第10話 強さと優しさ
裏庭へ行くと、私はキィナのそばにしゃがんで泣いた。涙とともに込み上げてくる固いものを喉で堪える。それでも、クツクツと嗚咽がなった。
耳を澄ましていた馬の嗎と蹄の音がだんだんと遠ざかっていくと、私はやっと頭を上げることができた。
姉が辛い時に、支えることができない自分が不甲斐ない。それは、いつまでたっても治らない瘡蓋のように私を悩ませる。
「姉様やルティに頼ってもらえるくらい、頭が良くて、目立った強みがあれば……姉様の力になれたかもしれない」
キィナの白い花弁を弄びながら、どうしようもないことを呟く。自分の無力さを嘆くほど、自分は何もできない事を嫌でも実感してしまう。
青の目のように、どうしようもないことだ。
私は姉や弟のようには強く生きられない。
ザッザッと足音が聞こえてきたので、ちょっとだけ顔を上げる。
普段下を向いている分、父や姉弟、果ては使用人達が履いている靴はよく知っている。
……知っているから、なんだってことなんだけれど。
今見えた靴は、安価で固めの皮で継ぎはぎされた箇所があった。
役に立たなそうな記憶はよく残りがちなのだが、やはり継ぎはぎの箇所に見覚えがある。
一瞬心臓が跳ねた。
慌ててハンカチーフで顔を隠す。その間にも足音が近づいていた。心臓の音で足音がかき消されそう、と私は思った。
そして、その足音は私の後ろを通り過ぎた。
しばらくその場で固まる。
あれ?と思った。
私はそっとハンカチーフを避けて青年を盗み見る。彼は私から少し離れたところで、草むしりをしていた。
黙々と作業する姿はとても無駄がなくて、私は指をどかしてじっと見入った。
「あの……」
おずおずと声をかけると、青年は手を止めた。なんでしょうか?と問う声は、弟よりは低く父より高くて聞き慣れない。胸がザワッとする。
「その、泣いている理由は聞かないんです……か?」
純粋な疑問だった。マリアや姉弟なら駆けよって、ぎゅっと抱きしめて頭を撫でてくれるから。
放って置かれることは、初めてなのかもしれない。
涙は知らないうちに止まっていた。
「聞いた方が良かったですか?」
私は予想外な返事に目を見開く。
良かったですか、なんて。
他の使用人は、絶対に言わないだろう。何か失敗をすると、すぐに何度も頭を下げて謝るし、反抗的なニュアンスの言葉は決して用いない。いくら子供相手でも用いたら最後だとわかっているから。
私は青年からキィナの花に目線を移した。
「別に、聞かなくてよ、良かったです」
聞いてほしい、だなんて思ってはいない……はずだ。
たどたどしい言葉になったが、何とか返せたところで、青年は作業を再開した。丁寧に草を抜きつつ、枯れたキィナを手折る。しかもまだ綺麗に咲いているキィナまで折るので、私はつい「あ!」と声を上げてしまった。
作業の邪魔に他ならない。慌てて反対の方向を向く。でも、作業の音を聞く限り、青年は私の行動を気に止めずに手を動かしているのだろう。
それにしても、なぜ青年は私に向かって「聞いた方が良かったですか?」なんて言ったのだろう。
いや、何度確認しても確かに聞いてほしいという気持ちはなかった。けれど、すごく不思議なことに、
聞いてほしいわけじゃないのに、放って置かれるのは、なんとなく嫌だった。
「リリアーゼお嬢様」
「はい!」
勢いよく返事をして、青年に顔を向けるが、なんとなくまたそっぽを向いてしまった。
「あそこに椅子があるので良かったら」
しゃがんだままで、足が疲れていることに初めて気がついた。私は涙で濡れた頬をハンカチで拭い、大人しく椅子に座った。
無言で青年の手先を見つめる。青年は何も言わずキィナを切り落としていった。
我慢比べのような沈黙はマリアが私を呼ぶまで続いたのだった。
*****
「ラジミィア、リリアーゼ、ルティアス。この良き日、おめでとう」
私たちが11歳になった日の夜。父は満面の笑みで三つ子を祝福する。
『ありがとうございます。お父様』
示し合わせたように3人の声が重なって、思わず微笑みあう。
感謝の祈りを捧げる間、私はこの1年を振り返っていった。
姉が私を拒絶した日の晩、姉は学園から帰ってくるとすぐに私に駆け寄って泣きながら何度も謝った。魔法の試験が近かったことで、緊張と不安から気が立ってしまっていたからつい、私に当たってしまったらしい。私も姉の役に立ちたい気持ちを押し付けてしまったことを謝ると、姉はぎゅうっと私を抱きしめた。姉の力の強さにむせてしまった私を見て、珍しく姉がオロオロしていたのを弟と笑ったことを含めて、今では良い思い出になった。
