第4話 庭師の青年

 私が向かった先は、モンテリオール家の裏庭だ。表の庭は豪華絢爛に花や草木が咲き乱れ、芸術的なオブジェが絶妙に並ぶのに対して、裏庭はひっそりとしている。

 花がないわけではないが、背丈が低く、色が薄くて地味なものばかりなのが特徴だ。モンテリオール屋敷の裏庭側には窓がないため、庭師がサボっているのだと姉は以前言っていた。それが事実とは限らないけれど、使用人達と仲が良い姉は色々な話を持ってくる。


 けれど、裏庭には今は私だけ。

 ここ最近の私は姉や弟が学園に通って暇な時間は、ここで本を読むようにしている。最初は花が植えられている近くにしゃがんで、花を愛でていただけが、いつからか白いパラソル付きの丸いテーブルと椅子がポツンと設置された。


 多分私を見ていたマリアが、父に報告して用意させたのだろう。彼女は三つ子の中でも私のことを特に気にかける。

 他の使用人達と同じように私を遠巻きに監視したり、くだらない噂を立てて笑うことをしない。初めて私達が目を開けた瞬間から、ずっとそばに居続けるメイドは、きっと青目持ちの私を同情しているのだろう。



 椅子に座り、頬杖をついてただただ時間が過ぎるまま花を眺めた。

 この裏庭には、今は白い花が咲いている。八重などでなく、5つしか花びらを持たない控えめな花。確かキィナと言ったはず。小指の爪はどの花で、しかも私の足首ほどの高さしかないので、気がつかずに踏んでしまいそうになる。それでも、この日が当たらないせいで夏でも涼しい場所に生える。清楚で可憐な見た目を振りまきながらも、どこか根性のある花だ。


「キィナがお好きですか?」

「……え?」


 弟の声よりは低く、父の声より高いテノールの声が横から聞こえてきた。

 聞きなれない声に私はパッと首を向ける。

 そして、思わず椅子から立ち上がってその声の主から離れた。


「あ……あッ」


 あなたは何者?どうしてここに?

 何か声をかけようとしてもうまく声が出ない。吐息のような小さな呻きしか出ない。、

 普段他の人と話したことがないので、私は口下手である。目の前の青年は私の飛び退きように目を丸くして、そして眉を寄せた。

 グレーのつなぎを着て、ハンチング帽をかぶっているので、何かここで作業をする予定なのだと、頭の冷静な部分で思った。


「驚かせてしまってすみません。俺……あ、僕……いや、この時はわたくしか……わたくしは、あの……その……に、庭師のライドという、あ、申す」

 変な口調の青年だけれど、目はカチリと私の目に合わせていた。そのまっすぐな緑色の目に、圧倒され私は一歩後ろに下がった。

「この前、弟子入りしたばかり…です」

 青年の変な口調は、丁寧語が使い慣れていないからのようだ。平民のでだろうか、と考える余裕はない。おかしくて笑うどころか、冷や汗が出っぱなしだ。もう一歩、また一歩にじりながら下がる。

「ぜひお見知り置き……」

 青年が言い終わるのを待たずに、青年に背を向けて私は走って逃げた。



「お嬢様!!どうしましたか?」

 走ってきた私を勢いのまま抱きとめて、マリアは大きな声をあげた。

 必死に息を吸い込む。

 苦しい。

 こんなに走ったのは姉と弟の剣を見に行って逃げてきた時以来だ。

 心臓の音が鎮まるのを待って、私は口を開いた。

「……なんでも、ございません」

「いや、何かありましたね⁉︎」

「特には」

「なんですか?野盗ですか?野獣ですか?」

 野盗と野獣ってなんだと思いながら私は、ゆっくりと顔を上げた。マリアの硬い表情を見て、とっさに思い出したのは……。

「……猫です」

「ねこぉ?」

「はい、急に庭に猫が現れて、ビックリして逃げてきてしまいましたが、改めて考えると、猫に驚いて逃げた自分が恥ずかしくなってしまい……」

 幼い頃にも表の庭で遊んでいたら猫が現れて、びっくりして泣いた経験があるので、私はそれを引き合いに出した。

 マリアは私が猫と言うと、強張った顔から安心した顔になる。

「あぁ、猫だったのですね」

「心配をかけて、ごめんなさい」

「いいえ、私のことは気になさらないで下さいませ。それより、猫が侵入したことをアイザック様に御報告しなくてはなりませんね」

 アイザックとは父の名前。私は話しながらもあの青年の面立ちを思い出していた。

 不器用な話し方、表情は硬いどころか、無に近いけれど、珍しい事にその緑の目には私に対する憎悪や哀れみがなかったのだ。

「だめ!」

 自分で驚くほどの拒絶。

「え?」

「猫はたぶん迷っちゃっただけで、私にはひっかからなかったよ!それだけで殺しちゃうのはだめ!そんなのは……可哀想だよ!おねがい、おねがいだから、父様には内緒にして」



 ーー幼い頃、屋敷に猫が侵入した時。

 父は迷いもせずに、近くにいた執事が差し出した小刀で子猫を刺した。

 ひらひらと舞う父の手に吸い寄せられるかなように近づいてきた白い幼気な猫を。

 猫はギャッと鳴いた後、赤い血を流して動かなくなった。私は姉と弟と猫が死ぬまでをじっと見ていた。体が動かなくて見るしかなかったのだ。父は執事に猫を片付けるよう言うと、私たちを屋敷の中に促した。

「もう怖いものはいないよ」と言って。

 私は父に猫に抱いた以上の恐怖を感じた。が、何も言えずに屋敷に入った。

 ただ頭は冷静に、猫も私たちと同じ赤い血を流すのだと考えていた。

 姉と弟はそれ以降、花が咲き乱れて美しい時期になっても、表の庭に近寄ることはなくなった。私はその翌朝に、一度だけあの猫が刺された所へ行った。

 草はなんとなく少し赤く染まっていたが、死体はおろか猫の白い毛一本もなかった。

 なんだか悲しくなって1人で泣いたのだった。


 この悲劇を二度と繰り返すものか、と私は話しながら本当に目の前に猫が現れたように思った。あの猫の大きさも、毛の白さも忘れてしまっているのでぼんやりとしか思い出せないのだけれど。

 ゆっくりと、息が整う。


「そう、ですか。でも」

「お願い」

「……わかりました。リリアーゼお嬢様の仰る通りに致します」


 マリアは優しい目で私を見つめて誓ってくれた。

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