35:それじゃあまた、ネットでね。
青葉くんと芹那をからかったりして、しばらく談笑した後。
「そういえばうちのグランドピアノ見たいって言ってたよね、見る?」
青葉くんが芹那に尋ね、芹那が「見たい」と答えたため、私たちは隣の部屋へと移動した。
黒いカバーがかけられたグランドピアノが部屋の中央に鎮座していた。
左側の壁には額縁に入った賞状が飾られ、右側には様々な楽譜が美しく整頓されて収められた棚があった。
棚の上部にはガラスの扉がついていて、ピアノコンクールで撮ったものらしき幼い頃の青葉くんの写真が並んでいる。
「あら」
部屋に入った瞬間、芹那の興味はグランドピアノよりも青葉くんの写真に移った。
彼女は棚の前に立ち、背後で手を組み、しげしげと写真を眺めた。
「そっちは気にしなくていいから」
幼い頃の写真を見られるのは恥ずかしいらしく、青葉くんは芹那の肩を掴み、身体の向きを反転させた。
「もっとじっくり見たいのに……」
芹那は背後の写真を気にしている。
恋する乙女としては当然の心理だろう。
私だって、もし幼少時の恵の写真を見せられたら興奮せずにいられないもの。
今度、アルバム見せてって聞いてみよう。
「凄いね、家にグランドピアノがあるなんて。アップライトピアノを持ってる子は知ってるけど、グランドピアノを持ってる人は初めて見た」
「そう? 小学生のとき、習ってる友達がいてね。僕も習いたいって言ったら、父さんが買ってくれたんだ」
青葉くんはカバーを適当に畳んで箱の上に置き、グランドピアノの屋根を上げて棒をセットした。
「……ひょっとして青葉くんの家ってお金持ち?」
「そんなことないよ。おじいちゃんが田舎にいくつか土地を持ってるだけだよ」
青葉くんは手を振ったけれど、十分お金持ちのような気がする。
「何かリクエストある?」
準備を終えて、青葉くんが棚の前に立った。
「皆が知ってる曲……そうね、ショパンのノクターンはどうかしら?」
並んだ楽譜の背表紙を眺め、芹那が提案した。
ノクターン。どんな曲だっけ。
聞いたらわかると思うんだけど。
「ああ。誰もが一度はどこかで聞いたことがあるだろうね」
青葉くんは迷うことなく棚から目当ての楽譜を引き抜き、譜面台の上に置いた。
椅子を引いて座り、その指が鍵盤に触れる。
「じゃあこの曲は芹那に捧げるよ」
青葉くんの指が鍵盤を滑るように動き、心に染み入るような、優しい曲が流れ始めた。
情感を込めてピアノを弾く姿のなんと優美で、格好良いことか。
芹那はうっとりとした眼差しで青葉くんを見ていた。
熱に浮かされたように、その目が潤んでいる。
芹那が青葉くんに惚れ直し、私が感心する一方で、風間くんはあくびをしていた。
彼は芸術を解さないらしい。
多分、クラシックを聞いたら熟睡するタイプだ。
恵はいえば、意外と真剣な様子で聞き入っている。
「……ピアノ好きなの?」
演奏の邪魔にならないよう、私は小声で尋ねた。
「特に好んで聞くほどでもないけど。綾人の演奏は好きだな。聞いてて心地良い」
「前にも演奏してもらったことがあるの?」
「ああ。家に遊びに来たときに演奏してもらった。中学の合唱コンクールでも伴奏してたしな」
「へえ」
私もその場で聞きたかったな。
やがて演奏が終わると、私たちは拍手した。
「素敵な演奏だったわ。本当に素晴らしかった!」
芹那は頰を上気させ、誰よりも盛大な拍手を送った。
「ふふ。それはどうも。じゃあこの曲は恵と山科さんに捧げようか」
再び青葉くんの長い指が鍵盤を踊り出す。
聞き覚えのあるメロディーに、私は目を見開いた。
エターナルフォレストⅢのフィールド曲だ!!
