Track7:非国民的ヒーロー-4

バンドを始めてから、おれの周りで色んな事が変わった。


フッちゃんに彼女が出来た。

九野ちゃんがピンクメッシュを入れた。

バイトを増やした。

キヨスミが怪しげな副業を始めて、辞めた。

下北沢駅の改修工事が始まったし、南口商店街にやたらオシャンティなブックカフェが出来たし、クラブキューのあるビルのファーストキッチンがウェンディーズと結婚したし、キートークが握手会をしたし嘘とカメレオンが売れてきた。アンゼリカは閉店した。


デモテープを送りまくりライブ動画をユーチューブにアップしまくり、今の事務所の社長に目をつけてもらった。CDをちゃんと作れるようになって、ライブ会場で手売り出来るようになった。

中途半端なおれを置いて、皆変わってゆく。


昔から勉強が出来る事と歌がうたえる事ぐらいしか取り柄がなかった。スポーツが割と出来るのだって、中学で空手を始めるまではただ周囲から浮きたくないがための子供なりの処世術のひとつに過ぎなかった(小学生男子は徒競走で学年上位三十位までにランクインしている奴しか人権を認められない)。


だからおれは歌で生きていくしかないと思っていた。歌こそがこの何も持たない、たとえ超能力を使ったところで他人を怯えさせるしか出来ないおれが、ヒーローになれるたったひとつの道具だった。


歌さえうたっていれば、「誰かに必要とされる自分」に変身出来ると思い込んでいた。


でもそれは結局、誰かに必要とされる事で自分自身が救われたかっただけだったのかもしれない。


ボーカルはバンドの顔だ。いわば一番の責任者で、たとえ自分が作詞作曲してなくてもそのバンドのイメージ全体を形成する最も重要な構成要素だ。そんなポジションに曲がりなりにも立たせてもらって、おれがこんなんじゃ駄目なのはわかっているのだが、頭と身体と心の間にはマリアナ海溝ばりに深くて暗い溝がある。プレッシャーに押し潰されそうになって自棄を起こしボイトレをサボったままレコーディングに望んで喉を潰しライブで歌えなくなって九野ちゃんとフッちゃんにひどく怒られた。


おれだって本気だ。本気でいつかシェルターを満員にし、ゼップを満員にし、武道館の大舞台でライブをして紅白にも出たい。バンドマン皆が一度は抱く夢を例外なくおれも胸に秘めて歌っていたはずだったのに。


多分、アイツらとはちょっと、違ったのだ。

皆の「本気」とおれの「本気」は多分ちょっと違くて、皆の「本気」は外に向かった本気だけど、おれの「本気」はあくまで自分の内側に向かった本気でしかなかった。


アニメや漫画では簡単にヒーローになれるかもしれないエスパーのおれが誰かの平和を脅かしてしまうこの現実と堂々と戦い、こんな忌まわしい力を持っていても持っていなくても使わなくてもうっかり使っちゃっても、穏やかに誰も傷つけず自分も傷つかずにヒトに好かれて生きてゆける、そんな強いおれに変身するための「本気」でしかなかったのだ。


幼稚園の頃に見たポルノグラフィティ、小学生の頃に見たバンプオブチキン、クラスに五人はいる音楽好きのマセガキにとっては彼等は皆仮面ライダーやウルトラマンにも準ずるヒーローに近かった。カッコイイオニーチャン達だった。おれもあのオニーチャン達みたいになりたかったけど、きっと今のままじゃあ駄目だろう。


しかし、キヨスミならなれる。藤くんやアキヒトやロビンみたいにいつかなれる。GENゲンや義勝みたいになら、もしかしたら今すぐにでもなれるだろう。あいつはヒーローなんてガラじゃないと笑うだろうが――そして実際おれもそう思うが――少なくとも今のHAUSNAILSハウスネイルズにとって平清澄は重要人物である事に間違いはない。そもそも天才と美人とイケメンは生きているだけで重要人物なんだ。アイツがイケメンだとは未だ認めたくはないが、天才である事は認めざるを得ない。


アイツが作った曲を歌っている限り、おれはHAUSNAILSのボーカルにはなれない。


しかしもしかしたらアイツもあの頃、ヒトの作った曲を歌っていた、今のおれと同じようなもどかしさを感じていたのかもしれない。

そしてアイツもまた、おれに(おれなんかに)嫉妬のような感情を抱いていたのだとしたら……その悔しさをバネに曲を作っていたのだとしたら……おれは一生、アイツには敵わないんじゃないのか?


