第7話 三つ子の夜(後編)

「姉様。私はルティとは違って、些細な変化に気がつく方ではないです。だから、困った事があったり、辛い事があったときには言って欲しくて……あ、もちろん、言いにくい時は言わなくても大丈夫ですし、私が出来ることなんて聞くことだけですけれど……だから、その、1人で落ち込むのは、やめてください!!」


 途切れ途切れになりながらも、私は姉に思いの丈を込めた。姉の反応が怖かったけれど、恐る恐る顔を上げた。


 すると、姉はびっくりするほど間抜けに、力が抜けた感じで、口を開けていた。


「ね、姉様⁉︎」

「大丈夫だよ、リーゼ姉様。たぶん、嬉しすぎて容量がオーバーしてしまっただけだ」

「えぇ……」

「リーゼ姉様がこんなに自分のことを思ってくれていたなんて思いもしなかったんだろうよ。本当、不器用すぎんだろ……」


 弟とそんな会話を続けていると、急に姉が笑い出した。それも、最初は腹の底からくつくつとこみ上げるかのように。やがて、堪えきれずにウフフと口を開けて笑った。

 口を開けて笑うなんて、お淑やかの欠片も無い行為だけれど、なんだか見ていてスッとする。むしろずっと見たい気持ちがする。


「ねえ、今日だけ。いや、今だけでいいから。公爵令嬢の肩書きを捨ててもいい?」


 幼い頃のように無邪気な笑顔で姉は私と弟を見渡した。

 そんなの、決まっている。私は弟と顔を見合わせて、頷いた。


「公爵令嬢じゃなくても、私たちの姉様に変わりはないよ。姉様の笑顔が1番だから」

「……いつも完璧すぎるんだ。僕たちの前くらい普通で良いよ」


 相変わらず、姉に対してあっさりとした態度の弟だけれど、言葉からは暖かさを感じる。それが私はとても嬉しくて、弟の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 弟は、やめろといいながらも私の腕を抑える手の力を手加減してくれる。よく見れば弟の手はずっと傷だらけで、私の手よりも硬い。弟は剣に関しては甘えを許さないので、鍛錬もつい熱が入ってしまうのだろう。

 弟の心配をする一方で、たくましく成長していく弟が誇らしい気もする。


「ふふ、2人とも大好きよ」


 姉はそう言うと、両手を私たちに差し出した。私と弟は迷いなくその手を掴む。弟はしょうがないという風に左手で、私は両手でそっと姉の白くて滑らかな手を包んだ。

 すると、次の瞬間姉は私たちの手を引いて、後ろに倒れこんだ。


「きゃ!」

「!」


 弟は普段鍛えているせいか、よろけただけで座ったままだ。しかし、鍛えてないガリガリの令嬢はそのまま姉の方に倒れこんだ。


「うふふ、あーあ!ずっとずぅーっと3人で入られたらいいのになぁ……」


 姉は夜空を見上げながら、ポツリと呟いた。

 花畑の上に姉のまっすぐな亜麻色の髪が散らばっている。

 何で今更、そんな事を言うんだろう。そんな当たり前な事言わなくても、私たちは、と言いかけて、姉の表情にハッと口をつぐむ。

 弟は黙って私と姉を見下ろしていた。姉もしばらく無言のままだったが、やがて雫がポツリと落ちるように話し始めた。


「うちのクラスに、セルジオ殿下……タージアン王国の第1王子がいるんだ」

「あー、第1王子ってラミィと同じクラスなのか」

「そうよ、あの……傲慢王子」


 姉宣言をしてから姉様は砕けた言葉遣いに変化した。それに合わせてルティも姉様呼びをやめて、小さい頃のように敬語をなくして名前呼びになる。

 弟は大して興味がないようだけれど、私は姉の口から‘傲慢王子’と出たことに少なからず驚いた。


「傲慢王子?」

「そっか、リーゼは知らないのね。今のタージアン王には4名の嫡子がいて、そのうち、第1王子のセルジオ殿下が私達と同い年で、その妹の第3王女ミキシア姫は2つ年下。5つ下のティナ王女と続くの。そして、王の側室の子だけれど、私たちと同い年、つまり第1王子と同い年の第2王子、クリストファー殿下はルティと同じクラスよ」

「え、えーっと。つまり、私たちと同い年で第1王子のセルジオ殿下が、姉様と同じ魔法クラスで、第2王子の……んー……、が、ルティと同じ剣術クラスなのね」

「クリストファー殿下だよ、リーゼ」

「そ、そっか……」


 弟がサッとフォローを入れた。身内の目線を差し引いてもクールで気遣い上手の自慢したくなる弟だ。

 それに比べて長いこと屋敷に篭っていた私は、いまいち王族やこの国の情勢、はたまた同じ爵位の貴族でさえ分からなかった。世間知らずも大概だ。ルティに何も教えてあげられないことが姉としてどうかと思う。

