Track1:空も飛べるはず‐3

おれは今、ロックバンドのギターボーカルとして活動している。


おれの所属するHOUSNAILSハウスネイルズは、いわゆる駆け出しのインディーズバンドだ。高校時代からの友人で同じ音楽学校に進学した三人と一緒に結成し、去年の三月から本格的に路上ライブや動画配信なんかをするようになった。


高校や音楽学校の多くの同級生は洋楽ロックだったりちょっと玄人好きするようなプログレだったりを好む奴が多いのだが、おれはどうにもそんな音楽好き仲間の「Jポップはクソ」「邦楽オルタナは虚勢」的なイキった態度が解せなかった。


おれは小学生時代にポルノグラフィティと東京事変を聴いて育ち、母親世代のシブヤ系やばあちゃん世代のグループサウンズなんかをカラオケでガンガン歌いまくるような奴なので自然とそういうやつらからは若干浮き上がるようになり、同じように日本語ロックやら歌謡曲やらアニソンやらにやたら執着する変わり者共とつるむようになった。

気が付けば、いつしかそんな変わり者同士でロックバンドを組む事になっていたのだ。


今年の一月にはインディーレーベルからのお誘いも来てやっとライブハウスでの演奏や手売りCDなんかも満足にお届け出来るようになり、古き良きGSヨロシクキャッチフレーズまで付くようになった。

その名も、


『角で突き刺し槍で穿つ! ロック・フュージョン・ダンスミュージック全てを網羅したニューエイジ・歌謡ポップスを掲げるモンスター級巨大カタツムリ・HOUSNAILS』


完全にインディーレーベルの社長さんの趣味丸出しな厨二病キャッチ、キャッチー過ぎておれのちょっぴり大人になってしまった心ではキャッチしきれない文字列だが――しかも本来この後に「の襲来を震えて待て!」と続く。今ネットにアップされてるライブ映像やMVの説明文にはこの文章が厚顔無恥にも高らかに踊っている――、バンド名に含まれたカタツムリを表す「スネイル」に上手く引っ掛けていてなかなか洒落ているような気もしている(因みにバンド名の由来は昔夕方の子供番組でやっていた、背中に三角お屋根のお家を乗っけたカタツムリのクレイアニメだ)。

現実はまだまだモンスター級が聞いて呆れるし誰も震えて待っちゃあいなかろうが、気心知れた仲間達と一緒に好きな音楽が出来て、ノルマとプラマイゼロ(寧ろマイナス)とはいえひと様からお金を貰って好きな歌を思いっきり歌えると言う現状に、おれはとても感動していた。


件の生まれて初めてキスまで辿り着いた記念すべき初カノジョのキヨミちゃんと出会ったのも、バンドでの活動がきっかけだった。

今から三ヶ月前のまだまだほんのり肌寒い春の日、おれは事務所の近い下北沢のロックバーでのイベントを終えて軽く燃え尽きていた。

頬を撫でる桜の花びらに酔いながら――打ち上げでこっそり飲んだビールの後味にも酔いながら――フラフラと高架下のイベント広場のような空間の傍を歩いていると、路傍に見覚えのある携帯電話が落ちているのが目に止まった。


紫色の本体にラメの入った透明なカバーのスマートフォン。街灯を受けてやたら高飛車にきらめくあのイヤラシイ裏面は、ウチのベーシストのものじゃないか?


全くドジ野郎やな、と口の中でちょっとした悪態を噛み潰しながらジーパンの裾をちょっと持ち上げてしゃがみ込み、拾い上げる。電源は切れているようだった。大事な仕事の連絡でもあったらどないすんねんアホが、と再び悪態を噛み潰しつつソイツを片手で弄んでいると、背後から蚊の鳴くような小さな声が聞こえた。


「あ、あの、それ、」


あんまり小さい声だったものだからおれの心臓は若干縮み上がった。何今の、人の声? の割には浮世離れしすぎじゃないか、まさかこんな夜中も割と賑やかな、何処にライブ帰りの売れないバンドマンの目があるか判らないような場所でそのような現象に遭遇する事になろうとは、などと要らぬ心配を冴え渡らせながら震える肩を両手で抱いて恐る恐る振り返ると、見慣れない華奢な人影が申し訳なさげに佇んでいた。


