1対1

憑木影

第1話

「やったぜ、見ろよ」

 画面に派手に、『YOU WINNER』の表示が出る。おれは満面に笑みを浮かべ、深紅のスーツに身を包んで傍らに立っているナミへ声をかけた。

 ナミはうんざりしたようなため息をつく。

「大体さあ、なんでデートの行き先がゲームセンターなのよ。私たちは塾帰りの高校生なわけ?」

 おれはナミの愚痴を無視して再び画面に向かう。

「おまえさあ、知らないの?今、このスーパードッグファイトってゲーム凄ぇはやってんだぞ」

 派手なダンスミュージックが鳴り響き、いかれた格好の子供たちがうろつき回っているそのゲームセンターには、ジェット戦闘機のコックピットを模したブースがざっと二十機は並んでいる。どういう訳か対戦型のジェット戦闘機ゲームが大ブレークし、世界ランキングまでできていた。

 ナミはおれの頬の肉をつかむとぐいっと、捻る。

「はやってるとかそういう問題じゃないでしょう」

「いや、あの」

 おれは、慌ててナミの手をタップする。しかし、ナミの力はさらに強まった。

「だいたい恭平、元戦闘機パイロットのあんたがこういうゲームで素人相手に勝ってもしょうがないでしょう」

「いや、判った、やめるよ、ここを出よう」

 ナミはにっこり笑って手を離した。

「じゃ、ショットバーにでもいく?」

「もう一勝負したらな」

 おれは殺気を感じて首を竦める。おれの頭の上をエルメスのバックが唸り音をたてて通りすぎた。

「おい、恭平。てめぇなめてんのかよ」

「今日はまだ、やつに会ってない」

「やつって、誰よ」

「MAYAだ。ファントムMAYA」

 おれは対戦者待ちのリスト表示画面をスクロールさせていく。日本中のゲームセンターのブースと通信対戦可能であるが、難易度AAAのクラスになると流石に待ちの数は三桁を割る。

「強いの?、そのMAYAっての」

「強い、強い」

 おれはふーっとため息をつく。

「本気だして10回くらいやったけど、一度も勝ったことないんだ」

 ナミが目を剥いた。

「一度も?冗談でしょ。仮にも三年前はエースだったのに。なまりすぎよ」

 おれはMAYAを探すのに夢中で、ナミの言葉に返事している余裕が無かった。

「時間的にはそろそろ出てくるはずなんだが、おっ」

 何回かリスト表示画面のリロードを繰り返しているうちに、MAYAの名前が出現した。おれは膝を叩く。

「さあて、今日のメーンイベントだ」

 ナミは諦めたように天井を仰いでてを広げる。

「さっさと負けるのよ」

「冗談じゃねぇ」

 おれの対戦要求をMAYAが受諾した。画面が自動的にフライトシミュレーターとしての飛行場画面へと切り替わってゆく。おれはいつものようにF14を選択する。機体の色は白だ。

 MAYAの選ぶ機種も画面の片隅に表示される。例によってF4ファントムであった。相変わらず、なめたまねをする野郎だ。

 コックピットのレイアウトは、実物とほぼ同様である。操作もある程度簡略化されているとはいえ、難易度AAAクラスであればほぼ実物と同様だ。

「いくぜ」

「ばーか、やられちゃえ」

 ナミのふてくされた声援を受けておれのF14は舞い上がる。全くGを感じないのは奇妙なものだ。エンジン音が悲鳴のように高まってゆき、速度が上がる。

「きたきた、やつだ」

「何あれ、凄いの」

 機体がゴールドメタリックに塗装されたF4が画面の片隅に表示されている。それをみてナミが感心した。

「自衛隊もこういうの使えばいいのよ」

「馬鹿いえ」

 あっという間にバトルへ突入する。おれはナミの相手をする余裕を無くした。高速でスラロームしあう二機は、戦闘ステージとして選んだ山岳地帯を飛び回る。

 ナミは結構興奮して後ろで叫んでいた。画面は三半規管が弱いものならあっとうまに酔いそうな勢いで変化している。おれはナミが肩を叩いて呼びかけても、応える余裕が全く無い。

 おれが撃墜されるまで、ものの3分ほどであったろうか。おれはシートに深く腰を降ろすとため息をついた。煙草が恋しくなる。

 画面は自動的に二本目の戦闘ステージである海のシーンへと切り替わってゆく。航空母艦の滑走路が表示された。

 おれは二本目のバトルをキャンセルした。画面が初期画面のデモンストレーション画面へと切り替わってゆく。

「やめちゃうの?」

 ナミが意外にも、つまらなそうな声をだす。

「そう。終わりだ」

 おれは立ち上がる。ゲームは三本勝負であるが、MAYAとの勝負はいつも一本目でキャンセルしていた。二連敗したくないというのもあるが、実戦で二本目は無いだろうという意識もある。

 おれは、今日のバトル情報をメモリカードにセーブする。メモリカードには戦闘記録が保存されるようになっていた。カードには自分用の機体のカスタマイズ情報をセーブして持っておくことができる。そのカードを使えばどのブースでも自分用にカスタマイズした機種が使えるようになっていた。

 対戦情報を、インターネットを通じて専用サイトへアップロードすれば世界ランキングが割り振られる。今のところおれもMAYAもノーランカーだが、二人ともランカー相手の対戦で負けなしだった。MAYAはさしずめ無冠の帝王というところだ。

「けっこう面白いね、このゲーム」

 ナミが上気した顔で声をかけてくる。

「だからいったろうが」

 おれはゲームセンターの外へ向かう。後ろからナミが声をかけてくる。

「ねえ、私もやってみていい?スーパードッグファイト」

「馬鹿いえ」

 おれは憮然とした声になる。

「夜は短い。いくぞ」

 ナミは笑いながら、おれの腕に絡まってくる。

「じょーだんだよ。むきになんなよな」

 おれは苦笑して、ナミの肩を抱いた。


 ふと目がさめる。

 ナミの部屋の馬鹿でかいベッドの上だった。高層ビルのペントハウスであるナミの部屋は、片側の天井と壁がガラス張りである。月明かりがおれの身体を蒼く染めていた。

 おれはベッドの脇のテーブルからピタースターブザンドのエクストラマイルドを一本とると、火を点ける。ナミの姿は見えない。おれはぼんやりと壮観ともいえる夜景を眺めていた。

