Track7:非国民的ヒーロー-1

真っ白になった視界は真っ白なまま陰影を取り戻し、おれは真っ白な部屋の中にいた。


部屋の角々や足元に伸びる自分の影のお陰で立体的な壁に囲まれて間接照明のような光に照らされている事に気づいたが、窓もなく他にモノもない白い部屋はただただ白いだけで、建設途中の病院のような病的な清潔さが充満しているようで気分が悪かった。


おそらく五平米程度の広さのある部屋の壁際におれは立っていた。一度経験したとは言え、瞬間移動に慣れたバンドマンなんておれは知らない。自分の置かれた環境の異常さを確認後、さてどうしたものかと腕を組んだ。


悩みつつも、さっきまでよりずっと冷静な自分がそこにはいた。


水滴まみれだったはずの眼鏡のレンズは綺麗に磨いたように何の付着物もなく、洋服も肌も濡れていないし、両腕にあった無数の火傷すらなくなっている。それどころかさっきまで着ていたステューシーのTシャツとデニムの短パンが何処かへ行ってしまい、代わりにユニクロで五百円セールみたいな黒いカッターシャツと短パンのセットアップに身を包んでいた。勿論、マスクもしていない。


顔を上げる。反対側の壁際に、背もたれの大きな椅子があった。あれ? さっきまではなかったはずなのに。


その椅子には誰かが腰掛けている。午後のけだるいマダムが自宅の庭でバラでも眺めながらティータイムを過ごしていそうな藤の椅子に、だらしなく身体を預けた細身の人物は、まあそうなんじゃねえかと初めから思ってはいたが、少し近づくとやっぱりキヨスミだった。


白黒縦縞の細いパンツに包まれた脚を投げ出し、その股の間に力無く両手を添えている。太ももが半ば隠れるぐらいの、ワンピースみたいな黒い立ち襟のシャツにはチャイナドレスのような赤いボタンが三つ。顔を少し俯向うつむけ、ダメージのひどそうな金髪の毛先で目元を隠していた。因みにおれを散々惑わせたヒワイなふたつの丘は姿を消しており、男の身体に戻った、いつものキヨスミがそこにはいた。


おれはソイツの傍らにひざまずき、そっと顔を覗き込む。微動だにしない。フッサフサのまつ毛すら一ミリも揺れていない。そしておれは気づいてしまった。


そいつは、「いつもの」キヨスミではない、と言う事に。


首を分断するように入った筋みたいな影が少し動く。初めはチョーカーでもしているのかと思ったが違った。立ち襟の隙間から覗くそれは、だった。


はっとして視線を落とす。だらしなく垂れ下がった手、手首。普通なら滑らかなカーブを描いて曲がるはずのその部分が、カクっと角張って曲がっていた。それどころか手首の少し飛び出している骨があるはずの部分を囲むように、二本の筋がブレスレット状に走っており、筋の間には球体のパーツが収まっているようだった。


脳裡を過るいつかの記憶。そう言えば前九野ちゃんが人形をスタジオに持ってきた事があったっけ。重厚感あふれるトランクのようなケースに収められた彼女はピンクの前髪で片目を隠していて、仕立ての良さそうなメイド服を纏っていた。どうやらアニメのキャラらしい。珍しがったおれ達メンバーにベタベタ触られるのに堪えたらしく「もう二度と連れてくるか」とオタクの九野ちゃんはぷりぷりしていたが、そう言えばあのラムちゃん、双子の鬼の姉妹の姉だと言うラムちゃんの手首にも球体が収まっていた。


つまりはこいつはキヨスミではない。だ。一体何処の物好きがそんなモン作るんやとも思うが、そもそもここが何処なのかすらもわからないのでもう全てがよくわからない。


三倍以上薄く作ったカフェオレのような色をした、キヨスミ人形の毛穴のない肌をじっと見つめていると、突然ソイツはカッと目を見開き顔を上げ、マリオネットのような所作でおれの方を見た。


乾いたビー玉と目が合う。


怖くなって跪いたまま身を硬くすると、キヨスミ人形はいつものフニャフニャした口調で言った。


「座りなよ」


は? 何? 何処に? 何言ってんのコイツ。思いながら顔を上げつつ立ち上がるとそこにはキヨスミと向かい合うように椅子が。やっぱりやたら背もたれが大きい昼下がりのマダム仕様。おれはしかしまーどうしてチャイナ着とるんやコイツ、と思いながらもおっかなびっくりそれに腰掛ける。高さ弾力肘置きの具合全てパーフェクツ。謎の真っ白部屋でベーシストとふたりきりじゃなけりゃ、寝てたかもしれない。


