第11話 鐘が鳴る5

 目が覚めて、既視感きしかん羅門らもんは深いため息をついた。

 彼が寝かされている部屋は和室で、おまけに白い着物を着せられている。少し違うのは、死に装束ではない、ということだ。どうして分かったのかと言えば、凝った絹の織物で、白の中に所々色が入っていたからだ。地紋、というのだろうか。織で表現された柄が全体に行き渡り、光の反射の角度でそれが浮かび上がるのだ。

 羅門は立ち上がって、障子を開けた。

 板張りの廊下の向こうはガラス戸で、その先には竹林が広がっている。

「どこや、ここは」

 羅門は呟いて、廊下に出た。ひんやりとした空気が気持ちいい。時々鳥の鳴き声が聞こえるが、鳥の名前まではわからない。

 恐ろしいくらい頭の中で鳴り響いていた鐘の音は今はしない。それどころか、清々しいくらいの心地良さがある。

「起きてても大丈夫なんか」

 ユキの声がして、羅門は振り返った。

 彼は手に湯のみとお茶菓子を乗せたお盆を持って立っている。

「ユキ、ここどこ?」

「どこって言われると困るなあ」

 彼は羅門を部屋の中へ促して、卓の上にお盆を置いた。

「ここはね、俺が昔いた所。由紀源定ゆきげんじょうとはえんもゆかりもない所」

 ユキは言いながら、羅門の寝ていた布団を畳んで押し入れにしまった。羅門は困ったようにそれを見て、自分がどういう立場なのか考えている。

「そう警戒しないでくれる?俺は君の知っているユキなんだよ。ちょっと未練がましい部分が表に出てきちゃってるけど」

 ユキは苦笑して、羅門にお茶をすすめた。

 羅門は座って湯飲みに口をつける。少し渋いお茶が舌の上を転がっていく。

「ユキは俺にどうして欲しいん?」

 単刀直入に羅門は尋ねた。 

「どうって、ね?」

 ユキはそれ以上答えずに微笑んだ。

「お前、俺に助けて欲しいんか?それとも、お前を見てて欲しいだけなんか?」

 羅門の真剣な目に、ユキは目をらした。

「好きな子に告白する時とは話が違うよ、羅門」

 ユキの普段の表情が戻って、そう言った。

「ちゃんと話してくれへんと、俺は分からん。ユキはどうしたいねん?」

 羅門は辛抱強く尋ねる。すると、今までにないユキの強い瞳が羅門を見返した。

「まずは死神へ恨みを晴らす。これは君に関係のないことだから、気にしなくていいよ。それから、君の中に眠っている覇王をこの世に降臨こうりんさせよう。この陳腐ちんぷな世界を素晴らしい世界に作り替えられるのは君だけだ」

 方言の出ないユキの言葉に羅門はまゆをしかめる。

「死神への恨みってなんや?」

「それは言葉では説明できないなあ。死神とは長い長い時を何重いくえにも入り乱れて争って来たからね。不意打ちをくらって、危うく成仏じょうぶつしてしまうところだったけど、こうして自分を取り戻した」

「成仏しな、生まれ変わらんのとちゃうん?」

 いまいち実感のない摂理を説いて、羅門は彼に突っ込みを入れた。

「まあ、そうかな。成仏したからここにいる」

 ユキは独り笑った。

「さてと、おしゃべりはここまで。ちょっと野暮用があるから外に出てるけど、君はここにいてのんびり過ごすといいよ。けれど、屋敷の外へは出られないから。何か用があれば従者がいるから、その者に用を言いつけて。それじゃ」

 ユキはさっさと立ち上がって、一瞬羅門を見つめ、それから廊下へ出ると振り返らず、パタン、と障子を閉めた。

 ユキの足音が遠ざかると、羅門は溜息をついて、お茶菓子に手を伸ばす。高級そうな包みにくるまれていたのは、饅頭まんじゅうだった。

「甘いもんで釣ろうなんて、まだまだ青いな、ユキ」

 言いながら、羅門は辺りを見回す。障子を開けて一旦息を吸い込む。

「お茶菓子追加できますかー」

 大声で叫ぶと、どこからともなく足音が近づいて来る。姿は見えないのに、足音は部屋の前で止まった。

「失礼します」

 声がして、部屋の中に誰かが入る音がする。すると同じ年頃の男子が盆に山盛りのお菓子を持って部屋の中にいた。彼はお菓子を卓の上に積んで、にっこり笑うと出て行った。彼が部屋から出ると姿が見えなくなる。どういう仕組みなのか羅門が不思議に思って、自分も外に出てみる。さすがに自分の姿は見える。結局、彼の姿が廊下では見えない理屈がわからなかった。

