Track6:嘆くなり我が夜のFantasy-5
「いいよ、遠慮する、て言うか組長に借り作んのだけは勘弁」
なんやねん失礼な、とおれは軽く憤慨する。折角のおれの勇気を
下唇を噛むおれをしゃがみこんだまま見上げたキヨスミは、壊れた水道管のように涙が溢れる目を見開いて小首を傾げた。「じゃあ、ひとつ言っていい?」
狂った操り人形のような所作におれは総毛立つ。そのままソイツの顔を凝視した。おれが何も言わないのをいい事に、キヨスミはそのまま言葉を続けた。
「俺さ、組長のその保身的な根性が嫌いなのね。もしも失敗して俺だけ死んだりしたら、残された自分が悪者になるから、それが嫌で言ってるだけでしょ? 本気で俺に手ェ貸す気なんてさらさらないのに。組長っていつもそうだよね、すぐ自分だけイイ子ちゃんになろうとする、その腐った性根が大っきらい。組長に借り作るぐらいなら俺が死んでもアレ壊すから」
機械的なまでに早口に捲し立てられた言葉はさっきまでの弱々しさが嘘のように掠れさえしておらず、内容に相反して打ち込みの機械音声のように緩急がなかった。いつも無口なベーシストのただならぬ様子に、フッちゃんと九野ちゃんも凍りついているのが肌でわかる。
おれは何も考えられず、勿論何も言い返せず、鼻の奥に滞って今にも爆発しそうな雨ざらしの鉄パイプのような臭いを押さえ込んで唾を呑むしか出来なかった。
今のおれが、果たして今のおれが、今の平清澄に言い返せる言葉を持っていると、誰が思うだろうか。
少なくともおれが傍観者ならそうは思わない。
このままコイツだけでやらせたら、まるでおれは無力みたいやんか。そう思っていたからだ。
薄情者になるのが怖かったから、とりあえず今は手を挙げておこう。おれは元来考えるより先に身体が動くタイプではあるが、それは今や本来の無鉄砲めいた意味よりも寧ろ、安全地帯に居座り続けるための上手い世渡りの術のひとつに成り果てていた。
そう言えばそうだ、おれはいつだってそうだった。
高二の頃、あの時女風呂から走って帰ってきた九野ちゃんに手を引かれなければ「レスキュー戦隊覗きンジャー」の一員にだってならなかった。バンドだって中学の頃からあんなにやりたいやりたいと言いながら、去年フッちゃんに声をかけられるまで自分からメンバーを集めようともしなかった。
思えばおれは自分が矢面に立つ事なく、余計な労力を使わずに、“HAUSNAILSのギターボーカル”と言う現在の居場所を手に入れた。
いつだって自分だけは、安全圏にいたがっていた。
荒んだ中学時代を笠に着て、自分は真面目な人の
傷つきたくなかった。
仲間と一緒に好きな音楽で食っていきたい――いや違う。
この歌だけで、歌一本でおれは自分を非難せず
井の中の蛙の王様になりたいだけだった。
人畜無害のイイヤツでいたかった。
この数時間の間に、おれの人生に間違いなく深い爪痕を残すであろう信じられないものを沢山見せられて、もう信じられないなんて感想すら言えない程にシリアスな状況にまで追い込まれたというのに、おれはまだ自分の身が可愛かった。
堂々巡りの不毛な思考。なかなか出ない結論に喉の奥に溜まった酸っぱい液を飲み込んだ瞬間、頬に電撃のような衝撃が走った。
ひっぱたかれたのだと気がつくまでに、体感一分はかかった。それ程の勢いに三ミリ程地面から浮き上がり、よろけながらじんじんするほっぺたをおさえて前を見ると、しゃがみこんだキヨスミもおれと同じような顔をして頬をおさえている。心なしか涙が収まったようだが相変わらず大量の汗が首を伝って細い革のチョーカーを塩昆布のようにヨレヨレにしていた。
キヨスミの傍らにしゃがんでいた九野ちゃんが立ち上がり、振り返る。どうやらおれとキヨスミは、九野ちゃんにビンタを食らわされたようだった。
未だかつて見た事がない程険しい表情で、九野ちゃんはおれに、囁くようにこう言った。
「ごめんね、顔がウリのバンドなのに……でもオレ、我慢出来なかったんだ、ふたりともいつまでもいつまでもウダウダしてるから」
言いながらこっちにやってくるツインテールの美少女は、ツインテールの美少女でありながら確かにウチのバンドのドラマーだった。ウチのバンドの、真っ正直で人の好いドラマーだった。
真っ正直で人の好いドラマーは、大真面目な顔のままおれの襟首を荒々しく両手で掴んで揺さぶった。
「何で黙ってんだよ! 他に方法ないんでしょ? やる気なんでしょ? だったらキヨちゃんの言う事なんか無視してでもやってよ! 仲間でしょ?」
オレ達仲間でしょ、と念を押す九野ちゃんの、アーモンド型の大きな目には涙が溜まっていた。今にもこぼれ落ちそうだった。そのまま振り返り
「キヨちゃんもいつまで見栄張ってるつもりなの? 黙って見てりゃあ言いたい放題言ってさ、言い終わったら黙り込んでさ、ねえ、何とか言ってよ!」
オレ達仲間でしょ?
