第13話 瞳を閉じた令嬢

 予定を1日延長してようやく王都のお屋敷に着いた。太陽はまだ高い。馬車の窓から入り込む太陽光さえも暑かったのに、馬車を降りて外へ出たら、なお強く照りつけてくるように感じた。

 後4つ、本当に4つ数えて、無事にマリアが待つ屋敷へ帰ってこれるのだろうか。

「陽の光ってこんなに苦しいものだったかしら」

 思わず呟いた言葉に、姉は笑って答えた。

「ほぼ一日中馬車の薄暗いところにいたからじゃないかしら。それに今は夏ですからね」


「ご当主様一行、ご到着にございます!!」

 エントランスにはズラッと使用人達が並んでいる。皆一様に同じ角度で首を垂れている。彼らが作った列の真ん中を通っていくのは、すごく怖かった。人が多いというのももちろん。視線が合っていないのに、見られていると感じてしまう。

 皆モンテリオール屋敷の使用人と同じ制服を着ていた。特にメイド達の姿は、私にマリアの事を恋しくさせるには充分だった。

 もう帰りたい。

 マリアがいる屋敷へ。

 変わらない日常へすぐに戻りたい。


 王都のお屋敷は普段暮らしているモンテリオールの領地のものと比べると、少し小さいようだった。しかし、内装も使用人の数もモンテリオール屋敷とあまり変わらない気がする。

 父が何やら男の人と話している。私たち三つ子はとりあえず父の後ろに立って、話を聞いていた。時々姉と弟は使用人達に話しかけ、笑顔を振りまいていた。その度に、知り合いのいない私はなんだか独りぼっちのような気持ちがして、身が縮むようだった。

 モンテリオール屋敷を出発した瞬間から、あの屋敷が恋しくてたまらないのだ。タシェストを終わらせたら一刻も早く帰りたいと思うくらいに。

 後4夜なんて、長すぎる。

「ああ、リリアーゼは初めてだったね」

 不意に父が後ろを振り返る。

 痛みを感じるかのような人の視線が、次々と私に刺さった。冷たい汗が背中をつたっている。押し寄せる緊張の波を振り払うように、私は大きめの声を出した。

「は、はじめまして、リリアーゼ・モンテリオールと申します。よろしくお願いします!」

 静寂を切り裂いた私の声は、エントランスのホール中に響いて、静けさとヒソヒソとした話し声を招いたのだった。



「リーゼ姉様はすごい。僕やラミィ姉様だってこんな声は出せないんだから。とても勇気がある」

「ルティの言う通りよ。だから……そんなに落ち込まなくていいのよ?」

 私は大声の自己紹介を終えたのち、与えられた部屋のベッドに突っ伏していた。

 恥ずかしさで怒りたいやら、泣きたいやら分からずに、ただ火照る頬をひんやりとしたシーツで冷やしているのだ。姉と弟は私の背中を撫でながら、幼い子を宥めるかのように私に声をかけ続けている。

「いいのです。姉様、ルティ。昨日から私は侯爵令嬢らしからぬ醜態を晒してばかりなのですから、これは反省しなくてはいけないのです。だから、2人はわたしには気にせずにお過ごしください」

