赤黒いバスタブの中で

雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞

あの夏は、酷暑でございまして

 これは、聞いた話なんですがね──


 気温32度を超える酷暑の夏だった──なんていえば、今ではお笑い種かもしれませんが、あれは、ひどく暑い夏のことでした。


 自殺だったのか、他殺だったのか。

 あるいは、事故死だったのか、それはわからない。


 初めに気が付いたのは、そのアパートの隣室に住む住人でして。

 異臭がする、ということで大家さんがやってきた。


 問題の部屋の住人は、もう数か月も姿を見せていなくて、夜逃げでもしているんじゃないかと噂になっていたそうです。

 ただ、大家さんは家賃が振り込まれているのを知っていたから、旅行にでも出ているのだろうと思い込んでいた。

 旅行で長いこと留守にしているから、ゴミが腐ったんじゃないかと、そう思ったんですね。


 ……ですがね、そんな当て推量は、扉を開けた瞬間には、無意味なものになったそうです。


 むせかえるような悪臭──腐臭ですよ。

 むわっとした熱気とともに、なんともいえない生臭さが、大家さんに吹き付けてきた。

 息が詰まるような、胃がひっくり返るような臭いです。


 これは尋常なことではないぞ、と。

 大家さんは部屋の中に踏み込むことにした。

 部屋の中に入ってみるものの、どこにもおかしなところはない。

 ただ、綺麗だっていうんですよ。

 


 埃ひとつ、塵ひとつ落ちていない。


 だというのに、たまらない臭いがするっていうんです。

 鼻を押さえながら、臭いがする方へと向かっていく。

 どうやら浴室から臭っているらしい。


 ここに生ごみでもためているのかと。

 だとしたら注意が必要だと。

 大家さんは浴室の扉を開けて。


 その、悪夢のような光景を、目にしたんですね。


 

 バスタブの中一杯に、それが詰まっている。

 ポチャリと波打つ水面の、その色は赤黒くて。


 白くて細い、あるいは太いなにかが、山のように積み重なっていたんだそうです。


 ……人間が、バスタブ一杯に腐って満ちていたんですねぇ。


 熱中症か、それとも別の理由なのか。

 入浴中に死んだ人間の遺体が、酷暑の影響で腐乱して、真っ赤な湯舟を作っていたのということらしいんですがね。


 だけれどなにより。

 大家さんを絶句させたのは、そんなものではありませんでした。


 オギャア。

 オギャア──と。


 泣いている。

 わめている。


 へその緒のついた赤ん坊が、骨でできたゆりかごの上で、生きていたって、言うんです。



 ……その赤ん坊は、どうやら死体と血のつながりがあったらしい。

 親が死ぬような猛暑の中、どうやって赤ん坊が生きていたのか。

 そもそも食事はどうしていたのか。

 なぜ、骨がゆりかごのようになっていたのか。


 なーんにもわからないまま、その赤ん坊は、被害者の親類に引き取られていったそうですよ。


ええ、これはあくまで、聞いた話です。


 ──大人になったその赤ん坊から、聞いた話ですよ。

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赤黒いバスタブの中で 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo

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