ちぐはぐとも取れるその呼びかけの中には、「おれとキヨスミは仲間ではないのか」と言う、優しいドラマーの切実な問いが込められているのだと気づいた。
寧ろ自分が知りたかった。おれとアイツは、仲間なのか? 本当に仲間なのか? 今のような一触即発の事態に陥る事がなくとも、一緒にバンドをやると言う事は、そしてそのままメジャーデビューして生活を送ると言う事は、もしかしてもしかしなくとも、
そもそもの話だ。おれには、アイツと心中する覚悟がなければならないはずなのだ。
おれは自分自身に問う。おい、源壱将。お前は果たして本当にコイツと心中する覚悟があるのか? そんな殊勝な根性が、その「腐った性根」に、まだ残っているのか?
おれに己の普段の行いを省みさせ、その尊厳すら危うい精神にまで追いやったキヨスミの言葉は、九野ちゃんに言わせれば単なる見栄っぱりのようだが、そう言われたキヨスミ本人はと言うと両膝をきつく抱えて顔を伏せていた。熱水噴出孔から出てきた水なのかそれとも汗なのか、ジーパンのクラッシュ部分から覗くテカついた膝小僧とべしょべしょのTシャツの袖が、有害物質の霧の向こうにうっすら見える。おれは、次の瞬間どんな行動を選ぶのが正しいのだろう。
人間の選択において何が正しいかなんて正解は用意されていないはずなのにおれはそれを探したまま霧の向こうのソイツを凝視する。
次の瞬間、さっきの九野ちゃんのビンタよりは弱い衝撃が背中に走って、おれは思わず背筋を伸ばした。
「よし、じゃあやるか」
振り返るとフッちゃんがいつも通りに笑っている。右の手はおれの背中に押し付けられ、反対の手には白い御札らしき紙を数枚握っていた。
軽快な足取りでおれから離れたフッちゃんは手にした御札を九野ちゃん、キヨスミと次々背中に貼り付け、おれとキヨスミに自分の前に向かい合って立つよう指示した。九野ちゃんを自分の背後に立たせ、漫画や映画でよく見る霊媒師や山伏のように胸の前で両手の指を組み合わせ、中指と小指と親指を立てた。背筋を伸ばし、目を閉じる。
間もなく、夕立ちにでも降られたようなアスファルトの地べたから突風が吹き上げてきた。その辺に送風口でも敷き詰められているかのような風に包まれ、おれは思わず腕で顔を覆う。くるくるの天パを風に舞い上げたフッちゃんは額に汗を滲ませ、鋭い声で早く、と叫んだ。
九野ちゃんが大声でダイジョーブなの、と問いかけるのが、暴風音の隙間からうっすら聞こえる。フッちゃんは一回だけ力強く頷き、こんなデカい結界張ったの初めてだけどね、と大声で返した。ひらめく白いセーラー襟で九野ちゃんの顔はよく見えない。
オーバーサイズのヴァン・ヘイレンの黒いTシャツを法衣のようになびかせるフッちゃんは、つとめて明るい声で叫んだ。
「任せとけ! お前らの事は、このスーパースピリチュアルリーダーの八重樫藤丸様が、ぜってー守ってやっからよ!」
まるで漫画のヒーローだ。思わず笑ってしまいそうになる。
そう言えばフッちゃんはずっとヒーローみたいに前向きで明るいヤツだった。九野ちゃんはマスコットキャラクター、いつも楽しそうで表情が豊か。イイな、おれとは全然違って。
まばたきを忘れたまま視線を前に戻した。フッちゃんの声に弾かれたように顔を上げたキヨスミと、真正面から目が合う。
キヨスミはもう、視線を下ろさなかった
風に舞う金糸のような髪を消し墨色の空になびかせて、ベーシストは目を細める。重たいまぶたが潤んだ目を半分隠した。寄せられた眉根が寂しげで、おれはいたたまれなくなる。
その目は、もうさっきまでの濡れたビー玉のようなそれではなかった。
キヨスミが腕を伸ばして、針金細工のように節くれだったベース奏者の指を差し出してくる。E.T.か、と言うツッコミを喉の奥に押し込んで、おれも自分の指先をソイツに触れさせた。
高価な楽器を触らせてもらう時のように、そっと。
ーーーー強い風のせいで滲んでいたおれの視界は、次の瞬間、真っ白に染まった。
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