第14話 華の王宮

 馬車の揺れが小さくなるとともに、私の心は一気に萎んでいった。どうやら、王宮に着いたようだ。私の不安を推し量ってか、姉と弟が私の手をギュッと握る。

「リーゼ、降りるわよ」

「……ゆっくりね」

 2人の手をきつく握りしめる。その暖かさだけが、今の私を導いてくれるのだ。

 姉と弟の声に従って、一歩踏み出す。そして、おそるおそる馬車の踏み台らしき段差を降りた。

 ……目が見えない不便さと恐ろしさは想像以上だった。後から思えばいい体験だったと言えるだろうが、今の私には立っていることさえ覚束ないほど余裕がない。

「ほんと、いつ来ても大きいわね。父様くらい大きくなったら、このお城も小さく感じるようになるかしら」

「それはない」

「もう、冗談に決まっているじゃない」

「……リーゼ姉様、少し段差がある」

「無視しないの!」

 しかし歩いていくと、だんだんと目が見えないことにも慣れていった。目が見えないながらも姉と弟の会話を聞きながらわずかな想像力を働かせて、お城の外観を楽しむこともできる。

 でも、やっぱり直接見たい。

 姉と弟は何回か来たことがあるらしいが、私は何しろ初めてなのだ。先生が持ってくる本の挿絵でしか見たことがない。目を閉じなくてはいけないのはわかっているけれど、瞼は今にも上がりたそうにうずうずしている。

 私の気持ちを知らず、姉と弟の会話は続いた。

「でも、花壇は綺麗よね。色とりどりだし、珍しい花もあるし。噴水の天使も、いつ見ても美しいわ」

「中身はどうであれ、お城はとても芸術的。遠くから見るよりも、こうやって近くに来た方が圧倒される」

 こんなこと言われたら我慢できなくなってしまうのに……姉と弟は忙しく城や花について感想を交わしている。

 芸術的なお城も気になるが、私には珍しい花の方が興味深い。

 花、と聞いて思い浮かべるのは、屋敷に残っている庭師の青年。あの後ろ姿を思い浮かべると、キュッと心が締め付けられる。まだ2晩しか過ごしていないというのに。

 ーーどうやら私は、屋敷に関係するものならなんでも寂しく感じてしまうらしい。マリアのことも寂しいと思うのだから、決して青年のことが恋しいというわけではなかろう。

 弟と姉が父と話している隙に、目を開けてしまおうか。気付かれなければ、きっと大丈夫。

 とうとう私は2人に気づかれないように、うっすら目を開けた。



 そこには、色とりどりの花が織りなす幾何学模様と、それらが引き立てる巨大で何本も塔がある複雑で美しいお城があった。歴史を感じさせるような石畳の外壁は白を基調とし、屋根が薄い緑、そして窓から赤い布が垂れている。

 美しいとか、綺麗以外にふさわしい言葉を知らないことが、すごく悔しく感じられる。

「大きくて、ものすごく綺麗ですね……花壇も、すごく立派で……」

 ふらふらと吸い寄せられるように、花へ近づき花壇をじっくりと観察する。私が好きなキィナやセシルはない。それはそうだ、王宮が庶民的な花を植えないだろう。モンテリオール家が少し変わっているのかもしれない。ちょっとだけ残念だったが、その代わり、八重だったり色とりどりの花が所狭しと並んでいる。うっすらと見たことがある花もあれば、名前を知らないような花もある。豪華な花達を見ているだけで、心が躍るくらい楽しくなる。庭師の青年が見たら喜ぶだろう。彼は基本無表情なのだが、花に触っている時だけ少し口角が上がるのだから……って、何を考えているんだ、私。

 私は知らない花を、穴が開くんじゃないかというくらいじっくり見て目に焼き付けた。

「リーゼ」

 王都の屋敷に戻ったら、すぐにこれらの花の絵を描こう。そうしたら、色合いや特徴を頼りに、まずは自分で図鑑で花の名前を調べてみよう。それでもわからなかったら、庭師の青年に聞いてみようかしら……そ、それは緊張する!でも、話すきっかけにはなる……仲良くなりたいと思ってはいるが、なにぶん奥手で臆病な性格だから、声がかけられないもの……ダシにしてしまうのは、花には申し訳ないけれど、青年と話せるのはものすごく嬉しい。って!まずは自分で調べてから!それでもわからなかったらの話だから!

