第12話 鐘が鳴る6

「ああ、うまいわ、これ」

 京太郎の淹れた珈琲に満足げな感想を漏らして羅門が山と積まれた饅頭に手を伸ばす。

 部屋を移動してキッチンのカウンター席に羅門と九条、そして京太郎が並んで座る。

 飴色のコーヒーカップからは芳醇な香りと湯気が漂っている。

 時折、屋敷のあちこちで破壊音が鳴っているが、気にしても仕方ない。

「京ちゃん、なんでユキと知り合ったん?」

 羅門が尋ねると、京太郎はほう、と息をついた。

「俺んち、言い伝えがあって、地獄からの使者が現れたら従うようにって言われてたんやわ。この家も、リフォームはしてあんねんけど、それもわけのわからん言い伝えの使者の為やってさ。ま、小さい頃からそんなん言われて育ったら、やっぱり本気にするやろ?で、去年かなあ?この家が幽霊屋敷やって噂が流れてて、リフォームしたてやのに、変やと思って来てみたら、ほんまに荒れ屋敷になってて、しかも女の子がいるし、びっくりしてん。まあ、蓋をあけたら女の子とちゃう上に、上から目線の俺様やし、有無を言わさんあの迫力とか、もうたまらんやん?まあ、それがあの旦那様との出会いや」

「出会いは分かったけど、なんで荒れ屋敷に見えんの?」

 羅門が真新しいキッチンや廊下を見て言った。

「なんかの魔術なんやって。外見は幽霊屋敷に見えるねんて。関係のない人が入って来んようにっていう結界やって言ってはったよ?俺の理解を越えてるけど、まあ、地獄からの使者やしな。なんでもできるんちゃう?っていうか、あの人、魔王やろ?使者どころの話やないねんけど」

 京太郎はユキの存在に恐れを抱いているらしい。

の者は昔、青の貴公子と呼ばれていた。舶来の神だったと記憶している。神の国から陥れられて地獄の管理をする王になったらしい。青と呼ばれているのは彼の力は冷ややかな青い炎を操るからだ。それを茶化して死神が群青と呼び、事あるごとにちょっかいを出したので、ああいうことになっている」

