第15話 遭遇

 謁見は拍子抜けするほど淡々と行われた。姉と私と弟はただじっと立っていたが、父は王とその側近と思しき方々と少し話していた。表情を引き締めて背筋をピンと伸ばして立っていると、いつのまにか終わっていたのだ。


 そもそも緊張しすぎて己の行動や謁見の一部始終を覚えていない。

 しかし、私は父の言葉を受けて今度はしっかりと王と目を合わせた。王はいくつもの段差の上にある金色のやたら背もたれが長い椅子に座り、肘掛に肘を置いてどっしりと座っていた。そう、謁見で唯一覚えていることといったら王の姿形かもしれない。王は銀色のさっぱりとした短髪に、少し暗い蜜色の目、そして顔には細かくシワが入っていた。目つきは柔らかいのだが、声がよく通るので王がなにか宣うたびに私は少し跳ね上がりそうになった。

 でも、声が大きいという事だけが印象に残っていて言葉の内容は忘れてしまった。父が何か話していたが、それも綺麗さっぱり抜けている。

 緊張のせいなのか?いや、そんなことってありえるのか。ここまで緊張するのは今までになかったかもしれない。しかし、王と相見えることができたにも関わらず、何も覚えていない自分が情けない。姉や弟のようにもっと堂々とできたらいいのに、と思って2人を振り返ると、

「はぁぁぁぁぁ、緊張しましたわぁ」

「僕も」

「ルティ、漏らしませんでした?」

「それは令嬢が言う事じゃない!!直前に行ったから大丈夫だし!あ、姉様!目を閉じてください!」

「は、はい!」

 2人でも王と対峙する時は緊張しているんだということに、私は驚きと安心感を覚えた。そりゃ、そうか。いくら素晴らしくて三つ子としてみんなに自慢して回りたいほど素敵な姉と弟も、当たり前のように緊張するのだ。

 焦った様子の弟につられて、私は再び目を閉じた。また真っ暗な世界に戻る。頭上から父のくすくすという笑い声が聞こえてくる。

「それは、いつまでやるんだい?」

「帰りの馬車までですわ」

「そうか」

 馬車までと聞いて少し気が軽くなる。ずっと目を閉じるのは、目の筋肉を使うから意外と疲れるのだ。私の意欲が少し上がる。

 王に会えば、すぐに帰る予定だった。ということは王に会った今、私がすべき事は帰るのみということになる。晴れやかな気持ちに少し口角が上がり気味になって、いけないと口を押さえた。『油断は禁物』。よく最後の最後で間違えてしまう私にヨハンが言う言葉だ。唇をキュッと結ぶ。

 すると、急に両手がギュッと握られたので、少々前のめりになってしまった。両手を握るのは停止の合図だ。慌てて立ち止まる。

「ソルベ子爵殿。お久しぶりでございます。あの夜会ぶりですな」

 うっすらと目を開け、伏し目がちにしてあまり目の色を見せないようにした。父が普段よりも少しトーンの高い声を出す。ししゃく、ということは貴族だ。『私の子は三つ子なのだ』王との謁見の前、父が言ったあの言葉は私に王と向き合う勇気をくれたが、しかし、もう今日は疲れてしまってソルベ子爵の容貌を確認する気力がなかった。

「おお!これはこれはモンテリオール侯爵様。良いところにお会いしました。良い情報を仕入れたので、侯爵様にもお伝えしたいと思っていたところです。そちらはご子息とご令嬢ですかな?」

「ええ」

「ひと月ほど前に夜会でお会いした時より、もっとたくましくなられましたな、ルティアス坊ちゃん。そして、ラジミィア嬢は見ないうちに美しくなられて……この方は……」

「リリアーゼという。病気がちな次女であまり夜会には出席出来ないため、ソルベ子爵殿とは顔を合わせたことがないのだろう。ほら、挨拶しなさい」

「リリアーゼ・モンテリオールと申します」

「……ほう。礼儀正しく何よりその姿形はとても似てらっしゃる。まるで三つ子のようでございますね」

「おっしゃる通り三つ子だ……ラジミィア、ルティアスよ。リリアーゼを連れて少し散歩していきなさい」

「承知しました、父様」

 ソルベ子爵と父を置いて、私たちは歩き始めた。私が挨拶をした後、ソルベ子爵が声を発するまでに大分間があったのが気になって、不安で足が震え歩くのさえようやくだった。

「……あの子爵、いつもルティに娘を嫁がせようと躍起になっているわよね」

 しばらく歩いて、姉はポツリと話し始めた。

「……ああ」

「でも、正直言ってあそこの子爵の子、苦手なのよ。キライザって言うのだけれど、彼女はいつも高飛車でわがままで、まさに一人娘で甘やかされてますって感じよ。見た目もそうだしね。リリアーゼも万が一彼女に遭遇してしまった時には、気をつけてね」

