第一話 音信不通(4)

「《スタージアン》も《オーグ》も、ヒトと機械――計算資源とが融合して存在しているという点では変わりないわ。《スタージアン》の場合は博物院の地下に埋まる機械の群れを駆使して、スタージアの住人二千万人ならまだ数百年でも《繋がり》続けることが出来る」


 ユタからの返事はない。だが彼がウールディの言葉に耳を傾けていることはわかっていた。ウールディは低い声で、しかしユタの耳にしっかりと届くよう、一言一言を明瞭に口にしながら語り続ける。


「《オーグ》は《スタージアン》の規模をはるかに上回る。《原始の民》が《オーグ》の元を発ったとき、《オーグ》に《繋がる》ヒトの数はおよそ二十三億人。しかも《スタージアン》よりも長い年月を過ごしてきたんだから、《オーグ》の計算資源は《スタージアン》どころじゃない」

「はっ」


 吐き捨てるような声と共に、ユタの背中が初めて揺れ動いた。


「単純に比べて《スタージアン》の百倍以上ってことか。そいつは院長導師もお手上げなわけだ」


 フォンへの恨みがましさを晴らすかのごときユタの言葉に対して、ウールディは努めて穏やかな口調で言った。


「その《オーグ》にも、必ず限界はあるの」


 ウールディが告げたその一言に、操縦席からユタの顔がおもむろに振り返る。


「だったらなんだってんだ」

「今、銀河系人類の全人口がどれだけだか知ってる? 百億、いや百二十億は超えるだろうと言われているわ。いくら《オーグ》がとてつもないとしても、これだけのヒトを一度に取り込もうとしたら、彼らの計算資源に強烈な負荷がかかって、おそらく……」

「おそらく?」


 息継ぎのために口をつぐんだ様を、ユタは芝居がかった喋り口と受け取り、眉をひそめて苛立ちを隠そうとしない。彼の精神が極めて攻撃的になっていることに気づきつつ、ウールディは大きく一呼吸してから答えた。


「《オーグ》は《繋がり》を維持出来ない。計算資源がパンクして、彼らを構成するヒトも機械も個別の存在になる。消滅と言い換えてもいいかもしれない」


 ウールディが口にした内容は、《スタージアン》の思考を汲み取って、彼女なりの言葉に置き換えて発したものだ。彼女もまたスタージアを発つ前に、フォンの思念から得たばかりの知識でしかない。


 だがユタがそのことを知るべくもない。《オーグ》消滅の可能性を口にするウールディを見る彼の目は、酷く呆れかえったものであった。


「じゃあなにか? 俺たちはこのまま大人しく《オーグ》に呑み込まれておけば、やがて《オーグ》は勝手に腹を壊して弾け飛ぶだろうって、そういうことか」

「ざっくり言えばそういうことになるけど、でもそう簡単な話じゃ……」

「簡単なのかどうかとか、そんなこと俺にわかんねえよ!」


 いつの間にか操縦席から離れていたユタが、会議卓に歩み寄るや否や拳を振り下ろす。


「お前は昔からわかっているかもしれないけど、俺は《オーグ》だのなんだの、知ったのはついこの前なんだよ。お前みたいに落ち着いてられるわけじゃ」

「落ち着いているわけないでしょう!」


 とうとう耐えられなくなって、ウールディの口からついに叫びに近い声が飛び出した。


「私がファナやラセンのことを心配してないとでも? ヴァネットがあんな死に方をして、ショックを受けてないとでも思ってるわけ?」


 形の良い眉を吊り上げて、大きな黒い目を限界まで見開いて、それまで抑え込んできた感情が喉の奥から溢れかえっていく。暴走していることはわかっていても、次から次へと繰り出される感情の言語化を、ウールディはもはやとどめることが出来なかった。


「あなたの感情をぶつけられてばかりの身にもなってよ! ずっと気を遣って、こっちは感情的になる暇もなくって、挙げ句に八つ当たりされてもどうしようもないの!」


 沈鬱としていたウールディの突然の感情の爆発に、ユタは唖然としている。その間の抜けた表情がまた癪に障って、ウールディの唇は彼を罵る言葉を矢継ぎ早に浴びせかけた。


「そのうえ院長導師からは《オーグ》の件を押しつけられて、もう何がなんだかわかんないのに。自分ばっかり辛いって顔して、甘えないでよ!」


 一息に吐き出して、両肩で大きく息をつきながら、ウールディは我知らず席から立ち上がっていた。


 心持ち視線を上げた先には、唖然から困惑へと表情を変遷させたユタの顔がある。驚きと反発と後悔と贖罪の想いが、彼の切れ長の目の奥にたたずむ薄茶色の瞳から零れ出して、そのままウールディの意識野に直接注ぎ込まれていく。ウールディは好むと好まざるに関わらず、こうしてユタの心のひだの一本一本までを理解させられてきた。


