第2話 天空ー2 飛立ち

一機の飛行機が佇む地下空間。

機体の後方へ灯りを向けると、少し間を空けて暗闇は終わり、そこは壁となっている。通ってきた通路の広さと長さからしてまるで広い格納庫のようである。

「究河さん、この飛行機に見覚えはありますか?」

「・・・・・・。暗くてよく見えないけど、前に乗っていたやつとは似ている気がする。はっきりしているのは尾翼の印は見覚えがあることだ」

究河の視線の先にあるのは、光と風を模したラインが十字に交差しているエムブレムである。

「これを飛ばせということか」

「そういうことでしょうね。おそらく教授からの最後の依頼になりそうです」

「見た目では整っているけど、実際に飛ばすにはもっと調べないと」

究河はコックピットへ、盛は発動機へと歩を進めて間もなく、床は金属の重い機械音を響かせてゆっくり昇り始めた。二人は驚きよろめいた。

「何が起こったんだ⁉・・・・・・床が昇っていく‼」

「この床自体が地上へ運搬する装置!エレベーターだったのですね」

 昇る床を囲う部屋を見渡すと、床と壁は隙間を空けて分離しており、車輪に巻かれたワイヤーが床下から上へ伸びている。床が昇降する仕組みであることが理解できた。

「私たちが通ってきた通路の方角と距離からして……。格納庫の中、あるいはその付近に繋がっていると思われます」

天井が左右に開いて四方の床と平行になると昇る床は動きを止めた。昇った先は地上格納庫の内部であった。盛が予想した通りの場所に着いた。

地上格納庫の下には地下の格納庫があり、配備航空機は例の飛行機が一機、道中には分解された状態の同型機種の部品、その他整備に必要な道具が保管されていた。鎮座していた飛行機の脚下には地上と行き来できるエレベーターが完備されている。

飛行場は認識していた以上に大きかったのだ。

暗闇の地下から陽光差し込む地上へと昇った飛行機はその姿を陽光に煌めかした。

白銀に塗られた機体。四つの羽を広げたプロペラ。カウリングの内には星形空冷の単発発動機。顎の部分には潤滑油の冷却器。発動機を起動させれば今にも飛び立てそである。

その形状はかつて地上の格納庫にあって、飛び立ち戻ってこなかった飛行機にどことなく似ている。

「究河さん、コックピットを見てもらえますか?」

呆然として直立していた究河に対して盛は懐から取り出した軍手をはめていて、究河の分も渡す。いつの間にか駆けつけた同伴の整備士達が盛の指示で星形発動機のカウリングを慎重に外していく。現れた数多の配線に目を凝らし、視線の先を電灯で照らして観察する。

「この構造、教授に見せていただいた覚えがあります。同じ物だとしたら…」

一方、究河は胴体を押し込むと突き出てきた細い足掛けを踏み、アクリルガラスの水滴型風防を引き開いて左開口部を跨ぐ。狭いコックピットの座席にゆっくりと身を降ろす。両足の間には頂部と左にカバーとボタンが付いた操縦桿、左側にスロットルレバー、足元左右には方向舵のペダルとブレーキペダルが備わっている。

