第13話 道しるべ

「お前ら、肉ばっかり食わんと野菜を食え」

 風丈の叱責しっせきがキッチンの食卓を駆け巡る。

 部屋はモクモクと煙に包まれ、食卓の中央に鎮座するのは焼き肉用のグリルだ。昔ながらの、伸ばしたガスホースにつながったそれは青い炎を勢いよくあげて牛肉の表面をこがしていく。肉汁の滴る香ばしい肉はすぐに消えていく。

 審判のように立ったままの風丈は、箸を片手に虎視眈々とグリルの上を睨んでいる面々の目を確認して、分厚いカルビをグリルに置いた。

 ごくりと喉を鳴らす男たち。

 羅門がたまらず、皿に盛られた生キャベツに手を伸ばす。戦線離脱だ。

「俺、一抜けやわ」

「ふがいないぞ、羅門」

 羅門の隣に座る千嘉がギロリと鋭い目を羅門に向けて言った。

「いいやん、羅門が食べへんなら俺が食うから」

 千嘉の向かいに座っている一価が意気揚々と言い、その隣に座っている京太郎が遠慮しつつも、焼けて隅に追いやられたミノとハラミに手を伸ばしている。

 全体を取り仕切っている風丈は、野菜を各々の皿にぱぱっと割り振り、カルビを裏返した。

「もうロースが売り切れや。牛は高くつくから、今度は焼き鳥でもするか」

 風丈が呟くように言うと、一価の目がきらりと光る。

「俺、焼き鳥めっちゃ好き。塩にして下さいね」

「甘辛だれが一番やろ」

 横から千嘉が言うと、睨み合いが始まる。

 その隙をついて、京太郎が香ばしく焼けたカルビを美味しそうに頬張っている。

「あ」

 それに気が付いた二人は早業で箸を動かし、皿にカルビを確保した。

「羅門、ほら」

 言いながら、風丈が一番大きなカルビを羅門の皿に入れると、一価の目が釘付けになる。分厚いカルビの誘惑から一価が目覚めると、すぐに残っている肉の取り合いに参加する。

「風丈さんは?食べへんの?」

 羅門が問うと、風丈は微笑んだ。

「若いもんがしっかり食わんとな」

 そう言って、風丈は座ってワイングラスを傾けた。

 赤い液体はするすると風丈の喉に流れ込んでいく。

「ところで」

 風丈が羅門を見ながら言う。

「群青はどうしてる?」

 その名を持つのは岡山にいる羅門の友達、由紀源定のことだ。

「元気やで。時々京ちゃんとこの屋敷に泊りにくるって言ってた」

 羅門の答えに風丈は目をすがめる。

「ふん。あいつが大人しくしていると気持ち悪いな」

「そりゃ、今は別の人間なんやし、無理ないって」

 羅門は呆れ顔で言った。

 群青は死神こと風丈の手にかかり、天界へ送られて浄化した元地獄の王である。そんな大物が浄化できるという天界のシステムも謎だらけだが、悪戯に地獄の王とやらに手出しする風丈も謎だらけである。

