終章 青嵐に花は舞う(三)

 ……ずいぶん長い間お引きとめしてしまいましたね。老婆の昔語りなど、さぞかし退屈でしたことでしょう。ですが、もうすこしだけ、お付き合いいただいてもよろしいでしょうか。


 巴王陛下の妃に望まれたわたくしは、それからほどなく乾を離れました。叔母が共にきてくれたのは心強いかぎりでしたが、それでも苦労はなまなかなものではございませんでしたね。


 一介の女官であったわたくしが、王の妃としてそつなく振る舞えるはずもなく、はじめの一年は失敗ばかり、ようよう慣れたと思えばまた別の問題がもちあがる、といった具合でございまして。本当に、このあたりのことをお話しいたしますと幾夜あっても足りませんわ。


 ですが、わたくしの側には陛下がいてくださいましたし、おなつかしい悧才さまも、わたくしの味方になってくださいました。なにより、わたくしにはあの子を守り育てるという大事な役目がございましたからね。弱音を吐いている暇などありませんでした。


 ただ、陛下があの子を王太子に立てようとなさったとき、王宮中に轟々ごうごうとわきおこった非難の声には、さすがに気がくじけそうになりましたわ。


 まあ、無理もございませんわね。わたくし、おもてむきは乾王陛下の側妃であったわけでございますから。いくらあの子は巴王陛下が乾にいらっしゃった間にもうけられた子だと説いてみても、諸臣としてはおいそれと納得できるものでもありますまい。他国の王の庶子を次代の王と仰ぐつもりはないと、朝議の場で冠をなげうって叫んだ気骨者もおりましたわね。


 結局、陛下が強引に事を運んでしまわれましたが、それも丞相家の後押しがあったがこそ。あとはそう、あの子の面差しが陛下によく似ていたことが決め手になったのでしょう。


 わたくしも、毒婦だ奸婦だとさんざんに罵られたものでしたが、最近はめっきりそういった声も聞こえなくなりました。史書に現れる傾国の美女になぞらえられるのは、悪い気がしなくもなかったのですが。


 それもすべて、いまとなっては遠い昔の話でございます。あの子が成人するのを待ちかねたように陛下が退位なされ、ほどなくお亡くなりになってから、いったいどれだけのひとを見送ってきたことでしょう。叔母も、悧才さまも、乾王陛下も、我が子ですら……皆わたくしより先にってしまいました。


 あの子が若くして戦場でたおれたときは、どんなに天を恨んだことか。無双の騎馬軍を率いる王として勇名をはせるよりも、わたくしより一日でも長く生きてほしかった。それが母としての本音でございます。


 ただひとつの救いは、あの子がのこしてくれた幼子が立派に成長してくれたことですわね。もう思い残すことは何もございません。むこうで皆さまにお会いできる日もそう遠くないことと……いえ、いいのです。こういったことは自分がいちばんよくわかっているものですから。


 近ごろでは、夢とうつつの境もひどく曖昧になっておりましてね。あなたさまにお聞かせしたこの長い長い物語も、もしかしたら昨夜見た夢のつづきなのかもしれません。


 ……ええ、夢です。花の咲き乱れる庭園をそぞろ歩く夢。


 あまやかな風に舞う花びらは、陽の光をうけて白くかがやき、わたくしの頰をやさしくなでていってくれました。


 まるで、あたたかな雪のように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青嵐に花は舞う 小林礼 @cobuta

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