 まだ真夜中を少し回ったくらいの時間だ。おれはニコチンが身体に行き渡ると同時に次第に意識が覚醒していくのを感じた。

「見つけたわよ」

 突然、ナミの声が上から降ってくる。

 ナミの部屋は片側は壁に面しているが、ガラス張りになっている側は二階まで吹き抜けになっていた。おれは、上に声をかける。

「何が見つかったって?」

「あなたの恋人、MAYAちんよ」

 おれは苦笑する。立ち上がるとバスローブを羽織った。

 おれは、カルヴァドスに氷をぶちこんだグラスを二つもって螺旋状になった階段を昇り、ナミのいる二階へゆく。ナミは、下着姿のままMACのパソコンの前に座っている。

ディスプレイの明かりに照らし出されたナミは、ショウウィンドウの中のマネキンを思わせた。彼女の整った顔はレプリカントのように美しい。

 おれはナミの分のグラスを手渡すと、苦笑しながらディスプレイをのぞき込む。

「おまえさぁ、何やってんだよ、ったく」

「結構あるのよね、スーパードッグファイト関連のサイトって。あちこち回っているうちに、MAYAちんがチャットに出てきたのよ」

「へえ」

 おれは興味を持って画面をのぞき込む。

「どんな感じだよ、MAYAの野郎は」

「もぉたぁーいへん。ちょー人気ものって感じ」

「へぇ」

 おれは感心した。

「人気ものなの?」

「うっそぴょーん」

 ナミはくすくす笑う。

「まあ人気あるっつーか、アンチヒーロー?袋叩き状態ね。ばりぞうごんのオンパレードだわさ」

 おれは興味を持って画面を読み出す。スーパードッグファイト系のサイトは何度か見たことがあるし、掲示板の書き込みも多少は知っていた。MAYAの書き込みは何度か掲示板で読んだことがあるが、結構論理的でクールな書き込みだったように思う。チャットで見かけたことは無かった。ただ、おれ自身チャットに参加することがあまりなかったせいかもしれない。


れんふる>MAYAさん、あんたがうまくて強いのは認めるが、人間としてその態度はどうかと思うよ。

ゲデルン>MAYAよ、おまえなんざ、ゲームの世界でしか相手にされない所詮可哀想なやつさ。

えりしゅ>おまえはさ、戦闘機フェチの変態野郎だろ、結局。

れんふる>とりあえず、謝罪したらどうだい、さっきの言葉に対して。

MAYA>その必要は認めないね。大体なぜ私のことを変態呼ばわりするやつらに謝罪なんかする必要があるんだ?

れんふる>あなたが、人のことを馬鹿呼ばわりするからだよ。

バルキリ>MAYAよ、おまえがランカーとの対戦で無敗なのは知ってるけど、負けたやつを屑よばわりするのはいただけないな。

えりしゅ>思考回路が壊れてんだろ。現実世界で人間関係破綻してっから、ゲームに浸りきってんだよ。あーきもちわりぃ、やだやだ。

MAYA>弱いやつは弱いし、負けたやつに気を遣うつもりもない。大体それのほうが失礼だろ。おまえらの私に対する言葉のほうが、どうかしてるね。

MAYA>負けて馬鹿にされるのがいやなら勝てばいい。勝てないなら初めからゲームをしなけりゃいい。違うか?

れんふる>それは違うだろ。

MAYA>とにかく私に文句があるならまず私に勝てよ。そうしたら好きなだけ謝ってやるさ。


 おれは苦笑する。議論はループしているようだ。感情的になっているのはMAYA以外の連中らしい。MAYA自身はあきれるばかりに毅然としている。まあ、それがかえって反感をかってるようだが。

「のけよ、ナミ」

「ちょっと、何するのよ」

 おれはナミを立たせると、MACの前に座る。キーボードを引き寄せた。

「ちょっと、まさか私のアカウントでログインしたまま書き込むつもり?やめてよ、入り直しなさい」

「まあ、気にするなよ。IPアドレスチェックするやつはいないはずだ、このメンバなら」

 おれは、チャットに参加することにする。


シデン >よお、MAYA。おまえの味方はどこにいるんだ?


 ナミが吹き出す。

「なにこのシデン、て恭平のハンドル?だっさいの」

「うるせえ」


れんふる>シデンさん今晩は。

シデン >どうも、れんふるさん。ちよっとMAYAと話をしたい。おじゃまさせてもらうよ。

MAYA>なんだよ、シデン。おまえと話なんかないぞ。

シデン >おいおい、いきなりそれか?普通は初めましてだろ。

MAYA>ふん。どうせおまえも今日コテンパにやられて悔しいとかくだらないことほざきにきたんだろ。

シデン >負けたのは認めるけどな。おまえだって今日は何度かやばいなってところはあったろうが。

MAYA>ぜんぜん楽勝だったよ。だいたい女づれでくるから負けるんだよ。


 おれの後ろでナミがカルヴァドスを吹き出してむせ返った。おれは苦笑する。


シデン >おまえもあそこにいた訳?見てたの?

MAYA>ああ。だいたい、女の趣味が悪いぞおまえ。紅いシャネルのスーツ着て

ゲーセン来る女なんて最低だね。


「ばりむかつく、こいつ。ネットで私を馬鹿にしたぁ!」

 おれはふくれるナミを宥めながらチャットを続ける。


シデン >おまえって結構面白いやつだなぁ、MAYA。

MAYA>何が言いたいんだよ。

シデン >そう構えるなよ。おれは単純に思ったことを言ってるだけだから。なあ、一度会わないか、おれと。

MAYA>なんでだよ。

シデン >おまえはさあ、おれを知っていて、おれはおまえを知らないってのはフェアじゃないだろ。

シデン >ついでに言っとくが、おれが趣味の悪い女をつれてゲーセンへ行ったとかネットで言うのはルール違反じゃないのか?