片目を閉じたキヨスミ(人形)は、さもキヨスミであるかのような口調でごく自然に言った。


「組長、ひとつ尋ねたい事があるんだけど、いいかい」


その芝居がかった口調におれは怯えた。コイツはマジだ。マジで真面目な時の喋り方だ。

制作中のミーティングやら集客のための話し合いをしている時なんかに、キヨスミはよく、やたら文学的な言い回しを使う。「もっとも」「すべからく」「いささか」なんて到底十八、九の男子が日常的に使う口語じゃないだろう。おれはコイツのそんな人間味の薄い喋り方が前々からちょっといけ好かなかったのだが、やっぱりそれも人間じゃないからなんだろうか。サイボーグだからか、宇宙人だからなのか。


怯えるおれの返事も聞かずにキヨスミ(人形)は話を続ける。


「たとえ話なんだけどね。俺達が例えば宇宙人で、自分の星の文化を更に進展させるために自分達と同じように文化を持った知的生命体の棲む星を探して旅をしていたとする。広大な宇宙で俺達は迷子になって、とある星に不時着した」


キヨスミ(人形)の荒唐無稽なたとえ話は完全にたとえ話で、おれはそのイメージを映像として脳裡に上映する事すら試みなかったわけだが、そんな事せずともキヨスミの頭上の白い壁に、アニメーション映像が映画のように投影されている事に気がついておれは目を見張った。勿論、プロジェクターらしきものは何処にも無い。


――やはりそうだ。ここは、、なのだ。


キヨスミの脳が生成したアニメーションではおれ達HAUSNAILSのメンバーがやたらコミカルなマンガ絵に変身して可愛いピンクのUFOに乗り込み、宇宙を彷徨って地球と思しき星に着陸した。UFOから降りるとそこはお台場の開発地帯のようなだだっ広い空き地。周りに誰かいるのか、生き物がいるのかすらわからないが大きなビル群の遠影だけは見える。


キヨスミ(人形)は光の無い瞳をまたたかせる事もなく、不気味な程揺らがない視線でおれを串刺しにしながら続けた。


「不時着したはいいものの、周囲に何も無くその星での言葉すらもわからない。知能云々以前に生命体が存在しているのかすらわからない環境の中、自分達と同じように文化を持ち、場合によっては言葉を介して助けを求められる生物が存在するのかどうか、彼等は確かめなきゃいけない。そう言う場合、まずは何を探せばいいと思う?」


キヨスミ(人形)の頭上のスクリーンの中、四人並んで腕を組み小首を傾げる宇宙人HAUSNAILS。なんつー禅問答じゃ、自分は古泉一樹こいずみいつきか、長門有希ながとゆきか?


些か不審感は尽きないがまあいい。今おれが――正しくはおれの意識だけ、なのだろうが――いるのは敵地も敵地、平清澄の脳味噌の中なのだ。あんな無秩序で貞操観念ZEROな典型的ダメバンドマンの脳内では何が起こってもおかしくはない。頭だけは無駄に良い奴だし、文学的哲学的問答に巻き込まれても郷に従うほかなかろう。とりあえずおれはヤツにふっかけられた議題について精一杯頭を捻る事にした。


おれ達宇宙人の棲む星にはどうやら文化があるらしい。文明が発達し、他の星に渡るための宇宙船を作るような技術もある。モノを作って売ったり提供したりするような事も当たり前に行われているのだろう。それはおれ達(アニメーションの宇宙人じゃなくて、本物)が今現在暮らす地球の日本の社会で展開する生産-消費の構図が成り立っていると言う事になる。


と言う事は、だ。自分たちと同様に、何かを作り誰かに提供する生き物がいるかどうか確かめればいい。その星に棲んでいる生き物が作ったモノを探せばいいのだ。例えば、宇宙人四名様のバックに見えるあの高層ビルとか。


しかし、折角のおれの名案は亜空間の主に一言で論破される。


「そこにあるモノがその星の生き物が作った創造物だと言う事はどうやって証明するつもり? あんなデカいの、建物じゃないかもしれないじゃない。もしかしたら巨神兵とかかも」


巨神兵には似ても似つかないと思うが、成程、ぐうの音も出ない。

頭を抱えて再び思考の森へ侵攻しかけるおれに、キヨスミはさっきより少しだけ元気な声で言う。


「でも良い着眼点だね、びっくりしちゃった。組長昔から勉強は出来てたけど、やっぱり脳筋じゃァなかったんだ」


褒められてるのか貶されてるのかよくわからないがとりあえずおれの進行方向は間違っていないらしい。要は、人工物と有機物の違いさえ証明出来ればいいのだ。


文明を持つ知的生命体が生み出す創作物全てに共通する点、とは…………。

ゲンドウポーズで暫しの沈思黙考の挙句、おれははたと気がつく。おれ達が何かを作る時に共通して必要なモノは何だ?


