第5話 家庭教師

 庭師の少年と会った日の翌日。

 私は気まずさから裏庭には行かずに、書斎で本を読んで時間を潰していた。

 モンテリオール屋敷の中には父用の書斎と私達三つ子のための書斎がある。父は夕食が終わると書斎で仕事をしたり、本を読んでいたりする。しかし、三つ子の書斎はというと、私が勉強をするために利用するだけで姉と弟は一切使わない。実質私が独り占めしていると言っても過言ではないのだ。



「魔法の勉強は学園でしてるのよ。学園の図書館は魔法書が豊富だからね」

 以前、なぜ姉が書斎を使わないかと尋ねると、姉は学園の図書室の話をしてくれた。魔法が使えないため魔法書が沢山あることの凄さがわからなかったが、姉は目をキラキラさせて矢継ぎ早に喋っていた。姉にとっては魅力的なことなのだろう、と思えば私も何故か嬉しくなってくる。

 普段は見られない無邪気な笑顔に、私は目を丸くしていた。

「魔法バカ」

 私のそばにはいたけれど会話には加わっていなかった弟が小さくつぶやく。

「そりゃあ、理論や先人の考えを習うより剣を無闇に振るうことを至上とする、脳筋おばかさんにはわからないでしょうねぇ。あなたは、学を身につけるより体を動かす方がお好きなようですから」

 いつから姉と弟は、綺麗な笑顔を見せながら嫌味を交わすようになったのだろう。

「姉様、ルティ、もっと仲良くなさいませ!」

 私が止めに入ると2人ともしぶしぶ静かになる。

 いつもの言い合いはそのような感じ。


 私が止めに入る前にやめてほしいと思う反面、私は少し羨ましかった。

 何の才も無い、青の瞳の私は学園に通えない。何も望めない。

 もしも。

 下らないとは思いつつも、考えてしまう。

 もしも普通の緑の瞳で学力も付き合いも上手くできて学園に通えたら、姉と弟の親密さに密かな憧れを持たずに済んだのかも、と。

 2人に明確な距離を感じずには済んだに違いない。


 つまり私は2人が焦がれるほど羨ましい。




 堂々巡りの昏い感情がガチャリと言う音で呆気なく途切れた。書斎のドアノブは特に大きな音を立てる仕様になっている。本に集中していたら背後に人がいることさえ気付かなくなってしまうからだ。

「やあ、お嬢さま。今日も可愛らしいね」

 後ろから軽薄なテノールの声が聞こえた。

「顔を見ていないのにそう仰るなんて、軽いにもほどがあります。ご婦人方に呆れられますよ?」

「いいえ、お嬢さまはお背中からも可愛さが滲み出ているんだよ。私はそれを敏感に感知したまでさ」

 私も軽口を叩きながら、話している相手の方を振り返った。振り返らずとも声を聞いただけで誰なのかわかるけれども。6歳の頃から週に5日ほど来る家庭教師だ。

 ヨハン・ベルセルクはベルセルク男爵家の四男であり、勉学や魔法、剣術を一流という器用な人物である。しかも、甘いマスクとさわやかな声の持ち主で、男女問わず彼に夢中になる。