 羅門はうさぎのようにばりばりとキャベツを食べながら、皆の視線が羅門の皿に集まっているのに気が付いた。

「それ、食べへんのやったら、もろたげるで」

 一価が箸で狙いを定めて言う。

 分厚いカルビが焼き肉のタレに浸かって助けを待っているかのようだ。

「だめ」

 羅門はすぐにカルビを自分の口に運んだ。

「デザートもあるからそんな顔すんなって」

 羅門は言って、テーブルをテキパキと片付けてから祖母の作ってくれたレモンのジェラートとプリンをガラス皿に盛り付けた。

 子どもさながらに嬉しそうにデザートを頬張る男子四人を見ながら、風丈は一人ゆっくりとワインを楽しんでいる。

「それにしても、臭いな、焼き肉は」

 千嘉が服についた匂いを嗅ぎながら言うと、一価がニヤリとする。

「この後デートか?」

「違うわ。今日は何もあらへんけどな」

 けど何だろう、と羅門も千嘉を見る。

「電車乗る時に臭いと気になるかなって思っただけや」

 千嘉の答えにぷぷっと一価が笑う。

「この頃、千嘉って、そういうの気にするようになったな。フィアンセが登場してからやんなあ」

「いいやろ、別に」

 千嘉は気まずそうに目を逸らす。

 増々面白そうに一価は彼を見るが、からかうようなことは何も言わずに、羅門にお茶を入れてもらっている。

 こののどかなランチ会の主催者は羅門の祖母秋子だった。

 彼女は用意だけ整えると、急に今野さんというイケメン老紳士に呼び出されてデートに行ってしまった。

 そこで風丈が監視役にやって来たのだ。

「それにしても、京ちゃんが羅門と知り合いやったとはねえ」

 一価が京太郎をバシバシたたきながら言った。

「たまたま、だ」

 京太郎は言葉を濁し、羅門に目を向ける。

「友達の友達は友達、やしな」

 羅門はユキのことを思い浮かべながら言った。

 そんな若者たちの様子を見ながら、風丈は新しいワインボトルを開けて、悠々グラスを傾けている。

 しかし、わいわい言いながら皆で洗い物をしている間に、風丈はいつの間にか消えていた。

 居間で借りてきた映画を見ている皆を置いておいて、羅門はベランダに出た。

 風丈はだいたいここで風を感じていることが多いのだ。

「なんや、見つかってしもたか」

 声がして、風丈の姿が目視できるようになる。

「なんで姿を隠したりする必要が?」

「なんでってなあ。私も消えたいときくらいあるんやわ」

 風丈は言い、風にそよぐ前髪をかきあげた。

 本当に見た目は同じ歳な上に、甘いマスクの良い男だ。

「風丈さんの生きてきた年月にはかなわへんけど、俺も風丈さんの力になりたいと思うんやで」

 羅門は素直な心で言った。

「おおきに。ほんまにお前はええ子やなあ」

 風丈の慈しむような目に、羅門は大きな愛情に包まれている気になる。

 これが風丈の器なのだ。

 大きくて、深い。どこまでも限りない包容力を前に、羅門は彼にはかなわないと思う。

「あいつからちょっかい出された時、お前は葬儀のイメージを頭ん中に思い描いたやろう?」

 風丈は、いつもと違う調子で話し出す。

 もちろん、あいつ、というのはユキのことだ。

「鐘の音が、だぶん、そんなイメージだったから?」

「まあ、鐘はな、警鐘を鳴らすって意味やから大して重要やないんやけどな。葬儀っていうのは聞き捨てならん言葉やねん」

 風丈は遥か遠くを見つめる目で羅門に語る。

「我ら鳳家はこの大和の国に根差すようになって、ここが故郷だと思っている。けどな、ルーツは別のところや。

 遥か昔、まだ人類が今のような脳を得る事もない時代の話や。全知全能の神が楽園から追放した人間の子どもたちが子孫をこの世界に作って住んどった。回りは知能のないモノばかり。それではつまらん、と似た生き物を生み出すことにした。いわゆる、サルを進化させたってことやな。

 脳を発達させ、二足歩行になった人類は、やがて神から追放された子らとそう変わらん生き物になった。そこからは、もう人間の歴史にあるものと同じや。しかし我々にはずっと成し得ていない目的がある。なんやと思う?」

