Track1:空も飛べるはず‐1

親譲りの無鉄砲と原因不明の謎体質のせいで、おれは子供の頃から損ばかりしていた。


今のは友達と呼べるような相手のいない寂しい中学時代を励まし、諭し、阿呆だったおれに人生とはなんぞやをイチから教えてくださった夏目漱石先生へのオマージュだが、綴った内容に嘘は無い。


我が家では洗濯に出した洋服のポケットにティッシュペーパーを入れっぱなしにしていただけで母親が怒りに任せて洗濯機(ドラム式)の蓋とハンガー、洗濯バサミなどを融解させるのが日常茶飯事だったから、自分や家族を含む「人間」と言う生き物はみんな怒るとモノを燃焼させたり溶かしたりする“何らかの物質”を指先などから排出するものだと思い込んでいた。


四歳のある日、近所の歳上の保育園児が喧嘩している現場に遭遇し「うぜぇなあ」と思ったおれは、その場にあった滑り台の手すりを少しだけ溶かしてしまった。

「煙でてる」「こわい」「てつのにおい」などと口々に言いながら怯えて去ってゆくおにいちゃんたちを満足げに見送るおれに、パート先である近くのスーパーから帰って来た母親は諭すようにこう言った。


「お母さんやカズくんが出来る事は、みんなは出来ひん事なんやで。怖がらせてもうたら可哀想でしょう? あんまりみんなの前で怒ったりせんように気を付けてな」


母方の家系に代々受け継がれているらしいこの傍迷惑な異能力のせいなのかはよく知らないが――母親はあまり父親の話を日頃したがらないから、ちょっと聞きづらい――おれの父親はおれが三歳の頃、いつも通り「仕事に行ってくる」と行ったきり帰ってこなくなった。女っけもなく仕事にも真面目だった父親の唯一にして最大の欠点はギャンブル狂いの浪費家だった事で、ある日突然債務者(父親)不在の自宅に借金取りがやって来た時の記憶は幼かったおれの無意識下にしっかりと刻みつけられ、未だトラウマとなっている。そのせいもあってかなかなかの倹約家であるおれの生活力を鍛え上げてくれたのは、女手ひとつでオトンの役割もオカンの役割も立派に担うオカンだった。

そんなオカンの言う事は、幼かった頃のおれにとっては絶対的だった。己や母親の持つ能力の異常さを早々に叩き込まれたおれは、それからなるべく「普通」である、と言う事を信条に生きる事を幼心に固く決意した。


保育園児の時分には当然ながらまだ上手く感情のコントロールが出来ず、ちょっと駄々を捏ねただけで園のお庭で大事に育てていたツツジを全滅させたり、いじめっ子の持参した仮面ライダー龍騎の変身ベルトを液状化させたりと手のつけられない子供だった。そんな末恐ろしい幼児には当然おともだちなんぞ出来ない。先生にも手に負えない。通っていた私立の保育園から少し離れた場所にある小学校に通う頃には少しずつではあるが、非常に忍耐強く決して怒らず常に穏やかな、目付きだけは鋭い子供に育っていた。


常に目立たず、控えめに。陰キャすぎない陰キャであれ。友達らしい友達も大して出来ずに思春期を迎えたカズマサ少年だったが、中学に入学する頃にはだいぶ社会性を身につけるようになった。


しかし。


中学一年の三学期の冷たい雨が降るあの日以来、チャームポイントの目付きの悪さからつけられた「組長」と言う誠に不名誉な渾名に加え、壊滅的に物騒な二つ名がもうひとつ、生み出されてしまったのだ……!!!!


「恐怖の硫酸ピッチ野郎」


お陰でおれが学級委員長を務めたクラスは謎の団結力を有し、不思議とよくまとまるようになった。生まれてこの方人見知りで、「真面目そう」と言う理由だけで学級委員長に選ばれたMC力もカリスマ性も無いおれは、自慢の鋭い目付きの威圧感と「怒ると謎の粘液を放出して物体を溶かす」と言う一般人には到底理解し難い感じの字面の噂によってクラスをひとつまとめ上げてしまったのだった。

流石に現場にいなかった他クラスのやつらなんかは真に受ける者も少なく、いじめられるような事こそ無かったが、おれが廊下を歩くとモーセの十戒の如く道が開く、同い歳なはずのクラスメイトが敬語を使ってくる、と言うような事ならザラにあった。今まで親しげに普通に話しかけて来てくれていたクラスメイト達は余程の用事がない限り、おれに軽々しく接触してくる事はなくなった。担任の言う事すら聞かないような地方のDQN中学の一年D組はおれと言う“脅威”によって学年きっての優秀クラスとなったが、当のおれはクラスからぼんやりと孤立した。


それから三年間、おれは理不尽な憤りと困惑に駆られながら日々を過ごしたのだった。


一体何なんや、おれがお前らに何したっちゅうんや?


そんなおれのもとにも、人生十九年目にして遂に、やっと春がやって来た。

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