 父と交流のある彼の遠い親戚の打診で私の家庭教師になったそうだ。

「ヨハン先生、早く今日の授業をしてくださいませ」

「これはこれは、手厳しい」

 わざとゆっくり歩いてくる先生が焦れったい。そんな私の気持ちが表情に出ていたのか、へらへらと笑いながらヨハンは本を開いた。



「今日は創国記について話そう」

「え?」

 やけに上機嫌なヨハンから歴史について切り出されたことが意外だった。文学以外興味のないはずなのに、と私は心の中で思う。

「ははは、歴史は文学で取り扱われるジャンルだから少なからず嗜んでいるのさ。さらに創国記については特別でね」

 私の心を読み取ったかのように、ヨハンは饒舌に話し出した。軽い口調だが彼は師である手前、私は口元が引きつるのを我慢した。

「創国記は幾人もの作家達が取り組んだテーマで、ハリラ・マゼの『創国記』はとても涙無しじゃ読み解けない深い……」

 ヨハンは文学の事になるととても話が長く饒舌になる。逆にそれ以外はこちらが聞き返しても必要最低限しか答えてはくれない。

 四年の付き合いで先生の事もだんだんとわかってくる。なので、話が長くなる前に区切った。

「先生、それで?」

「あーごめん。創国記についてだね。リリアーゼお嬢さまはタージアン王国の成り立ちについては知ってるかい?」

「絵本で、少し」

「絵本⁉︎ちなみにどんなタイトルなの?」

 この男は本と付くものには節操がない。

「今は創国記、ですよね?初代タージアン王である唯一神タージアンは精霊王と対話できる人物で、精霊の国との友好関係を結び、両国の不可侵の誓いを立てる事を代償に精霊から豊かな土地を賜ったんですよね」

「……そうそう。君は相変わらず優秀だね。その通り、タージアン王国は唯一神タージアンによって建国された」

 ヨハンは机を人差し指でトントンと叩きながら喋っていた。少し音が気になるものの、私は黙って先生の話を聞いていた。

「しかし、人々が敬うのは唯一神のみ。精霊の存在は昔から無視されている」

「精霊……」

「なぜだと思う?」

 いつになく真面目な顔つきのヨハンに、私は思わず肩を強張らせた。

「え、っと。誰も精霊を見ることができないからではないですか?存在が確認できれば、人も信仰すると思うのですが……あ、タージアン神については、遺跡などで持ち物が確認されていますし……」

 ありきたりな答えすぎる。

 私は恥ずかしくなって俯いた。ヨハンはそっと私の頭を撫でた。

「いいや、お嬢さまが合っているよ。皆精霊を見ることができないのさ。現在続いている王族は皆タージアンの血縁と言われているけれど、もしそうだったなら誰か1人は精霊と接触しているはずだろう?」

「……確かに」

「本当に精霊王はいるんだろうか?それとも王族の血は一旦途切れたんだろうか?いや、もしかすると唯一神タージアンは本当は」

「先生!それは」

 タージアンの存在否定は場合によっては刑に処されてしまう。この王国での唯一神の存在はとても大きいのだ。この部屋にはヨハンと私だけしかいなくても、言って良いこととと悪いことは存在するのだ。


「ははは、冗談だよ。推測の数だけ興味深い物語がある、という話」


 先生はいつものように軽く笑って、人差し指を机から私の本に移動させる。


「話を逸らしてしまったな。ごめんごめん。残念なことに創国記について記述された歴史書を漁ってもさらなる事実はないんだ。絵本に書かれていた事こそが事実さ」

「ヨハン先生って、実は歴史がお好きなんですか?」

 サラサラと伸ばしている後ろ髪を前に手繰り寄せて毛先をいじりるヨハンは心外だという顔をして私を見た。

「え?別に」

「そうなんですか?」

「お嬢様もご存知のとおり、私は本が好きなだけなのです。本は愛憎も真理も教えてくれますからね。その時の真実は全て本に書かれているのです!!」

「へぇ」

 キラキラと目を輝かせたヨハンに適当に相槌を打つ。

「さぁ、次は算術です」

「そうだ、ヨハン先生!予習をしてきてわからなかったところがあるのですが」

「あー、はいはい」

 熱を急激に失った先生は、私が書いてきた数字の綴りを見て、げんなりとしていた。

「あぁ……文字が一つもない」

「数字も文字です」

「さっさと終わらせて言語学しましょ」

「まず算術です」

 こんなに熱量の差が激しい教師はいないと私は常日頃から思っている。それでも興味のない算術でもわかりやすく要点をまとめて教えれるところは、素直にすごい。


 ただ、何事もまじめに取り組んでいる風に見せて、実は手を抜いているところだけはいただけない。


 でも、いつかは父や姉弟に言ってこの家庭教師を困らせてみたい、と私は密かに思っている。

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