「……はい」

 遭遇って、主に野生動物や未知の生物に使うのではないか。だからご令嬢に使ってはいけない言葉でないと思う。けれど、私は目を閉じつつ黙って頷いた。

「姉様は、そのような危険な方々ーーこう言ってはなんですがーーと遭遇してしまった時はどうしているのですか?」

 しまった。私も姉につられてしまった。でもやっぱり口に出して注意しなくてよかった。

「私の場合は何もしなくてもただ微笑んでいるだけよ。そのような方々は近付いてはくるんだけれど、どうしても私が魔力持ちであることが頭にちらつくのか威張ることができない人が多いの。それに、まぁ?私並みの美人だと皆近づきにくいらしいわね。たとえ王子になにかと近い存在でも、文句を言いにくいみたいね」

「一部合ってはいる」

 弟は姉のいうことには納得の言っていないようだ。しかし、この話題はこれ以上は続かなかった。

「父様が戻ってくるまでどこにいましょうか?あら、植物園なんて花が好きなリリアーゼにはぴったりだわ」

「しょくぶつえん、とは?」

「珍しい南国の花など、暖かさが必要な花を育てているところよ。何度か行ったことがあるけれど、花が綺麗でとても癒されるわ」

「なかなか殿下に気に入られてるね、姉様」

「そんなに嬉しくないし、むしろ嫌味っぽく聞こえるわよ、ルティ」

 姉と弟が話している最中、私は限られた想像力で植物園を想像した。

「ほら、着いたわ。人もあまりいないようだし、ここでなら目を開けてもいいんじゃないかしら」

「うん……わぁ!」

 外観は透明なガラスで覆われたドームのような建物だ。また、球体の横の方には磨りガラスで細工がしてあってとても綺麗だった。薄く緑が透けているのも私の心は踊り出しそうだった。

「ねぇ、入ってもよいですか?」

「うふふ、まるで子供みたいね」

 姉の言葉に少しムッとしながらも、私は興奮を隠しきれずにチラチラと植物園の入り口に視線をやった。早く中を見たくて思わず体がうずうずする。

「リリアーゼ姉様、僕と手を繋ごう。姉様はすぐはぐれそうだから」

「も、もう!ルティたら、私はそのくらいの落ち着きは持ち合わせてます」

 姉と弟が顔を見合わせて首を傾げていたのが腑に落ちない。

「でも、ありがとうね。ルティが手を繋いでくれるなら安心だわ」

 そう言うと、弟は赤くなった顔を背けた。弟は照れ屋で、褒めるとすぐ顔が赤くなる。

「私も混ぜてよ〜」

「仕方ないな、ほら」

「リーゼの左手の方がいいわ」

「姉様!ルティ!早くいきましょう!日が暮れてしまいます!」

 2人の手を引っ張るように歩き始めたその時だった。

「モンテリオール……か?」

 姉の足がピタリと止まった。手を繋いでいた私は前のめりに転びそうになって、弟に右腕で支えてもらった。姉なのに支えてもらって申し訳ないと思う間もなく、声の主がまくし立ててくる。

「モンテリオール!一昨日から休んでいたから何事かと思ったぞ。何故休んだんだ?そして何故王宮ここにいるのだ?」

 ルティよりやや高めの少年の声が背後から聞こえる。モンテリオールと呼ばれても、同じ姓をもつのは私と姉と弟の3人もいる。けれど、なんとなく誰に話しかけているのかわかってしまった。

「うわ」

 弟が苦笑いを浮かべ、姉を見ていた。失礼だけれど、そう言ってしまうのも頷ける。

 目は死んだように濁り、口角は限界まで下がり、眉はこれ以上ないくらい中央に寄っている姉の表情は、彼女の部屋に虫が入り込んだ時と寸分違わない。令嬢がしていい顔じゃなかった。

「ね、ねえさま?」

 姉が渋い表情をしている間にも、話しかけてきた本人と思われる人物は、ズンズンとこちらに近付いてくる。少年の横柄な物言いと迷いのない足取りゆえに、またしても緊張状態に突入した私は、努めてそちらを見なかった。だからといって、いつもと違う姉の顔を見るのも、辛い。

 ……いや、いけない。滅多に見れない姉の顔が面白いだなんて、それは姉に失礼だ。屋敷に帰ったら反省しよう。

 少年があと10歩で私達の目の前に来るというところで、姉は急に笑顔になってくるりと振り返った。見返り美少女を体現しているかのようだが、完璧すぎるほどの作り笑顔だ。穏やかな表情と見せかけてそこかしこに漂う不穏さが怖い。


 少年は立ち止まったらしい。姉はふぅっと息を吸い込んで礼をした。つまんだ濃い桃色のドレスがサラリと風になびいて綺麗だ。

 姉があんな表情をするくらいだから少年は姉にとって厄介で、できれば会いたくない、言わば天敵のようなものだと、私は悟った。そして、姉が私に話してくれた限りで、王宮にいるそのような人物といえば、限られてくる。

 世間知らずの私にも誰なのかわかってしまった。弟と一緒に、姉に倣うように自らのオレンジ色のドレスの裾をちょっとつまんで礼をした。

 姉は高らかに歌うように「ごきげんよう、セルジオ殿下」と挨拶をした。

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