 だからこそ思う。ユタはずるい、と。


「悪かった」


 ようやくユタが口にした言葉のお陰で、ウールディの内心に荒れ狂っていた暴風雨は、急速に鳴りを潜めていった。


「ウールディが落ち着いてるわけなんてないのに、全然そんなことまで頭が回ってなかった。済まない」

「……私こそ、ごめん。こんな、怒鳴り散らすつもりなんてなかった」


 しばらくの間お互いに俯き合いながら、やがてどちらからともなく会議卓の周りに据えつけられた丸椅子に腰を下ろす。会議卓を挟んで向かい合う、ふたりの間に流れる沈黙を打ち破ったのはユタであった。


「《オーグ》には百二十億人っていうヒトの数が、そのまま対策になるってことはわかった。じゃあどうして院長導師は、俺たちにトゥーランへ向かえなんて言ったんだ?」


 冷静になったユタが、改めて当然の問いを口にする。ウールディは口元の前で両手を合わせながら、適切な言葉を紡ぎ出すのに若干の時間を要した。


「銀河系人類百二十億人って言ったけど、銀河連邦に限ったら多分八十億弱。タラベルソとスレヴィアを除くと七十五億ぐらいかな。《スタージアン》は《オーグ》に致命傷を与えるには、この七十五億人のヒトの思念をひとつにまとめ上げなくちゃって考えてるみたい」

「百二十億が七十五億になったって、馬鹿みたいに多いってことに変わりはないけどな」

「《オーグ》はサカ、タラベルソ、正統バララト、スレヴィアって順を追って浸食している。これは《オーグ》が私たち銀河系人類を一度に取り込むことは出来ない、《スタージアン》の目論見が多分正しいってことの証明なのよ」


《スタージアン》から受け継いだ知識を自分自身の中で噛み砕きながら、ウールディは説明を続けた。


「だからなおのこと、《オーグ》がこれ以上浸食する前に連邦をひとまとめにしておかなきゃいけない。そのためには銀河ネットワークを急いで連邦中に普及させる必要がある」

「それなら問題ないんじゃないか。連邦全域での銀河ネットワークの敷設が正式に決まったって報道されたのは、俺でも知ってるぜ」

「自治領がネックなのよ。お父様は元々、銀河ネットワークにあんまり乗り気じゃないから」


 ああ、とユタはようやく納得のいった表情を浮かべる。


「それは、ということは、俺たちに総督を説得しろってことか。だからトゥーランか」


 だがその顔は晴れ晴れと言うには程遠い。むしろ渋面すら浮かべて、ユタは再びウールディに尋ねた。


「でも、俺たちの言うことなんて、総督が聞いてくれるかな」

「わかったでしょう? 《スタージアン》がどんな無茶なことを押しつけてきたかって」


 ウールディがげんなりした顔を見せて、ユタもつられるように肩をすくめた。


「まだほかにも聞きたいことはたくさんあるけど。とりあえずトゥーランに何しに行くのかはわかったよ」


 そう言ってユタは大袈裟な仕草で背骨を拳で叩きながら、おもむろに腰を上げた。


「どうせ道中長いんだから、続きは追々聞かせてくれ。ひとまず休憩にしよう、喉が渇いた」


 そう言ってユタは両腕を頭上に持ち上げて、身体からだ全体で大きく伸びをした。ウールディも肩から力を抜いて、会議卓の縁に上半身を寄りかからせる。色々と気を張っていて疲れたのは、彼女も同様であった。


 ユタの言う通り、先は長い。トゥーランでラージと面会した後は、さらにテネヴェに向かうのだ。トゥーランでの滞在期間を除いても、足かけ一ヶ月以上はかかる長旅になる。ひとりで抱え込む重圧から解放されたいのはやまやまだが、今すぐにと慌てる必要もないはずであった。


 ――どのみち、全てを伝えるわけにはいかないんだし――


《スタージアン》から託されたメッセージの、なんと手に余ることか。にも関わらず全てを打ち明けられないもどかしさに、思わず奥歯を噛み締める。同時にウールディの心の内には、彼女自身にしか理解し得ない、どうしようもない不安がこびりついていることを自覚していた。


 かつて博物院で学んだ《オーグ》の正体を、ウールディは思い返す。互いに《繋がる》ために編み出したN2B細胞をヒトの遺伝子に組み込むことで、《スタージアン》以上の巨大な精神感応的な超個体群へと変貌を遂げたという《オーグ》の成り立ちは、ウールディに不吉な想像を抱かせずにはいられない。


 ――もし全ての銀河系人類が《オーグ》に呑み込まれてしまったら、私みたいにN2B細胞を持たないヒトはどうなるの?――


 ユタの背に視線を注ぎながら、ウールディは想像もしたくない未来を思い浮かべてしまう。


 ――私は《オーグ》に《繋がる》ことすら許されず、もしかして永遠に弾き出されてしまうの?――


 脳裏をよぎったのは、ウールディを身震いさせるのに十分な悪夢であった。

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