女の子と、世界のおわり

芹意堂 糸由

女の子と世界のおわり

 懐かしい景色がだんだんと近づくのを感じながら、私は列車に揺られていた。車掌の案内にひさびさの駅名を聞いて、鼓動が高まるのを感じる。そうだ、帰ってきたのだ。

 ついに列車は走るのを止めて、私はその駅を踏んだ。

 空気も、温度も、周りの人々も、あの頃とはすっかり違うというのに、どこか郷愁を誘われるような、自分のテリトリーに戻ってきたような安心感がある。そのことにちょっぴり胸を弾ませながら、ゆっくりと歩いた。幸い平日だったので、こんな時間に人はいない。もともと田舎なのもある。

 すらっとした駅員に、切符を渡すとき、駅員がちょっとだけ微笑んでくれたような気がした。どこかでよく会っていたのかもしれない。

 この駅に降りたのは、かつて私が暮らしていた場所に行くためで、そこは駅から歩いて少しかかる。日帰りのつもりなので正直、ここにいれる時間も多くはないだろう。

「さて、歩きますか」

 他の移動手段だってあるけれど、しかしお金が惜しい。歩けば、懐かしい風景や、新しいまちの様子が眺められるので、一石二鳥だと私は微笑んだ。

 てくてくと歩き、たまに発見する小さな植物に足を止める。このご時世、植物なんて珍しい。田舎だからこそ、まだ野生のが少しばかり残っているのだろう。黄色、水色、橙色。どれもが淡い色ばかりだった。もう最近となれば、すべての生き物が弱々しい。

 歩いている途中、何人かとすれ違ったけれど、誰もが足早に駆けていた。みんな、あれが怖いんだろうな、と空を見上げる。空は真っ黒な雲に覆われていて、この空に僅かな光をおくっている。私が子どものころに比べれば、本当に暗い。星なんて、最近の子どもは見たこともないだろう。

「はあ」

 今のこの状態を、終末と呼ぶ人もいれば、呪いと呼ぶ人もいる。呼び方はみんな違うけれど、意味はみんな似ている、《危ない感じの世界》ということだ。

 《危ない感じの世界》、それはただ薄暗いという理由からではない。《危ない》とは、文字通り、本当に何が起こるかわからないということだ。

 生物の生気はなくなる、子どもは産まれない、人はあっけなく死ぬ、狂う人が増える、犯罪が増える。どうしてそうなったのは全くわからないけれど、確かにこの世界は壊れてしまっていた。確かなことは一つだけ、先代の国王が崩御されてすぐ、こんな状態に陥ったことだ。

「まったく、もう……」

 人々はみんな、すっかり恐れおののいてしまっている。震えに震えている。どうして生きようか、と途方にくれている。どうすればいいのか混乱している。だからどのまちも、こんなものだった。

 人がいないまちは、気味が悪い。もうまちではない。ただの集合住宅、要塞にも似ている。私からすれば、馬鹿らしい。

 気づくとそこは、私のふるさとだった。私が幼なじみと走った道、星を探した野、ご飯を食べた場所があった。すっかり寂れて、脆くなっている。触れれば崩れそうで、風吹けば飛んでいってしまいそうだった。周りには人間が全くいない。

 眺めていると、一つ不自然なことを発見した。風景は不自然だらけだけど、そういうレベルではない不自然、不可思議でありえないような点があった。気持ち悪くなるようなことで、人が不快を感じるような点だった。

「……この場所って、こんなにも大きかったっけ」

 まるで私が小さくなってしまったような、まるで世界が膨張してしまったような、自分の身体について吐き気を催すような感覚に陥った。《世界が小さくなったような感覚》ならわかるものの、その逆の感覚、そんなものは初めてだった。

 しばらくそのまま歩き眺めていたけれど、そんな感覚はおさまらない。どこかその空間が壊れてしまっているようだった。

「ねえねえ、おねえちゃん」

「わっ」

 不意に、声をかけられた。私の半分ほどの背丈の、小さな女の子、可愛らしい高い声だった。

「おねえちゃん、なにしてるの」

「えっと、帰ってきたからこの景色をずっとみているんだよ」

「かえってきたってことは、おねえちゃんこんなところでくらしていたの」

「そう」

 確かにここは、人が暮らすのに適していない。だけど私は、ここで育ったのだった。

「お姉ちゃんにとってはここが、とっても大切な場所なの」

「へえ」

 女の子は興味なさげに相槌をうって、手をぶらぶらさせた。けれど会話に飽きたわけではないようで、まだ訊いてきた。

「おねえちゃん、さいきんおかしくなったってこと、ない」

「あるよ」

 今だっておかしいけれど、それはいわない。

「なにがおかしいの」

「みんながおかしい。こんなに引きこもって、人を信用できなくなって、人付き合いを止めてしまっていることが、おかしい」

「わたしもそうおもうよ」

 女の子は同調すると、続けた。

「わたしのおかあさん、わたしをおいて、どこかへいっちゃった」

「…………」

「わたし、ずっとまってたけど、でもかえってこなかった」

 女の子は俯いて、暗い顔をしていた。けれど、この子は一人で外に出てこれるほど、強いのだろう。

「君は、みんなより強いね」

「でしょ」

「昔の人は、もっと強かったんだろうね。昔にも、たくさんの問題や、生活の苦しさだってあったのに、今の人たちはすぐへこたれる」

「どうなんだろうね、おねえちゃん」

「まあ、わからないけれどね……」

 そういって、苦笑する。けれど私は、今の人が弱々しいように見えてしまう。昔の人のほうがしゃきっとしている、そんなイメージが頭から離れない。

「おねえちゃん、あれみて」

「うん?」

 女の子が指した先に、小さな青があった。空の雲が少し動いて、確かな青色がそこに存在していた」

「わあ……」

「きれいだね、おねえちゃん」

「そうだね……」

「たまに、おそらのすきまがみえるんだよ」

「本当に?」

「うん。みんなおそとにでないし、そらもみないから、しらないの」

 私の全身が逆立った。衝撃的だった。空の青色が見えたこともそうだったけれど、私も含めたみんなが、こんなにも綺麗なものを見逃してしまっていることが、ショックだった。みんなが、希望を捨てずに、いつまでも空をちゃんと眺めていれば、ここまで悲観的な社会を作らずに済んだかもしれない。私たちはみんなで、気持ち悪い世界を作ったのだ。

「おねえちゃん、いつかおそらぜんぶが、青色になることって、あるかな」

「どうして?」

「だってさいきん、おそらのあおがでてきやすくなってるの」

「じゃあ、いつかそうなってるかもしれないね」

「そうなったら、いいな」

 女の子はそういって、口角を大胆に釣り上げた。どこまでも可愛らしかった。

「じゃあね。おねえちゃん」

 女の子は手を振って、たたたっと駆けていった。どこへいくのかわからないけれど、彼女の先が青く広がっていることを祈った。私ももう戻ろうか、と、足を動かす。心なしか、その場所が少しだけ、懐かしい大きさに戻ったような気がした。

「なんでも、《思い込み》っていうのは、とっても強力なのかもしれないな」

 呟いてみて、少し微笑む。

 想像しているよりも、明日はもうちょっと、素敵なのかもしれない。

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女の子と、世界のおわり 芹意堂 糸由 @taroshin

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