あの頃――アウルグラスのボーカルをしていた頃のアイツの歌声は、確かに人形に例えられる事が多かった。

ブレスが多く、甘ったるくて浮遊感があるのは今と変わりないが、声量も少なく硬質で融通が利かない。硝子板を繋げて鉄琴の棒で叩いたみたいな声だ。冬の朝のような冷たい声色がディストーションのキツくかかったギターの音によく似合っていて、同い年なのに大人っぽくて羨ましかった。まさか高校進学してから同級生になるなんて、その時には夢にも思わなかったけれど。


キヨスミが雨の中駆け出していったあの夜の次の日、あの曲のデモテープがチャットで送られてきた。

深夜十二時、おれはオーテクの二千円のヘッドフォンから流れ出すアイツの仮歌を聴いて、PCの画面を見つめたまま泣いていた。

ちょっと我ながらスピリチュアルすぎてセンチメンタルすぎて退くのだが、おれの直感があの時確かに、打ち込みギターの一音目を聴いた瞬間に叫んだのだ。


この曲はおれが歌うものじゃない、平清澄がうたうべき歌だ。


未だにあの曲をライブでやる度に口の中が苦くなるのは、あの夜の雨に打たれたアイツの後ろ姿を思い出すからだ。おれは本当はあの曲が好きで、出来ればライブの度に歌いたいぐらいだけど、同時に今までバンドで作った曲の中で一番大嫌いでもあった。


おれの知ってる平清澄は、いつも無口で気だるげで何を考えているのかわからなくて、当時の仲間内で一番最初に初体験を終えていて、頭が良くて女にモテて器用でセンスがあって屁理屈屋で口が悪い、何処か世間を小馬鹿にしたような奴だ。

全然美形じゃないのにファン人気も高く、誰よりも最初に「誰かに必要とされる」才能たり得た存在。

高三から日常的に酒を飲み年中二日酔いで低血圧で朝が弱い遅刻の常習犯。好きなAVのジャンルは女教師モノ。気がつくとよく居眠りしている。大体Tシャツの襟元はゆるゆるで肩が出てるし、口は半開き。どこかだらしないどうしようもない感じのわかりやすく駄目なバンドマンだけど社長や専門学校の先生にも一目置かれている、そんなアイツのわかりやすいキャラクターにおれは甘え、憧れていた。


キヨスミみたいな奴が、おれなんかに安易に嫉妬するなんて信じたくなかった。何処までも浮世離れしたアイツでいてほしかった。


しかし、アイツがあの曲に込めた感情を受け入れられない限り、おれにはあの曲を歌う資格はない。おれはHAUSNAILSのボーカルにはなれない。

アイツの曲をモノにする事も、自分自身で良い曲を作る事だって、きっと出来ないままだ。


アイツがおれに憧れや嫉妬のような感情を抱いているとするならば、そしてその対象物がおれのいささか神経衰弱的な思い込みの激しさや感情的な情緒の激しさ、そしてそこに由来するであろう感情的な(いわゆるエモい)歌声であったとするならば、そしてそれはアイツ自身が人間ではない――有機物ではない――無機物であるかもしれないところの不安感や劣等感に所以があるのだとすれば――

それはおれにとっても、とても悲しい事だと思った。


だって、おれを羨ましいと思い、悩み、それを歌に投影したその行動の動機は、紛れもなくキヨスミ自身の“感情”によるところだからだ。そしておれはヤツの生み出す歌が、曲が、そこに表れる生々しいほどの感情達が、どんなヒット曲よりも好きなのだ。


おれはヤツよりもその感情を自分のものとして表現することが出来る。その自信があったし、そうありたいと思い続けている。


おれが高校の頃から、否、肥溜めのような中学時代にユーチューブのおすすめ動画から甲高く凝り固まった硝子のような声で歌うアイツを初めて見たその時から憧れ、羨ましいと思い続けてきたあのキヨスミを、アイツ自身の手によって侮辱されたようなものだった。


おれは姿の見えないキヨスミの恨み言をかなぐり捨てるように、再びその場から駆け出した。実態のない雨がおれの全身を打つ。幽霊のような両足が幽霊のような水溜まりを蹴ってスキニーの裾が派手に濡れる。まるで幽体離脱でもしているようにおれの全身は軽く、しかし両足はなかなか言う事を聞かなくていつもの三分の二ぐらいのスピードでないと走れない。


