此方の遠さ 彼方の近さ

岡場貴大

第1話 天空ー1 朝

天空そら海洋うみ陸地りくと、そして時がある世界。

色のないながれが、

駆け走るように草木を

滑り進むように波雫を

舞い昇るように綿雲を

通り抜けていく。

やがては紡ぎ取られるように、

消えていった。

 

 

 

東の果て。

東には海原、西には大地。

水平線から白金色の光が漏れだす頃。

 

 

 

 青年、結瀬究河ゆうせきゅうがは目を開けた。

 視界には夢の中の虚ろな光景ではなく、見慣れた天井という穏やかなものであった。天井の下は四畳半ほどの狭い居間であり、その片隅にて仰向けになっていた。

 大きな窓からはカーテン越しに陽光が漏れ出している。共に、空気の激しい流れを認識させる風の音と、金属の風車かざぐるまが回る音が耳に入ってくる。

 掛けていた毛布をめくり、布団を畳む。枕元に置いてあった長袖と長ズボンに着替える。水で顔を洗って、夢現を払い現実へと意識を目覚めさせる。

 今日は約束の日。時間はまだある。その時までに帰ってくればよいのだが・・・・・・。

 究河は今一人、師匠のようで父親のようでもある友と認識している一人の人物を思い浮かべた。

 そしてこれからやるべきこと、畳に座り込み、夢の続きにも似たイメージトレーニングをしようとする。

 だが、集中できない。今日は心が落ち着かない。イメージは一分も経過しないうちに霧散した。こうして家でじっとしていられる気持ちではない。

 究河は立ち上がり、狭い家中を回っては必要な物を取り出し、出かける支度を始めた。



 強い風の吹きつける朝焼けの海岸。

 海岸の高台に建つ白い灯台が光に照らされ反対側に影を伸ばす。

 日の光が蒼空を生み出していき、その下には高地と低地に畑と家が広がってる。

 海の彼方に広がる丸い水平線が見渡せる丘の上に、取り残されたかのような平屋の小さい家が建っている。

 究河はカバンを下げ、玄関の扉を開いた。

 向かう先は友が帰ってくる場所。

 帰ってきた彼を早くに迎えたくて落ち着かなかった。

 閉じた扉を背に歩み出した時、身に受ける風の力は強くなっていく。同じくして、 聞こえていた風を切る乾いた音が大きくなった。

 天に向かって高さが六メートルある三角標のような鉄塔に目を向ける。そこから部屋の中にも聞こえてきた音は発せられている。塔の頂点には廃棄物の残骸から作った十字の風車が風の流れに従って回り続けている。

 風の力を電力に換えるために作ったもので、電力を蓄えた電池は大切な生活の糧になっている。

 風車から視線を逸らして向かうべき場所へ進もうとする。その時、再び風は強くなっていった。回転は勢いを増し、四方に展開する羽根を支えている盤が震えて音を立て始める。このままでは盤を留めている軸が壊れて落ちてしまう。究河は回転を止めるべく、止めることでブレーキとなるワイヤーの制御装置に手を伸ばす。

