【映画】『泣きたい私は猫をかぶる』を見ました。ザ・王道アニメ映画という感じですね

2020年6月24日





 新型コロナウイルスの感染拡大により劇場公開を中止し、Netflix独占配信することになったアニメ映画『泣きたい私は猫をかぶる』を鑑賞しました。ええ、このためだけにNetflixに登録しました。今回はその『泣きたい私は猫をかぶる』についての感想。






 公式ページ

 https://nakineko-movie.com/



 Netflix

 https://www.netflix.com/title/81281872



 あらすじ(公式ページから転載)


 私はあたなの力になりたい。好きって言われたい―

 笹木美代(ささき・みよ)は、いつも明るく陽気な中学二年生の女の子。空気を読まない言動で周囲を驚かせ、クラスメイトからは「ムゲ(無限大謎人間)」というあだ名で呼ばれている。しかし本当は周りに気を使い、「無限大謎人間」とは裏腹に自分の感情を抑えて日々を過ごしていた。

 そんなムゲは、熱烈な想いを寄せるクラスメイトの日之出賢人(ひので・けんと)へ毎日果敢にアタックを続けるが全く相手にされない。めげずにアピールし続ける彼女には誰にも言えないとっておきの秘密があった・・・。

 それは、猫の姿になって 大好きな日之出に会いにいくこと。

 実はムゲは、ある夏祭りの夜お面屋にいた猫の店主から、「かぶると猫へと姿を変えることができる」という不思議なお面をもらって以来、猫・太郎として日之出の家に通っていたのだ。

 普段はクールに振舞う日之出だが、太郎にだけは素直な気持ちを打ち明けることができ、いつしか太郎は日之出の支えになっていた。

≪人間≫のときには距離を取られてしまうが、≪猫≫のときには近づけるふたりの関係。ムゲもまた、猫でいれば周囲との関係に悩むことない自由さを知り、次第に心地よさを覚えていく。

 猫として長く過ごすほど、いつしか猫と自分の境界があいまいになるムゲ。

ある日、再び現れた猫店主から、猫の“お面”とムゲの“顔”を交換し、≪人間≫を捨て≪猫≫として生きるよう迫られる・・・

 このままずっと、彼のそばにいたい。でも、《私》に戻ることができなくなる――

自分が誰に支えられているのか。大切なものに気がつくとき、二人の世界が変わり始める。




 予告(YouTube)

 https://www.youtube.com/watch?v=yuMTWa-7R-M










 まず印象的なのが、主人公のキャラクター性でしょうか。表面的にはクソガキ感満載なのですが、一方で恋する乙女な一面もある女の子。ですが素の部分としては素直になれない繊細さがあり、その繊細さを誤魔化すように空元気でいる、という人物になります。


 こうした様々な一面を見せてくれますが、しかしながら根幹にあるものがぶれないといいますか、こういった人物像へ至った裏付けみたいなものをしっかり読み取れるような演出もされているので、見ていてとても愉快な人物であると感じられますし、創作物としてのキャラクター造形も丁寧さを感じました。とくに序盤の展開は主人公のキャラクターが自由に動き回るので、物語としての掴みは抜群でしたね。







 物語の内容としては、 所謂青春恋愛ものにファンタジーの要素を加えた作品で、実に劇場アニメらしい映画だった、というのが率直な感想でした。



 なんと言いますか、古きよきジブリ作品のような雰囲気ですかね。『耳をすませば』に『猫の恩返し』の要素をねじ込んだ感じのイメージです。「ジブリ要素を最新のフォーマットにした作品」、と評するのが一番端的かと思います。というかむしろ「ジブリ意識し過ぎでは?」と思わなくもないです。



 お話としても、思春期で多感な子を刺激するようなファンタジーであり、以前『ペンギン・ハイウェイ』の記事でも書いたような気がしますが、「子供が大人になるための通過儀礼的なファンタジー」という色を感じる内容になっております。


 そういった意味であれば、この『泣きたい私は猫をかぶる』のメインはラブストーリーではあるものの、作品のテーマとしては子供が一皮むけて逞しくなるといった成長の物語であるような気がしました。


 で、こういった「子供が大人になるための通過儀礼的なファンタジー」というお話は、ジブリ時代から続く、まさに劇場アニメらしい作品のように思えます。もしくは小説媒体でいうところの児童文学が得意とする分野かと。なんだか久々に「ザ・アニメ映画」と言いたくなるような作品でしたね。



 ただ同時に、いい年した大人が見るには目が肥えすぎて毒気が足りない、もしくは、ピュアな青春が眩しすぎて直視できない、という印象でもありました。脚本が岡田麿里なのですが、その割にはもはや芸風ですらある青春特有のえぐみ要素が感じられませんでしたね。いえ主人公をはじめとするキャラクター設定などには岡田作品らしさはあるのですが、何でしょう、やっぱジブリ感を意識したためなのでしょうか。


 でもこれはこれでいいみたいな感覚もありますね。その分見やすい作風に仕上げられていますので、ストーリーのわかりやすさも含めて、リアルタイムで青春している子たちに見てもらいたい映画だと思いました。









 という感じで、今回は劇場アニメ『泣きたい私は猫をかぶる』を鑑賞した感想でした。


 ……ところで普通に「劇場アニメ」と書きましたけど、劇場公開中止してネット限定配信となったので、果たして「劇場アニメ」というカテゴリーに当てはまるのでしょうか? 映画館で公開したから劇場作品、みたいな古い感覚があるせいか、今後増えるであろう配信限定作品について映画と呼称していいものなのか、少し自分の中で「映画」や「劇場アニメ」の定義について考えてみようかと思います。





 あとせっかく登録したNetflixなので、とりあえず一ヵ月間は配信作品を漁ってみようかと思います。Netflix作品で何かオススメがありましたら是非。









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