「姉様を置いて僕らだけゆったり過ごすなんて、そんなわけにはいかないよ」

「そうよ!それに、私、さっき凄いことを思いついてしまったんだから!」

 姉のはしゃいだ声に、少し興味がそそられる。

「とても不安なんだけど」

「ぜんっぜん!不安なことはないわ!何よ、ルティはラミィ姉様を信用していないのかしら?」

「魔法の才能が飛び出ていて、おまけに見た目もいいし器量もいいけれど、姉様のひらめきは打算的すぎて成功した試しがないんだよね」

「まぁ!いつになくペラペラと!生意気な言葉が出ないように、喉を焼き切ってしまいましょうか?」

「じゃあ、そうする前に僕は姉様の杖を持った右腕を切り落として……」

「もう!待ってください!2人とも、言い争いはいけません!姉様の話は聞きます。これでいいですか?」


「そうこなくっちゃ!」

 先ほどまで言い合いをしていたのに、今はなぜか2人とも笑っていた。

「リーゼの青眼は、やっぱり人目をひくじゃない?それで、何か悪い事でも言われたら、繊細なリーゼのことだから、傷ついて寝込んでしまうかもしれないわ」

「確かに。陰口は避けられない」

「う、でも!私は何を言われても平気です」

「そこで、よ!」

 姉が一旦言葉を区切って、私と弟に手招きをした。そして、3人で顔を寄せ合って内緒話のように小さな声で語る。

 少しくすぐったくて、私は頬を緩ませた。けれど、次の姉の言葉に思わず体が固まる。

「当日、リーゼは目を瞑っていればいいんじゃないかと思って!だって、リーゼが青い目だから皆変に思うんでしょう?そもそも、目の色が見えなければ、何も言われやしないわよ!」

「ラジミィア姉様、それは無茶すぎると思う。目が見えない状態で歩くのだって怖いし、見る人みんな不思議に思うよ」

「目が見えないなら、私とルティでリーゼの手を引けばいいわ。階段を登る時も、声をかければ問題はないと思うし。私とルティの2人でカバーすればいいのよ!」

 姉が突拍子も無いことを言い出して焦ったが、私は気を取り直して弟を見た。弟なら反対してくれるかもしれないと思ったからだ。何しろ、彼は末っ子とは思えないほど常に冷静沈着なのだから。

 しかし、弟は顎に手を当てて暫く考えた後、「……それなら大丈夫、か」と呟いた。

 大丈夫じゃないよ!!という言葉を飲み込んで、代わりにため息をついた。

「でも、昨日と今日のこともありますし、姉様とルティにこれ以上迷惑はかけれません」

「僕は全然迷惑じゃ無いし。むしろ、もっと頼ってほし」

「リーゼ、まさか、何時間も差がない無二のきょうだいのこと、信用できないの?」

「それは!……言葉ではうまく言えないけれど、とても最高にすごく非常にとっても信用していますけど」

「なら、いいじゃない。もっと迷惑かけなさいな」

 にっこりと笑う姉と、言葉を遮られて不満そうな弟。まぁ、最初から押し切られてしまうことはわかっていた。


 ……三つ子で決め事をする場合は、結局は多数決になってしまうから。




「じゃあ、出発しようか。タージアン王宮までは少しかかるよ……リーゼ?どうして目を閉じているんだい?」

 馬車に乗ると、“絶対に目を開けない計画”が始まってしまった。

 案の定、すぐに父は気がついた。

「絶対に目を開けてはならないというゲームをしているの」

 声音からして、姉はうまく嘘をついているらしい。けれど、表情までは分からない。

 隠し事の苦手な姉のことだから、父にすぐばれてしまうだろう。

「ああ、そうか。しかし、王様の前ではしっかりと目を開けているんだぞ。それに、侍女や騎士らの前ではいいが、他の貴族の前でも。我々が侯爵で、いくら身分が高いといっても、相手を侮ってはいけない。タージアン神が、相手に礼を尽くしたようにね」

 しかし、意外にも父の目を誤魔化せたようだ。とりあえず、ほっとする。

「ええ、わかったわ」

「わかりました」

 ガタンゴトンと馬車の音を聞きながら、私は何度も目を開けそうになった。しかし、昨日姉と弟が決めた『目を開けたら一回につき、姉とひと晩一緒に寝ること、弟の前で歌を一曲歌うこと』をしなくてはならないので、どうしても目を開けたくはなかった。

 姉と寝る事はもちろん、歌は習い事の中でも1番苦手なので、弟とは言え人の前で歌うのは苦痛だった。しかし、弟が私の歌を聴きたいと言ってくることは予想しなかった。

 弟の前で歌うのは初めてだが、下手だと思われるのはなんとなく嫌だ。


 目をきつく閉じる。

 馬車の音、揺れ、どこからか漂う香ばしい匂い、生暖かい風、目を通り抜けてくる光、そして姉と弟の手のあたたかさ。不安を塗りつぶすように、2人の手をぎゅっと握った。

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