第9話 光と影
びっくりして顔を上げると、そこには大きめの布包みを抱えた庭師の青年がいた。
「……花を持ってきただけなので」
庭師の青年は布包みをテーブルに置き、そっと開くと中から華奢な黄色い花が出てきた。
「あ、あの」
青年はそっと花を取ると、花瓶にさしていく。私が声をかけると一旦手を止めてこちらを向いた。作業を中断させてしまったことが少し申し訳なく感じながらも、どうにか声を出した。
「その、せ、先日は、逃げてしまって、ご、ごめんなさい……」
詰まりながらも、やっと言いたいことを言えた安堵に身が震える。青年は少し俯いた。
「……いいえ、こちらが驚かせてしまっただけですから」
「ほんとごめんなさい!」
「それだけのことで、使用人に顔を下げるのはどうかと」
おずおずと顔を上げた先に見えたのは、大きくて豪華な花々。青年はちっともこちらに顔を向けず淡々と花瓶に花を生けた。
あの壮年の穏やかな庭師ならともかく、若い男の人が花に触っているのは見たことがない。小さな頃姉と弟と花束を作って遊んだ記憶は今も色あせないけれど、弟が花を持っている姿は今は見かけない。
何か、新鮮なものを見た。ライドの淡めの茶色の髪が朝日に透けている。すごく綺麗で、しばらくの間見惚れていた。
「そ、その、黄色い花は何という名前ですか?」
「セシル」
「セシル……」
初めて知った花の名前を何度も噛み締めた。
青年がたてる小気味好い花ばさみの音だけが広間に響いている。
青年は仕上げに花瓶にいけられたセシルの花の位置を調整した。神経質そうな白い指が茎を掴むのを、私は息を飲んで見ていた。
細長い8枚の黄色い花びらが、青年の手に触れると輝いているかのように見えて、ただただ綺麗だった。醜いところなど微塵もない。
それが終わると、青年は手早く布に切り落とした茎や葉を包み、足早に広間から去った。
青年の背中が見えなくなったのを見計らって、私は静かに花に近寄った。
「綺麗……」
光を浴びたセシルの花びらを触ろうとしたが、途中で手を止める。ふと、疑問が浮かんだ。
ーーこんなにもセシルが綺麗に見えるのは、なんでなんだろう。
決して初めて見た花ではないはずだ。以前にもこの花瓶に生けられていたはず。でも、青年が触れていたセシルの花は、まるで魔法がかかっているかのように輝いてみえている。
そっとお互いを引き立てあう花たちを、私の名が呼ばれるまで飽きもせずに見下ろしていた。
その日から私は朝の暇な時間に窓を見つめては青年の姿を探している。
自分で何が何だかわからないけれど、ふと青年の姿が見えると、胸が跳ねそうな思いがするのだ。
青年は大抵は表の庭で水撒きをしていたり、噴水の掃除をしていたり、鎌で草を刈ったりしていた。姿が見えないときはきっと裏庭にいるのだろう。裏庭にも窓があれば、とふと思う。
花の植え付けを行うのは、主にハンスさんであり青年はその手伝いをする。まだ見習いだからなのだろう。
二階の窓からは青年のハンチング帽しか見られない。たまにハンスさんと会話をしている声が聞こえてくる。弟よりは低い声は、何度聞いても心地が良い。窓辺に立ってそっと耳を澄ました。
朝は弱かったはずなのに、青年の働きぶりを見ようと早起きをするようになった。食事に遅れずに来る私を、父は少しだけ嬉しそうに笑っていた。
少しずつ変わっている自分を、少しずつ好きになれそうな予感がしている。
しかし、近頃ひとつだけ気がかりなことがある。どうやら姉が落ち込んでいる、ということ。
「はぁ……」
姉はご飯を残す、という事はしていないけれど、最近食べ方に勢いがないことに気がついた。
「姉様、どうかなさいましたか?」
特に朝食を食べ終わった時に一層暗い顔をしている。私の問いかけにも反応せずにぼんやりとすることもしばしばあって、弟より勘が鋭くない私でも薄々おかしいと気がついたのだ。
「え?」
「え?って、姉様は最近食が細いじゃありませんか」
「あぁ、そうね……疲れているのかもしれないわね」
いつも笑顔で、たまに元気すぎてお転婆な姉らしからぬ、悲しさを含んだ曖昧な微笑みが気にかかる。
落ち込み方が似ている分、長引いてしまえば父に怒られるかもしれない。私はそっと決心を決めた。
「よければ、私に話してくれませんか?話すことで楽になることも」
「大丈夫よ」
姉は儚げに笑っている。その笑顔が、とても危うく見えてなんだか辛くなった。
「ねえさま、ほんとに」
「気にしないでちょうだいッ!!」
姉は滅多にあげない大声をあげ、私を拒絶した。そして、やってしまったという
「ごめんなさい。すごくショックなことがあったものだから、つい2人に当たってしまったの。さ、早く学園に行かないと!」
姉は私から逃げるように去った。
そりゃ、そうだ。
私では、話を聞いたとしても、姉の悩みを理解できないかもしれない。いや、その可能性は大きすぎる。
頬に触ろうとしたのも、本当に嫌だったのかもしれない。
「それでも、私は……私は、姉様が悲しい顔をなさるのは、嫌なのよ……」
私は差し伸ばしたまま行き場のなくなった手をそっと下げた。
*****
「……少し、言い過ぎなんじゃないの?」
学園に向かう馬車の中で、ルティは責めるような目で私を見つめた。といっても、目は前髪で隠れている。私やリーゼが言っても切ろうとしない前髪は、つやつやと光を反射している。
学園に通うための馬車にはルティと私の2人が丁度向かい合わせで乗っている。従者と護衛は前と後ろにいて、馬を走らせているので学園の送り迎えはルティと2人きりで話をする数少ない時間だった。