MAYA>フェアもくそも、おまえ自分のサイトに自分の写真貼り付けてるじゃない。そもそも、私の言ったことも事実と認める必要は無かったはずだよ。

シデン >でも認めちゃったし。

シデン >とにかく、おれの管理しているサイトの掲示板のほうへこい。そこなら邪魔も入らないしな。


「なんでおまえも来るんだよ、ナミ」

 一週間後、おれとMAYAは会うことになったが、待ち合わせ場所にはナミがしっかり来ていた。ナミは馬鹿にされたシャネルのスーツを着ている。

「え、なんか面白そうなやつじゃん、MAYAって」

「また噛みつかれるぞ」

「ま、いいから。パソコン少年をお姉さまが調教してやるわさ」

「おっさんだと思うよ」

「おっさんは得意よ。むしろ」

 おれはため息をつく。そこは待ち合わせ場所として有名な駅前の某所である。週末はいろんな人間であふれかえるその場所をぼんやり眺めた。

 おれはなぜか胸が高鳴るのを感じる。奇妙な高揚感といっていいだろうか。おれは苦笑する。まるで初恋の相手に久しぶりに会うみたいじゃないか、これじゃあ。

「何緊張してんのよ」

 ナミがせせら笑ってつっこんでくる。おれはピータースターブザンドをくわえた。珍しく自分で自分の感情をコントロールできていない。

「うるせえ。黙っててくれよ。おれはいまナーバスな気分…」

 ふとおれは目の前に一人の少女が立っているのに気がついた。有名私立高校の制服を着て髪の毛をショートカットにした少女。顔立ちは整っているが痩せているので女性らしい魅力を感じさせない。まるでシンディ・シャーマンの写真にでてくる人物のように、孤独さを身に纏っている。

「まさか、あんたが」

「会いたいというから来たんだ」

 少女は突っ慳貪に言った。

「気にいらないなら帰る」

「いやまて、まてよ。MAYAなんだろ」

「そうだ」

「いや、ちょっと意表をつかれた」

 ナミがくすくす笑う。

「そうだと思ったわ」

 おれはナミを睨む。

「後出しじゃんけんはずるいだろうが」

「まあね。私もいてもいいよね、趣味悪い女だけど」

「好きにしたら」

 MAYAはそっけなく言った。おれはどういう言葉をかけていいか、迷った。何しろ十代の女の子と会うこと自体、久しぶりな気がする。

「とりあえず自己紹介しとこうか」

「知ってるよ、自分のサイトに書いてるじゃないか。鷹見恭平27歳。航空評論家で元自衛隊パイロット」

「いや、そうなんだけどな」

「だいたいなんで、夜なのにサングラスしているの。見えにくいじゃない」

「いやこれは」

 おれはサングラスを外す。義眼の右目と傷跡が顕わになる。

「なんとなく初対面の人間には素顔を出しにくいんだよ」

 MAYAが息を呑むのが判った。くるっと振り返るとおれの前から立ち去ってゆく。

「おいおい」

 おれは慌ててMAYAを捕まえる。

「なんだよ、折角会ったのに」

 MAYAは小さな声で何かいった。

「なんだよ、どうした」

「悪かったよ、サングラスはずさせて」

「気にすんなよ、そんなことでいちいち逃げなくていいじゃねえか。えーっとなあ、とりあえず飲みにいこうと思ってたけど制服姿じゃまずいしな」

「いいんじゃない、あそこで」

 ナミが駅前のファーストフードの店を指さす。

「私は構わないが」

 MAYAが同意する。おれは少し肩を竦めた。

「じゃいこうか」


 店の中は10代の子供ばかりだった。おれとしてはとても居心地が悪い。しかし、それは目の前のMAYAも同じようだ。多分、MAYAはどこにいてもこんなふうに居心地悪そうに孤独な瞳で、それでいて毅然とした表情であたりを見てるんだろう。そんな気がした。

 一方ナミは、MAYAと対照的である。深紅のシャネルで武装し傲岸とした態度で高く足を組んだナミは、自分の縄張りにいる猫のようにリラックスしていた。

「私も自己紹介しとくね」

 ナミはMAYAに微笑みかける。

「横山ナミ、24歳。職業は公務員」

「つーか、内閣調査室の対テロ部門の室長だろ。だいたい歳はおれとためだろうが」

 ナミはおれの顔面へ裏拳をとばす。おれはあやうくスウェイでかわした。

「なんでそんなこというかな」

「いいじゃねえか、気にするなって。MAYA、おまえはどうすんの。いやなら本名言わなくていいよ」

「御子柴摩耶。17歳。高校生。これでいいか」

「うーん、なんていうかさあ、おまえが始めてだぜ、ネットで知り合ってオフで会った時にネット以上にもどかしい感じがするやつって。もっとこう心を開いてみろよ」

 ナミはせせら笑った。

「馬鹿じゃないの、恭平」

「なんだよ」

「そんないきなり心開けって、むつごろうの動物王国じゃないんだし。とりあえず、楽しく会話するうちに、和んでゆくものでしょうが」

「まあ、そうだろうけど」

 いざ、話をしようとすると十代の少女相手に言葉がつまる。

「質問ごっこしようか」

「なんだよ、それは」

 MAYAはそっけなく聞きかえす。

「おれが質問したら、あんたも質問しかえせるというの」

「ふーん」

 MAYAは光る目でおれを見る。多少興味を持ったようだ。

「じゃ質問どうぞ」

「なぜランキングに登録しない?したらぶっちぎりで一位だろうに」

「ランクづけされるのは学校だけで充分だから。だいたいそれはお互い様だろ?」

「まあな」

「じゃこっちの質問のばん。シデンてのは大昔のアニメからとった訳?」

「なんだそりゃ。シデンといったら川西 N1K2-J 紫電改に決まってるだろうが」

「ああ、飛行機の名前だったのね」

 MAYAは始めて少し笑みを見せた。

「んじゃ次の質問な。なぜF4ファントムを使う。難易度DクラスやCクラスなら機体はそれほど関係ないだろうが、Bクラス以上は性能のいい機体のほうが有利だろう。まあ、F4ならなんとかならんこともないだろうが、もっと楽に戦える機体があるだろ。

