第6話 三つ子の夜 (前編)
その日は夕食が食べ終わって寝るまでの時間、明かりを消した自室から表の庭を眺めた。限りなく満月に近い形の月が辺りを照らす。月光を浴びた花は夜でも綺麗だった。
昼間よりも静かで穏やかな色彩をぼんやり眺めた。
私は昼間より夜の方が好きだった。強すぎない月の光も、涼やかな夜風も、星も心私には心地良い。
しかし、いくら好きでも夜にずっとは起きてはいられない。この月が窓から見えなくなった頃には、私は目を閉じてしまう。
それでも、眠るのが惜しいとは思わない。むしろベッドのフカフカを堪能するためにも私は自ら進んで眠りにつく。
たとえそれが、変わりようのない朝への序章だとしても。
「リーゼ!」
思わず閉じかかっていた目を急いで開ける。凛としていて、誰もを惹きつける声は私の名を奏でる。
私に似て、異なる響。姉の声に間違いなかった。いつも聞いているから間違いはない。
私は窓から身を乗り出して、隣の部屋を覗いた。
「姉様?どうかしましたか?」
しかし、隣の姉の部屋の方を見ても姉の姿は見えなかった。不思議に思いながらも、すごすごと身体を引っ込める。
「上よ、リーゼ」
「え、姉様⁉︎」
また窓から身を乗り出して夜空を見上げると、ワンピース姿で箒に跨った姉が片手をひらひらと振っている。ワンピースからのぞく白い手足が月光で光っているように見えた。
姉は箒を両手で握ると、まるで流れるように私の部屋の窓の横に移動する。
「1人で部屋にいたら、寂しくなってしまって、そうしたらリーゼとルティの声が聴きたくなっちゃったの。今からルティの部屋に一緒に行かない?」
綿菓子よりも軽く甘い言葉に、私は少なからず戸惑った。
「ね、姉様。いくら弟といってもこの時間に異性の部屋へ行くのは、私と姉様は妙齢の令嬢ですし……」
「あら?三つ子の弟は異性に見える?」
「……いいえ」
正直に答えると、姉はクスリと笑う。
「ルティが聞いたら泣いてしまうかも。まぁ、弟でも礼儀は弁えないといけませんね。それでは秘密の庭はどう?」
「……それなら、まぁ、いいかもしれません。私も姉様とルティともっと話していたいですし……ふふ、秘密の庭なんて、懐かしいですね」
「そうでしょう?さ、早く行きましょ!」
得意げな姉は、普段周りに見せている大人っぽさとかけ離れていて可笑しかった。
「あ、姉様少しお待ちを」
窓を離れ、私は急いでクローゼットを開ける。鏡には目をやらず、隣の引き出しにしまっていたアガットのケープを取り出した。
「姉様には地味かもしれませんが」
そう言って姉の体を包むように羽織らせた。最後に首元のリボンを巻いてあげる。姉のワンピースは可愛らしい桃色で、少々古めかしい色のケープはちぐはぐな印象に見えてしまう。この時は鮮明な色彩の服を持っていない事を少しだけ後悔する。箒を握っているため両手が塞がっている姉は、されるがままで終始黙っていた。
「リーゼは……」
姉が私の手先を見ながら、不満げに呟いた。やっぱり、このケープは好きじゃなかったのかもしれない。
心臓が早鐘を打っているようで、喉が締め付けられる感じがする。
恐る恐る聞き返した。
「リーゼは、上に何か羽織らないの?」
「…っあ!そうでした!」
姉の薄手のワンピースに気を取られて自分のことに何も気がつかなかった。間抜けな行動に頬を熱らせながら、私はまたクローゼットに駆け寄った。
「ふふふ、リーゼのそういうところ、私は大好きよ」
「も、もう!姉様ったら」
「玄関を出るとマリア達にばれてしまうから、私の箒で行くわよ」
「私でも、の、乗れるかしら?」
春とは言え夜は寒いので、厚手の黄緑のカーディガンを羽織った私は、目の前の箒を見て少し不安に思った。
箒に乗るなんて初めてなのだ。いや、普通の令嬢は箒には乗らない。魔法が使える姉が特別なのだけれど。
「大丈夫。誰だと思っているの?」
