない夜天。傍に突き経つ摩天楼。
紡ぐ言葉も登る湯気と一緒に溶けていった。
「初めて、そう思えた。今まで生きてきて、初めて」
「ほら、やっぱり物騒だ」
カレンの指摘。
ケンゴも思わず破顔。
ぶっきらぼうで無愛想な顔が不器用に笑う。
それから視線を下ろして、彼女の方に向いて。
「確かに」
吹き出して互いに声を上げて笑った。
今度は思いっきり、大きな声で。誰の迷惑にもならないことを良いことに彼らは笑い合う。
「でも、そういうの好きだぜ。ボク」
いや違うな。頭を振り、
「そういう風に笑うダーリンのことが好き」
「うるせえ」
「多分、出会って初めてみたと思う。出会った時の顔も素敵だったけど、今の顔も好き」
真っ直ぐな好意。未だに答えきれてない、図りきれていないケンゴには眩しいを通り越して痛いくらいだった。
「ああだから、」
しかし、ケンゴは知っている――――。
「ボクの好きなダーリンでいてくれよ」
伸ばされた形の良い指がケンゴの顔に添えられる。同時に、カレンは鼻と鼻が触れそうな距離まで顔を近づけた。
「な、約束してくれよ。ダーリン」
瞳に狂気が見える。
愛欲に曇る瞳が、ケンゴの瞳を貫かんばかりに見つめる。
「前から言ってるが、」
添えられた手、その手首を掴み、ケンゴは腰を掛けていたベンチから立ち上がると彼女を見下ろす。
彼の身長は180近い。160前半の彼女を見下ろすとなると、かなりの威圧感を伴う。
しかも彼の目つきは同年代に比べて鋭い――尖すぎるほどだ。
黒い瞳が彼女を睨めつける。
「俺はお前の為に生きているんじゃない」
「……うん、それでこそダーリンだ」
威圧も意味をなさないらしい。カレンは目をキラキラさせてそう言った。
――――やはり、こいつは碌でもない女だ、と。
スリルジャンキーの上、理想まで押し付けてくるのだから碌でもないの一言だろう。
何を言っても無駄なのを悟りきってケンゴは、掴んでいる手首から手を離した。
「たっく……」
ぼやきと共にベンチに腰を再び下ろす。足元を見ればカップ麺の残骸。冷めたスープがカップから流れ出ていた。
溜息が出た。
とりあえずカップを手にとって、いつの間にか手の中で粉々になっていた割り箸の残骸をカップの中に入れておく。
「……ゴミ捨ててくる」
一声一応かけてから、差し出された同じように空のカップと割り箸を受け取って。
「流石に粉々は初めてだな」
ダストボックス目指して歩き始めて、ぽつりと呟く。
ちらりとカップの中を見れば、まるで砂のようになった残骸が浮かんでいる。
握力……だけでこれができるだろうか。
「わからん」
本当にわからない。
自分をこんな風にしたであろう下手人は、最後の一言だけしか残していかなかった。
せめて何を残していったのかを説明して欲しいものだ。
追々、分かるだろうけど。
あの時もそうだった。
授業中、
ほんの数時間前の出来事。
その時も、どうすればいいのかわかった。
今、落ち着けているのはそういうことなんだろう。
地に足つけた現実感と夢見心地みたいな浮遊感が支配していたあの時。
鉄火場から離れてから、落ち着いた頭の中でぐるぐる回り始めたあの声の置いていったもの。
今の自分がどういう状態なのかを完全に把握するのには整理できた情報だけで十分だった。
「《狩人》、か」
言葉としてはただの二文字。
その意味はこの物質界――この世界のそれと似て異なる。
それは
異界、この物質界に隣り合わせに存在する逆転世界。
そこに物質と呼べるものはなく、ただ凪のように平坦で平面――という概念すら曖昧な世界。
住人は皆が皆、物理的な存在ではあらず。
この世界で近い概念といえば――そう、精神。精神だけの存在だ。
個の概念も曖昧で原初の混沌めいていた。
狩人はそこから来た。
元々の彼らや同胞――異民達は物質界から零れ出るエネルギーを食らって生きている。
特に好物なのは精神活動、感情の高ぶりから生まれるエネルギー。
それに感化された者たちは異界より物質界に這い出る、堕ちてしまう。
結果が、異形。
形なき異界の民達がその感化された者を得て、狂い、形を得る。
故の呼び名。
この世界にも、人にも、異民にとってもそれは悲劇でしかないから、狩人達はこれを狩る。
――そこまでをケンゴは理解していた。
あの声の持ち主が齎した知識を整理し噛み砕いて、吸収していた。
だが、まだ分からないことがあった。
何故、どうして。
自分を選んだのか。
「……やることも、やりたいことも分かってる」
それでも理由をあの声は残していかなかった。
だから、手始めにそれを求めてみようと彼は思うのだった。
目的があるのは、とても楽しいことだから。
「そう思うだろう?」
暗がりに視線を向ける。
現れるのは異形。
あの教師と同じ、多口多眼の異形。
「あの教師、こんなに友達が居たのか」
隣、後――。
それは数を増やしていく。
「まあ、なんだ」
取り囲むように現れていくそれらを前にして頭を掻いて。
「全員同じ場所に送ってやるよ」
狂笑。三日月形に口を歪めた。
同時に、ケンゴの体から黒い靄が立ち昇ったかと思えばそれを彼は身に纏う。
――闇が鮮血に染まった。
「狩りの時間だ」
刃が、閃く。
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