せめてF4EJとか。思い入れでもあるわけ?」

「負けたやつからすれば、自分よりスペックの低い機体に負けたほうが悔しいだろ」

 おれは苦笑する。

「やなやつだね、やっぱりおまえは」

「あんただって、F14使ってるじゃない。F14も最新鋭では無いでしょう」

「いいんだよ、F14はいざとなればロボットに変形するから」

 ナミが吹き出した。MAYAはきょとんとした顔になる。

「何の話?」

「いいから次の質問いけよ」

 ナミが笑いながら口出しする。

「この人F16が嫌いなのよ。F16に乗ってておっこちたから」

「それは、悪かったな」

「いちいち謝るなよ、MAYA。ナミ、おまえも余計な口出しすんなよ」

「じゃ、質問するよ。生きていてさ、楽しいと思う?」

「なんだそりゃ、楽しいよ」

「飛行機に乗れなくても?」

「関係ないってそんなの。おまえは楽しくないのか?MAYA」

「ああ」

 MAYAは当たり前のように言った。

「楽しいことなんて何もないね」

「おまえくらいの年頃っていえば普通こう、学校の友達といっしょに遊んだり語り合ったり恋愛したりいろいろあるだろうが」

 MAYAは喉の奥で笑った。

「こないだのチャットみただろう」

「ああ」

「学校もあんな感じだよ、私にとって」

「困ったやつだな、おまえ」

「そうだな」

 MAYAは不思議な笑みを見せる。

「困っている」

「だったらさ、なんとかすんだよ、そんなの」

「ただな」

 MAYAは少しはにかんだような笑顔で言った。

「シデン、おまえと戦っている時だけは少し生きてるって感じがするんだ」

「おまえな、おまえ。そのシデンというのを面と向かって言うのやめてくれるか。頼むから。オフの時は恭平なんだよ、おれは」

 MAYAはくすくす笑う。

「おまえって結構面白いね。恭平」

「いや、おれはおまえのほうが面白いとおもうぞ。時間はまだいいのか。両親が心配するとか?」

「うちの親は、離婚の裁判中だから子供のことには無関心なんだ」

「やれやれだな。ま、いい。じゃこれから遊びにいこうぜ」

「どこへ?」

「ついてくりゃ判るよ」


 おれたちは、ナミのアルファロメオに乗って高速を抜け、郊外にある某電気メーカの研究所に着いた。ナミは仕事の続きがあるといって、さっさと帰ってゆく。

 おれたちはだだっぴろい敷地に建つシンプルなデザインの4階建ての研究所へ向かって歩いてゆく。MAYAがぽつりと言った。

「忙しい人だな、ナミさんは」

「まあな。健康の為に1日3時間は寝ることにしてるといってたけどな。何しろあの歳で内閣調査室の室長だからなあ」

 研究所の回りはちょっとした公園のように木々が植えられている。回りに遮るものが無いせいか夜空がやたらと広く感じられた。

「相当なエリートなわけだな、ナミさんは」

「なにせ、SASに2年間実習にいってトップクラスの成績だったそうだし、実戦でもベテラン以上の成果をあげたというから天才というより怪物だよ、やつは」

 おれたちは、おれの持っているパスカードを使って研究所の中に入る。宿直の警備員は制服姿のMAYAを見て少し困った顔をしたが、おれのつれということで無理矢理入り込む。

 おれたちは4階に昇ると暗証番号キーつきの頑丈そうな鉄の扉を開き、マシン室へと入ってゆく。深夜ではあるが、思ったとおり数人のエンジニアが作業している。ひげ面でやせ細った男がおれに気がつき手を振った。

 ここのチーフエンジニアの甲賀明彦だ。おれの隣の女子高生姿のMAYAを見てちょっと困った顔になる。

「なんだ、困るな。あからさまに部外者つれこんでもらったら」

「いいじゃねえか。堅いこというなよ。明日疑似本番テストやるんだろ」

「ああ。今日も眠れそうにないな」

「ちょっと遊ばせろよ、こいつといっしょに」

「こいつって誰?」

「ファントムMAYAだ」

 甲賀はほーうとため息をつく。

「彼女がMAYAだって?おまえが0勝十敗のか」

「十一敗だ」

 MAYAがそっけなく訂正する。思わずおれが顔を顰めるのを見て、甲賀はくつくつと笑った。

「面白そうだな」

「だろ」

「よろしく、MAYAさん。おれは甲賀明彦。鷹見の幼なじみでね」

 MAYAは軽く会釈を返す。甲賀が先に立って歩き出した。MAYAがおれに尋ねる。

「何があるんだよ」

「行けば判るさ」

 コンピュータの収容されたラックとコンソールがいくつも並ぶマシン室を抜け、奥のドアを開く。スパードッグファイトとよく似たコックピット風のブースが三つ並んでいる。

 その奥はガラス張りになっており、吹き抜けから階下が見下ろせるようになっていた。おれはその吹き抜けをのぞき込み、MAYAを呼んだ。下を見たMAYAは息を飲む。

 そこに並んでいるのはF4EJ、F16、FX-2の三機の戦闘機である。

「どういうこと」

 MAYAの問いに甲賀が満面に笑みを浮かべ、解説する。

「おれたちの造っているのはジェット戦闘機の遠隔制御システムだ。ここに有るのはそ

の試験マシンだよ」

「おい、はやくやろうぜ」

 おれはF16のブースに入り込んで、MAYAを誘う。

「やるって」

「きまってるじゃないか。こいつを使って対戦するんだよ。スーパードックファイトなんざ比べ物にならないリアルな対戦ができるぜ」

 MAYAは問いかけるように甲賀を見る。甲賀は頷いた。

「鷹見にはアドバイザーとしてこの試験マシンを自由に使ってもらっている。君の意見も聞くことができればいいな」

 MAYAはF4EJのブースへ向かう。

「F16は嫌いじゃなかったのか」

 MAYAの言葉におれは肩を竦める。

「どうせおまえは、F4にしか乗らないんだろ」

「まあ、何に乗ったところで恭平がこてんぱに負けるのは同じだけどね」

「おまえさあ」

 おれはブース内のコックピットに座りながら、ため息をつく。

「ホイス・グレイシーだっておまえよりは謙虚だったぜ」

「誰それ?」

「誰でもいい。とにかく始めるぞ」

「ディスプレイが無いんだが」

「そのゴーグル型ディスプレイのついたヘッドギアを付けるんだ。ヘッドギアの動きに応じてカメラが動くシステムになっている」

 甲賀がMAYAの脇から説明を始める。だいたいはスーパードッグファイトと同じであるが、操作の精度や緻密さはスーパードッグファイトとは比べ物にならない。何しろむこうはゲームでこっちは本物を動かすためのシステムだからだ。

