第2話 姉と弟

 私が広間の席へ着くと、父と姉弟はすでに席についていて私を待っていた。


「おはようお父様、姉様、ルティ。寝坊をしてしまい申し訳ございません」

「おはようリーゼ。もうお前の寝坊には慣れてしまったよ」

 定型文のごとく毎朝変わらぬ同じことを言った父は苦笑した。三つ子のうち、私だけ遅起きだ。姉と弟はそれぞれに魔法と剣の鍛錬をしているので、朝が早い。小さな時は3人揃って目を覚ましていたな、と私は懐かしい事を思い出しながら、父の祈り言を聞いていた。


「偉大なる我が父、タージアンの恵に深く感謝し、我らモンテリオール、今日も生の限り尽くしてまいります」

「シェハール」


 この国タージアンは、その名の通り創造神タージアンという神を信仰し、食事の際やここぞという時に神の名を口にする。シェハールというのは感謝を示す言葉で、古くから使われて来た言葉らしい。家庭教師から習ったが、その人は文学には興味がないと言ってそこら辺の事情はすっ飛ばした。実に適当な人間だ。生憎家庭教師は外面がいいので、彼の適当さはモンテリオール家では私しか知らない事実だ。


「リーゼ」

 食事が終わった後、部屋に戻ろうとした私を姉が呼び止めた。

 振り返ると、すぐ後ろにいた。

 相変わらず距離が近すぎる。そして気配がない。びっくりして飛びあがる私の腕を引いて顔を引き寄せると耳元で囁いた。

「そんなに朝が弱いのでしたら、姉様が起こして差し上げますわよ?もちろん、夜は添い寝とセットで」

 姉ラジミィアはふふふと笑って顔を離した。まだ9つなのに、その笑顔や色っぽい振る舞いで何人もの男子生徒が犠牲になっていると聞く。

「大丈夫ですよ、姉様。明日こそは早起きしますから」

「あら?そう言って今日は何日目でしたかしら?」

「……7日目です」

「いいえ、37日目よ。うふふ、ルティは男の子だからいけませんけれど、リーゼなら女の子だから一緒の部屋で過ごしてもいいのよ?」

 この姉、重度のシスコンだ。

 おっとりして洗練された振る舞いをするが、魔法の鍛錬には自他に妥協を許さない真面目な一面もある。その実力は群を抜いて秀でていて、他に追従を許さない。

 まさに天才。いや、秀才だ。

 そのように周囲にみせているが、しかし、妹の私を無条件で甘やかして、異常なほど近い。能力が高い分、気配を消して部屋に忍び込んでいたり、気が付いたら背後に立たれていたりする。私が窓から屋外で魔法の練習をしている姉を見かけて、姉さん、と呟いたなら、辺りを見渡して何か探す動作をする。そして、私を見つけると満足したようにニッコリと笑うのだ。窓は締め切られて、声1つ漏れようもないはずなのに。

 姉が少し怖い。いや、だいぶ怖い。

「姉様、姉様には魔法の練習もありますので私がお邪魔をするわけにはいかないのです。それに……ほら……あ、そうだ!1人になりたい時とか!」

「ラミィと一緒に寝るとか抱き枕にされて暑苦しいだけだし」


 一瞬本心が口に出てしまったのかと思って口に手を当ててしまった。しかし、目の前にいる姉の綺麗すぎて逆に怖い笑顔を見て、恐る恐る振り返ると、すぐ後ろに弟ルティアスがいた。