恵を見ると、彼は何故か得意げだ。
「恵が布教したの?」
「そう。綾人がピアノ弾けて、家にピアノがあるっていうから、楽譜とCD持って押しかけたんだ」
「そうそう」
青葉くんが演奏を止めて、恵に目を向けた。
「僕がピアノを弾けると知った翌日、『これ弾いて!』って楽譜を渡されたんだよ。わざわざ買って来るんだから、断れないよね」
「学校の昼休憩中にも音楽室借りて弾いてもらったよな。そしたらゲーム好きの生徒が集まって、ちょっとした騒ぎになった」
「ああ、あれなー。急遽演奏会することになったんだよな。しかも好評で三回も。そういや、最後の演奏会のときは芹那ちゃんもいたよな?」
風間くんが芹那を見た。
「ええ。何の曲かは知らなかったけど、青葉くんが演奏すると聞いて、聞きに行ったの」
芹那は懐かしむような顔をしている。
私だけ蚊帳の外だ。
「いいなあ、共通の思い出があって。私も青葉くんの演奏、聞きたかった。同じ中学に通いたかったな」
この台詞は前にも言ったけど、言わずにいられない。
「そしたら芹那を独りにしなかったし、恵の元カノにもビンタできたのに」
「わー、萌ちゃん意外と言うね」
「言うよ。恵を傷つけた元カノは許せないよ。当たり前でしょ」
「ふふ。赤石くん、こんなに愛されて幸せね」
「……まあ」
照れたらしく、恵が鼻の頭を掻いた。
それから、私の手を握ってくる。
私は驚いたけれど、すぐにその手を握り返した。
「時間を戻すことはできないけど、山科さんの好きな曲を弾くことはできるよ」
青葉くんは穏やかな声で言い、棚から五冊の楽譜を引き抜いた。
「何の曲がいい? エターナルフォレストシリーズは恵にほぼ全曲弾かされたからね、大抵のリクエストには応じられるよ」
青葉くんが一冊の楽譜をぱらぱらとめくった。
青葉くんがめくっているのはエターナルフォレストⅢの全曲集だ。
表紙のイラストでわかる。
「エターナルフォレストⅢなら――」
「「アリスの歌がいい」」
私と恵の声が重なり、私はびっくりして恵を見た。
「シャンテのチャットで言ってたじゃん」
恵は笑いながら言った。
「エターナルフォレストⅢならアリスの歌が一番好きだって。名前も不思議の国のアリスじゃなくて、エターナルフォレストⅢのアリスから取ったんだろ? あのとき、この子センスいいなって思ったんだよね。おれもアリスの歌が一番好きだから」
「……そうなんだ」
何気ない言葉を覚えていてくれたのが嬉しくて、胸が熱くなった。
「さすがカップル。気が合うんだね」
さっきのお返しとばかりに、青葉くんが笑う。
私が何も言えないでいるうちに、青葉くんは楽譜を譜面台に置いて、演奏を始めた。
「……いい曲ね。なんだか温かくて、優しい気持ちになれる曲だわ」
しばらく無言で耳を傾けていた芹那が頰を緩めた。
「でしょ?」
私は腰に手を当て、胸を張った。
「これは遠く離れた恋人を想ってアリスが歌う歌なの」
「あら。アリスはハッピーエンドなの?」
芹那に聞かれて、私は恵を見た。
私はシャンテでアリスという名前を借りているだけだけど、なんとなく恵を見ずにはいられなかったのだ。
恵もこちらを見ていた。
必然、目が合う。
すると、恵が微笑んだ。繋いだ手に力を込めて。
「うん、ハッピーエンドだよ」
私も微笑み返してそう言った。
エターナルフォレストⅢのアリスも、最後には恋人と再会して幸せになるのだ。
夕方になり、解散という流れになって、私は青葉くんの家の玄関先で尋ねた。
「みんな、今日は何時にログインする?」
中間テストも終わったし、今日は久しぶりに皆でシャンテで遊ぼうという話になっている。
「おれはいつでも」
「九時くらい?」
「私も九時かしら」
「んじゃ俺も九時で」
「そっか」
私は皆の顔を見回して、にっこり笑った。
「じゃあ、九時にいつもの中央広場で待ち合わせね!」
《END.》
放課後はネットで待ち合わせ 星名柚花 @yuzuriha
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