 直後、風向きが変わった。

 どこからともなく、一層強い風が吹いた。

 軸は折れて、ついに壊れた。

 十字の羽根は究河の頭上、空を切り裂きながら落下した。地を滑り土埃をあげて力尽きたように倒れた。


「まただ」

 究河はため息を漏らした。

 つい昨日も同じように壊れたのだった。

 軍手を填めて数十キログラムはある風車を持ち上げると、中心部から端までが赤黒く錆び付いているように見えた。

 これも昨日と同じであった。

 作りが甘かったのか、それとも風が強すぎるのかはわからない。

 在庫はなく、最初から造るしかない。

 用事が一つ増えてしまった。

 壊れた羽根を抱えて庭の片隅に運ぶ。そこには昨日壊れて間もない風車の残骸や、これまで造ってきた自作の機械が寄せ集められていた。

 壊れた羽根を置いて、残骸がまた一つ増えた。



 そしてまた、風向きは変わった。

 風は穏やかになっていった。



 玄関先の庭に停めていたサイドカーが付いたオートバイ。カバンをサイドカーの席に置くと、少し前屈みでオートバイに跨る。

 エンジンに点火する。すぐに起動して、間もなく好調な起動音を響かせる。排気音も異常はない。

 サドルに手をかけ、ブレーキを緩めると滑らかに走り出す。アクセルを踏むと駆動音を散らしながら加速した。

 正面口を出ると風が通り抜ける丘の道を行く。

 丘を下りながら野原を横に見る。

 木々に囲まれた道を進む。やがて平野に出る。道路は静かで向かい風が吹き抜ける音とエンジン音の二つが究河の聴覚。周りに家はあるが、人影はない。

丘を越える。平地を走る。坂を上る。

 登り切った先は砂で敷かれた平らな台地である。



 着いた。

 高台に広がっている舗装されていない飛行場。以前、この場所で飛行機に乗って操縦をしていた。整備を行ったことも記憶に新しい。

 滑走路の傍らにある閉ざされた格納庫。扉の向こうにはかつて一機の飛行機が収められていた。今、その飛行機は無い。究河の友であり飛行場を管理する者でもあった彼と共に姿を消した。行方はわからない。今日で一週間が経過する。夜明け前の夢現の中、一週間後の正午までに戻らなければ以降帰ってくることはないと彼は告げた。そして、その後に究河がやるべきことを聞いた。日が昇り目を覚ました時にはどこにもいなかった。

「シュウさん」

 友の愛称を思い出し呟いた究河は、あの日彼を止められなかったことを悔やんだ。

 究河は格納庫前にオートバイを停めた。エンジンを静止させて降りると、飛行場の 北西へと歩を進める。

 その先には、飛ぶこともできなくなって朽ちている飛行機の残骸が置かれている。塗装が剥がれた胴体、黒ずんで錆び付いた発動機、折れた翼、土や雨水が入り込んだ内部がむき出しといった飛行機達の墓場である。見慣れている光景なのだが、飛行機乗りにとって良い気分になることはない。

 この地には時々壊れた航空機がどこからともなく墜ちてくる。時々片付けなければ地面は残骸で埋め尽くされてしまう。それを承知の上で友と自分が知り得る人物以外は寄りつかない。

 処理する過程で残骸や部品は分解して再利用することが多い。金属をかき分けて使えるものを拾い上げては改造する。風車もその一つであり、ありがたくも悲しいが、生業の一部になっている。

 だが、ここ最近は目に見えて落ちてくるのは雨粒くらいであった。おかげで空き地の部分が広くなってきているが、引き替えに得られる部品は減ってきている。



 ここで友を待つとともにやることは風車の部品探しである。

 懐に入れた軍手をつけて、散乱した金属の板や部品を見つけては手を触れる。その中から風車の部品である羽根、回転軸、必要なものに改造できそうなものを探し始める。

 水平尾翼の残骸と思われる平たい金属を見つけ、手に取ってみる。しかし、重すぎ、厚みがありすぎで適当ではない。辺りを見渡して、軽くて薄いものを探すが、これといってよいものは見当たらない。

 以前もこの地点で探して拾っていたためか、さすがになくなってきたようだ。

奥地には積み上がった残骸が山となっている。まだ手をつけてはいない。目当てのものが見つかるかもしれない。だが、崩落してしまい巻き込まれて潰される恐れもある。

 究河はどうするか悩んだ。



 その時、積み上げられた山の向こう側から金属同士がぶつかり合う耳障りな音が立て続けに聞こえてきた。音は十数秒間続いて、治まった。どこかで崩れたのか。音のした方向へ、土と残骸が敷き詰められた地を踏みしめて慎重に進んでいく。

山を回り込むと、一人の影が背を向けて立つ姿を見つけた。髪を束ねており女性のようだ。

 このような残骸だらけの場所に入った者は知人でも滅多にいなかった。

 姿をよく見ようとした究河は足元に散乱していたガラス片を踏んでしまう。

 彼女はガラスが砕ける音を立てた究河の存在に気づいた。束ねた銀色の長髪を振りながら顔を向けては素早く体を振り向ける。互いに面と向かい合った。十代後半くらいの女性で、少女と呼べる容貌である。見慣れない顔である。