 またしてもびっくりして後ずさると、後ろから姉に抱きつかれる。

 首に手を回され、頬ずりされる。少し甘いバラの香りが姉の長髪から漂う。

「泣きべそ坊やは1人お部屋でお寝んねしてなさいよ、ルティ?私とリーゼの会話を邪魔しないでもらえる?」

 姉の声がいつもよりワントーン低い気がする。心なしか空気が寒いのは、魔法を使っているからなのか?杖、さっきは持ってなかったよね?怖い。

「はぁ、これだから魔法バカのシスコンは。リーゼ姉様から離れて差し上げろ」

 気のせいか、丁寧言葉なのに言うことがストレートすぎる。そしていつのまにか帯剣している。食事の時は持っていなかったのに。怖い。

「小僧が偉そうに。表庭に出ませんか?」

「フッたかが数時間の姉が。望むところだ」

「ストォーーップ!!何サラッとケンカしようとしているの?ダメだからね!!」


 慌てて姉の腕を振りほどき2人を両手で引き離すと、私はまず姉に向かって怒った。


「姉様!何ですか?その言葉遣いは?侯爵令嬢であるあなたが使う言葉ではございません。姉ならば弟には慈愛を持って接するのが常識ですよ!」

「……だって、ルティが」

「だまらっしゃい!!」


 しょんぼりする姉を叱り、ぐるんと回れ右すると、逃げようとする弟の袖を引っ張った。


「ルティ!ルティも、あれは姉に向かって言っていい言葉ではありませんよ!それに相手の挑発にホイホイ乗ってはいけません!姉には慈愛を持って接しなさい」

「……だって、ラミィ姉様が」

「だまらっしゃい!!2人とも謝りなさい」


 般若の形相で言うと、弟は舌打ちをしながらも「すまない」と謝った。

 それに対して姉は、

「ふむ、わかればよろしい」

「ちょっ、姉様」

「もうそろそろ学園の時間ですわ!行かないと!」


 姉はそそくさと早足で部屋に戻っていった。その後ろ姿を見ながらハッと我に帰って弟の袖を離した。


「あ、ルティ!ごめんなさい!貴方もそろそろ学園に行かなきゃいけない時間よね」

「いや、まだ大丈夫」

 弟は素っ気なく返した。姉は私と同じくらいの身長だが、弟は私より頭一つ分低い。その弟が私を見上げた。

 亜麻色の長い前髪から、緑色の目が私をのぞく。

「ねぇ、リーゼ姉様」

 私たちは三つ子の割に姉弟の上下をしっかりしている。名前は6歳になり2人が学園に通いだしてからお互いの呼び捨てを禁止された。

「なあに?」

 上下関係をしっかりしなくてはいけないけれど、私は小さな弟が可愛くて仕方ない。それはたぶん姉も同じなのだ。前に「あのグズでも、クラスの男から見ればマシね」と言っていた。あれは暗に弟が可愛いと認めているに違いない。姉は私をあからさまに可愛がるのに、弟には素直じゃないらしい。それくらいが丁度いいのにな、と私は思う。

 姉様は私たちの前ではフランクな言葉遣いをする。余所でボロが出なければいいのだけれど、と私は心配している。

「リーゼ姉様だって、言葉遣いが悪い」

 あれ?お口が可愛くないぞ?

「あ、ごめんなさい」

 顔を引きつらせて謝ると、弟はプイとそっぽを向いた。

「でも、いい」

「え?」

「気にしない」

「あ、ありがとう?」

 弟に向かって謝ったり感謝したりしてなんか変な姉だな、と我ながら思う。


「あ、ルティ」

 部屋に行こうとする弟を呼び止めた。振り返る弟(割と歩くスピードが速いので、追いつくのに必死だった)の前髪を右手ですくう。

 外で練習することもあるだろうに、全然日焼けしない真っ白でスベスベなおでこが露わになる。

「私は、その前髪を切るか後ろに流して留めたらいいと思うのだけれど」

 長すぎるからと言うと弟はみるみるうちに顔を真っ赤にした。


「お、おおお女が男に無闇に触るな」

「でも、ルティは私の弟でしょ?」

「そういうことじゃない!!」

 くるりと踵を返して、走る弟の背中に「走らないでよ〜」と声をかけると、彼は途端に歩いた。素直じゃないように見えてやっぱり素直で可愛い弟に自然と笑みが溢れる。


 姉も弟もいなくなった広間はしんと静かだった。父は早くに仕事場である王城へ行った。


 私は広間を後にした。




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