 おれは、システムの起動をかけていく。ディスプレイに映像が映し出される。実際の自衛隊の基地をモデルにした映像だ。映像もまた、ゲームとちがってリアルなものだ。

システムが作動するマシンの能力が桁外れに違う。臨場感はこちらが遙かに上だ。

「いくぞ」

 隣にいるMAYAに声をかけおれは離陸する。MAYAも続いて飛び立った。高度を充分にとる。こいつを使っての対戦で負ける気はしなかった。

「始めるぞ」

 おれはMAYAに声をかけると、F16を旋回させる。その時いきなりワーニング表示が現れた。おれの後ろに機体がある。MAYAのF4EJとは別の機体、FX-2だった。

「馬鹿な」

 FX-2のブースには誰もいなかった。おれが反応する間もなく、おれのF16が撃墜された。ディスプレイの片隅にメッセージ表示が現れる。おれはそれを読みとった。

『やあ、シデン。私はゼロだ。久しぶりだね。ちょっと遊ばせてもらうよ』

 おれはヘッドギアを外すと呟く。

「馬鹿な!ゼロだって?」

 おれはブースから飛び出すと、コンソールを操作している甲賀のそばにいく。

「いったいどういうことだ。おまえがしかけたイタズラか?」

「システムのセキュリティが破られた。ありえないことだが。いま侵入者の端末を特定しようとしているんだが」

 おれは、壁につけられたスクリーンに投影されている映像を見る。MAYAの見ているはずの映像と、FX-2のパイロットが見ているはずの映像が並んで投影されていた。

「やつは、ゼロといった」

「ゼロ?」

 甲賀が聞き返す。

「なんだそいつは」

「スーパードッグファイトで、おれたちのようにノーランカーだがランカーに対して負け無しのやつがもう一人だけいる。そいつがゼロを名乗っていた」

「強いのか?」

「おれとやって一勝一敗。しかし、やつが負けた対戦は、どっちかというとこっちの腕を確認するのが目的だったようだから、あまり参考にはならないだろうな」

「それにしてもいい腕だな」

「ゼロのやつか?」

「いや、ファントムMAYAだよ。始めて操作しているとはとても思えん。天才としかいいようがないな」

 二人の映像は目まぐるしく変わってゆく。凄まじい高速で旋回しながら有利なポジションを確保しようとしているようだ。確かにゼロのほうが押されているように見える。

 ゼロはおれたちと違い、伝説の存在だった。おれはランキングには入ってないが、自分のサイトで素性を明らかにしている。MAYAについてもネット上に書き込みを行っていた。しかし、ゼロは対戦したものの噂だけしか、その存在を示すものは無い。おれも自分が対戦してなければ、その存在を信じてはいなかったろう。

 ゼロのFX-2はとうとう追いつめられ撃墜された。甲賀はコンソールを操作しながらののしる。

「ちくしょう、アクセスログから起動ログ、通信記録まで全部消去していきやがった。なんてやつだ」

「なにがあっんだよ」

 MAYAが不思議そうな顔をしておれたちのそばにくる。おれたちは余程うちのめされたような顔をしていたんだろう。

「とりあえず、ナミに連絡をとろう。こいつはやつの仕事だ」

 おれの言葉に甲賀が力無く頷く。

 おれはふと思ったことをMAYAに聞く。

「おまえゼロとスーパードッグファイトやったことあるのか?」

「ゼロ?噂はネットで見かけたけど、実際やったことは無い。まさかさっきのFX-2がゼロだっていうんじゃないでしょうね?」

「その通りさ」

 おれは携帯電話を取り出しながら、MAYAに応える。

「あのFX-2はゼロだよ。少なくともそう名乗った」

 どうやらゼロは一回目は負けるらしい。二度目に勝つ自信があるということだろう。


「すっげえー、こんなの造ってるんだ。なんだがきっもーい。男の人って判んないわー。つーか、すっげーぶっきみー」

 おれとナミは、甲賀の家にいた。甲賀の部屋は、戦闘機やら複葉機、プロペラ機のプラモデルで埋め尽くされている。本棚はコンピュータの専門書に並んで戦闘機のマニュアルや写真集が置かれていた。

 ナミは甲賀を目の前にしてプラモデルを馬鹿にしてけらけら笑う。甲賀は大人だから苦笑しているだけだが、おれはさすがに腹がたってきた。

「なんだよ、ナミそのいいかたは。だいたいおまえデリカシーがなさすぎるぜ。そんなことだから二十七になるまで処女だったんだよ」

 ナミの身体が一回転し、左足のかかとがおれの顎めがけて飛んでくる。おれは上半身をかがめてかろうじて避けた。

「プロレスの神様カールゴッチが唯一認めた打撃技がローリングソバットだって知ってる?」

「知らねぇよ。だいたい後ろ回し蹴りはソバットじゃない。しかも、そんなことやったらおまえ、パンツみえてんじゃん」

「見せてやってんだよ、この飛行機フェチの変態野郎ども」

「いいかげんにしてくれ。本題に入りたいんだが」

 さすがにうんざりしたような声で甲賀が言ったとき、おれたちは素直に頷いた。

 おれたちは甲賀の部屋のパソコンの前に腰を降ろす。ナミが持ってきたFDを差し込んで、調査結果を説明しだす。

「戦闘機遠隔操作システム通称『GARDA』、そのシステムの開発に携わったものは約1000人。そのうち既にシステム開発からはずれたものは400人。そのうち素行不良等の理由によって強制的にはずされた者は12人」