「リーゼ」

 自分で自分に言い訳をしている最中、どこからか姉の声が聞こえる気がしたが小さい声なので気のせいかもしれない。私は手で触りながらじっくりと花を観察した。

「リーゼ姉様、目が開いてます」

 弟が私の頬を両手で挟んで、強引に視線を花から引き剥がした。その瞬間、さっきの姉のような声は、本物だったのだと気がついて頭が真っ白になりかけた。

「目ヲ開イテナド、アリマセンヨ」

 冷や汗がとめどなく流れるが、とりあえず誤魔化す。

「リーゼ、確かに青いわよ」

 ダメだ、と悟る。姉はにこにこと笑っている。弟もどこか微笑んでいるので、私はある可能性に気がついた。

「もしかして、計ったのですか?興味を引くような話をして、私が目を開けるようにと」

「イイエ、ソンナコトナイヨ」

 姉もさっきの私と同じ反応をしている。

「姉様?」

「ほら、早く目を閉じないと!」

 慌てて姉は私の目を両手で塞いだ。

「姉様、歌唱の件忘れないで」

 解せないが、言われるがままに目を閉じる。添い寝と歌にため息が出そうになっても、脳裏には先ほどの色鮮やかな花が咲き誇っていた。



「……案外、うまくいくものね」

 姉はポツリと呟いた。どこまで歩いたかわからないが、結構な歩数を数えた。ヒールの高い靴を履いているせいか、足の指が痛い。目も硬く閉じているのもあって瞼が疲れてきたように感じる。

「リーゼ姉様、あと少しで謁見の間」

 弟が場所を紹介し、今いる場所を知らせてくれるが、見えないので全くと言っていいほどどういう場所なのか把握できない。“あと少し”という言葉でさえどの程度の“少し”なのか。私と弟では違う。あと、“謁見の間”ってなんだ。

「リリアーゼ、もう目を開けなさい」

 移動中何も言わなかった父が、口を開く。

 私はここで入城してから初めて目を開けた。

「うわぁ」

 眩い光に、思わず腕をかざす。そして、ゆっくりと腕をどかすと、そこに現れたのは光の煌めきと豪華な装飾品。赤い絨毯が真っ白い大理石に一直線に引かれていた。指し示す先は、緻密な細工がしてある大きな扉。

 あそこで王様が待っているのだろうか。

「緊張してるのかい?」

 父がクスッと笑う。

「父様、私は王様に会ってもよろしいのですか?」

 私は父の微笑みを見上げながら、おずおずと尋ねた。父はフッと笑みを消して、真剣な眼差しを私に送る。

「どうしてそんなことを思ったんだ?」

「どうしても、何も……私の目は、青いですから」

「無礼だと、そう言うのか?」

「……はい」

 私の目の色は、そこに存在するだけで他人を怯えさせ不快にしてしまうのだ。お城に着いた時の楽しい気持ちが、“青”を認識して萎んでいく。今日すれ違った方々だって、そうだ。何名かの貴族にお会いしたが、私はその方々の目を直視しないようにした。その為せっかく父が紹介してもらっても顔と名をすり合わせることができなくて、彼らのタイや彼女らの首飾りしか覚えてはいないのだけれど。

 目を閉じて礼をすることは言うまでもないが、目を合わせないこともマナー違反となる社会である。それでも私の場合には目を合わせないという選択は、相手を不快にさせないための精一杯の心配り。妥当な理由は存在する。

 ……けれど、実際はそれだけでない。私が、怖いということもある。目を合わせてしまったら、怯えや忌避、憎悪の表情が見えてしまうから。


 相手を思いやるという行為だけれど、私の場合結局は自己防衛に過ぎなかったりする。そんな事実が、私の心を荒ませていくのだ。


「リリアーゼ」

 父は優しく私の頭を撫でた。

「私の子は三つ子なのだ」

 俯きかけていた私に、前を向かせるには十分な一言だった。

 我ながら単純だと思う。

「さあ、王を待たせてはいけない。行こう」

 ーーはい!

 こうして、私は父ときょうだいと共に王と対峙したのだった。

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