Ⅰ.楽園追放 3

 2人の競争は、ほとんど休みなく夕方まで続いた。

 ゲアハルトはウサギ4匹、キジ2匹獲ってきた。代わってフランツは、ウサギ1匹、キジ3匹であった。

「俺の勝ちだな、フランツ」

 ゲアハルトは、どうだと言わんばかりに胸を突きだした。しかし――

「これでどうかな?」

 フランツは、茂みの中から何かを引きずり出してきた。それは、大きなイノシシであった。

「数では負けるけど、重さでは勝ってるよね?」

「うっ、うむ……」

 ゲアハルトは、言葉に迷った。確かに、数量の多さなのか、重量の多さなのか、フランツはそこに言及していなかったのだ。

「まあ、これは引き分けってことで、帰ろうか」

「いや、でもよ……」

 ゲアハルトは引き留めた。

「こんなデカいイノシシ、どうやって運ぶんだよ……?」

 フランツは気の抜けた声が出た。ウサギやキジ程度であれば、袋に詰めて持って帰れるが、これは流石に入りきらない。

「……近くの農民に荷車借りるか」

「それしかないよね」


 2人は、キジ2匹と引き換えに、農民から荷車を借りた。フランツは、ゆっくりゆっくりと、重い荷車を引き摺っていった。ゲアハルトは、苦悶の表情を浮かべるフランツを馬上から見下ろし、ほら見ろと言わんばかりであった。

 しかし、2人が街に入ると様子が変わった。街中の人がフランツを讃えたのだ。

理由は、獲ってきたイノシシが近くの畑を食い荒らすと有名だったからだった。

「しっかしよくこれをお一人で、腕利きの猟師に依頼しても捕らえられなかったというのに」

「どうやって捕らえたのです?」

 ある町人がフランツに聞いた。それに対しフランツは、

「わざと自らおとりになって、イノシシを崖の方に誘導したんだ。あとは、上手く受け流して崖の底に落としたのさ」

 と、昼の出来事を思い出しながら答えた。

「流石はフランツ様!」「次の皇帝はフランツ様に決定ですな!」

 人々が冗談交じりでフランツを讃えた。その楽しそうな雰囲気に、フランツは笑みを浮かべた。ゲアハルトは、ぼさぼさの茶髪を少し掻いた。

「よしみんな!フランツ様をお助けするぞ!みんな手伝え!」

 ある男がそう呼び掛けると、数多くの人がフランツの荷車を押した。少しずつしか動かなかった荷車が急に加速しだし、ゲアハルトは慌てて馬に鞭を打った。

 

「どうしたの!?」

 城に着くと、フランツの下にある女性が駆け寄ってきた。数多の街人が一体となった群衆を見れば、この反応は当然の事だった。

「狩りでイノシシを獲ってきたんだ。丸々肥えてて美味しそうだよ」

 そう言われて、彼女は荷車の中を見た。

「うわあ!本当に大きい!」

「他にも獲ってきたぞ」

 ゲアハルトは彼女に、袋に入れたウサギやキジも見せた。彼女は更に驚き、フランツの後ろにいる群衆に向かって叫んだ。

「こんなにあると内輪だけで食べきれないから、皆さんにもおすそ分けしましょう!」

 その言葉に街の人々は、

「太っ腹ですなあ、お姫様!」「ゾフィー様の手料理はこの世で一番だからなあ!」

 と喜びの声をあげ、街は祝日のように騒がしくなった。

「そうなったらみんな!ゾフィー様のお手伝いをするよ!」

 ある婦人が声を上げ、街中の主婦たちがあのイノシシを担いで、城の厨房へと持って行った。ゾフィーは、麗らかな茶色の長い髪を靡かせ、彼らの後を駆けて行った。

 この女性ゾフィーは、このアルムバッハ城を拠点とするアルムバッハ家の姫君であり、ゲアハルトの妹にあたる。しかし、彼女の趣味は料理という、普通なら召使いに任せるようなことをする少し変わった女性でもあった。



 城の広場は、大変な賑わいとなった。

 酒屋の主人はワインを樽ごと持ってきて皆に振る舞い、ある者は家から楽器を持ってきて場を盛り上げた。

「皇帝が亡くなったとは思えないぐらいの享楽ぶりだなあ」

 自室に戻ったフランツは、牡丹肉の煮込みをあてに、ワインを一気に飲み干した。すると、ドアをノックする音が聞こえた。

「入るよ」

「もちろん、おいでよ」

 入ってきたのは、ゾフィーだった。

「それ、美味しかった?」

 ゾフィーは、煮込みが載っていた皿を指さし言った。

「もちろん、ゾフィーが作った料理はなんでも美味しいに決まってるじゃない」

 ゾフィーはその言葉を聞いて、大きな笑顔を放った。

「んじゃあ、私お皿を下げて戻るね。片付けが大変そうだし」

 そういって食器を下げようと手を伸ばした瞬間、その手をフランツが掴んだ。

「……えっ?」

「少し酔ってしまったみたいでね」

 そう呟くと、フランツは彼女を抱き寄せ、唇を合わせた。そして、ゆっくりと、時間をかけて、大切に、濃厚な口づけを交わした。暫くして唇は離れたが、唾液の糸が互いを繋ぎとめていた。

「はあ……はあ……」

 虚を突かれた口づけに、ゾフィーの呼吸が少し乱れた。そしてフランツは、そのままゆっくりと、近くにあるベッドにゾフィーを押し倒した。

「また、いきなりなんだから……」

「でも、これが好きなんでしょ?」

 そう耳元で囁くと、そのまま耳を甘噛みし、うなじを舌で撫でていき、そしてまた唇にキスをした。

「もうちょっと本気を出そうかな」

 そういうと、狩りのために着ていた上着を脱ぎ捨てた。そして被っていたハンチング帽も床に投げ捨て、髪留めを取り払った。すると、背中に掛かるほどの長く艶やかな金髪が、ふわりと降りてきた。

「短い方がいいと思うんだけどな、

「私もそう思っているんだけどね、中々捨てられないんだよ」

 フランツは再度、ゾフィーに覆いかぶさろうとした。しかし、そこで異変に気付いた。広場から溢れかえるほどの大きな享楽の声が、聞こえなくなっていたのだ。むしろ、そこからは騒めきのような声が漏れていた。そして、彼らの部屋を気品があるが鈍い声が貫いた。

「マリア・フランツィスカ・フォン・エーデルライヒ様!こちらにいらっしゃるのでしたら、広場までお越し下され!」

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