「12人もいたのか」

 甲賀がリストを見ながらうなり声をあげる。

「下請けのさらに下請けのアルバイトの人間まで含んでいるから、あなたが知らないのも無理は無いわ。この12人から調査を始めたけど、あたりが一人いたの」

「あたりだって?」

 おれの言葉にナミはにんまりとして応える。

「プルシャ・スークタっていう宗教団体知ってるよね」

 おれは唸った。

「一応インド古代宗教の団体だが、例のロシアンマフィアとの関係をとりざたされているところか」

「そう。そこから出資されているソフトウェアハウスの人間が一人いた。しかも、かなり優秀なエンジニアがそこから参加してる」

「やばそうだな」

 ナミは頷く。

「ロシアンマフィア経由で旧ソビエトの諜報関連テロリストがけっこう日本に入り込んでいるわ。その受入先のひとつとして、プルシャ・スークタは機能している」

「じゃあゼロも」

「ソビエト空軍の元パイロットがプルシャ・スークタの持つ密入国ルートで潜入しているわ。今その消息を探ってるとこだけど、ゼロはまずまちがいなくそいつよ」

 ソビエト空軍のパイロットだったとは。おれは唸った。

「プルシャ・スークタは武器や麻薬の密輸入といたったなりふり構わない方法で利益を叩き出している。そのせいで暴力団とのいさかいもあったけど、元ソビエトのテロリストたちが圧倒的な戦闘力にものをいわせて黙らせている。今、公安がマークしているけど、多分もうすぐ最終的な動きがあるわ」

「最終的だって?」

「プルシャ・スークタの強制捜索ね。そのためにプルシャ・スークタ側も最後の勝負にうってでようとしている。ミーシャウィルスって知ってる?」

「確か、旧ソビエトで開発された細菌兵器のレトロウィルスでインフルエンザなみの感染力とエボラウィルスなみの殺傷力を持つとか」

「そう。風邪のように空気感染しながら人間の肉体をぼろぼろに腐敗させ破壊するという凄まじいウィルス。ソビエト崩壊のどさくさで失われたはずだけど、それが日本にもちこまれたという噂がある」

「まさかGARDAシステムを使って戦闘機を盗み出してそいつにミーシャウィルスを積んで都市に対してテロルを行うという気か?そりゃあ無理だろう」

「なぜ?」

「戦闘機をまず盗まないといけない。自衛隊の基地を襲う?米軍基地を襲う?そんな無茶な」

「基地を襲う必要は全くないわ」

「なんでだよ」

「ナミさんの言うとおりだ」

 甲賀が口を挟む。

「GARDAシステムはもうすぐ自衛隊の全機に標準装備される。システムさえ乗っ取れば、戦闘機を手に入れるのは簡単だ」

「馬鹿な、セキュリティを一度破られているんだぜ。それでも標準装備かよ」

「セキュリティシステムは全面入れ替えを行って強化している。GARDAシステムには既に900億以上の予算が投入されている。今更止められない」

「セキュリティの全面入れ替えでゼロの侵入を防げると思う?」

 ナミの言葉に甲賀は首を振る。

「判らない。理論的には不可能だが、それはこの前も同じだ。多分今いるスタッフの中にプルシャ・スークタの人間がいるのだろう。そいつを見つけるのは不可能だ」

「なぜ」

「時間が足りない。GARDAシステムは来週から実戦配備だ」

「でも私はスタッフに内通者がいるとは思わないわ」

「なぜだ」

「今の時点で内通者を残すというのはリスクが高いもの」

「おれも同感だな」

 おれはナミと甲賀の会話に口を挟む。

「ゼロはおれとMAYAとの対戦に乱入した。部外者を使っての試験が公式記録に残らないと踏んでの行為だろうが、そうすることによってセキュリティが強化されるのはやつらの計算のうちだろう。つまりやつらはセキュリティが強化されるのを認めた上でGARDAシステムにアクセスしなければならない理由があったということと、たとえセキュリティが強化されても計画に支障をきたさない確信があったということだろう。つまり、おれの推測ではシステムの根幹部、オペレーティングシステムに関わるところで何らかの外部アクセス手段を確保している。この間のゼロの乱入はそのテストだったということだ」

「OSっていってもUNIXでしょ」

 ナミの言葉に甲賀は首を振る。

「特注品だよ、GARDAのOSは」

「ゼロの侵入を防ぐには、システムの全面入れ替えが確実な手段だよ」

 おれの言葉に甲賀が目を剥いた。

「そんなことをするのに何億かかると思う?状況証拠だけでは誰も動かせない。OSの改竄箇所の特定なんざ到底無理だ、おまえの話のうらをとるのは凄く難しいぞ鷹見」

 おれは頷く。ナミが立ち上がった。

「なんだよ、急に」

「とりあえず、ゼロの侵入は防げないという事が判ったら充分よ。これから家に戻っていくつかケースを想定してシミュレーションするわ。対策を含めてね」

「今、夜中の1時だぜ。おまえさあ、たまには睡眠とってんの?」

 ナミはウィンクをおれに投げる。

「女はねぇ、男の十倍くらいはタフなのよ」


 その日は酷い雨だった。ずぶぬれになったMAYAが走ってくる。おれはランドローバーディスカバリーの助手席のドアを開けた。MAYAが入ってくる。

「これがおまえの車なの、しぶいじゃない」

 おれはMAYAにタオルを渡すと無言のまま、車を発進させる。

「それにしても学校まできて呼び出すなんて、驚いたよ。一体何があったのか説明してくれるんでしょう?」

「人類を救うため戦ってほしい、といったらどうする?」

 MAYAは苦笑した。

「本気なわけ?」

「80%くらいは」

 MAYAはため息をつく。

「この間のゼロの件が関係しているの?」

「まあそうだ」

 雨の中、おれは車を高速に乗せると、全速でとばす。

「ゼロは宗教団体プルシャ・スークタに関係している。プルシャ・スークタはこの間おまえとゼロが対戦したあのシステム、通称GARDAシステムを使ってF16を一機手中に納めた。経緯をいえば太平洋上で行方不明になったF16が、一機あったことを知ってるだろう」

 MAYAは、冷笑を浮かべているようだ。

「ニュースで見たよ」

「それだ。まだメディアには、正確な情報は流されていない。プルシャ・スークタはタンカーを改造した疑似航空母艦を持っている。船籍はロシア。現在は太平洋の領域外を航行中。F16はそこにあった。今朝までね」

