Track7:非国民的ヒーロー-2
おれ達人間を含む動物や植物、地上に生きる全ての生きとし生けるものには遺伝子がある。
母ちゃん父ちゃんを通り越してじいちゃんばあちゃん、一回も顔を見た事のないひいじいちゃんやひいばあちゃんそれに準ずる祖先の皆様、代々脈々と受け継がれるDNAの螺旋構造の恩恵によっておれは母親の腹の中で形作られた。当たり前の事だが、おれ達の生命はそうして創造されているものだ。そして、その尊い遺伝子は生命体の“設計図”そのものである。
設計図には秩序がある。先の理屈に従うのなら、おれ達人間だって秩序のある物体、と言う事になるだろう。
なんつー荒唐無稽な理屈やねん。しかしおれは急に怖くなって、椅子の肘置きを握り締めた。何も言えない。おれには自分の生命を証明する言葉が
おれの怯えっぷりにキヨスミ(人形)は下唇に指先で触れながらブハハッと失笑した。ちょっとキヨスミらしくなって安心……出来るはずもなく、おれはヤツの次の言葉を戦々恐々と待っていた。
「まあ、モノーの言説も随分昔に書かれたものだし」ベーシストは深呼吸のように大袈裟なブレスを入れる。「そうね、俺達の遺伝子にも充分秩序がある。今はあの説はもう通用しないよ、だから人間があくまで自然発生的に生まれてきたものだと証明する術を、科学者でもないパンピの俺達は持たない」
穏やかな微笑みすら浮かべるキヨスミの言葉は更に続く。
「今日俺が組長と喧嘩してオカメチンコが召喚されたのだって、何か得体の知れない強大な力が働いた結果かもね。俺達の身体中に――指の先から髪の毛一本一本まで細かく施された緻密なコーディングによって実行された、何らかのシステムを成り立たせるためのギミックなのかも」
まるで爪の先に刻まれたコードを確認しようとでもするかのように、キヨスミは頭上から照らす仄白い光に指先を翳して目尻を上に伸ばす。貴様、何が言いたい。
おれの純粋な呟きをかき消すようにベーシストは唐突に声を張り上げた。
「結局俺達ひとりたりとも自分が何者なのかなんて証明出来ないんじゃないかな!? 超能力が使えようが魔法が使えようが何も出来なかろうが、自分が徹頭徹尾一般的な人類だなんて胸を張って言えはしないよ。寧ろ一般的な人類って何? 定義を教えて?」
現代のアリストテレスの吹っかける問答は遂に単なる疑問形と化した。そんな事聞かれたっておれにだってわからない。わかるはずもないし、ヤツだってそれぐらいわかっているはずだ。
きっと決して回答を求められている議題ではないのだ。
ヤツの引き攣った口角には唾液の泡すら垣間見えない。しかしそこには不自然に皺が寄って、まるでドーランを厚ぼったく塗りすぎてひび割れているようだった。
歪んだ口腔には淀んだ闇が広がり、八重歯の隙間からいつもだらしなくはみ出している赤い舌が見えない。
今にも角が生えそうにつり上がった目からは大粒の涙が零れそうだったが、実際涙なんて浮かんでもいなかった。
うざったい前髪越しの悲しそうな眉毛の下は、どこまでも闇、途方もなく闇、黒目も白目もない、二つの闇。
「カエルの子がカエルならサイボーグの子だって人間じゃないよね。俺と言う存在はどこまでも秩序に支配されている」
真っ黒な目をしたキヨスミが黙り込んだ。
その隙に、頬の皮がボロッ、と崩れ落ちる。
美術室の石膏像を壁にぶつけた時のようだった。これには流石に息を呑んだ。落ち着け。咄嗟に口をついたが、落ち着いたところでどうなるのかもわからないし多分落ち着いた方がいいのはおれの方だ。
キヨスミの女好きする高めの甘い声は、すっかり潰れて
「俺が、どんだけ組長を羨ましく思っても、憎たらしく思っても、どれもこれも全部作られた感情なのかもしれない、全部全部プログラムの一部、俺には心のある歌声なんて出せない。歌なんて、うたえない」
たどたどしく細切れの、キヨスミの呟きはおれの口の中を苦くさせた。舌が上顎にぺったりと貼りつく。心って何? と、老婆のような涙声が嘆く。
「どんなに世界中のデータベースを検索しても、わからない事が俺にだってあるよ……ねえ、教えてよ…………」
大きな背もたれに埋まった黒い小さな塊を見つめ続けるのがいたたまれない。目を逸らしたい今すぐにこの景色から目を逸らしたい今すぐに、
でも、
でもそのままじゃきっと、駄目なのだと言う事をおれはとっくに知っていた。下腹部の辺りから悪寒が襲う。
静寂。その瞬間。
突如頭上から何かが降ってきておれの両の耳をすっぽりと覆った。
さっきまで嫌と言う程展開されていた清潔感溢れる静寂に丁度ヘッドフォンをした時のような閉塞感がプラスされ、自分の忙しない心音だけが鼓膜を揺らす。ちょっと待ってやだなにこれ、一体自分の身に今何が起きているのかわからないまま、続けておれの全身は何者かによって物凄い勢いで椅子ごと後ろに引っ張られた。
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