Track6:嘆くなり我が夜のFantasy-4

重たいまぶたと重たい前髪の向こうでいつも眠そうに細められているキヨスミの目が、大きく見開かれていた。その様子はまるでサイボーグのように無機質で、しかし相反して真っ黒な目玉はごく有機的な涙に潤んでいる。

駄目だよ、と強い語調で言った宇宙人は、俯いて首を振った。


「駄目だよ、それは禁忌なんだ。父さんの同僚が以前大勢の人間の前でうっかり力を使っちゃって、その場にいた全員の記憶を消さないといけなくなった時、能力を使うためには自分の脳だけじゃ容量が足りなかったから他の同僚の脳と自分のを接続したらしいんだけど、コントロールエラーが生じて破壊光線が出ちゃって……結局、その場にいた人間全員、光線を浴びて死んじゃった、らしくて。しかも脳を接続したそのヒトの同僚は能力放出時の負荷が大きすぎて、未だに脳死状態になってるって、父さん言ってた。五年ぐらい前の話らしいんだけど」


いつも何を話すにも南口商店街に新しいカフェ出来るらしいよ、ぐらいのノリで喋るキヨスミの声音が、明らかに感情的になっていた。合わない歯の根を無理矢理合わせて台詞を発していたらしい、鼻が詰まったような声でまくし立て終わると、奥歯をがちっと噛んで唇を結ぶ。八重歯が下唇に刺さって血が滲んだ。


しかしちょっと待て、おれもそこまで性格は悪くないと思うしそんな様子を見せられたら信じざるを得ない訳だが、その口振りだとキヨスミのオトンの同僚だと言うそのヒト――その宇宙人――は、なかなか残忍な大量殺戮を犯してしまったと言う事にならないか?


破壊光線がどの程度の光線なのかはわからんが、さっきまでのキヨスミのウルトラCを見ている限りでは、力を使い慣れた大人じゃああんなもんじゃないのだろう。


事件は何処で発生したのかと聞いてみると、東京郊外のとある駅前バスロータリーだと言う。バス待ちの行列ざっと十人程度を一斉に光線で撃ち抜いたらしい。そんな異常殺人、ニュースにならないはずがないのに、記憶に無いぞ?


九野ちゃんも確かにと頷く。だがキヨスミは見開いた目を苦々しげにしかめて、知らないよ、知るはずもない、と吐き捨てた。


「オオゴトになりすぎたからね、当局の情報操作が入って通り魔殺人事件って事になった、盗んだ車でサイコパスがロータリーに乗り上げて片っ端から轢き殺したって。そんなん地球じゃ年中起きてるありきたりな凶悪犯罪だから、どうせ皆覚えてないでしょ」


絶句した。


理屈の穴なんて幾らでも見つけ出してツッコむ事は可能だったろうと思う。これでも世界に名だたるツッコミランドの生まれだ、あんまり現実離れした話をされると辺り構わずメスを入れたくなる気持ちだってあるのだ。


だけど、


だけど。


生憎その時のおれはそんな気分にはなれなかった。


おれは誰よりも理解しているつもりだった。


超能力やら魔法やら、とにかく今現在の科学では解明されていない、寧ろこの世に実際に存在しているのかすら実証する事が出来ていない力と言うものは、とかくファンタジーやSFの世界では持ち主の願いを叶える夢幻のようなラッキーチャームとして描かれがちだけれど、実際に自分自身の持ち物になってしまえば決してそんな都合の良いものではないと言う事を、この身を持って深く深く理解しているつもりだった。


普通に生活しているだけなのに、同い歳のクラスメイトから来る日も来る日も腫れ物に触るように扱われ、休み時間のドッジボールの輪にすら入れてもらえなかった中学時代に、痛い程理解したはずだった。そのつもりだった。