「今朝まで?」

「1時間ほど前プルシャ・スークタと思われる組織から日本政府へ声明があった。ミー

シャウィルスを積んだF16が太平洋上日本に向かっていると」

「ミーシャウィルス?」

「インフルエンザ並の感染力を持つエボラウィルスだと思ってくれればいい。1000万ドルをプルシャ・スークタは要求している。米ドルだよもちろん」

 MAYAは苦笑した。

「そのF16を自衛隊が撃ち落とせばいいのでしょう。簡単じゃない。私の行く理由が判らないな」

「自衛隊機が接近してくれば、手近な島へウィルスを積んだミサイルを打ち込むといっている。その島民は全身が腐敗して死ぬことになる」

「じゃ私が行ってもおなじだな。1000万ドル支払うことだね」

「おそらくゼロがそのF16をコントロールしているはずだ。ナミがゼロを押さえるために公安と機動隊を動かしているが、時間が足りない。というかリスクが高い。やつがソビエト空軍を除籍された理由は、精神分裂病と診断されたためだ。ソビエトの精神科医の診断が持つ信憑性に疑いはあるが、やつはまともじゃない。プルシャ・スークタにコントロールされているとは信じられない」

 MAYAは肩を竦める。

「いっとくけど私は一介の女子高生だよ」

「もちろん」

 雨の中、おれのディスカバリィは凄まじい速度で走っている。パトカーの先導を頼むべきだったかなと少し後悔していた。

「いやならいい。今なら戻れる。引き受ける理由は何もないはずだ。時間が少ない。決断するなら早くしてくれ」

「行くよ」

 MAYAは穏やかな笑みを見せた。

「私は生まれてからこのかた、誰からも必要とされていないと思っていたよ」

「馬鹿いえ」

 おれはMAYAに笑いかける。

「これはリベンジのチャンスだよ。おまえが、世界に対する」

 MAYAは不思議そうにおれを見る。

「行くなら勝て。そして世界を自分の足下に跪かせろ」

「当然だね」

 MAYAは初めて楽しそうな笑みを浮かべた。


 おれたちは、公安関係者らしき男にその部屋へ案内された。そこは元々デバッグ室だったのを会議室として使っているらしい。プロジェクターにはテレビカメラを通じて会議に参加しているらしい人影が見える。中には総理大臣らしい人も見えた。

 会議卓に座っているのは背広姿のおっさんたちに、制服姿の自衛隊関係者、それに作業着姿の技術者たちである。ナミは一人立っていた。ビジネススーツ姿のナミは日頃会う時のような派手さは無いが、強烈なオーラを放っているためシャネルのスーツ姿よりも遙かに存在感がある。

 ナミはおれたちをみると、手をあげて言った。

「彼女が今着きました。御子柴摩耶、通称ファントムMAYAです」

 会議室がどよめく。MAYAは例によって、孤独を纏った毅然さを全身から放っている。おそらくお偉い官僚の方々にはあまりうけがよくないだろう視線で、彼らを見ていた。

「ゼロは本当に乗ってくるのかね?」

 ナミは強い光を放つ眼孔で、発言したおっさんを睨む。

「もちろんです。何度も説明したようにゼロはマインドコンンロールを受けていない、自由意志で参加している傭兵のような立場です。しかし、彼は傭兵のようなモチベーションを持っていない。彼にとっては全てがただのゲームに過ぎません。だからより危険だといえますが。その彼がMAYAには一度対戦で破れています。MAYAとの戦いは、彼としては望むところのはずです」

 おっさんは黙ってしまった。おれはやれやれと思う。ナミのシミュレーションではゼロの乗ってくる確率は五分五分としていたはず。ああ言いきったら、しくじった時難しくなるだろうにと思う。