家では、滅多に2人きりにならない。屋敷に1人でいる妹に構いたくて構いたくて、私とルティは家にいる間はほとんど妹にべったり、つまり3人でいることが多いからだ。
空いている窓から心地の良い風が吹いている。けれど、今日は鼻歌を歌う気分にもなれなかった。
「そんなこと、百も承知だわ」
「じゃあ、なんで」
「でも、リーゼには絶対に言いたくないの。言えないのよ」
「……」
何か言いたげなルティの視線をそっと逸らして、私は俯いた。自然とため息が溢れる。
「セルジオ殿下は、何をなさりたいのかしら。私がいなくなれば、自分が学園随一の魔法使いになれる、とでも思っているのかもしれない。私より魔法技術に長けた者など五万といるのに。嫉妬から生まれた嫌がらせであったら、本当に馬鹿馬鹿しい。
言って良いことと悪いことの判断もつかないなんて。きっと、他人の気持ちを汲み取ることが人並み以下なのね。そうでないと、あんな酷い言葉を楽しそうに吐き出したりはできないわ……」
私は胸にあった思いを、思いつくがままに喋った。ルティはそれを黙って聞いている。いや、ルティが聞こうが聞かまいが、関係なかった。
今は怒りや悔しさで心が爆発しそうで、我慢なんてできやしない。
「言葉の刃で人を傷つけるのは、最低。それも、他人をこき下ろしては嘲り笑うのはもっと最悪……そう思っていたのに、今日は、私はリーゼを突き放して言葉の刃で傷つけてしまった。1番傷つけたくない、大切な
シワが寄るのも構わずスカートを握り締めて、グッと堪えてたものが、リーゼ、と呟いた瞬間に溢れた。
リーゼは何も知らないし、今後何も知らされないまま過ごしていくことだろう。ずっと、あの屋敷で、鳥籠の中の鳥のように不自由はなくても、自由のない空間で。
それは、仕方のないことだった。望んでもいないのに手に入れてしまった、青の色彩を私が憎んだところで何になる?一番辛いのはリーゼなのだから。
私にとって、禁忌の青の目だろうが心根の優しい可愛い妹に変わりはない。周りがどんな事を言おうとも、リーゼにはずっと笑っていてほしい。ずっと、小さな頃からしてきたように。
だからこそ……私の手で護りたい。
セルジオ殿下は、最近になって私に妹がいることを知ったらしい。それからというものの、事あるごとに青の色彩を話に出してくるのだ。
「禁忌の瞳を持つ娘を持ってしまっては、モンテリオール家もさぞかし災難だろうなぁ?ハハハ、貴様と弟はいくら優れていようと青持ちの妹のせいで、将来は真っ暗というわけだ。しかも三つ子だから顔もそっくりなのだろう?余計に周囲の視線が痛かろうに。ああ、可哀想になぁ」
笑いながら見下していたセルジオの顔は醜かった。見た目だけが取り柄というのに、それさえも悪かったら救いようがないだろう。
「そんな私に負けているあなたは、一体何なのでしょう?」と答えてやりたかった。
モンテリオール家の娘でさえ無かったら、私はそんな無礼な言葉をサラサラと言えるのだろうか?
ーー否。悔しいが結局は自分が一番可愛いのだ。
とっさに呪文を唱えようとした口を閉じる。やはりここで、事を荒げるわけにはいかなかった。
相手はあくまでも王子。手をあげてしまったら、モンテリオールの評判を落とすことにつながりかねない。
そうなれば、妹と弟はどうなるだろうか。自明であった。
そう考えることで私の面子を守ろうとした。
「姉様は3人の中で1番賢い。だから、その場でも正しい行動ができた。悪いのがラミィではないのは確かだよ」
弟とは小さな事で小競り合いをする仲だ。学園で、違う分野で頭角を現していたとしても、なぜかアイツには負けたくないと思う相手だ。数時間違いの弟とは言っても、性格は水と油のように違う。だから、ぶつかり合うこともある。
それでも、お互いに大切な存在であると思っている。それは妹についても等しく、いや、妹に対してはもっと。
「僕は、ラミィと同じくらい……いや、それ以上……待って、今はその話がしたいんじゃないんだ。それは、また後で……でも、リーゼを守るためには、僕はなんだってしようと思っているよ」
普段無口な弟らしからぬ、熱く長い言葉に私は真剣に頷いた。途中、‘妹愛している自慢’が始まりそうになった時には、不満に思いながらも弟が同じ気持ちであることに、胸が熱くなった。
「……さすが、三つ子といったところだね」
「そう、だからリーゼだって僕たちのことを同じように思ってくれているんだよ。……僕らの可愛いリーゼはただ守られているだけでは満足してくれないらしい」
頬を赤くさせて話す弟は、誇らしげに前を向いていた。私は目元を伝った涙をグッと手でこすると、弟に笑いかけた。
「手でこすったら後になるよ。相変わらずお転婆だな。周りには猫を何匹被っているのやら」
「家に帰ったら、リーゼに謝るわ。もう、大丈夫。あの王子、今度会ったらタダじゃ済まさないわ。模擬戦で火炎球でもぶち込んでやる」
「だから言葉には気をつけなって。相手は王子なんだぞ。まぁ、手が滑ったって言えば分かりやしないさ。もっともそうしてくれたら、僕の気は晴れるけれど」
弟と笑い合って気がつけば、馬車は丁度学園についたところだった。心配そうに見つめる弟に目配せをし、私は意気揚々と門をくぐった。
姉として、しかるべき相手に火炎球を打ち込むために。
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