【小説】『ニューノーマル・サマー』を読みました。不要不急が生んだコロナ文学

2022年9月23日






 新型コロナウイルスが世界規模で流行してからおよそ二年半ほど経過したでしょうか。あらゆるものの日常が一変しましたね。


 とはいえ間違いなく歴史に残るであろうこの出来事は、不謹慎ながらも物語の題材としてはこれほどまでにセンセーショナルなものもないかと思います。


 現にSFの分野においては、ポストコロナを描いたSF作品も登場していますし、メインでコロナを描いていなくとも作品の近未来描写においてコロナの名残が読み取れる設定になっているものもあり、新型コロナウイルスが物語に与えた影響はあると思います。


 しかしながら……思ったより少ない? やはり不謹慎だからか直接的なコロナ小説は書きにくいのでしょうか?


 と思っていたところにちょうどコロナ禍を描いた小説を見つけたので、今回はそれについて。







  書籍情報



  著者:椎名 寅生


 『ニューノーマル・サマー』


  新潮社 新潮文庫より出版


  刊行日:2021/6/24


  あらすじ(Amazonより転載)

 2020年、忘れられない夏。それでも僕らは、芝居がしたかった――。

「演劇」も「青春」も、ただ一度だけ。二度とない夏が、終わる。笑って、泣いて、そして元気が出る、withコロナ青春小説。「密です」「おまえそれ言いたいだけだろ」2020年、日常が一変したコロナの夏。俺たちは次の公演『4回転サイタマ』の準備を始めた。世間からは“不要不急"“要警戒三密指定生物"として避けられ疎まれ、“自粛"を要請されながらも、たった一度きりの今しかないこの瞬間に、青春のすべてを注ぎ込む。はたして舞台の幕は上がるのか――。劇団脚本係の“俺"と自称美少女看板女優“サリエロ"の忘れられないニューノーマル・サマーを描いた、笑いあり涙ありのウィズ・コロナ青春小説。










 新型コロナウイルスが蔓延する中、大学生で演劇をやっている主人公による不要不急の物語。


 大学生といえば授業がすべてオンラインとなり、大学も施設が閉鎖されていたという話は聞いたことがあります。また演劇関係でも劇場内でのクラスター発生の懸念から閉鎖されてましたし、何ならリハーサル中の役者同士でクラスターになったということも聞いた気がします。


 そんなコロナ禍において自粛を迫られる属性ダブルパンチな主人公を視点に、現代の若者の姿を切り取ったお話といえるでしょう。それ故に、作中のシーンの一つひとつが妙なリアルさをもって描かれているのが特徴かもしれませんね。


 主人公はまあ……学生としては腐れ大学生ですが演劇活動は積極的で、ほかの劇団員たちと共に公演へ向けて動き出す、というのがこの作品のお話。稽古中や劇場の準備なども徹底的に感染対策をしたうえでの公演を目指すわけですが、すべてが想定通りに事が運ぶわけではないのが、この新型の感染症の怖いところ。



 結局のところいろいろとダメになってしまう話で、正直に言えば物語としては不完全燃焼なところがある。一応お話としてのまとまりがあり、ちゃんとオチのついている作品ですが、これがなかなか、盛り上がりに欠け読後も妙なモヤモヤが残るものであり、なんとも言えないものがある。



 しかしながらコロナだから仕方がないといえば仕方がないのですけどね。



 これがもし公演を強行して大団円、フィナーレとなれば、それはそれで大いに盛り上がって物語としてのカタルシスもあるでしょう。コロナ禍という逆境を跳ね除けて大成功すればめでたいことこの上ない。


 だがしかし新型コロナウイルスを描いており、また主人公たちにも公演の困難が降りかかる展開の中、そういった結末ができないのはなかなかにもどかしい。無理して公演してもそれは現実にもある新型コロナウイルスのリアリティとはかけ離れてしまう。いくらフィクションとはいえリアリティを逸脱してはいけない。


 そういった意味でいえば、この作品の登場人物たちの決断は妥当といえなくもない。もちろん当人たちの感情や理性のせめぎあいの結果でありますが、コロナ禍を描いているためにこれ以外の結末はあり得ないとさえ思います。


 しかしながら……読者としてはなんともスッキリしない。


 

 ただこの結末による読後のモヤモヤ、不完全燃焼なところは、まさにあらゆるものが自粛によって制限されたコロナ禍そのもの。


 コロナ禍で実際に感じられた閉塞感や非日常の感覚を小説というかたちで表現しており、作中人物たちが抱く感情と、それこそコロナ禍そのものを追体験させるこの作品は、紛れもないコロナ文学であると感じました。



 新型コロナウイルスがもたらしたモヤモヤを物語のかたちで表現したのは、小説作品として素直にすごいと感じた。そういう意味では、確かにスッキリしない結末ではなるものの、このスッキリしない感じこそがコロナ文学であるのかもしれませんね。






 そうそう、作中では登場人物たちが公演予定の演劇が劇中劇として描かれますが、まあ大抵の劇中劇って茶番なところがあると思います。まあそれも本編と劇中劇の差をはっきりさせるものでしょうけど。


 ただこの『ニューノーマル・サマー』の劇中劇は、確かに序盤のあたりは茶番なのですけど、劇中劇のクライマックスに差し掛かると意外と熱い展開になり、劇中劇単体でも充分面白いのが妙に悔しい。なぜだかわからないけど劇中劇が面白くて謎の悔しさを覚えましたね。何だろうコレ? ちょっと本当の演劇として見てみたいけど、多分シュールな舞台になりそうな予感がしたりしなかったり。








 そんな感じで、新型コロナウイルスを題材にしたコロナ文学の『ニューノーマル・サマー』でした。











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