 別の恰幅がいいおっさんがくちを開く。

「やろうじゃないか。議論している時間は無い。失敗しても失うものは無い」

 すると別のおっさんが異を唱える。

「ここの最終決定権はあなたにある訳じゃない。総理の判断も必要だろう」

「だから今という状況を理解しているのかと言ってる」

 目の回りに隈を作った甲賀がおれたちに近寄ってきて囁いた。

「このおっさんらの議論につきあうことは無い。外で待ってろ。結論が出たら知らせる」

 おれはうんざりした顔の甲賀に囁く。

「大丈夫か?」

「おっさんたちの議論を聞いてるのは拷問に近い。でも少しなれたよ」

「お気の毒様」


 おれたちが部屋の外で待つこと五分。ナミの咆吼が外まで聞こえた。会議は終わりを告げたようだ。ナミが一人で出てきた。多少疲れた顔をしている。

「ったく何決めるにも、うだうだうだうだ。ゲーハのインポ野郎ども」

「やるんだろ」

 おれの問いにナミが頷く。

「当たりまえだのクラッカーよ。MAYAさん、こっちへ」

 甲賀と数人の技術者も会議室からでてきて、一緒に移動する。例のテストルームに入ると、F4EJのブースに座ったMAYAに甲賀がブリーフィングを始めた。

「恭平、ぼっとしてないで。あなたにも仕事があるのよ」

「なんだよ」

 ナミの呼びかけに応じてコンソールの前に座る。

「このコンソールを通じて、ゼロの操作している端末にメッセージが送れるの」

「何をさせる気だ」

「決まってるじゃない」

 ナミはにんまりとサディスティックに笑う。

「ゼロとの交渉役はあなたに任すわ」

「冗談」

「いいこと、この間ゼロはあなたにだけメッセージをよこした。同じ元パイロットとして彼はなんらかのシンパシィをあなたに持ってるのよ」

「頭のいかれたテロリストにシンパシィ持たれてもなあ」

「つべこべ言わないでやるの」

 おれは端末に向かってメッセージを打ち出す。

『ようゼロ。元気にやってるかい』

 ナミは苦笑する。

「あなたねぇ、もう少し考えたら?」

「時間が無いんだろ、おれに任せるんじゃなかったのかい?」

 ゼロからメッセージが返った。

『待ちかねたよ、シデン。で、君が相手をしてくれるのか?』

『いや、おまえの一番望む相手さ。ファントムMAYAだ』

 ゼロは暫く沈黙する。メッセージが再び届く。

『最高だよ。条件はただひとつ。一対一だ。一対一でMAYAとやらせろ。MAYA以外の機体が見つかりしだい、ウィルスを発射する。いいな?』

『OK』

 交渉の終了を見て、ナミは深々とため息をついた。

「恭平、あんた人生なめすぎよ」

「いいじゃねぇか、それで生きてこれたんだし」

 その時部屋へ入り込んできたおっさんたちに、ナミが言った。

「ゼロはこちらの申し出に、一対一だけを条件に応じました。MAYAの機体はブリーフィングが完了すると同時に出発します」

 おっさんたちのどよめき。後はばらばらの私語。

 甲賀がおれたちのそばに来た。

「でるよ、MAYAが」

 おれたちは、ヘッドギアをつけようとしているMAYAのそばにいく。ナミ囁きかけた。

「MAYAさん、5分。5分だけゼロの意識を戦闘に集中させて。その間に機動隊が展開して突入をかけるから」

「OK、5分だね」

 おれはMAYAの肩を叩く。

「勝てよ、MAYA」

「当たり前だ。ゼロなんか相手に負けるはずがないじゃない」

 おれは、MAYAの言葉に安心し、その場を離れる。プロジェクターにMAYAのF4EJが空母から離陸する様が映し出された。ゼロとの接触まで10分ほどのはずだ。

「どう思う、恭平?」

 ナミの顔は、こちらが思わずぞっとするほど不安に満ちたものだった。むろんおっさんたちから見えない角度に顔を向けているが。

「判らんね。本当に飛行している戦闘機に接続した戦闘は初めてだからな。シミュレータとの差は色々でるだろうさ」

「だから私の聞きたいのは」

「いや、判るよ。5分ならなんとかもたせてくれるよ。天才だからなMAYAは」

 ナミは頷く。しかし、顔から不安は消え去らない。

 しばらく沈黙が続く。おっさんたちも黙ったままだ。コンソールを見つめていた甲賀が呟く。

「ゼロと接触した。始まるぞ」

 MAYAの見ている映像は、プロジェクターでスクリーンに投影されている。その映像が大きく歪み目まぐるしく回転した。見入っていると吐き気を催しそうなほど激しい動きだ。

「やばいな、頭を押さえられた」

 甲賀が呟く。別のスクリーンには、ゼロの見ているであろう映像も写されている。そこには確かにF4EJの姿があった。最初のポジションどりを制したのはゼロのF16らしい。

 機動隊への展開の指示を終えたナミが、呟く。

「やっぱりMAYAにも、F16を使わせるべきだったんじゃないの?」

「ばかいえ」

 おれはナミの肩を叩く。

「信じてやれよ、ここまで来たんだから」

 ナミは頷く。腹が決まったのか、嘘のように不安の色が表情から消えている。

「しかし、やばいな」

 甲賀が呟く。スクリーンを見る限りでは、有利なポジションをとったゼロはMAYAを弄んでいるようにさえ思える。

「逃げるのが精一杯な感じだ。5分もつか?」

「いや、勝つよMAYAは」

 おれの言葉に含まれた確信に、思わずナミがおれの顔をのぞき込む。

「今、MAYAは感触を確かめているだけだ。思ったほど操作にぎこちなさは無い。勝てるさ」

「本気なの、恭平」

 おれは微笑みかける。

「気がついていることが、一つある」

「なあに?」

「MAYAが勝ったら、言ってやるよ」

 ナミは苦笑する。

「こんな時に後出しじゃんけんのしかえし?」

「つーかね、ほらもう5分だろ」

 ナミは機動隊に連絡し、突入を指示する。

 その瞬間、MAYAの機体の映像が、きりもみ状態に陥ったように激しくゆれながら回転する。誰もがMAYAが撃墜されたものと信じた。次の瞬間、嘘のようにMAYAの機体の映像が安定し、そこにゼロのF16が映し出される。そして、F16が火を吹いた。

 ナミは機動隊との電話を終える。

「ゼロは確保したわよ」

「生きてるのか?」

 ナミは肩を竦める。

「無抵抗でげらげら笑ってたみたい。負けたのがショックだったんでしょうね」

 ナミはおっさんたちに状況を手短に説明する。安堵のため息の合唱がおこる。

「で、気がついたことというのは?」

 事後処理の指示で忙しいナミのかわりに、甲賀が聞いてくる。

「簡単な話さ。おれたち、つまりゼロとおれは実際に戦闘機に乗っていた経験がある。遠隔操作システムの場合、身体にかかるGを無視した操作ができる。つまり実際戦闘機に乗って操縦していると、Gによって意識を失うような操作も遠隔操作なら可能だ。しかし、おれたちのように実際に戦闘機に乗っていたものは頭では無く、身体がGを覚えている。そういう操作にはコンマ数秒のレベルで、躊躇いが生じる。MAYAにはそういう躊躇いが一切無い。その強みがあるということだ」

 ナミの元にF16の機体が確保され、ウィルスの搭載されたミサイルが無事回収できたとの連絡が入る。ようやく場の緊張が薄れた。

 それと同時に、MAYAのF4EJが空母に着艦する映像が映し出される。MAYAの帰還が完了した。

 その場の全員が注目する中、MAYAがゆっくりブースから出てくる。全員の視線に気がついたMAYAは、その場に立ちすくむ。

 誰ともなく、拍手が始まった。気がつくと、その場にいた全員が拍手をしている。皆無言のままで、ただ拍手の音だけがテストルームを満たした。

 MAYAは今まで見せたことの無い表情で頬を紅らめ、おれの前へくる。拍手が鳴り止んだ時、MAYAの頬には涙が光っていた。おれはMAYAに微笑みかける。

「よっ、お疲れ」

「私は」

 MAYAは言葉を詰まらせながらやっとのように、一言呟く。

「私は勝ったよ、恭平」

「よかったじゃねぇか。んじゃ、これが片づいたらもう一戦しようぜ、おれと」

 MAYAは微笑む。

「こりないな、恭平。そんなに私にやられたいの?」

 おれは苦笑する。

「次はおれの勝つばんだ。つーか、勝たせろ、な?」

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1対1 憑木影 @tukikage2007

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