第一話 音信不通(3)

 漆黒の闇に星明かりが散りばめられた宇宙空間を、白地の機体に端々を茶色に縁取った特徴的な外装の小型宇宙船が、音もなく突き進んでいく。


 もとより真空の宇宙空間にあっては音など伝わるはずもない。だがその宇宙船ふねの場合は、船内までもがどんよりとした静寂に覆われていた。


 無人なわけではない。ウールディ・ファイハとユタ・カザールという乗員ふたりを乗せているはずの『レイハネ号』は、操縦席と船室キャビン一体型のスペースに重苦しい沈黙が漂っている。


(ファナ、頼む。返事をしてくれ)


 ユタは操縦席に腰掛けたまま、宇宙船が自動操縦に切り替わって以来、双子の姉に対してずっと同じ呼びかけを繰り返している。だがいつもの快活な、あるいは闊達なファナの思念は、一向に反応を示すことはなかった。双子の《繋がり》が途切れたわけではない。なんらかの形でファナが昏睡状態に陥っているのだ。それも夢を見ることも許されないような、意識が具体化することのないほどの無覚醒状態が徹底されている。

 ファナが万能工具から放たれた電撃によって失神したことはわかっている。だがここまで彼女の意識が目覚めないのは、他者によって無覚醒状態を維持されているとしか考えられなかった。


(いつまで寝てるつもりだ、ファナ。いい加減に目を覚ませ)


 操縦窓越しの宇宙空間に目を向けながら、実際のユタの視界には星明かりのひとつも認識出来ていなかった。組み合わせた両手を目と目の間に当てながら、ユタの意識は遠くスレヴィアにいるはずの思念を呼び覚まそうと必死だった。


「君たち姉弟の《繋がり》が維持されている間は、ファナ・カザールの思念が《オーグ》の干渉を受けることはないだろう」


 スレヴィアが、おそらくは《オーグ》の《繋がり》に呑み込まれたと知って、スタージア博物院長のフォンが口にした言葉を、ウールディは思い返す。


「スレヴィアというロケーションは不幸中の幸いだ。あそこを基点にするなら、君たちの《繋がり》はほぼ全銀河系をカバーする。テネヴェより先、ファタノディやクーファンブートでも行かない限り、まず《繋がり》が途切れることはない」


 そう告げるフォンの顔が思いのほか落ち着いていることに、ウールディは不審を抱かざるを得なかった。この銀河系人類社会が《オーグ》に侵されることを何よりも恐れていたのは、フォンたち《スタージアン》ではなかったのか。

 彼らの肚の内はいったいどこにあるのか。ウールディが精神を集中させれば、フォンの思念を通じて《スタージアン》の真意を探ることも可能だったろう。だが彼女自身もまだそのときは、とても平常心ではいられなかった。


「不幸中の幸いって、なんですか!」


 フォンの言葉に、ユタが怒声を張り上げる。こめかみに青筋を浮かべながら、全身から血の気が引いたかのように青ざめた彼の顔を見て、ウールディはきっと自分も同じような顔をしているに違いないと思った。


「ファナだけじゃないんだ。ラセンは呑み込まれて、ヴァネットは……!」


 ファナが気絶する直前、彼女の視覚を通して、ユタもウールディもはっきりとその光景を目の当たりにしていた。


 はるか足下に広がる人だかりが、そこだけきれいに輪になったように捌けて、中心に横たわる人影を。俯せになったまま顔は見えなかったが、背格好といい、何より明るい茶色のソバージュヘアを見間違えるはずがない。高さを考慮しても、周囲に飛び散った鮮血を見ても、ヴァネットの即死は疑いようもなかった。


 それまでウールディもユタも半信半疑だった《オーグ》の存在を、どうしようもない形で思い知らされることになってしまった。


「君たちの動揺を斟酌出来なかった点は謝ろう。何百年も永らえてきた我々は、どうしても個々人の生死に鈍感なところがある」


 深々と頭を下げるフォンに、立ち上がったユタが両肩を震わせながら押し黙る。フォンの謝意は極めて真摯なものだったが、ユタの目には慇懃無礼にしか映らない。それは《スタージアン》と個人のヒトという、異なる生物と言って良いレベルの、根本的な差異に基づく故であった。