 羅門は大人しく、もらったお茶菓子を食べる事に専念した。

 ずずっと渋いお茶を飲み干して、羅門は息をついた。

 気の置けない友達のユキが変貌へんぼうしてしまった衝撃しょうげきは羅門にやるせなさを感じさせる。今を生きているユキの邪魔をする程の恨みの記憶が何なのか、しかもそれが羅門の血族けつぞくの風丈に事を発するかと思うと頭が痛い。

 色々やらかしていそうな風丈に思いをはせて、羅門はユキを元に戻す方法が無いものか思案するが、そういう知識がないもので、何のアイデアも浮かばない。こうなると、やはり風丈様頼りになるしかない。

 あれ。

 風丈は今は力が使えなかったはずだ。この時を逃さずに風丈を狙われたら、一体誰が彼を守るのか。待て待て。そもそも、羅門がとらわれの身だと誰も知らなはずだ。友達のところに泊ると言付けしているのだから、心配されることもないだろう。

 まずいのではないだろうか。

 風丈の危機を知らせる方法もなければ、ここから脱出するのも自力だ。

 羅門は糖分取り立ての頭で必死に考える。充分な栄養は果たして素晴らしいアイデアを運んでくることなく、規則正しい寝息に変わっただけだった。

 羅門が居眠りをかましている頃、風丈ふじょうは九条と共に嵐山に来ていた。

 風丈は坂本の大将に借りた白シャツにジーンズというラフな出で立ちだ。

 観光客の多さは相変わらずだが、彼らはその流れから離れるように山手へ進んで行く。竹林の静かな道を越えて、生け垣に囲まれた一軒の荒れ果てた屋敷の前で止まる。

「ようこんな所に住んどるな」

 風丈が呆れたように言うと、九条が笑う。

「住めば都と言う。ここは屋根があるだけマシだな」

「お前は宇宙の外でも住めそうな性格やわな」

「宇宙の外と言うのは漠然としていて判断に迷うが、死神殿ほど神経が細かくはないのでね。どんな場所でも生きて行ける」

 皮肉なのか、素なのか、九条はやんわり答えて、目の前の屋敷に意識を集中した。

「羅門殿がここにおられるのは間違いない。死神殿、得意の鎌で家屋ごとぶち壊してはいかがか」

 九条は真面目な顔で言った。

「お前なあ、そんなことしたら、中におる羅門が危ないやろうが。それに、弁償べんしょうせえって話になったら、どないすんねん?裁判とかかなんで」

「神経の細かいことを」

 九条が嫌そうに目を細める。

 風丈は九条の常識のなさを思い出して、アイデアを求める事を止めた。

「それじゃ、正面突破と言うことで決まりやな」

 風丈は生け垣の間に挟まるように立っている崩れた門を開けて中に入った。

 ブン、と風のうなる音が聞こえて、風丈のいた場所に穴があく。九条は素知らぬ顔で先へ行く。

 姿の見えなくなった風丈は既に玄関のたたきに足を下ろしていた。

「罠が仕掛けてあるとは、念入りやな。かまいたちなんて久しぶりに見たわ」

 風丈は穴のあいた地面を遠目に見て、次に何食わぬ顔で隣に来た九条を眺める。

「お前はなんで罠にかからんのや?」

「それもわからぬとは、死神殿は本当に今は力が空っぽらしい」

 九条の淡々とした言い方に少しムッときて、風丈は九条に軽く蹴りを入れる。

「ついでに思慮深さも置いてきたようだ。子どもじゃあるまいに」

「九条がむかつくのは今に始まったことやないけどな。私が龍神と契りを交わした時のお前の顔ときたら、ぷぷっ」

 風丈の意地悪な目が九条を苛立たせる。

「今はそんなことを言っている場合ではないと思うが。私が先に行こうか」

「ああ。ほな、道案内頼むわ」

 風丈はまだ意地の悪い笑みを浮かべて九条の後ろにつく。

 九条は丁寧に「ごめん下さい」と断って玄関の引き戸を開けた。何かが動く気配はしているものの、姿は見えない。

「勝手に入るで」

 風丈が意気揚々と靴のまま中に入る。後ろに付いて歩くのは気が進まなかったらしい。九条よりも先に行ってしまった。

 九条は靴を脱ぐべきか一瞬迷い、そのまま上がることにした。おおよそ人の住むところではない荒れ方である。板張りの廊下は穴が開き、本来なら降り注ぐはずのない天井からの陽光がなければ、先に進むのがためらわれる。俗に言われる幽霊屋敷のようなものだ。