あれから1ヶ月が立ったが、特に私たち三つ子には目立った出来事はない。ただ、姉と弟がなんだか前より仲良くなった気がして私は嬉しかった。
例えば、小さなことで小競り合いをしても私が止めようとすると口を開く瞬間、あっさりと無かったかのように2人で誤魔化していたりする。時々目配せしあっているし、笑顔で黒いオーラを放つことも無くなった。私は密かに胸を撫で下ろしている。
2人が仲良くなって、屋敷にこもりきりの私は尚一層2人との距離が離れていくかと思えば、そうでもなかった。姉は以前より、私に弱みを見せてくれるようになった。第1王子の話や、理不尽な教師の話は私では解決できることでないけれど、それでも、姉が私を頼ってきてくれているような気持ちがして嬉しい。一方で弟との関係は変わらない。相変わらず私が長い前髪を指摘しても伸ばしたままであるのが、唯一の不満といったところか。
「お前たちはこの月で11歳になる。11歳といえば、タシェストを行う重要な年だ。モンテリオール家は代々続く侯爵家であるから、街の教会ではなく王宮の聖ナティア教会で行う。3人とも神の御前で粗相のないようにな」
タシェストというのは11歳になった子供が創造神タージアンにこれからの成長と実りを祈り、善く生きる事を誓う儀式である。ヨハンからそのような儀式があることは聞いたことはあるものの、具体的に何が行われるかは深く聞かなかった。だいぶ前の事だから、まだ自分には関係のない事だとそのままにしてしまったことが悔やまれる。
しかし、たとえ聞いても真摯に答えてくれるかは怪しいところだ。
「粗相といってもお父様、私たちは一体何をすればよろしいのでしょうか?」
姉は、私が今1番聞きたいと思っていた事を口にした。
「私は、てっきり姉様とルティアスは学園で習って知っているものだと思っていました……」
「僕も知らない……」
控えめに言うと、弟も私に頷いた。父は少し困ったように微笑んでいる。
父は基本的に無表情な中に、笑みやら困惑やら怒りやらをほんのちょっとだけ表した顔をする。
「リリアーゼはともかく、ラジミィアとルティアスが知らないのは当然のことなんだ。タシェストは成人の節目でもある。その大事な儀式におざなりな心で臨むことは、神の神聖な御前を汚すこととなる。だから、儀式を行った者は決して内容を子供たちに話してはいけないと決められているんだ。神の御前で何をすべきかは、己で判断しなくてはいけないからね」
父は、私たち三つ子の顔を交互に何度も見つめながら、言い聞かせるように言葉を紡いでいる。私達は心にズンと響く言葉を、どうにか受け止めようと必死だった。
「そう、なんですね……」
姉がゆっくりと返事をする。弟はそれに頷いた。
「リリアーゼ」
父の声が俯いたままの私の耳に滑り込んできた。低くて優しい響きに、私はそろそろと顔を上げた。
姉と弟によく似た色素の薄いエメラルドの瞳が私を捉える。
「お前の色が王宮の方々に知られてしまっても、お前が傷つき嘆くことはない。姉や弟と色が違うからという理由で、悪意のある言葉や憎悪の念を向けられたとしても、決して俯くな。お前は背筋を伸ばしただ前を向いて笑っていればいいんだ……お前は、私の愛し子であり、モンテリオールの宝なのだから」
愛し子……その一言にまるで吸い寄せられる感じがした。胸に込み上げてくるものを、私はじっくりと噛みしめる。まるで暖かなビーフシチューの牛肉をゆっくり噛みしめる時のような……マリアに抱きしめられた時のような……姉と弟と3人で内緒話をしている時のような、例えるのが難しいけれど、満たされる気持ち。
この気持ちを、しあわせと言うのだとこの頃の私はまだ気がつかなかった。
「リーゼ、何か言われたらまず私に言いなさいね。必ず制裁を……いえ、注意をしてあげますから」
「リリアーゼ姉様は僕が絶対に守る」
「あ、ありがとうございます、2人とも」
久しく見なかった危ない微笑みを浮かべる姉と、何か思いつめた表情をする弟。
どちらも私を全力で守ってくれるのは分かりきっているのだが、どうしてもこちらにかかる謎の圧を感じて萎縮してしまう。
こうして、1月後に私は初めて屋敷の外へと出ることになった。
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