姉の怒ったような声に、少し怯える。
「確かに、姉様は同級生より一歩抜きん出ているとメイド達が言っていたけれど」
「信じなさい、数分しか違わないけれど、私はリーゼの姉様よ?妹1人乗っけて箒で飛ぶなんて朝飯前だわ!それに、リーゼはうもうのように軽いから大丈夫よ!」
私はそこでようやく気がついた。姉が普段の顔ではなく、三つ子だけに見せる顔であることに。月の光を背にした彼女の無邪気で、自信満々な笑顔が、何の迷いもなく差し伸べる手が、私は大好きでたまらない。
だから、私もその手に応えたくて、ゆっくりと少しずつ手を伸ばすのだ。
屈みながら窓から入ってきた姉の箒に跨る。箒は思った以上に細くてお尻が痛かった。
「……ブランケットでも敷けば良かったわね」
「あ、持ってますよ」
急いで椅子の背もたれに掛けてあったブランケットをとって箒に巻きつける。
「じゃあ、私につかまっていて。窓をくぐるから頭は伏せておいて」
姉は何事か唱えるとふわりと宙を浮いた。心臓が冷える気持ちと、少しの高揚感で胸がいっぱいになった。つい、華奢な姉の腰に回した腕に力が入ってしまう。
「怖いのでしたら目をつぶっていて構いませんわよ」
ありがたくそうさせてもらう。姉の亜麻色の長髪が頬を撫でる感覚と、たぶん姉から漂う花の香りが幾分か私を安心させた。
ワンピースから出ている素足が夜風に晒されて少し気持ちが良い。
私は生まれて初めて空を飛んだのだ。
「はーい、到着しました」
姉の声に恐る恐る目を開けると、そこは小さな青い花が輝く花畑だった。
幼い時はいつも3人でここで遊んでいた。
しかし、姉と弟が学園に入学して以来、1人で行くのもつまらなくて行かなかったのだ。けれど、庭師がよく手入れをしているおかげか、昔と変わらない光景だ。
「ルティも連れて来るから、少し待ってて」
姉はそう言って再び飛んでいった。ワンピースがふわりと舞う姿はまるで花のようだ。
「付いてきてしまったけれど、今更ながら靴を履いてきた方がよかった……」
花の上を白い素足が踏みしめる。ひんやりとして柔らかい感触がくすぐったい。
しゃがみ込んで小さな花をもてあそんでいると賑やかな声が聞こえてくる。
「ルティ!もう少し力を抜きなさい。重いったらありゃしないわ!!」
「ラミィ姉様が速度出し過ぎてるからだ」
飽きもせずまた言い合いをしている。そのためか私を乗せた時より箒が上下左右に揺れて不安定だった。
私は人差し指を唇に当て、小さな声で2人を諌めた。
「姉様、ルティ。大声を出すと使用人達に見つかってしまいますよ」
「そうね」
「ルティは高いところが苦手だものね。木登りだって苦手だったし」
「ッ!リーゼ姉様、あ、あれは幼い頃の話で……って、それよりも、ラミィ姉様」
顔を赤くしていた弟が、急に真剣な態度で姉に向き直る。
「何か、あったのですか?」
「何かって、何よ?」
「……箒まで使って僕とリーゼ姉様を連れてきたのは、なぜですか?」
「別に、ただの気まぐれよ」
「……」
姉が‘別に’と呟くのは大抵何かあった時だという事を私と弟は知っている。
姉は怖いことがあったり、悔しかった事があると人に隠して堪えようとする癖がある。
そんな姉に真っ先に気がつくのは弟だ。弟は普段は無口な分、人の様子を細やかに観察する。双子は心が通じ合っていて、お互いの気持ちが手に取るように分かると誰かが言っていた事があるけれど、弟だってそのような能力を持っているのではないかと思う。
姉はいつだって自ら先頭に立って弟と私を引っ張ってきた。一方で弟はまるで以心伝心のように姉と私の気持ちを察して労わる。
私は、いつだって2人にただ守られるだけ。
急に冷たくなった風に吹かれ、私は持ってきたカーディガンをそっと引き寄せた。
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