<五日目> Evolutionary success

 ――名作小説ジュラシック・パークを読んだことがあるかい。世界中に恐竜が闊歩したって、人間が食い尽くされたって、どうもしない! みたいな台詞があってね。


 世界の終わりと地球滅亡を同意義に捉えている者は滑稽である。

 人間がいなくとも、地球は回り続ける。我々を特別だと吹聴する宗教団体も居るようだけど、そんなことはない。

 人間が絶滅したら困る生物も多く存在するだろう。けれども地球という生物圏は存在し続ける。隕石がぶつかって来ようが太陽が消えようが、微生物は永劫に存在し続ける。それすら叶わなかったら、真の地球滅亡だろう。


 ――人間の世界が終わるとしても、私は大して怖くもなんともないよ。





 窮屈な場所で目を覚ました。鼻から一筋の赤が伝うのを指の腹で拭う。

 あの不快な煙は私を炙り出すのが目的だったろうが、奴らのスケジュールに合わせる気は毛頭ない。

 通風管が面倒なことになって、さぞやこの施設に勤める研究員は迷惑をしているだろう。

 私は動き出した。あるオフィスの真上に止まり、時計を見つける。朝の三時半だからか、室内の人影は居眠りのようにだらしない姿勢で椅子に座っている。

 好機だ。換気口のカバーを殴り破って、跳び下りた。

 人影が物音に起こされて慌てている。私は片方に歩み寄り、手をかざし――死にたくなければ出口へ連れて行け、と睨んで脅した。二人は激しく震えて怯えている。

 別に言う通りにしてもらえなくてもよかった。隙を利用して廊下に飛び出ると、防護服の群れが待ち構えていた。先頭の主任が一際勇敢に私に立ち向かう。


『戻るんだ』

「無理に私を生かしても、答えは見つからない。早急に死なせて解剖すればよかったものの」

『そうは行かない。フェーズゼロが失敗したら、死体は譲り受ける反面、生存者は限界まで生かさねばならない契約だ』

「茶番だな。ラボは崩れ去ったのにまだそんな契約を重んじるのは、世間体を気にしてのことか?」


 私は防護服の群れに飛びついた。押し寄せてくる白い腕を次々と払い、近くの顔面を蹴飛ばす。

 私の肌からなんとも言えない臭気が立ち昇り、醜い液体が滴る。抗生物質には既に耐性が生じていたが、昨夜の注射や食事を逃したことで「彼ら」の侵食は進んでいた。

 最後に主任に唾を吐き捨て、私は逃げた。

 あんな頭でっかちの連中にこだわらずとも、無知無関係の入物ホストを適当に選べばいいのだ。


「人類を頂点に――どんな遺伝子も吸収できる、完成された生物に据えようとした報いか。私は『彼ら』の繁栄の器として生きるしかない」


 あの薬は自己と他者の隔たりを失くし、密着した生物との信号交換を混乱させる効果が期待されていた。ゆくゆくはキメラ――自然界でも共生している内に遺伝子を交換している菌と植物などの例が見られる――を意図的に作り出すのが目的だった。いつでも、他者の遺伝子と外的特徴を借りられるような超人を。


(そんなに都合よく行くわけがなかったな)


 見落としていたのだ。普段は良好関係にある菌が、免疫力の落ちた人間の中で病と化す現象と同じで、被験者たちの内部が均衡を崩した。おそらく全員、微妙に違う病で死んだのだろう。

 唯一、私の中でその進行が遅れた。

 均衡を崩した中で成長したコロニーが、「自己」と認めたからだ。私を棲家としながらも、破壊してはいけないモノと彼らは断じた。

 それでもこの肉体が抱えられる細胞数には明らかな限界がある。限界に達する前に、うつさねばならない。

 主導権は遺伝子にある。


「個人が完全な多様性を体現できると夢見るなど。種人タネビトにでもなって新人類を築き上げるつもりだったのか? 誰も口に出さなかっただけで、それが真の望みだったんじゃないのか? それこそつまらないSFだ」


 瞬く度に瞼の裏で微笑む白衣の美女の残像に向けて、吐き捨てる。


「驕りだったんだよ」

『そう言うなよ。一緒に不老不死の人類を創ろうぜ』


 無邪気な瞳で夢を語るな。お前が計画の立案者だったか。


『こっち来いよ。淀橋』

「黙れ、美織」


 そっちとはつまり、叶わぬ理想の方。

 手繰り寄せた記憶の中でも珍しく、感情と結びついた幻影。この女は以前の私にとって特別な存在だったのだろう。

 もう一度会いたいという潜在的な願望が幻を生み出した。だが所詮は幻影、不完全に思い出した「私の名前候補」をバカみたいに連呼する。


「お前の夢は潰えた。私は彼らと共に地球の未来を生きる」


 それは不死と大して変わらない結末のはずだった。理想を追って行き止まるより、私は受け入れるしかないのだ。


「さようなら」


 一度思い出した記憶が、これからも忘れずにいられるとは限らない。

 残像に最後の別れを言った。





「Mister, are you hurt?」(おじさん、どこかわるいの?)


 最寄りの町まで走ったはいいが、力尽きて座り込んでいた。誰もが足早に通り過ぎる中、一人の少女が私に声をかける。


「I'm fine, but can you help me get up?」(平気だけど、立ち上がるのを手伝ってくれる?)


 頷いて手を伸ばす少女を認めて、私の口角は吊り上がる。


 ――我らに他意は無い。


 だからここで喜んだのは、おそらく人間としての私が最後に持ちえた感情であった。

 細い手に、膿んだ掌を重ねた。








_______



あとがき

(2016年3月に「小説家になろう」に投稿したものと同内容)



この話はメッキに覆われた一枚絵みたいに、剥がせば剥がすほど何かが見えてきます。

しかし完結しても全てのメッキが剥がれない。見えている図が全容なのか、剥がされなかったピースの向こうに何か決定的なモノが隠されているのかは不明なまま――


すみません、オシャレなことを言ってみたかったんです。あっ、そこ、腐った野菜とか投げないで、もったいない。それはコンポストに混ぜよう。


心残りがあるとすれば、人類に敵視されていると気付いた時の主人公の恐怖を描き切れなかったことです。1万字という縛りの限界を感じますね。感情の機微なんてどう詰め込めばいいのやら。話を進めるために、主人公は割と無頓着型になってしまいました。スリラーなのにスリル足りないし、残酷描写タグは結局ただの保険になってしまいました。


なお、ミスリアには「この作品に登場する思想は私の脳から出たのであっても総てを私が支持しているわけではありません」みたいな注意書きがありますけど、たえよいつかに出てくる理論に私はほぼ賛同しています。とか赤裸々に語ってみました。さようなら。




私 33歳男

主人公。遺伝子研究ラボで働いていたがある日突然監禁される。

自身の名前や家族に関する記憶が欠落している。


教授 57歳女 (当時の年齢)

度々の回想に出てくる主人公の院生時代の先生。

進化論に詳しく、既存の道徳を無視した独自の人生観を持っている。


主任 48歳男

防護服ハズマットスーツ姿の学者。

主人公が働いていたラボと、内密にある契約を交わしていた。


美織ミオリ 30歳女

エアダクトの彼方から語りかけてくる声。

主人公を代わる代わる「淀橋、羽鳥、斉藤、長谷川」と呼ぶ。



タイトルは「耐えよ」「絶えよ」「五日」「何時か」をかけています。

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たえよいつか 甲姫 @pekshiz

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