 奥の障子の破れた座敷に入ってみると、殺気立った気配に遭遇そうぐうする。

「九条、ちょっと見えるようにしてえや」

 風丈は気楽に言い、九条は溜息をついて印を結んだ。

 途端に部屋が見違えるように変わる。

 真新しい畳に、ぴんと張った真っ白な障子と新木の匂いのするサン。凝った造りの欄間の下の立派な松の絵柄の襖戸の前に羅門とおない年くらいの青年が立っている。少々怒り気味な目が風丈と九条の靴に注がれている。

「人のうちに、土足で上がってはいけませんって習いませんでした?」

 口調は丁寧なのに、刺々しい。

 風丈はにっこり笑った。

「お邪魔してます。声かけてもいいひんみたいやったから勝手に入らしてもろたで。ところで、うちの孫がお世話になってるみたいで、引き取りに来たんやけど、案内してくれはる?」

 風丈の天使のような美貌も通じない相手がいるらしい。

 ぎろりと睨まれて風丈は肩をすくめた。

「靴のまま入ったのは謝るわ。ごめんやで」

 言いながら靴を脱いで九条に渡す。渋々九条も靴を脱いで二人分を脇に抱えている。

「旦那様がお留守ですので、お引き取りを」

 青年は睨みをきかせて言ったが、相手が妖怪並みの長生き人間なので効果はない。

「その旦那様ってのは、どんなお人かな?私の知り合いやろか?」

「俺に聞かないで下さい」

 青年は答えて襖絵を見た。

「正直なお子やなあ」

 風丈はニヤッと笑って襖を開けた。

「困ります」

 青年は慌てて襖を閉めにかかるが、風丈は先へ進んで行く。二人の追いかけっこの後ろを悠然と九条が歩いて行く。

「この先に羅門がおるんか」

 風丈が楽しそうに奥の部屋を開けた。すると、こっくりこっくりと船を漕いでいる羅門が座っていた。

「おおきに、少年」

 風丈が青年を振り返って言うと、苦虫を潰したような顔で彼は「少年ちゃうし」と呟いて、無言を決め込む。

「羅門、ほら、起きんかいな。家に帰るで」

 風丈がこつんと羅門の頭を叩くと、彼はハッとして風丈を見上げる。

「あれ、風丈さん?どうやってここに」

「お前、目が充血しとるで」

 風丈が可笑しそうに羅門に言う。

「充血?」

 羅門が不思議そうにしていると、後ろから来た九条が膝をついて彼の目を覗き込む。

「これを充血と言うのは死神殿くらいだな。羅門殿、あなたの瞳は朱色に染まっている。これは封印を解こうとするやからに対するトラップが発動したあかし

「?」

 ぼんやりと九条の言葉を反芻はんすうして考えている羅門が、ようやく納得した顔で手を打った。

「あの鐘の音か」

 羅門は九条の気遣うような表情に笑って見せた。

「ごっつい鐘の音が頭の中でわんさか鳴ってて、おかしなるとこやったわ。それが風丈さんの作った罠やねんな。それならそうと言っておいてくれたらええのに」

「言うたらおもろないやんか」

 風丈は九条を押しやって羅門の金の縁取りの赤い瞳を覗き込んだ。

「でも、あのイメージは?」

 羅門が風丈の目を見つめながら問う。

「イメージってなんや?」

「葬式のイメージが鐘が鳴る間ずっと頭に浮かぶねん。それって風丈さんが仕掛けたものと違うん?」

「葬式やと?」

 風丈の目が吊り上がる。その目は獲物を見つけた獅子のように輝いている。

「あいつの仕業か。通りで知ってる気配がするわけや」

「葬式は葬式でも、たぶん外国のとちゃうかな」

「そうや。その話はおいおいしたるけどな、今はあかんわ」

 風丈は言って、成り行きを見ている青年を睨む。

「少年、あんたのご主人様はどこにおるんかな」

 風丈の問いに彼は目を逸らして腕組をした。黙秘と言うことらしい。

「まあ、ええわ。ちょっと頭ん中のぞけばわかることや」