だけど、結局キヨスミが言った通りだったのだ。


おれは未だに夢でも見ているのか、はたまたドッキリか、それとも学校のある新宿から電車に乗って下北沢へ向かう途中、小田急線のホームへ向かう階段から足を踏み外して転げ落ち、打ち所が悪くて意識不明、そんな中で見る幻覚の渦中にでもいるんじゃないかと思っている。自分だって硫酸ピッチのくせに、よく見知った宇宙人の見た事もないような苦悶の表情を素直に受け取れずにいるのだ。


そして、そんな自分の感情を、よく考えたら常識のある一般人としては普通で自然で無理のないそんな感情を抱いてしまっている自分自身を、おれは今、ぶん殴ってやりたいと思っている。


湿った頬を湿った風が撫でた。


眼鏡のレンズの内側に残っていた水滴が、鼻の辺りに滴る。


思い切り寄せた眉間のシワを汗が伝った。


今の今まで忘れていた腕の火傷が、じわりと痛みを発する。


どんなにリアルな夢であっても、その触覚はゼラチンの中に閉じ込められているように薄ぼんやりしている。夢の中で火傷したところで痛覚は何も訴えてこないもんだ。


だが、今おれの触覚や痛覚は、確実に実感的に、現実のおれのものだった。


全く身体ってヤツは、頭が理解するよりもよっぽど早くあっさりと現実を受け止めるもんだと思った。


おれはとんでもない事をしてしまった。


今となっては最早、キヨスミとおれのどちらに根本的な原因があったのかすらわからない。気がついたらとんでもない事になっていたと言った方が正しいと思うが、おれは何食わぬ顔でキヨスミだけに、その“とんでもない事”の責任を取らせようとしているのだ。


宇宙人が突然膝をついた。


九野ちゃんが慌てて駆け寄る。肩を抱いてさすりながら、そろそろ夜明けが近いね、と囁いた。“男の身体”に戻ろうとしているんだろう。


顔を上げたヤツの額には雨に濡れたように前髪がべったりと貼り付いていた。


汗の量が半端じゃない。おれは思わずおののいた。汗だけじゃない。目玉が転がり落ちそうな程見開かれた目からは大粒の涙が零れ、顔を半分以上覆ったデカいマスクはよだれで濡れている。肩を大きく上下しながら荒い呼吸を繰り返し、まるで熱湯のシャワーを浴びたように真っ赤な顔をしていた。


力の使いすぎだ多分、と徹夜明けのような声でフッちゃんが言う。体力消耗してるから身体の変化についていけないんだろ、と自分に言い聞かせるように解説してくれたきり、絶句する。


怒涛のようにこの身を責める現実感に握った拳が細かく震えていた。なんとかこの、足場が崩れてそのまま虚空へ放り出されるようなしんどさから開放されたかった。幾度となく経験したしんどさだった。朝普通に会社に行ったはずだったクソ親父がその日のうちにリストラされて家に帰ってこなくなった時も、そのクソ親父が作った借金の連帯保証人に母親が指定されていて借金取りが大阪の実家まで押しかけてきた時も、そして中一の三学期のあの冷たい雨が降る日のホームルームでも、おれは同じように、この感覚を覚えていた。それは、足元から這い上がる生理的な恐怖に近い。生命の危機を感じた時に近い。そして、至極利己的な恐怖心だった。


「おれがやる」


無意識のうちに発せられた自分の声が鼓膜を揺らした。痰が絡んだように喉が締まる。フッちゃんと九野ちゃんがびっくりまなこをこっちに向ける。とにかく今ここでキヨスミひとりにすべてを任せるのは何より自分にとって許せない事だった。ここでたとえポーズであっても、おれも同様に責任を負う意志を示す事で、なんとかしてこの恐怖を打ち消したかった。おれにも半分責任あるし、当然やろ、と強がってみせる。


「キヨスミが他の方法見つけられへんちゅー事は、他に方法ないって事やろ、せやったらおれが、脳味噌でも何でも貸すわ」


しかし、キヨスミから返ってきた言葉は、断定型の「NO」だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る