第9話 鐘が鳴る3
眩しい光に目を細めながら、羅門は待ち合わせの場所へ行く途中で青い空を見上げていた。
昨日は不覚にも一価の家で寝てしまい、そのまま朝を迎えた。隣には姿勢正しく寝ている千嘉と、羅門の腹に右足を乗せていびきをかいている一価がいて、実に清々しい朝の風景だった。
羅門は目の前にそびえる京都駅を見上げ、それから京都駅から北に見える京都タワーを見た。
バスを降りて駅に着いた時には忘れていたが、家に外泊の連絡を入れていない。
しまった、である。祖母の心配する顔が思い浮かぶ。
羅門は駅を見上げた。
待ち合わせ場所は京都駅の南北自由通路にある。
エスカレーターを上がり、適当な場所に落ち着く。
岡山の友達のユキが駅に隣接するホテルに泊まっていて、その出迎えに来たのだが、時間を過ぎても現れない。
そういうやつだ。
人通りの多い南北自由通路は文字通り駅を南北に横切る通路で、デパートに入る入口があったり、大階段へ行くエスカレーターがあったり、とにかく人が絶えない。
羅門はデパート側の壁にもたれかかり、ホテルへの通路を見ている。
待っている間に羅門は家に電話を入れる。
「あ、羅門ですけど、風丈さん?おばあちゃん、いてる?」
出ないだろうと思っていた風丈が電話に出たので、少し驚きながら、羅門が言うと、風丈は電話の向こうで微かに笑ったようだった。
『今、秋子は買い物に行っているで。外泊した言い訳の電話か?私が代わりに伝言しといたるわ』
「おばあちゃん、怒ってた?」
『そんなもんで怒らへんわ。まあ、心配しとったけどな。どこぞの
一体どんな話になっているのか、と不安に思いながら羅門は電話先の風丈の悪戯っ子のような目を思い描いた。
「今日も遅くなるかもしれへんから、おばあちゃんに先に言っといてくれへんかな。もしかしたら友達んとこに泊るかもって」
『わかった。ほなな』
風丈は他に何も聞かず、あっさり電話を切った。
羅門はふう、と息をついてスマホをズボンのポケットにしまう。すると目の前に影が降りてくる。
「羅門」
スラっとした細身の体が羅門の目の前でしなやかにお辞儀し、悪びれた様子もなく、微笑んでいる。
ユキだ。
薄茶色のショートカットの髪が寝ぐせではねている。
ユキの切れ長の目は憂いを含んだ色気を放ち、その目にかかる前髪を邪魔そうに払いながら、ベトナムの民族衣装のような生成りの裾の長い服と紺色のズボンという姿で羅門の隣で壁に背を預ける。
「めっちゃ久しぶりじゃね」
ユキは良く通る高い声で言った。
「お前、相変わらず時間にルーズやな」
呆れた顔で言われて、ユキは苦笑した。
「そうかな?」
ユキは話を終わらすように持っていた観光雑誌を羅門に押し付ける。
「どこ行く?」
ユキの丸投げの観光催促に、羅門は大きく溜息をついた。
「どこか行きたいとこないんか?」
「あるって言えばあるけど、せっかくやから羅門に任せるわ」
ニコニコ微笑んで、ユキは羅門の隣で案内されるのを待っている。
「そういうの、めっちゃ困んねんけどなあ」
羅門はしばらく考えて、定番の清水寺から北へ上がるコースへ連れて行くことにした。
清水寺は東山というエリアにある。ここへ行くのはバスで行くのが一番なのだが、かなり込み合う。観光客でバスが満杯になり、バス停を素通りされることもしばしばだ。
羅門とユキは京都駅から始発の東山行きのバスに乗り、混みあう中、清水道というバス停で降りる。五条坂でも行けるのだが、羅門はこちらの道の方が好みだ。
ぶらぶら歩きだす二人の後を、同じくぶらぶら付けてくる三人組がいることに彼らは気が付いていない。
その三人組の中の一際目立つ容姿の青年が土産屋を覗いていると、連れの女子高生らしき二人が羅門たちの方から目を離さず、青年の腕を引っ張る。
「風丈さん、早く行かないと見失っちゃう」
茶髪の女の子、
「風丈さんをせかすなんて何様やの、流水」
「だって、お姉ちゃん、羅門の恋人、ユキさんやっけ?めっちゃ可愛いやん。引き裂かれる仲やと知ったら、どうなるやら」
流水は昼ドラを期待して言うが、早環は首を振る。
「恋人とちゃうんでしょ?ね、風丈さん」
