Ⅰ.楽園追放 2

 ――皇帝オットーが崩御なさった――

 城下に、この知らせが駆け巡っていた。

 ――次の皇帝はフランツ皇太子であろう――

 この憶測も、知らせとともに流れ込んできた。


「まあ、その通りだろうな」

 とある人が、城の窓からそう呟いた。

 マリエンシュッツ家では、男系男子でありかつ長子である者が、王位を継ぐ。このことは、成文法によって定められているものだ。皇帝オットーの長子はフランツであるから、これに則ればそうなるはずである。


 しかし、次のような噂も広がっていた。

 ――皇太子殿下が、皇帝陛下と同じく、流行病に侵されている――

 人口が多く、家と家が密集し、生活環境の悪いヴィーデナウは、流行病が起きやすかった。それに罹りこの世を去る貴族も、少なくなかった。

 死を想え。古の言葉が、今に思い返された。


「なんにせよ、私には関係のない話だな」

 その人はそう独り言ち、牛乳がたっぷりと入ったコーヒーを啜った。

「フランツ、今いいか?」

 ドアをノックした音が聞こえたあと、野太い男の声が伝わってきた。

「君と私の仲じゃないか、ゲアハルト。入りなよ」

 そういうと、茶褐色の上着を羽織った大柄の男が、白い扉を開けて入ってきた。

「こんな朝早くからなんの用さ」

「今日は天気がいいから、狩りに誘おうかと思ってな」

 その男が言うように、曇りの日が多いこの街には稀な青空が広がっていた。

「こんないい日に、部屋に籠っていたらもったいないだろう?」

「……確かにそうだな」

 そういうと、その人はコップに残っていたコーヒーを飲み干し、狩猟の支度を始めた。



 2頭の馬が続けて走り抜けていった。

 先に駆けていったのは、ぶち毛の馬だった。その上には、ハンチング帽から垣間見れる端正な顔つきのフランツが、馬を駆っていった。その後ろに、鹿毛の馬に乗った大柄の男、ゲアハルトが付いて行った。

「この辺りでいいだろう」

 馬を止まらせながらフランツは言った。そこは、街から十数分行った山の麓で、いつも2人が狩りをしている場所だった。

「相変わらず……早いな……」

 ゲアハルトは少し呼吸が乱れながら言った。

「まだ疲れてる場合じゃないよ、ゲアハルト」

 そういうと、フランツははらりと馬から降り、マスケット銃を手に取った。

「しっかし、こんな馬をよく乗りこなすよ」

 ゲアハルトは、フランツのぶち毛の馬を撫でて言った。すると、その馬は首をぶるんぶるんと勢いよく回して、ゲアハルトを遠ざけた。

「うわあ!?」

「『こんな馬』呼ばわりされたからこうなるんだよ。まあ、見た目も性格も難があるのは、その通りかもしれないが」

 この茶色と白のぶち毛の馬は、フランツがヴィーデナウの馬市場で購入したものだった。誰も彼もが「牛に種付けでもしたのか」と嘲笑い、さらに気性が荒く、全く買い手が付かず安値で売り払われていた。しかし、フランツは高値で買った。「それだけあれば、もっといい馬が買えるのに」と、皆が不思議がった。

「それでも、こいつは力強い走りをするからな。私はそれに惚れたんだ」

 フランツは、その相棒に笑みを送った。

「それに、少し私に似ているような気がするんだ」

「そうかあ?」

 ゲアハルトは訝しんだ。すると、森の方からガサガサと葉がこすれる音がした。

「なんかいる」

 フランツは静かにそう呟くと、目線を下げて、森の方を凝視した。

「いた……!」

 そういうと、フランツはスタスタと速足で近づいて行った。茂みに隠れた獲物も人気に気付いたのか、飛び出して森の奥の方へと駆けていた。

「逃がさない……!」

 フランツはマスケット銃を獲物に向け、発砲した。一発目は、惜しくも右に逸れた。

 次こそは――と思った次の瞬間、獲物の断末魔の声が響いた。

「援護ありがとう、フランツ」

 獲物を打ち抜いたのは、ゲアハルトだった。

「……お見事」

 詰め込もうとした弾丸をしまい、フランツは言った。

 撃ち取った獲物はウサギだった。

「いいねえ、煮込むとほろほろになって美味しいんだよなあ」

 ゲアハルトが慣れた手つきで血抜きの作業をし始めた。

「考えただけで腹が減るな。早く城に戻ってゾフィーに作ってもらわなきゃな。なあ、フランツ?」

 ゲアハルトは目線を上げると、既にそこにはフランツはいなかった。

「フランツ?」

 すると、遠く離れたところから大きな声が響いた。

「どっちが多く獲れるか競争だ、ゲアハルト!」

 そういうと、フランツは森へと消えていった。ゲアハルトはまだ、血抜きの作業を終えていない。

「あっ、おいっ、ちょっと待て!ズルいぞ!」

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