第10話 鐘が鳴る4

「おいおい、どんだけ食うねんな」

 羅門の呆れた言葉に、ユキはニコッと笑って「もっと」と簡潔に答えた。

「おごりやからって、遠慮がないんは友達がいがないって分かってる?」

 珍しく羅門が細かい事を気にしている。テーブルいっぱいに並んだ料理は凄い勢いで減っている。

 ユキは焼きそばを食べるのを止めて、彼をじっと見た。

「なんやねん」

 羅門は餃子をつまみながら彼を見返す。

「焼きそば食べたかった?」

「いらんけど」

「けど?あ、寿司の方が良かった?」

 二人は安くて人気のとある中華料理屋にいる。

 京都観光の後、ユキが突然琵琶湖を見たいというので、滋賀県に移動して、琵琶湖の遊覧船乗り場付近をブラブラしてから羅門の住む堅田に戻った。駅からほど近いこの店は羅門の腹を満たす最高の店だが、ユキの勢いは止まらない。そろそろ懐具合が心配になる。

「あ、デザートは俺がおごったげるから」

 ユキはにこにこして言った。

「羅門?なんか具合悪い?」

 箸を置かずにユキが羅門を覗き込む。

「いや、どうもあらへんけど」

 頭の中で鐘が鳴っているだけだ。鎮魂の鐘の音は鳴りやまず、重苦しいイメージが羅門の頭に付きまとう。

 彼の目が真紅に変わっている。その縁は金色に彩られ、神々しいが清廉な気配を放つが、同時に威圧感が半端ない。

 その目を見て、ニヤリ、とユキが笑った。

「それやったら、ええけどね」

 ユキは羅門の食べていた餃子を奪い、次に天津飯に取り掛かる。

「お前、ほんまによく食うよなあ」

「鳳一族には負けるけど」

 ユキの小声の言葉は羅門には聞こえなかったようだ。諦めたように自分の前にあった豚キムチや小エビの天ぷらをユキの前に置いた。

「俺、ビール飲もうかな」

 羅門の言葉にユキが駄目、と即却下する。

「昼間っからあかんに決まってるやん」

 酒は駄目だ、とユキが強調する。

「なんか、お前、顔変わったな」

 羅門はじっとユキを見て言う。

「そりゃ、成長期やから。お前より良い男になったろ?」

 ユキの言葉に羅門は苦笑した。いつもユキは羅門に競争を挑む。成績、食べる速さ、背の高さ、様々だが、ユキは負けず嫌いなのだと羅門は思っている。

「そう言うことにしといたるわ」

 羅門は言って、お冷を飲んだ。

「ほな、出よか」

 すべての皿が空になっているのを確認して、羅門は立ち上がった。

「ちょっと足りないかなあ?」

 お腹をさすりながらユキが言うが、羅門は迷わずレジに行く。

「腹八分目が丁度ええねんで」

 羅門が財布を出して会計をしている間、ユキは羅門の背中に張り付いて、じっとやり取りを見ている。店員は羅門の目を見ても何の反応を示さなかった。

 彼の目の色はとっくに茶色の瞳に戻っていた。

「手強いな、やっぱり」

 ユキの呟きは宙に消えた。

 彼らは近くのコンビニに入り、ユキがアイスを買って外へ出た。

「これがデザートってか?つーか、俺のおごりより数段落ちるよな、これ」

 羅門がアイスを受け取りながら言うと、ユキは笑って誤魔化す。

「早く羅門ちに行こう。外は熱いわ」

 ユキの言葉に羅門も頷いた。

「でも、俺の家やなくておばあちゃんの家やからな。礼儀正しくしてくれよ。俺はてっきり京都回ると思ってたから帰るって言ってないしなあ。おばあちゃん驚くんちゃうかな」

 羅門はガリガリ食べるタイプのアイスを一瞬で食べつくし、棒をユキに渡す。

「俺は棒は食わん」

「お前が袋持ってんのやから、ごみ入れて」

「あ、そういうことか」

 ユキが棒を袋に入れて、三本目の巨人コーンをばりばり食べる。

「なあ、羅門」

「ん?」

 ユキが立ち止まったので羅門が振り返る。ユキは射抜くように羅門を見ている。

「俺がお前に助けて欲しいって言ったら、何も理由聞かんと助けてくれる?」

「いやや」

 羅門は簡潔に答える。

「友達がいのないやつ」

 ユキがふくれて言った。そんなユキの姿に苦笑して、羅門は彼の頭をしばいた。

「ユキは自力で何とかできるやろ?それでもあかん時は、俺も力貸すけどな」

「…そっか」

「ああ」

 羅門はニッと笑って見せた。それに応えるようにユキも笑った。

 どちらともなくまた歩き出して、彼らはマンションの玄関に入って行った。

 家の鍵を開けて中に入るが、誰の気配もない。

 羅門は祖母と風丈の二人が留守で安心した。自分の家ではないという遠慮から、友達を連れてくるのは何となく気が進まないのだ。

「おばあちゃん留守なん?」

 ユキが誰もいない部屋を見回して言った。

「これが彼女やったら最高やのになあ」

 ユキが残念そうに言う。それからチラリと羅門を見た。

「まあ、俺には好都合やけど」

「は?騒ぐなよ?」

 羅門は言って、冷蔵庫から麦茶を出した。

「麦茶でええよな?アイスティとかの方がええか?」

 グラスを戸棚から出して、羅門がユキを見た。

 違和感が彼を襲う。

 目の前にいるのは本当にユキだろうか。

 夜のとばりのような藍色の瞳が羅門を見つめている。澄んだその目に宿るのは狂気のように思えた。その先の、ユキの読めない感情は暗く澱んで羅門を引きづり込もうとしているかのようだ。

「ユキ?」

 羅門は呼びかけても無駄だという思いをおして、声をかける。

由紀源定ゆきげんじょうは、昔から林羅門に心惹かれとった。憧れで終わっていれば良かったんや。けど、封印されていても隠せてない君の覇王の瞳に気が付いてしまった。そこから悪夢が始まった」

「悪夢?」

「悪夢。いや、違うかな。俺は風丈の凶暴な呪縛からまだ目覚めていない。この狂おしいくらいの君への執着は偶然やった。風丈に狩られて、天界へ送られ、やがれ浄化し、次に産まれた場所は、君の近くやった。何でもそつなくできる君に憧れて、対等になりたいと願った。そうして、思い出した。俺が何者やったのか。浄化されたはずやのに、どうして俺は生まれる前の過去を覚えていたのか。悪夢としか言いようがない。俺は違う人生を歩むはずやったのに」

 最後の言葉は寂し気で、独り言に近かった。

「ユキ、お前何言ってんのかわからへんわ」

 羅門は再び頭に鐘の音が広がるのを感じる。激しい音の洪水に、羅門は片膝をついた。

「覇王は覇王に相応しい所にいなければ」

 ユキが彼に手を差し伸べる。

 その手がぶれて見え、羅門はガクッと前のめりに倒れた。

「お前が悪いんじゃないのはわかってる」

 ユキは倒れた羅門を抱き留め、悲しそうに言った。














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