「え?」

「神の楽園を追放された子どもの子孫の役割は、エデンに帰ること」

 風丈は言って羅門を見た。

「風丈さんって風神と雷神の子どもだって言ってなかった?神様から楽園を追放されたのはアダムとイブやろ?あれは聖書の話やないの?」

 羅門はおおいに混乱して言う。

「神の作った人間が我ら鳳の人間や。そして、風神雷神もまた、同じなんや」

「じゃあ、風神雷神って呼ばれているのは神ではなく人?」

「人間離れした神に並ぶ人間ってとこやな。人間って呼ぶと、またややこしいから神ってことになっとるけどな。神から追放された子らは神の末裔。人間とは少し違うんや」

「ちょっと理解が追い付かない。いや、話はわかってん。けど、理解したくないっていうか、人間は人間やんか。神にはなれへんで」

「そうやな」

 風丈は笑って頷いた。

「人間は人間やな。そやし、神って名前で呼ばれとる奴がいるんやな」

 風丈は独り納得して、外の景色に目をやった。

 それから次の言葉を発するまで、しばらくの間二人黙って風に揺られていた。

「葬儀のイメージはな、神に追放された時のイメージや。アダムとイブは嘆き悲しみ、その悲しみの深さから、未だに子孫はその嘆きに呪われる。難儀なこっちゃ」

 風丈は言いつつも、それを許しているようだ。

 神から見放された子らの絶望を、彼なら癒せるような気が、羅門にはした。

「道しるべをな、探さなあかんのや」

「道標?」

「エデンへの道しるべを探すのが我らの使命。そしてエデンへアダムとイブを帰してやる。あいつら、まだそこらへんで嘆いとるさかい、俺らがこんなはた迷惑な能力持って生きにくい現実を受け入れなあかん羽目になっとんねんで」

 風丈は苦笑して言うが、羅門はもう話に付いていけていない。

「天界には風丈さんも行けるやろ?そこはエデンってとこと違うん?」

「そこは人間の浄化する所やからな。エデンで生まれたアダムとイブは、そこには行かれへんのや。そやから、延々この鳳の血が生きてるんや」

 風丈の言葉は羅門の頭ではなく心にすっと入って来た。

「だから、か。俺が馴染めないのは」

 羅門の発言に風丈がおや、という風に目をあげる。

「この世のどこにも居場所がないように感じる時がある。それが俺が魔王やって言ってたからかと思ってたけど、先祖代々の呪いみたいなもんやと思ったら、なんか急に楽になったわ」

 気になっていたことが消化できて、羅門の顔は晴れやかだ。

「魔王や死神、この鳳の中に、ほんまに暗い力が目覚めてきているここいらで、エデンとやらを見つけんと、この世界があかんようになってしまう気がするわ」

 風丈は言って、にこりと笑った。

「安心せいよ。羅門のことは私が守ったる。お前はお前の思うように生きたらええ。ただし、鳳の力は厄介やからな。自覚はせなあかんで。恋愛も自由にはでけんけどな」

「恋愛?」

「そや。好きな事は結ばれへん人生や。それは覚悟しとかなあかん。お前の持つ力のせいで相手を不幸にすることもあるからな」

 風丈に思わぬ現実を突きつけられて、羅門は少し驚いた。

「恋愛、か」

 好きな子と結ばれないかもしれない運命。それは良いのか悪いのか、若い羅門には判断がつかない。そこまでの恋愛もしたことがない。もちろん、好きな子はいる。付き合って、映画を観たり、休日にドライブへ行ったりするのも夢見たりする。でも、それ以上は考えたことがない。家庭をもって、だとか、子供を作って、だとかは遠い先のことのように思えるからだ。

「エデンを見つけたとして、俺たちはその後どうなるん?」

「さあ。エデンへ帰されるほど、清い人間でもないからな。立ち入り禁止やと思うわ。そやから、変らへんのとちゃうか?とは言え、この能力もなくなっていくやろうけどな」

 風丈は言って、部屋の中へ入って行った。

 ソファの中央に無理やり陣取り、映画を観始めている。

 羅門はそんな風丈と友達の姿を見て、微笑んだ。

 エデンがどんなところか知らないが、それを探すという目的があることを知った。それだけでも、道標を得た気になる。

 彼はまだ、それがどんな困難な道のりかなど、知る由もなかった。







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エデンへの道しるべ 七海 露万 @miyuking001

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