早環の呼びかけに風丈は微笑んで頷いた。
「そう聞いてるけどな。どうやろうなあ。私の力が戻っていたら、こんなまどろっこしいことはせんでもええんやけど」
風丈は道行くご婦人方から熱い視線を受けては、優雅に流していく。
「私、風丈さんとデート出来て嬉しいわ」
早環が言うと、風丈は破顔した。
「嬉しいなあ。あんたらの笑顔が私の元気の源や」
風丈は腕を組んでくる早環を優しい目で見て、そわそわと羅門を気にしている流水の頭をポン、と叩く。
「なあ、まだ気が付かへんか?」
「何が?」
流水はきょとん、と風丈を見た。
「あのユキって子、男やで」
風丈の言葉に流水の動きが止まる。
「あれ、で男?」
甲高い声で叫んで、流水は遠目に見えるユキの背中を指した。
「まあ、私も名前だけ聞いたら女の子かと思ったが、あれはどう見ても男やな。そやから恋人とは違うって話なんやなあ」
のんびり彼は言って、左腕の時計を見た。
「お昼はどこで食べる?何か食べたいもんあるか?」
風丈の言葉に早環の顔が輝く。
「坂本に行きましょ。あそこの昼会席、一回食べてみたかったんやわあ」
なかなか予約の取れない料理屋の名前を出した早環に風丈はにっこり微笑んだ。
「そうしよか。久しぶりに大将にも会いたいしな」
風丈はスマホを出して、早速電話を入れる。
「鳳ですが。ああ、おおきに。今日の昼。ほな、よろしゅうに」
待たされずに、すぐに予約できてしまう風丈に流水が目を丸くしている。
「なんで?」
「阿呆やなあ、流水。坂本は鳳家の部下やんか」
流水にとっては初めての情報である。目が点の彼女をよそに、早環と風丈は観光客の様に土産屋に入っては楽しそうに談笑して、なかなか前へ進まない。
「なあ、聞いてもええ?」
流水が早環の袖を引っ張って、口を開く。
「私ら、なんの為にここにおるん?」
「そりゃあ、ユキって子の調査やん。羅門の身辺を知って、守ってあげるんは私らの役目やんか」
早環の答えに流水は首をかしげる。
「せやかて、風丈さんの部下っちゅう人に命じたら、簡単ちゃうのん?」
流水の言葉に、風丈と早環は同じ笑顔を浮かべる。
「そんなん、おもろないやん」
「……」
流水の力が抜けた表情に、ふふふ、と同じように笑い返して、風丈と早環が遠くなった羅門の背中を見た。
この二人の大魔神に対して、流水は自分は普通で良かったとため息交じりに思ったのだった。
そんな流水とは反対に、ご機嫌な早環がお土産屋でたくさんの物を買い、流水にポンと渡す。荷物が落ちないよう気を使いながら、流水はテキパキと荷物をまとめる。
ふと気が付くと、いつの間にか羅門とユキの姿が見えなくなっている。
「風丈さん、羅門のことはええの?」
流水は早環の買ったお土産の荷物持ちと化した自分を心の中で叱咤激励して、麗しき風丈に尋ねる。
「ええことないんやけどな。腹が減っては何とやら、や。力付けたら、また後を追うことにしような。流水も気張らんと、ちょっと息抜きせなな」
ポンポン、と頭を撫でられ、流水は赤くなる。
さすがに美貌の主に接近戦を持ち込まれると身内と言えども胸が高鳴るのだ。
「その前に、その荷物をどうにかしよか。早環も買いすぎとちゃうか」
苦笑しながら風丈が早環を見ると、彼女は土産屋全制覇する勢いで菓子やら漬物やら陶器やらを買い込んでいる。
「一応、お参りしてから坂本へ行こうか」
早環の顔を両手で挟んで目標に向けさせると、風丈は背後から来た青年に合図する。
身なりのいい青年は観光客には見えないが、流水の荷物を受け取ると、そのまま去って行った。
「あのお人も風丈さんの?」
「そうや。私の臣下や。意思の疎通が楽で助かるわ」
風丈の言葉に流水の笑顔が引きつっている。意思の疎通とは、つまり思念を飛ばして相手がキャッチするという、言わば超能力だ。流水がやろうとすれば、かなり体力を消耗してしまう。それなのに、風丈は日常茶飯事でやっているのだ。さすがに死神だけあるのだな、と彼女は納得した。
「あの人、瞬間移動できるんやねえ。ええなあ」
早環が羨ましそうに言い、清水寺に向かって足取り軽く進んで行く。
「げ、瞬間移動までできる人なん?」