「ルール……設計図や」


建物には設計図が必要だ。音楽には楽譜があり、文章を書く時には最低限の文法や漢字一文字一文字、言葉ひとつひとつの意味を知る事が必要になる。おれ達が何かを生み出す時には、ある一定の秩序に従う必要がある。


秩序を持った物体を探し出せばいい。キヨスミの問いへの答えはこれだ!


おれが提出した回答にベーシストであったはずのヒトガタはにわかに目を見張り、不気味に赤い唇を鞄の底で潰れたグミのような形状にした。


「…………組長、モノーは読んだ事ある?」


何やそれ。落穂拾いか。


「それはミレー」


まあモノーは俺も読んだ事ないんだけど、とヤツが続けた事によってその印象派然とした名前の主はヒト、そして作家である事がわかった。不覚にも少し賢くなった。

後でググってみよ、と顎に手を当てるおれに重ねてキヨスミ(人形)は問う。


「じゃあ澁澤龍彦は?」


ロッキンオンの編集長っぽい名前だが存じ上げない。


「それは渋谷陽一」


じゃあ元関ジャニエイトの、歌の上手いあの人。


「渋谷すばる」


思わず怒涛のようなボケをかましてしまった。全て拾ってくれたキヨスミの切り返しのキレの良さだけは認めたいと思う。新喜劇にスカウトしたい。


正直に言うと澁澤龍彦とやらは歌詞のアイデアを求めてウィキペディア先生にご教授頂いていた際に“サド公爵”からリンクで飛んで見知ってはいたのだが。


「澁澤龍彦も読んだ事ないのにこの発想に辿り着けるのはすごいね」と相変わらずのポーカーフェイスで囁いたキヨスミは、それきりスイッチが切れたかのようにだんまりを決め込んだ。体感時間三十秒。静寂がゴキブリより怖い大阪人は耐えきれずに口を開いた。おいどうした、今の禅問答には何か意味があるんか。


おれの戸惑いの言葉に食い気味に、ベーシスト(人形)が突然口を利く。


「では、この回答を踏まえた上で次の質問です」


自分は選挙期間中に家に時々かかってくる自動応答のアンケート電話か!?


滑り気味のツッコミを胸の奥で押し潰しながらも、ヤツのこちらの質問には答えようとしないかたくなな様子に不気味さを禁じ得ない、おれ。せめて先程の問答の真意を教えてくれよと思いながら溜め息を吐く。しゃあない、言ってみやがれ。


キヨスミ(人形)は口許だけに引き攣った笑みを浮かべ、こう言った。


「自分が有機物であり、人工的な無機物ではないと証明するには、組長はどうしたらいいと思う?」


はぁ。


また真意を測りかねる禅問答だ。最早何のためにおれは今こんな得体の知れない空間で得体の知れない奴と向き合っているのかと意味を見失いそうにすらなる。今おれ達は下北沢の街を救うために、生命を懸けて闘っているのではなかったのか?


ここまで考えたところで後頭部に鈍い痛みを覚えた。ズキン、と細い鉄の棒か何かを押し込まれたような衝撃が走ったかと思うと、頭蓋全体が鉛でも詰め込まれたように重たくなった。思わず両手で頭を押さえて顔を上げる。キヨスミ(人形)は本当に人形にでもなってしまったように、さっきと同じ引き攣った笑みを浮かべたままだ。


額を滑り落ちる脂汗と最近気圧が低いと時々痛む親知らずの違和感を振り切るように首を振り、その問いにかろうじて言葉らしい言葉を返す。


「そりゃ、今まで人間として生きてきたんやから……赤んぼの時の乳児検診とかでも人間としての機能は検査されてるはずやし、」


ここまで答えて、おれは口を噤んだ。


そうか、そう言う事か。

お前が言いたかったんは、そう言う事なんか、キヨスミ。

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