 最低限は姉から聞いているが、この世間知らずな性格は大部分はあの怠け家庭教師のせいだと思う。


「後で関係図を描いてあげるから大丈夫」

 弟が耳元で囁く。弟はいつのまにか姉と私の間に入り込んで花畑に横になっている。私は嬉しいような、切ないような気持ちで頷いた。

 そして、3人で同じ空を見上げる。


「そのセルジオ殿下が、何かと私に突っかかってくるのよ」

「え?なんでです?」

「さぁ、なんででしょう?」

「ラミィ、知らないふりはよしなよ」

「ねえさま……」

「もぅ、リーゼ!リーゼも昔みたいにラミィと呼んで!……あぁいつも呼び捨てで呼んでもらえるルティが羨ましいったら!」


 そう言ってプイッとそっぽを向いた姉に困っていると、弟がフッと息を吐いた。

 こんなにも勝ち誇ったような弟の顔を初めて見た気がする。じっと見ていると、すぐに弟はいつもの無表情に戻った。


「ラミィの才能と人望に嫉妬したんじゃない?朝早くから練習しているだけあって、魔法の実力は高いし、男からも女からもモテるから」

 弟は冷静に分析していた。姉が男からも女からもモテるところに、私は不思議に思う事はない。

 それほど、姉は魅力的なのだ。お淑やかなのに、たまに少女のような溌剌とした笑顔を見せることもあれば、相手をいつも思いやる心の広い人物でもある、それが姉だ。

「へぇ、なんか、照れるわね。でも、それだけじゃないと思うわ。あのバカ王子、たぶん私のことが好きよ」

「え?」

「……それも、そうだね」

「えええ⁉︎」

 突然の姉のドヤ顔に驚いたものの、その姉の発言を肯定した弟にさらに驚いた。どうやら姉の魅力は王子様にも通じるらしい。

「あのバカ王じ、ンンッ、殿下は私にだけ何故か嫌がらせをしてくるのよ」

「どんな嫌がらせ?」

「私の文箱にカエルを忍ばせたり、私に向かって結構な火力のファイヤーボールを放ったり、うとうとしていた私にウォーターシャワーの呪文を唱えかけたり、たまーにロッカーに花束を入れてたりするのよ」

「まぁ、ラミィはそのカエルにケロちゃんと名前をつけて平民の痩せっぽちな男教師に飼うよう押し付けたり、リフレインの呪文で逆に殿下の職人仕上げの制服を燃やしたり、殿下がウォーターシャワーの呪文を唱えかけている途中で起きて殿下にウインクしたら集中を途切れされて魔法を不発にさせたり、貰った花束をリーゼに横流ししたりしているんだけどね」

「ルティったら、やけに詳しいわね。もう、私の事好」

「同級生にお前のファン会員が大勢いるから嫌でも耳に入ってくる。友人も最近その輪に混ざり出して困っているんだ」

「それにしても、月に一回ラミィから貰っている花束にそんな意味があったなんて……って、ラミィってば殿下に対してやりすぎじゃないですか!」

「やりすぎだとはわかっているんだけれど、それでも殿下は私を諦めないのよ……はぁぁ、美しいって罪」

「まぁ、婚約されないように頑張って」

「王妃は絶対いや!でも、それはそれで良かったのよ。賑やかな方が楽しいし……でも、殿下は言ってはいけないことを言ったのよ」

 急に姉の声音が低くなった。私と弟は揃って姉の方に顔を向ける。

「言ってはいけないことって?」

「それは……」


「ラジミィアお嬢様〜!リリアーゼお嬢様〜!ルティアス坊っちゃま〜!」


 姉が言い淀んでいる最中に、かすかに使用人達の声が聞こえた。姉と弟も聞こえたようで、3人揃ってサァーッと血の気が引いた。


「そういえば、部屋に鍵をかけるのを忘れてきてしまったわ……」

「私も……」

「……僕もだ」

「よし!こうなったら3人乗りで行くよ!乗って!!」

「ラミィ姉様はただでさえ箒使いが荒いんだから、3人乗りなんてやめてください!って、リーゼ姉様!まさか乗る気じゃないでしょうね!」

「ああ、ルティにはわざと荒くしたわ!今回はリーゼも乗るから丁寧にするわね!」

「……」

「ふ、2人とも!早く!姉様の猛スピードよりマリアにバレて父様に告げられる事の方が恐ろしいわ……ほら、ルティ、私が押さえててあげるから」

「……だ、大丈夫。リーゼ姉様の後ろに乗る」

「よし、2人ともしっかりつかまっていてよ!」


 こうして姉の箒でそれぞれの部屋に戻ったものの、3人の寝間着の背中についていた花びらや枯れ草、しかも足の裏にも花びらが付いていたこともあって結局はマリアにバレた。


 そして父の部屋に呼び出された私たちは、その晩こってりと父に怒られるのであった。

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