普通ならば能力は一つか二つに限られる。それ以上になると精神力が高くないと力が保てないのだ。力が強大であればあるほど暴走しがちになる。それを使いこなせる格を身に付けていないと、やがて力に喰われることになる。
「人、とは限らんけどなあ」
ぼそっと言った風丈の言葉を聞こえなかった事にして、流水は早環の後を追って、清水寺の中に入ったのだった。
じっくり参詣して、二年坂を超えて祇園の方へ行くと、早環のお目当ての坂本がある。
三人は店の門を入ると、石畳の路地を奥へ通され、庭を渡って離れの和室に通される。
「お腹空いたわ」
早環がお手拭きで手を湿らせると可愛らしく言う。口調は確かに可愛いのだが、鳳の一族はかなりの大食いなので、彼女の元カレあたりがその言葉を耳にすると寒気がすること間違いない。
「お姉ちゃん、こんな良いお店に来といて、そんなん言わんといて」
心なしか緊張気味に流水が言い、チラチラ辺りを気にしながら、こちらもお手拭きを手に取った。
「失礼します」
男の声がして障子戸が開いて顔を出したのは、若い白衣姿の青年だった。爽やかな出で立ちが好ましい、と流水は思った。
「本日はようこそおいで下さいました」
姿勢の良いお辞儀をして顔を上げた青年に、目元を綻ばせて風丈が笑顔を見せる。
「ほんまに久しぶりやなあ、大将」
「はい。若様に置かれましては…」
青年が言いかけるのを風丈が「大将」と遮る。
「もう若様ちゃうで。お互いええ歳になったなあ」
見た目は羅門たちとそう変わんらない風丈が言うと、なんだか詐欺のような言葉だが、大将が感慨深気に頷いた。
「私がお仕えしたのは江戸の中期でしたか」
「その頃か。懐かしいなあ」
彼らの会話に流水が目を丸くしておしぼりを落っことした。その様子を微笑んで見て、大将は頭を下げて「話は後ほど」と言って部屋を辞した。
「江戸時代?」
流水が確認するように呟く。
「まあ、そんなとこや。大将とは同じ歳で気が合って、まあよくつるんだんや」
風丈の何食わぬ発言だが、彼の懐かしそうな表情が物語る期間がどれくらいのものか流水には想像できないでいる。
「あの人、何気に年寄りなん?」
流水は肌もつやつやの大将の姿を思い返して言った。
「そりゃ、私と同年代やからな。年寄りっちゅうよりも、ここまできたら物の怪の類やなあ」
のん気にそう言って、風丈は背筋のピンと伸びたままの姿勢で優雅に笑った。
これのどこが年寄りなのかわからない、と流水は目をぱちくりさせた。
「羅門が聞いたら驚くやろうなあ」
流水の言葉に風丈がポン、と手を打つ。
「そうや、あいつの封印に干渉してくる奴がおるんやったわ。
風丈はスマホを取り出して電話をかけている。
「おう、九条か。ああ、用件はわかっとるな。ほな、頼むわ」
風丈の電話の様子を見ながら、流水がこの関西弁がなければ王子様なのに、と無念そうに風丈を見ている。
「羅門の封印って、風丈さんが
「風丈さんは力が戻っていないのに、どうして羅門の封印を解こうとしている人のことがわかるん?」
「それくらいは、な。自分の仕掛けた罠に何か引っかかってきたら気付くやろ?そんな感じや。しかし、この気配、どっかで
風丈は考える風に言い、外の気配に微笑んだ。
挨拶もなしに部屋の障子が開き、洋装の九条が姿を現した。
「死神殿、少し宜しいか」
長い髪をばっさり切ってしまった九条は、はつらつとして見える。柔らかな春の光を思わせる容貌が夏の苛烈な光に変わったくらい印象が違う。
「羅門のケツは追わへんのかいな」
風丈は九条の後ろから入って来た着物姿の給仕係から冷酒のぐい飲みを受け取って、ぐいっと飲んだ。見た目の若さにそぐわない飲みっぷりだが、そこに漂う色香に給仕係が頬を染めている。
「一つ、確認したい。羅門殿の隣にいる者は何者だ」
「お前にもわからんのか」
そう答えを返した風丈に九条がおや、という風に目を細める。
「ということは、死神にも正体のわからぬ曲者、というわけだな」
ここではないどこかを見据えて、風丈の目が冷たく光った。
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