 低い声音の風丈の言葉に、ゾッとして青年は逃げ腰になる。

間宮京太郎まみやきょうたろう、二十歳。岩倉に祖父母と住んどって、好きな言葉は真心」

 風丈が追い打ちをかけるように言う。

「なななな、なんでそのことを」

「両親は離婚。母親は東京か。ふうん?羅門と同じ大学やないか。んで、ご主人様のことはどこに隠しとる?」

 風丈が京太郎に詰め寄る。彼は一歩、一歩と下がり、壁に背をつけた。

「強情やな。ああ、そうか、ご主人様のことはよく知らんのやな?それで頭の中に情報がないんか」

 おでこをくっつけて、風丈は京太郎を睨む。

「何の話か分かりませんね」

 そう言って、ごくりと唾を飲みこむ。

「この屋敷の所有者はあんたんか。それでここにおる理由がわかったわ。それで?ははん。あいつにうて心酔したってとこやな」

「そんなんじゃない」

 京太郎は否定したものの、風丈のしたり顔に居心地悪そうに目を逸らす。

「間宮って、あの間宮か」

 突然羅門が呟く。

「あのって、なんや?」

 風丈が羅門を振り返ると、羅門はえへへと笑って言い難そうに口を開く。

「京都動物園のゴリラ、京太郎と同じ名前やって有名で」

「またそのネタ」

 京太郎が嫌そうに呟く。散々言われてきたらしい。

「ええ名前やんか」

 風丈が京太郎の目を覗き込んで言うと、彼はぐっと詰まって言葉を飲み込む。

「名前の記入例にも京太郎とか京都太郎とか書かれてて、結構いじられてるんやんな、京ちゃん」

 わざとらしく羅門が愛称を呼ぶ。

「お前、なんかフレンドリーに京ちゃんって呼んでるけども、間宮って呼んでくれ」

「はあ。なんか千嘉みたいやな」

 女の名前に似ているから前川と呼べ、という千嘉の顔を思い起こして羅門が言った。

「なごんでいるところ悪いが、邪悪な気配が帰って来たぞ」

 九条が冷静な言葉をかける。風丈が嬉しそうに顔をほころばす。

 足音もなく、ユキが部屋に現れた。

「旦那様、お帰りなさいませ」

 京太郎が急に背筋を伸ばしてお辞儀した。

「ああ、ただいま。賑やかで驚いた。来客か」

 ユキは涼やかな目を風丈に向けた。

「よう、邪魔しとるで」

「そのようだね」

 風丈とユキが睨みあう。

「何をしに来たのかな、死神」

「お前こそ、成仏してしもたのに、なんでまた戻って来た、群青ぐんじょう

 群青と風丈が呼ぶと、ユキは目をきらりと光らせる。

「俺にその理由を問うのか」

「そやな。お前は死神と対になる存在、地獄の王やもんな。大人しく地獄におればええもんを」

「残念だけど、地獄にはもう新しい王がいる。俺はあんなつまんない所に興味はないよ。けど、地獄の覇者が天国に送られて成仏するなんて、そんな狂気の沙汰を進んでやってくれるお前のお陰で、いい恥さらしだ。借りは返さないとな」

「へえ?何してくれるん?」

 風丈が羅門を庇うように立ち、挑むようにユキを見る。

 ユキは物も言わずに風丈に殴りかかる。ひょいと避けて、風丈も拳を繰り出す。

 手も足も出る乱闘になり、九条が羅門を連れて避難する。京太郎はおろおろと成り行きを見守っていたが、羅門に腕を引かれて同じように安全な場所に避難した。

「俺、お茶でも淹れてこようかな」

 京太郎が羅門に言うと、羅門は顔を輝かせる。

「俺、珈琲飲みたいねんけど、ある?さっきのお饅頭も美味しかったなあ」

「ええよ。珈琲と饅頭は合わへんかもしれんけど、持ってくる」

 京太郎は心配そうに一瞬ユキを見て部屋を出て行った。







 

 









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