「……とにかく、ファナをなんとか助け出さないと。ラセンもよ。このままにはしておけない」


 ウールディが辛うじて口にした言葉に、振り返ったユタが頷く。


「そうだ。『レイハネ号』を出してスレヴィアに行こう」

「いや、それはやめておいた方がいい。君たちがスレヴィアに行っても、《オーグ》の虜になって研究材料にされるだけだ」


 フォンにやんわりと否定されて、ユタは血走った目で彼の顔を睨み返す。


「ここにいたって研究材料でいることに変わりはないですよ!」

「落ち着くんだ、ユタ。《オーグ》はもう、銀河連邦の一部を浸食している。かつて我々はシャレイド・ラハーンディの協力を得て、《星の彼方》方面の《オリジナル・ヴォイド》を封じることで、《オーグ》の浸食を防いだ。だが既に浸食を許してしまった今、物理的に《オーグ》を撥ね返す手段はない」

「それじゃ私たちはこのまま手も足も出ないまま、《オーグ》に呑み込まれるしかないってこと?」


 そう尋ねる自分の声が震えているということに、ウールディは気がついていた。《オーグ》とは質的にも量的にも《スタージアン》をはるかに上回る、精神感応的に統合されたヒトと機械の集合体だと聞く。このまま自分たちは、そんな正体不明の化け物に取り込まれていってしまうのか。


 言いようのない恐怖に囚われそうになった瞬間、ウールディの脳裏に《スタージアン》たちの思考がするりと流れ込んだ。彼らの意識を積極的に読み取ろうとしたのではない、フォンの意識の表層に思い浮かべたその思考が、まるで周囲の物音を耳にするように自然にウールディの意識に投じられたのである。それ自体は彼女にとっては日常的な出来事であった。


 だが《スタージアン》の思考を受け止めたウールディは、その内容を理解は出来ても、すぐに咀嚼することは出来なかった。


 自分はよほど名状しがたい表情を浮かべていたらしい。ウールディの顔を見て、彼女が己の思考を汲み取ったことを知ったフォンは、それ以上詳しく語ることはなかった。それから彼が告げたのはただ「まずトゥーランへ、それからテネヴェに向かえ」という指示のみであった。


 ろくな説明も受けないままトゥーラン行きを促されて、ユタは全く納得がいっていない。彼の不審はフォンたち《スタージアン》だけでなく、ウールディにも向けられていた。ウールディは《スタージアン》の意図するところを知っているはずなのに、彼に対して言葉少ななままなのだ。ファナやラセンが危機の最中にありながら、自分ひとりだけが何も知らないままでいることに、ユタのフラストレーションは蓄積されるばかりであった。


 だから『レイハネ号』に乗り込んだふたりの間に、ほとんど会話らしい会話は交わされていなかった。


 正確には言葉が発せられないだけであって、ユタの内心から漏れ出す思念は逐一ウールディの意識野に届いている。ファナの覚醒を促そうと必死な呼び掛け、ラセンをどう救い出せば良いのかわからない自身へのもどかしさ、ヴァネットの死に対する悲嘆と怒り、それらを後回しにしてもトゥーランに向かわねばならないことへの不満、その理由を明かさないフォンやウールディへの苛立ち。


 黙っていても、ユタの想いは手に取るようにわかる。声を発すべきはウールディであった。ただ、何をどう告げれば良いのか、彼女の頭の中では未だ整理がつかない。状況を把握するための冷静さが必要だとはわかっている。だがウールディの胸の奥からは、またいつもの声にならない叫びが、抑えようもなく湧き出そうとしている。


 ――どうして私の想いだけ、誰も本当に理解してくれないの。想いを伝えるのに、私だけが言葉を使わなければならないなんて、そんなの酷い――


「……《スタージアン》はスタージアに降り立ったときからもう、《オーグ》への対策を始めていたのよ」


『レイハネ号』の会議卓の丸椅子に腰を下ろしていたウールディは、前列の操縦席で微動だにしないユタの背中に向かって、ついにぽつりぽつりと語り始めた。

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