ゴムの靴底がアスファルトを踏みつけるぎゅ、ぎゅと言う音が骨を伝って鼓膜を揺らす。北口を横目に一番街に突っ込んだ。昭和の映画館みたいな居酒屋の店構えがサーチライトに照らされている。


人間の手によって作られたモノ、無機物には規則性がある。

規則性とはそれすなわち設計図、文法、そして楽譜のようなものだ。


しかしそれをヒトが作り出す動機は、いつだって間違いなくヒトの感情にほかならない。


実に単純明快で純粋な創作意欲に憧れやら嫉妬やら自己承認欲求やら性欲やら、様々な欲望をのっけたモノをおれ達は「作品」と呼ぶ。


作品を生み出すための動機となる「感情」は無秩序で、形がなく、ドロドロで、ナメクジのように惨めで美しくない。掴みどころすらなく何処までも有機的だ。


おれが今まで憧れ、羨み続けてきたキヨスミの作品は、果たして規則的だったか。チャットで送られてくる楽譜はごく秩序的だったし、デモ音源の仮歌は実にアイツらしいが、楽譜に完璧に忠実で感情を込めていない分ボーカロイドのように機械的だった。


でも、おれは確かにその音と音の狭間からいつも有機的なドロドロを汲み取り、それを自分の歌で表現しようと力を尽くしていたのだ。


確かにアイツの歌には、アイツの作る曲にはナメクジのような惨めな心があった。誰に否定されようとおれの耳にはそれが聴こえた。


自分が有機生物である「普通の人間」である事を理屈で証明できないのなら、きっと自分が人間でない、感情や心がないと言う事を証明する事だって不可能だ。おれ達は、ひとりたりとも「普通の人間」なんかじゃないかもしれないのだ。


見慣れたシモキタの街並みが網膜に牛乳を零したように白く霞んでゆく。最初こそ眼鏡が雨粒にまみれているせいかと思ったが、それにしても白い。身体が重さを取り戻して、ウェイトをつけて走っているように両足が重くなってゆく。


辺りが真っ白になった時、両腕から包帯のような白い布が飛び出していった。手首の辺りからまといを解くように中空にはためきながら飛んでゆく布を見送って、走りながらおれは自分の腕を触って確かめる。筋肉質の太い腕。確かに源壱将のそれだ。

足を見下ろす。バイト代を貯めて買ったポンプフューリー。さっきまでのふわふわした感覚は一切なく、重たい両足はしかし何故かさっきよりも倍以上の速度で動く。

今までこんなに速く走れた試しがないぞってぐらいの勢いで風を切りながら、おれはむくんだ頬を切る冷たい空気と生ぬるい水滴を感じながら下唇を噛み締めた。目頭が熱くしびれている。


もうやめや、諦めた。おれは、「普通」を諦めた。


たといアイツが無機質で冷血なサイボーグ野郎だろうが、スカしたツラに情熱隠し持った有機的な新人類だろうが、おれには何も関係ない。何者やろうが構わん。おれはこの目に見えたモン、この耳に聞こえたモンだけを信じる。


おれはもう、自分だけを救うために歌ったりしない。


汗を拭う暇もなく弾丸のように転がるように走り続けるおれは自分の足元さえ見えない濃霧の中脳味噌まで真っ白に漂白されるんじゃないかと言った怯えさえ忘れて腹の底からがなり声を大音量で張り上げ、張り上げ、大事な商売道具をイワしてまう恐怖さえも忘れた手負いの狼の遠吠えのようなひび割れた雄叫びを張り上げ続ける。ウオオオオオオオオオオ!!!!!!


筆舌に尽くし難い喚き声を上げまくりながらそのまま走り続け、突然ぽっかりと足元に出現した穴に驚いてちょっと足を止めた。


穴は丁度おれひとりが通れるような、マンホールと同程度のサイズ感のそれだった。


誰やねん世田谷区の道端でマンホールの蓋開けたん!? と誰にでもないツッコミを奥歯ですり潰しながら天を仰ぐ。オージーザス、アナタの思し召しがなければ僕はこのままマンホールマンと化しておりました。ウチ先祖代々仏教徒やけど。


そこでおれはまた言葉を失う。見覚えのある大きな目玉と、再び目が合ったからだ。

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