「ごめん。驚かせたみたいで」

 究河は謝るが、彼女は警戒を解かずに低い体勢で構えている。

「何だ、お前は。私に何か用か」

「なにか用があるとかじゃなくてね。ただこの場所には人が来ることが珍しいから、気になったんだ」

「何も用がないのなら去れ。私は忙しい」

「何か探しものか?」

「そうだ。お前はこの場所に詳しいそうだな」

「もちろん」

「ここ一週間でこの場所に墜ちてきたものはあるか?」

「一週間以内では何も墜ちてきないなあ」

「……そうか。あてはないか」

 会話が済むと、彼女は背を向けて去っていく。

「探しものはもういいの?」

「私は私のやるべきことをやっているだけだ。あまり詮索するな」

 顔は向けずに声だけがとどいた。少女の姿は遠ざかっていく。

「素っ気ない御嬢だ」

 呟いて間もなく、後方から金属同士が衝突する耳をつんざく衝撃音が聞こえてきた。また崩落したようだ。前よりも規模が大きい。

 振り返ると、先ほどまで残骸が形成していた山が潰れて小さくなっていた。

 あの少女が切り崩したことによるものか。

 彼女の姿はすでになかった。

「面倒なことになったねぇ」

 それまであった狭間の道がなくなって、残骸の上を歩かねばならなくなった。何の残骸がどこにあるのかもわからなくなってしまった。

「いや、幸運といえるかな」

 究河は崩れた山の中から損傷がほとんどない平たい金属を見つけた。究河にとって新しい発見である。

 足下にある銀色に鈍く反射している平たいアルミニウムを拾い上げる。尾翼の一部であった物なのか。これは羽根として使えると思った。同じようなものが他にないか探す。

 足下に目を向けた時、残骸の隙間から鈍く発している光を見つけた。

 興味を引かれて拾い上げたのは、光を反射して泡のような煌めきを見せる厚さが薄い長方形の石のような物体である。

 究河は美しさを感じ、興味を抱いた。ここに放置しておくのも惜しい気がしてならない。

 とりあえずはズボンのポケットに入れておく。

 部品探しを再開。

 求めているものは短時間で見つかった。

 風車の羽となり得る板を大きな布で巻きつけて両肩に掛けられるようにした。

滑走路と山の境である広いところで、カバンから取り出した、防護用のゴーグルと厚いエプロンを装着する。

 サイドカーに積んでいた鋸と溶接機を持ち運ぶ。

 まずは、羽根を作る。

 板と接触した刃は明るい火花を飛び散らす。

 薄いアルミニウム板を適切な大きさ、形に切断。風を受けやすいように僅かな角度を入れる。飛び散る火花を防ぐ鉄板とゴーグル越しに細く長い羽根の形変わっていく。

 一枚目ができた。同じ要領で、二枚、三枚、最後の四枚目が完成

 羽根はそろった。

 次に、円盤状の厚い盤に羽根を溶接し、ボルト留めで固定する。

 一枚目、対面に二枚目、間に三枚目、残った間に四枚目を取り付けていった。

 出来上がった。

 鈍く光る四枚羽根が広がる風車。次に行うのは試運転である。

 飛行場の東端には家の庭先にあった三角標のような形をした鉄塔と同じものがそびえている。地上から頂点付近、そこからまた地上にかけて太く丈夫な縄が繋がっている。前々から準備していたものだ。

 風車中心部の盤に縄を巻き付けていく。しっかりと巻いたことを確認すると、究河は縄の反対側を持っては力を込めて引く。重量のある風車は縄に引っ張られ上っていく。頂点に近いところで止めて持っている縄を柱に結わいた。

 ロープを肩から掛けて塔の細い足場を上っていく。

 風が穏やかなうちに作業を済ませたい。

「張り切っていこうか」

 体につけたロープを支柱に繋いで体を支えてもらう。両手を使い風車に巻き付いた縄を解く。

 軸を風車の盤に通して、完成した四枚の羽根を天辺に取り付けた。回転すると外れないかを、押しては引いて手回しをして確認。安定している。盤と軸を固定する蓋を先端にはめ込む。