計器類は機体と同じくしっかりと整備されており、数十もの計器類も小綺麗に並んでいる。左右上部端には何かを取り付けられそうな空間がある。

盛は顔を究河がいるコックピットに向ける。程なくして究河は盛の顔へ向けた。

「確認したところ、少しの調整で本当に飛べそうです」

「やっぱり、シュウさんが手入れしていたのか」

 盛は頷くと、ゆっくりと顔先を発動機に戻す。

「しかしこの、十八気筒の発動機が正常に動くかどうか気になります」

 盛は車で同伴してきた整備士達を呼び集めた。皆黒ずんだ軍手越しに工具を手にしている。

「只今から点検を実行します」

究河に告げると、飛行機の周囲には若年から中年層までの男女様々な顔ぶれの整備士が十数人立ち並び始めた。

「立崎室長、人員の配置完了です」

まだ少年ともいえる若さの整備士が報告に来た。

「了解です。私も参加します」

盛は究河に顔を合わせる。

「究河さんは朝から活動していたようですから、十分に休んでおいて下さい。終わったら声をかけます」

「もう昼過ぎだけど、今日中にできるのか?」

「教授と我々の力を信じれば、上手くいきますよ」

「わかった」

究河は格納庫を出た。開いた向こうでは盛が整備士の前に立ち、数秒後には彼らが慌ただしい様子で動いていた。手伝おうとも思ったが、邪魔なっては悪いと思ってやめる。

離れた木陰で仰向けになり、穏やかな風が顔に触れるのを感じながら瞼を閉じる。

飛行機の置かれている格納庫から金属音が聞こえてくが、その音も徐々に気にならなくなるほど小さくなっていった。

 



 究河の意識は飛行場の滑走路横に立っていた。いつもと変わらない。正面に見える格納庫の隣には反時計回りで風車が円盤に見えるかのように回っている。

 究河の隣には飛行服に身を包んだ男性が姿を現しては通り過ぎた。顔は帽子の影でよく見えない。

 滑走路のには格納庫にあったはずの飛行機が停まっていた。

「もしかして、シュウさん?」

 男は黙ったまま飛行機へと向かっていった。

 究河の体は動かない。ただ佇んで見るしかなかった。

 彼がコックピットに乗り込むとプロペラは回り出し、前進を始めた。

 飛行機は速度を上げると風を受けて地面を離れた。

 翼を揺らして飛び立った。東の空へ機首を向けて

 飛行機は小さくなっていき、雲海の中へと消えていった。

 



「究河さん!」

 声と共に仮想の世界はまぶたの向こうから差し込む陽光に塗りつぶされる。究河は目を覚ました。

「調整は終わりました。あの飛行機はすぐにでも飛べますよ」

日は内陸側に傾きつつあるが空はまだまだ青く明るかった。

「日が沈むまでかかると思っていたのに、もう終わったのか」

「元々手入れされていたものでしたから、少しの調整で終わりました。あとは動かすのみです」

 格納庫へ目を向けると、ちょうど飛行機を数人がかりで押して滑走路へ運び出していた。

飛行機は日陰から日向へ。

主脚を広げて大地を踏みしめた。

銀色の胴体と翼は雲間から溢れる天使の梯子の光を浴びて煌めいた。

機首を東にして滑走路の西へと運び続けている。

究河は空を見上げる。

天候は晴れ。

東より吹く風は穏やか。

陽光で天地は明るい。

飛行条件は悪くない。

「今にでも飛べるんだよな」

「今はまだお試し程度ですけど可能です」

「ならば、はじめようか!」

究河は先ほどの夢現をかき消すように気合いを込めて声を張り上げた。

「飛び立てるように準備を行います。我々に任せて、究河さんは自身の準備をしておいてください」

「それじゃあそっちは頼んだよ。こっちも準備をしてくる」

 究河が向かうは地上格納庫内の個室。

棚に置いてある折り畳まれた航空服を掴み、慣れた手つきで長い袖に腕を通して長い裾に足を通す。

航空帽を被り、航空眼鏡をつける。航空手袋をはめ、航空靴を履く。

一週間以上間を空けて航空服の厚い革の温もりを体で味わう。折り畳んだ落下傘は手に持つ。

 やがて少し暑さを感じながら格納庫から外に出ると、飛行機は滑走路の西端まで移動していた。燃料を入れているようだ。

 そのまま飛行機の元へと歩んでいくと、ガソリンのにおいが鼻を突く。

 「その姿を見るのも久しぶりですね」

 「自分でも何だか懐かしさを感じるよ」

「飛行ルートはどうしますか」

「・・・、いつもの北回り一週だな」

地図でおおよその飛行経路を確認する。ひとまずは北にある湖の北端まで飛ぶことを目標とする。

ちょうど耳に届いていた音が止んだ。飛行機の準備は終わったようだ。

 究河は地図を懐に入れると究河は飛行機に近寄る。

ピトー管が伸びる左主翼前で体を屈めて下部を覗き込む。主脚は車輪止で固定。ゴムの車輪も異常なし。着陸灯以外の追加装備はない。後方の尾輪も機体後方をしっかり支えている。