 九条が補足説明をしてくれる。

「風丈さん、好んで厄介ごとを持ち込む質やねんな」

 羅門が言うと、九条は大きく頷いた。

「お陰で私の人生も大きく変わってしまったのです」

「ああ、ほんまに、九条は災難やね」

 羅門が慰めるように言う。そんな羅門の優しさに九条が微笑んだ。

「お気になさらず。私も死神に劣らず曲者ですので」

「ああ。知ってる」

 羅門は笑って、もう一個饅頭を手に取った。

「ところで、京ちゃん、言い伝えの話、なんでそんなことになったのか聞いてへんの?いきなり地獄の使者に従えって言われても、得にでもならん限りあり得へんやろ?」

「ああ、それな。なんでも、先祖が地獄からこの世に返してもろたんやって。せやから、恩を返す為にも尽くしなさいってさ」

「へえ。そんなことあるんやなあ」

 羅門は自分の事は棚に上げて言った。

「ところで、羅門やっけ?すごい目してんな。それカラコン?」

 赤い目を指摘されて、羅門は肩をすくめた。

「ユキの魔術やで」

「ああ、なるほど」

 京太郎は意外にあっさり納得した。

「まわりの金色がかっこええなあ」

「自分じゃ見えへんわ」

 羅門は言いながら、珈琲のお代わりを要求した。

 京太郎はかいがいしく動き、ついでに小腹の減った羅門の為にオムライスまで作ってくれた。

 満足げに羅門が吐息をつき、派手に崩壊した奥の座敷を見やる。

「あれ、そろそろ止めんと、この家なくなるんちゃうの?」

 羅門が言うと、京太郎が心配そうに頷く。

「誰が止めるかって話やな」

 羅門の視線が九条に注がれる。

「私は死神が死んでもいいというのなら構いませんが?」

「いやいや、九条のはシャレにならんからなあ。俺がやる?」

 自問しながら、羅門は立ち上がった。

 やれやれ、とユキと風丈がいそうな部屋に目星をつける。後ろにはちゃんと九条が付いてきてくれている。

「風丈さんは力もないのに、ようやるよなあ」

 独り言のように呟く。すると九条が真顔で口を開く。

「充電中でも死神の破壊力は侮れません。それだけに、危険な存在とも言える。死神のあの大鎌は世界を切り裂くとも言われている。怖い奴ですよ、死神は」

「へえ」

 羅門は殴り合う二人の影を目に捕らえて、腕を組んだ。

 ユキも風丈も着ている服は破け、派手な切り傷が目立つ。よく見ると、彼らの回りで風がぶんぶん唸って刃のようになり、その風の刃の応酬を繰り返している。

「危ないなあ、もう」

 羅門は飛んできた風の刃を手刀で割り、目を光らせる。

 朱色の瞳がだんだん金色を帯びてくる。

 羅門は右手を掲げた。

 パシン、と音がして、ユキと風丈の体の動きが止まる。一時停止と言ってもいいくらいだ。空間がきしみ、二人に圧力がかかる。

「喧嘩は迷惑や。終わりにして」

 羅門が言うと、二人の目だけが羅門の方を向く。

「分かった?」

 笑顔で羅門が尋ねると、二人はこくこくと頷いた。

「よろしい」

 羅門が言うと、二人の拘束が解ける。

「お前、また封印のやり直しか」

 風丈が羅門の目を覗き込んで言った。

「あ、それは大丈夫そう」

 羅門が言うと、すうっと瞳の色が茶色に戻った。

「なんて言うのかな、貯まってた雨水を飲み水に利用した感じ?」

 羅門の説明に風丈が不可解だと顔で示した。

「まあ、ええわ。封印に綻びは感じられへん。大丈夫やな」

 風丈がほっと息をついた。

「あーあ、派手に壊したなあ」

 羅門が回りを見回して言うと、ユキが気が付いたように辺りを見た。それから人差し指を破損した場所に向かって動かすと、時間が巻き戻ったように部屋が元の通りに戻って行く。

「すげえな、ユキ」

 羅門が感心して言うと、彼は照れたように笑った。

「結界を施している場所だからね。これくらいは楽勝。でも、人間の命はいくら俺でも戻せないけど」

 寂しそうに彼は言った。

「それにしても、羅門に止められるとは思わななかったな」

 ユキは言い、風丈を睨んだ。

「まだ許したわけじゃないぞ」

「別に許してもらわんでもええわ」

 まるで子供の喧嘩である。

 羅門は「人騒がせな」と呟いて、二人に背を向けた。

「ほな、俺は一価んとこに行くんで。ユキはしばらく人に迷惑かけたことを反省しなさい」

 言い捨てて、スタスタと玄関の方に行くと、京太郎が見送りに来てくれる。

「なんや迷惑をかけたみたいで、ごめんな」

「ええよ、京ちゃんのせいとちゃうし。それじゃ、今度は学校で会うかな」

「ああ」

 羅門が玄関を開けると、竹林が風で揺れる音がした。しかも、何やら外は既に朝を通り越して昼を迎えている。屋敷の中にいた間に時間の感覚がおかしくなっていたようだ。

「あれ、ここどこやっけ」

 呟いて、とりあえず、人のいそうな方向へ歩き出し、羅門は京都駅行きのバスを見つけた。ポケットの財布を確認してバスに乗り、見慣れた京都駅に着いた時にはホッとして、やけに疲れていると実感した羅門だった。

 京都駅を見上げると、どこかから鐘の音が聞こえる。きっと大階段の反対側のホテルの結婚式場の鐘を鳴らしている幸せなカップルがいるのだろう。

 これは頭の中ではなく、実際の音だと安心して羅門は空を見上げた。

 ふいに空を羽ばたく鳥の音が聞こえた。

 その音を境に自分のいる場所の景色が変わる。

 目の前に広がるのは美しい世界。

 緑に溢れ、色とりどりの花々が咲き乱れている。穏やかな風が吹くと、光がきらめいて世界を潤すように広がっていく。

 懐かしい場所だ。

 還りたい。

 羅門は胸を締め付けるような感覚に知らず唇を噛んだ。

 エデン。

 その場所ははるか遠く。

 その場所は手が届かない。

 その場所に、あの人がいる。

 エデンへ行く為に、羅門はここにいる。

 道標を見つけなくては。

 焦燥感にかられていると、ふいに鐘が大きく鳴り響いた。

 我に返ると、京都駅の賑わいが戻って来た。結婚式の鐘が盛大に鳴っている。

「エデン?」

 天国への道標を探す。

 それが使命のような気になっているが、果たしてこれは羅門自身の感情なのだろうか。誰かの記憶が混線して羅門の中に入ってきたのではないだろうか。

 どちらか分からないまま、羅門は再びそらを見上げた。

 青い空はどこまでも広がって、夏の暑さを感じさせるだけだった。



 









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