 風車の盤は軸を通じて、ブレーキとなる巻き付いたワイヤーと発電機に繋がっている。ワイヤーは塔の中部に車輪で固定している。

 塔を降りて見上げると、四方向に羽を広げた風車は光を白く反射している。留めている位置もよし。程よく風も吹いてきた。

 始動のとき。

 車輪の抵抗を緩めると、羽根は風の行方に従って時計回りに回転を始めた。

上手くいった。

 ポケットから電流計を取り出す。

 柱伝い発電機へと続く銅線に電流計を繋ぐ。

 通電して針は揺れた。

 これも上手くいった。

「やったな」

 後は持ち帰って動いてくれればよい。究河は風車の回転を止めて下ろそうとした。



 その時、人の視線を感じた。待ち続けた友のものかと期待して滑走路へ目を向けた。何もない。辺りを見回すが誰もいない。特に見られても構いはしないが、誰の姿も見えないのは気掛かりである。

 辺りを見渡していると、微かにエンジンの駆動音が耳に入ってきた。

 徐々に音は大きくなって、こちらに近づいてくるのがわかる。

 音が聞こえてくるのは空からではなく、地平線の東方向からである。

 期待していた方向からではない。

 まず聞こえてほしい駆動音があった。今聞こえている音は、その後に聞こえてきてほしいものであった。

 音を発している正体、数台の自動車が砂煙を巻き上げて現れた。車種は様々であり、いずれも滑走路東端に並んで停まった。

 日は高く昇り、陽光が真上から降り注いでいた。

 究河は期限の正午となったことを認識した。

 だが、肝心の友はいない。

 風車をそのままに、究河は停まった車に向けて駆け出した。

 先頭に停まった車から一人、姿を現した。スーツ姿に顔右半分と右手を包帯で包んだ背の高い青年である。

「お久しぶりです。究河さん」

「こっちこそだ、さかり

 結瀬究河と立崎盛たてさきさかりは明るい顔での挨拶を交わした。転じて、真剣な顔持ちになる。

「教授は、いますか?」

「いや・・・シュウさんは・・・・・・」

 正午、時間は過ぎた。

 彼は帰ってこなかった。

 二人は下を向いて黙り込んだ。



 しばらくして盛は顔を上げる。

「……わかりました。人員は揃っています。燃料等必要なものも用意しました」

 盛は格納庫に顔を向け、間もなく究河の方に戻す。

「予定通りに行きましょう。よろしいですか?」

「まあな。こうなったからには、心に決めなくちゃな……」

 続いて究河も顔を上げた。

 悲しみは拭いきれないが、二人は格納庫へと向かう。

 シャッター横の通用口から究河が鍵を開けて中へ入る。高い天球状の天井の下には寂しいくらいに広々としている。飛べる飛行機は置かれていない。

 帰ってこなかったとき、行くようにいわれたところに向けて格納庫奥へ歩を進める。

そこは一見普通のコンクリート壁で、いわれなければ気に留めないだろう。

 究河は告げられていたとおりに壁を構成しているブロックの一つに手を当てて押す。

 奥へ動いて、凹んだ。

 凹んだ部分に両手をかけて右に引く。

 横へ動いて、通路が出現した。

 壁は隠し扉になっていた。

 奥にはまた扉で閉ざされている。

 この先には足を踏み入れたことがない。何があるのかも知らない。

「よし、行こう」

「行きましょう」

 重い扉を開いた。先には螺旋状の下り階段が暗闇の奥底へと続いている。

 懐中電灯で照らしながら乾いた音のする足場を踏みしめて下っていく。

 やがて底に到達した。その先、続く暗い通路を照らしながら進んでいく。幾つも扉が横にあって閉ざされている。壁に反響する二人の足音のほかは聞こえてこない。

 遂に通路の終点に到達。同じく暗闇。左右の壁が消えて平面の床のみが空間として認識できる。

 四方八方に灯りを中央部へと向けながら進む。十数歩歩んだところで光は直進を遮られ、十字形に広がった捻じれのある羽根を照らし出した。

「これは……」

 橙色のぼんやりとした光の向こう、どこか見覚えのある見た目の飛行機が浮かびだした。

 灯りで真正面を照らすと、そこには銀色に鈍く煌めく一機の飛行機が佇んでいた。


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