「わたしの、けいたい」


舌っ足らずなその声と、右目の下にある妙になまめかしい泣きぼくろがやけに印象的だった。

こんな他愛もないきっかけが、キヨミちゃんとおれの出会いだった。


バンドメンバーのケイタイとよく似たスマホを落として途方に暮れていた彼女は、都内の音大に通うおれと同い年の十九歳。その日はどうやらおれ達のライブを観に来てくれていたようで――しかも対バン相手だった先輩バンドのファンではなく、ネットでたまたまおれ達のライブ映像を観て惚れ込んでくれたらしい! ――、顔を真っ赤にしておれに話しかけてくれた。

そりゃそうだろう、素人に毛が生えた程度とは言えついさっきまで舞台の上でカッコよくキメていた野郎に大切な物を拾われてしまったのだ、おれだって顔真っ赤にもなるし声だって震える。でもお客様とは言えおれからしてみたらただの可愛い女の子だ。皆さんご承知の通り、バンドマンの中には手が早くファンの娘を片っ端から食っていくような輩もいる事は確かだし(実を言うとメンバーの中にも早押しクイズに定評のあるクズ野郎が確実に一人はいる)、生憎そのような類ではない清純派爽やかバンドマンのおれには正直目の毒だった。


可愛くておれ達のファン、という時点でもう既にハニートラップレべルなのに、花屋さんで一生懸命バイトしながら音大の学費を稼ぎ、プロのジャズピアニストを目指している、なんて話を聞かされたらもう完全に惚れてしまう。しかも音楽の趣味も非常に似通っていたため、おれ達は一気に仲良くなってしまった。


お互いバイトやらライブやら発表会やらと忙しい毎日の合間を縫って月イチの逢瀬を重ね、最近やっと自宅に彼女を招くステージにまで辿り着いた。高校進学に際してひとりで上京し、江戸川区は西瑞江のさびれたアパートの一室を借りたは良いものの、心配性過ぎる母親が結局ついて来てしまった事によってなかなか自宅で自由な時間を設けられないと言う災難を乗り越え、看護助手をしている母親が遅番の日を狙って彼女を自室に招き入れた。おれ達は遂に同じ人生(この場合「人生」は「とき」と読ませる)をひとつの場所(この場合「場所」は「いえ」と読ませる)で生きる為の第一歩を踏み出したのだ。


と言うのは流石に気が早すぎるかもしれないが、彼女がおれの隣で静かにニコニコと笑い、ただただ楽しそうにおれのつまらない音楽理論を聞いてくれたり最近聴いたポピュラーミュージックの感想を演奏者らしい目線で一生懸命に話してくれたりするだけで、おれはとにかく幸せだった。


あまりの幸福ホルモンドーパミン分泌過剰のせいで可愛いカノジョに怪我を負わせてしまったおれは、あの後結局情けなくも身を引いてティファールのポットに水を足しに台所へ逃げてしまった。

沸かし直したお湯で二杯目のミルクティを入れ、その後の時間を他愛も無いお喋りで過ごしたおれ達は、彼女のお母さんからのメールによって幸せな時間を終わらせた。もうすぐ夕飯だから帰ってらっしゃい、と言う非常に健康的な理由でいとまを切り出す彼女を最寄り駅まで送り届け、おれはきちんとカレシとしての役割を全うした。


去り際の彼女が口にした、「次はもっと長くいっしょにいたいな」と言う言葉におれは今にも小躍りしそうになったが、ぐっと堪えて穏やかな笑顔で送り出せたのは褒められて然るべきだと思う。

とは言え立派な紳士になるには早すぎる俺は抑えきれない胸の高鳴りをなんとか形にしたくて、だからと言ってその場で作曲を始める訳にもいかないので、とりあえず小さくステップを踏みながら自宅へと戻った。


橙色の夕焼けに照らされた見慣れた街並みは、なんだかやたらきらびやかに光って腹立たしい程に幸せそうだった。ファーストフードのチェーン店や消費者金融の看板ばかりが目につく地方都市の味気ない帰路さえも、蜂蜜色に塗りたくられておれの脳味噌を酔わせる。


しつこいぐらいに何回だって言いたい。おれは今、人生で一番幸せな季節を生きているのだ。


しかし、幸せはいつまでも続くとは限らないものだ。


実際、おれの幸せはたったの四ヶ月で脆くもあっさりと崩れ去った。

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