終点

二瀬 降

第1話

約束の時間より、わざと随分遅れて入った喫茶店は時間帯のせいか空いていて、老人ばかりだった。外では雪が降っていて寒かったが、逆に店内は暖房が効きすぎていて気持ちが悪くなった。客が少なかったおかげで、奥の席に座っていたミオの姿も容易に見つけることができた。彼女は僕と付き合っていた頃によく着ていた黒い花柄のワンピースという出で立ちで、全くそうではないのに、彼女の暗い表情も相まってか、それはまるで喪服姿のように見えた。前までは黒がよく似合っていたが、今日の彼女は絶対にその色を纏うべきではなかったと、僕は思った。

「久しぶりだね」

僕は席に座りながら、できるだけ明るく言ったつもりだったけれど、彼女は俯いたまま答えなかった。長居する気はなかったが、僕は笑顔でやって来たウェイトレスにコーヒーを注文した。彼女の目の前に置かれたティーカップの紅茶はもう冷えきっており、僕は彼女がずっとここで僕を待っていたことを思って不意に申し訳なくなった。改めて見ると、数か月前を最後に久々に会った彼女は少し痩せたようだ。前からはっきりしていた輪郭が、更に鋭くなった気がする。伏せられた彼女の目から伸びたまつ毛が頬に長く影を落とし、耳にあるピアスが店の弱々しい明かりを跳ね返して小さく光っていた。

店内には、何だかよく分からないジャズのピアノ演奏が沈黙を埋めるように流れていて、近くのテーブルに座る年配の女達が時々笑い声を上げていた。

先ほどのウェイトレスがコーヒーと伝票を置いて行き、僕がそれを一口飲むと、不意に彼女が僕を見据えて言った。

「ねぇ、本当に別れるつもりなの?」

彼女に世間話や前置きをするつもりはどうやら無いようだった。僕はこうなることを知っていたはずだが、少し決まりが悪くなって彼女から目を逸らした。口の中のコーヒーの苦味が増していく気がする。

僕達は数年前、まだ大学生だった頃に付き合い始めた。僕と彼女は同じ文学部で、彼女は僕の一つ下だった。うまく行っていたつもりだったが、最近になって諍いが絶えないようになっており、その原因は僕が大学を出てから全く定職に就いていないということにあった。地元では有名な国立大学の文学部を出た僕は、バイトをしながら小説家になることを目指していた。だが、才能がなかったのか、いくら書いても僕の作品が脚光を浴びることは無く、年月だけが過ぎていった。僕とは違って将来のことをきちんと考えていた彼女は、小説家になると言ったきり、なかなか地に足がつかない僕に苛々していた。そして数ヶ月前、いつもの小さな口論が思わず激化し、彼女に自分の作品を否定された僕は、もう無理だと思った。彼女とはもうやっていけない、とも。そのまま、別れよう、と言ってからの僕は多分、恐ろしく冷たかったのだと思う。その証拠に僕が部屋を出たとき、彼女は座り込んで泣いていた。


「……そうだよ」

僕は視線を戻し、ミオをじっと見つめながら言った。唐突に、別れてからもしつこく彼女から連絡が来ていたことを思い出し、その必死さに僕は段々笑いがこみ上げてくるような気がした。

「君に迷惑をかけるわけにはいかないから。どうせ俺らは合わなかったんだよ」

「……でも」

「霧谷さんと違って僕は将来が安定している訳でもないしね」

食い下がろうとする彼女を、わざと名字で呼んでやった。まるで子供のような手口だったが、不安定な状態のミオを突き放すのに十分効果はあったようで、彼女が息を呑むのがわかった。不意に近くのテーブルから一際大きな笑い声が上がり僕は驚いたが、顔には出さないよう気を付け、すぐに露骨なため息をついて見せた。

「とにかく、俺はやり直す気はないから。……もう、連絡して来ないでね」

そう言ってから僕は伝票を持ち、彼女の方を見ないようにしながら席を立った。きっと彼女は泣いているだろう。引き止められるかと思ったが、意外にも彼女はただ俯いて席に座っているだけだった。もしかしたら、そこまで僕に思い入れがなかったのかもしれない。我ながらひどい立ち去り方をしたと思ったが、もう会うことは無いだろうと思い、放っておくことにした。

会計を済ませ、店を出ると、先ほどまで降っていた雪は雨に変わっていた。風が強く、僕は傘を持っていないこととマフラーを忘れたことに軽く舌打ちし、両手をコートのポケットに突っ込んで駅まで走った。

ずぶ濡れになって冷えた身体を電車内で温め、車窓から見える灰色の景色を眺めながら、僕はふと死のうと思った。

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終点 二瀬 降 @nacht_f

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