〜introduction-空想科学少年〜

――――肉が焼ける匂いがする。


勉強は出来たがいささか阿呆だったおれは、その匂いを嗅いで真っ先に、腹が減ったな、と思った。

どうしてお腹が減るのかな、喧嘩をすると減るのかな。

小さい頃に母の背中で聴いた唱歌なぞ思い浮かべながら、否、おれは今喧嘩なんて低レベルな事をしている訳ではないのだ、余りに身勝手過ぎる崩壊寸前のクラスメイト達に、学級委員長らしく忠告をしようと、場合によっては叱責しようと席を立っただけなのだ、それなのに何故おれは、肉の匂いを嗅いでいるのだろう?


「硫酸、ピッチ……」


誰かの蚊の鳴くような囁きが、真空と化した教室に響いた。あの不名誉極まりない呼称が源壱将みなもと かずまさニックネーム・データベースに新たに追加された日の景色を、おれは今でもしつこくネチネチと昨日の事のように、それはもう鮮やかな映像として記憶しているのだ。


今から大体六年程前の事である。


おれはあの時その声に対して非常に的確且つ無礼極まり無い返答をした。きっと反射が働いたのだろう、間髪を入れずにただ一言、


「誰が有害廃棄物じゃコラ」


そう、「コラ」まで付けてしまったのだ。しかも声変わりを終えた直後の中学生男子とは思えぬドスの効いた声で。この時程河内生まれの自分のDNAを呪った事は無かった。

今思えば言い得て妙過ぎるこの渾名はおれの中学時代をそれはそれは華やかに彩る素晴らしいスパイスとなり、故郷大阪からはるばる離れた東京の私立高校への進学欲を非常に強く掻き立てる結果となった。

思春期の三年間は多分おそらくその後の人生の十年間分程度のウェイトを占めていると思う。おれのその後の人生におけるキャラは、あの三年間のせいで大きく変わってしまった。


どうせモノを溶かす物質だったら王水とかでも良いだろうに、せめてもっと気高い感じの渾名をくれたって良かろうに、十三歳のいたいけさは授業で習ったばかりの有害廃棄物の名によって虚しくも破壊されたのだ。

否、判っている。誰が悪い訳でもない。おれが悪い。

こうなる事をよくわかって、今まで隠し仰せてきたトップシークレットを、よりにもよって当時のクラスメイト全員の注目を浴びるタイミングで暴露してしまったのだからおれ以外の誰も悪くない。

おれは断じて廃棄物ではないが、確かに“有害物質”、なのだろう。


《――――硫酸ピッチ

[りゅうさんーぴっち]不正軽油を密造する際に、重油と灯油を混ぜ、濃硫酸で処理した後に残る黒いタール状の物質。ドラム缶を腐食するほどの強酸性で、亜硫酸ガスも発生する有害廃棄物。

(デジタル大辞泉より引用)》


あの時、おれが手に触れていた教卓の角は、おれの掌や指先の皮膚もろともどろりと溶けてただれ落ち、火が消えた後のタバコの吸い殻のように煙を発していた。


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