Track4:能動的三分間-4

ここまで読んでくれた聡明な読者諸君は既にお気付きかもしれないが、「読者諸君」だの「お気付き」だのなんてイカニモな言い回しを好んで無理して使っていながら、おれはいわゆる阿呆である。


確かにお勉強はずっと出来る方だったし今でも筆記試験は割と成績良い方だが、実技だの学内コンペティションだのとなると度胸は無いし要領も悪いので損ばかりしていた。


バンドを始めてからは度胸だけは身に付いたが、それがまた命取り、元々の無鉄砲と要領の悪さとに合わさって何らかのケミストリーを起こし、「動き出してから出来ない事に気づく」と言う何とも阿呆丸出しな展開を招く事が増えてしまった。


例えば初めて行くライブハウスに場所も調べずに向かってしまうなんて事は可愛い方で、先日なんかはライブ中にテンション上がった勢いで一度もやってみようとも思わなかったギター回しを何故かノーリハで披露しようとし、振りかぶったネックを背後の九野ちゃんのおでこにクリーンヒットさせるなどと言う暴挙を繰り広げた。まるで木に登ったは良いものの降りられなくなる仔猫である。仔猫は可愛いから許されるが、十九の堅太り体型のバンドマンでは救いようがない。因みに九野ちゃんのおでこは無事だったがたいそう泣かれた。


つまり今おれが追い込まれた状態もおれ自身の無鉄砲によって引き起こされた事態であり、おれはいっそメタルじゃなくてプログレじゃねえかと思うような長いイントロを展開しながら必死に枯れかけた灰色の脳細胞に水をやり、打開策を練っていた。

メタリカよろしく英語で歌えればたとえ内容が今朝食った納豆ご飯についての考察であっても格好がつくだろうに、あいにく英語で作詞する時には電子辞書が手放せない程度の英語力だ、それは無理だ、まで思った瞬間、以前レーベルの社長が言っていた言葉を思い出した。


「自分が好きなものについて歌うのが一番なんだよ、無理にトレンドとか取り入れようったってメッキが剥がれるし。だからオッサンの作詞家が若くて可愛いアイドルに曲作ったってなんかダサくなっちゃうんだよな、イイ歳したオッサンが今どきの女の子の感性に合わせるなんて無理なんだから」


元々ミュージシャンであるため自分も曲作りの心得がある社長は、よくおれ達が作業しているスタジオに現れては時々説教をして去ってゆく。そんな幻のような挙動にメンバー一同困惑させられる事も少なくないが、初めての手売りミニアルバムを作ろうと言う時に作詞の壁にぶち当たったおれに向けられた社長のあの言葉は、今でも強く印象づけられている。

あっけらかんと笑いながら、旦那のいぬ間にピザ屋のニーチャン部屋に連れ込んで寝室にしけこむマダムを思わせる黒髪ロングゆるふわパーマの髪をくちゃくちゃに掻き乱し、三十三歳男性(インディーズCDレーベル代表)は事もなげに言ってのけた。


「そこにソウルとエモーションがあれば良いのよ、歌詞の内容は美味しい日本のお米についてだって」


それってなんて打首……と思ったが、パクリとオマージュの境界線について考えを巡らせる程今のおれに余裕は無かった。訴えられたら後で謝罪して取り下げればええやろ、て言うかそもそもここにいるリスナーは平清澄たいら きよすみだけである。何も恐れるものなどあるものか、ファッキンジャスラック。

おれはメタリンなサウンドに合わせて、勇気を出して言葉をのせた。


《原始ご飯は太陽だった

稲のなるのは良い土地だった

原始ご飯は太陽だった

米育つのは良い国だった

瑞穂の国 その矜恃 カレーライスにパエリアカオマンガイ

薙ぎ倒した異国の血に染まれど肥沃な大地は米を忘れず

対して現世の流行りはどうか? 猫も杓子も小麦粉ジャンキー

米のおかずにお好み焼きか どっちが主食だ


ヘラはどうした? 飯が食えない!

最早しゃもじで食いたい

女子のトレンド ロカボフード

炭水化物抜きは甘え

もう炊飯器抱えそのまま食べたい、米!!!!》


どうだ、ぼくりりもビックリのこのおれのリリックセンス。急遽叩き起こされた半目の言語中枢がパニックを起こして、韻を踏むぐらいしか気を配れなかっただなんて言えない。しかし、何事もせせこましいよりは堂々としている方が美徳とされる世間だ。堂々たるダサさは美徳である、きっと。

さっきのデスヴォイスの威勢を有効活用してシャウトボーカル割り増しに徹したらば、息が続かなくて脳味噌が酸欠を起こしかけた。

しかしおれはキヨスミの言う「サイコキネシスの使えるバンドマンなら誰だってやってみる」事が、自分にも問題なく出来てしまった事にたいそう気を良くしていた。今なら何でも出来そうな気がする。流石は厨二病患者、もしかして歌詞の方も思いの外滑ってないかも? なんちゃって。

次の音源にこんなコミックバンド的な曲を入れてみてもええかもなあおれメインで、なんて思いながらノリノリで二番に差し掛かろうとしたその時、ふてぶてしくもプロデューサー然とした佇まいで腕を組んでいたキヨスミが、床に放り出したベースをやおら取り上げてひとりでに震える弦をミュートし、自分のピックで思い切り鳴らした。


チューニングもガタガタな不協和音が部屋中に響き渡る。


アンプにさえ繋いでないのにめちゃくちゃに歪みのかかった重低音が、おれのアンサンブルを力技で停止させる。足許から這い上がるような凄まじい音に、ディズニーアニメだったら身体全体がギターの弦のようにビリビリと震えてんじゃないかと思う勢いで震え上がったおれは思わずピックを取り落とし、あっさり己のターンを手放してしまった。


自分で鳴らした騒音に派手に顔を顰め、余韻の長い重低音の尻尾を引きずったままこちらへキヨスミが近づいてくる。心なしかいつもより腰の入ったモデル歩きで近づいてくる。いっそ優雅な程にゆっくりと右足を踏み出すと、捻られた細い腰が更にくびれて見え、その緩やかに布の内側を持ち上げるふくらみを誇示するかのように左のおっぱいがぷるんと揺れた。左足を踏み出すと今度は右のおっぱいがささやかながら重量を感じる振る舞いで可憐に上下し、その上の華奢な肩の上でボブカットの髪がさらりと揺れる。まるで勿体ぶるかのようにゆったりと目の前に迫りくる同級生の男だったはずの生き物は、甘ったるいアメリカのお菓子のような香りをほんのりと振りまきながらおれの胸元に顔を寄せた。


初恋相手と言って差し支えない、可愛かったあの子と同じ匂いだ。


あまり背の高くないおれの鼻っ面に頭頂部がくる、ハグしやすい背の高さもあの子と同じ。


そして、控えめな素振りでおずおずとおれを見上げる、長い睫毛の奥の真っ黒な瞳も――――。


みぞおちの辺りに押し付けられたふたつの柔らかな感触に一瞬ノボりかけたおれの思考回路を、残酷にも再び収まるべき場所へ引きずり下ろしてくれたのは、他の誰でもない、そのおっぱいの持ち主だった。


「笑止!!!!!!」

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