機体を確認した究河は胴体下の足掛けを踏みしめて左主翼に上り、胴体横の棒状の足掛けを踏んで、コックピットに乗り込む。

座席の高さは調整済み。落下傘を邪魔にならないように座席の下に置いてベルトに取り付ける。

燃料は適量。潤滑油も十分。

計器を見渡す。速度計と高度計と昇降計はゼロに、水準系は水平に、旋回指示器は垂直に、各々の針は指している。

異常はない。主脚の展開を示す電気系統も灯りが点いている。

配電盤の電気系統の電源を入れる。各計器に灯りが点く。異常はない。

プロペラのピッチ角を最大に傾ける。

発動機のカウルフラップを全開に開く。

「こっちは準備できている」

 究河の合図を認識した盛は整備士側へと合図を送る。

滑走路横に待機していた始動車が飛行機に近いて、機首の前に停まる。車後方に載せたフックがプロペラへと伸びてくる。

プロペラ中心の「鼻」の部分に突出したスピナーの先端突起にフックをかける。

フックは回転し、同時にプロペラも風車のように回り出す。

斜め上へ構えた四枚プロペラの回転は勢いづいていく。

両足先のブレーキペダルをしっかり踏み込む。

ミクスチャコントロールスロットルを引いて全開にする。

ポンプで燃料に圧力を加える。

左手でゆっくりとスロットルレバーを押して開いていく。

点火のとき。

イグニッションスイッチを開く。

突如、機首から後部にかけて機体は振動を起こした。

十八気筒の発動機が起動した。

プロペラは動き、高速で回転を始めた。

カウリングから突き出た単排気管からは青白い焔の息吹が吹き出した。直後、発動機の爆音が轟き、プロペラの高速回転が強烈な気流を生み出した。

空冷発動機から伝わる振動と轟きは、華奢な見た目であっても力強さが伝わってくる。

コックピットからも強い響きが伝わり、ブースト計とシリンダー温度計の針が右へ揺れた。

 共鳴するように究河の内にある高揚感は大きくなっていった。

「今すぐにでも飛ばしたけど!いいよね⁉」

 究河は外に向かって爆音に負けないような声を張り上げた。

「こちらとしては万全の用意はしておきました。ただ燃料には注意してください‼」

盛は声量で上機嫌に答えた。

「承知!」

究河は前方斜め下に目線を移し、最終確認へ移る。

目先を計器盤へ。回転、

プロペラピッチは最低角度。

主翼のフラップは下がっている。

方位は二七〇、方角は東へ。

行く先に障害物もなし。

準備はできた。

「いざ、行って来る!」

ゴーグルを下げて両目を覆う。

開閉レバーを回して水滴型風防を前方向へ閉じる。

左手で防塵網の操作レバーを押し出して開く。

機体左右に付き添っていた整備士が脚の車止めを左右に外す。

ブレーキペダルへの力を弱めると、飛行機はゆっくりと進み出す。


吸入圧力を最大に調整。ロットルを少しずつ押して出力を上げる。

発動機の力は増し、プロペラの回転は勢いづく。土煙りを巻き上げて加速していく。プロペラトルクで左方向へ逸れようとする機体に逆らい、舵を右足で踏み込んであて舵をする。

出力を全開にしながら揚力を翼下に蓄えていく。やがて脚の車輪が宙に浮いた。操縦桿を手前に引きつけると昇降舵が上向きになる。機首を上に向けてその先の空へと昇っていく。地から遠ざかり、主脚と尾輪、フラップを納める。信号灯の青から赤への点灯で確認。

無色な風の勾配を昇り飛行機は飛び立った。

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此方の遠さ 彼方の近さ 岡場貴大 @kh6umlgs9957

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