第七話 “通信端末いらず(アンチカフ)”(1)

 スレヴィアは銀河連邦の前身とされるローベンダール惑星同盟の構成国であり、タラベルソのほかエルトランザ領デスタンザや近バララトとも接する交通の要衝である。だがそれ以上にスレヴィアの名を知らしめるのは、二代目の銀河連邦常任委員長バジミール・アントネエフを輩出した星としてだろう。


 スレヴィアの領主にして連邦安全保障局長を務めていたアントネエフは、初代常任委員長グレートルーデ・ヴューラーの後を継ぐと、未だ脆弱な連邦の体制強化に尽力した。安全保障局長の頃から進めてきた連邦軍の整備のほか、個人的に親交のあったサカを皮切りに、エルトランザやバララトなど複星系国家との国交樹立を果たす。銀河系人類社会全体の安定に寄与したという彼の功績は大きく、ヴューラー以上と評価する人も少なくない、連邦史上の偉人だ。


 そのアントネエフの名を冠したバジミール通りは、スレヴィアの中心街区のやや西よりを貫く、この星一番の賑わいを見せる大通りである。オートライドの侵入が規制された地上通路の上には、道路脇に連なる建造物を繋ぐ空中回廊が五層に渡って複雑に張り巡らされて、さらにその上を巨大な鳥の羽根を重ねたような特徴的なフォルムの屋根が覆う。透過性の羽根状の屋根には適切な照度調整が施され、空中回廊にもふんだんに照明が奢られたこの通りは、どこを歩く人々も暗がりとは無縁だ。建ち並ぶ商業・娯楽施設の利用客で常から賑わうバジミール通りには今日、普段にも倍する人々が詰めかけていた。


「すっごい人だかり」


 空中回廊の最上層からはるか下にひしめく人だかりを見下ろして、ファナは感嘆とも呆れともつかない声を上げた。


「なんだってみんな、わざわざ人混みに殺到するかなあ」


 ファナの言葉に、隣りで同じように地上を見下ろすヴァネットが答える。


「世紀の瞬間を、大勢の人と一緒に分かち合いたいんだろうね」

「別に自宅のホログラム・スクリーンで見ても同じことだと思うけど」


 地上に注いでいた視線をやや持ち上げると、通りの幅がよその二倍ほどに拡張された一画に、二層の空中回廊が公園のように広がっている。実際には二層よりもやや低い、一・五層とも言える高さに広がるそのスペースは、バジミール通りの地上からも周囲の建造物からも見渡せるよう設計されており、イベント会場に用いられることも多い。


 ファナの視線の先に広がる一・五層には、一面にホログラム映像投影盤が敷き詰められていた。周囲にはカメラを抱えたドローンが飛び交って、イベントスペースの近辺は関係者以外立入禁止となっている。今はまだ何も映し出されていない投影盤の上の空間には、もう間もなく銀河系人類史上初の映像が浮かび上がるはずであった。


「やっぱり記念すべき最初の映像は、特大のホログラム映像で見ておきたいってことじゃないの」


 ヴァネットが言う記念すべき映像とは、銀河ネットワークが開通して初めて映し出される映像のことだ。ファナたちの眼下に集う人々たちは、またとないお祭り騒ぎに参加するために詰めかけた者ばかりであった。

 いや、地上ばかりではない。各層の空中回廊から数多の建造物の窓越しにも、イベントスペースに目を向けて待機する面々で溢れかえっている。


「私たちだってその中のひとりなんだから、人のこと言えないでしょう」

「そりゃそうなんだけど」


 ヴァネットの言葉に頷きながら、ファナは彼女たちが立つ空中回廊五層目を見回した。手摺り越しに見下ろす一・五層は、ほとんど真上から見る格好になる。記念すべきホログラム映像を見届けるにはやや不向きということで、四層以下に比べれば人影はまばらだった。見上げれば頭上を覆う何枚もの羽根を透かして、空高くに昇っているのだろうスレヴィアの恒星の、目に痛くないよう適度に減衰された明かりがファナたちの上に降り注いでいる。


 銀河ネットワークの開通によって生じる、民間レベルでの様々な変化を観察するのが、今回のファナたちの仕事だ。つまり本番はネットワークの開通後の話であり、現時点ではまだこうして空中回廊でたむろする余裕がある。といっても一行が惑星スレヴィアの地表に降り立ったのは昨日のことであり、ネットワーク開通ぎりぎりのタイミングであった。宇宙港には一週間前に到着していたのだが、貿易商人としての名目を保つつもりで積み込んだ塩の搬入申請書に不備が見つかって、予想外の足止めを食らってしまったためだ。

 ちなみに申請書を用意したのはファナであった。


「不備のまま提出したのは悪かったけどさ。内容を指示したのはラセンだよ。全部私が悪いみたいに言われるのは納得いかない!」

「今さら怒っても無駄だって。私が何年も叱り続けて、結局治らないんだから」


 膨れ面で文句を言うファナをヴァネットが苦笑しながら宥めるのは、もはや定番のやり取りである。


「あいつは肝心なところ以外はまるで目が行き届かないからね。そういうもんだと思って、こっちがフォローしてあげるしかないんだよ」

「……本当にヴァネットって、ラセンのお母さんみたい」

「やめてよ。あんなごつくて無愛想な息子を持ったつもりはないから」


 ヴァネットに本気で嫌そうな顔で否定されて、ファナは思わず吹き出してしまった。


 そのラセンは先ほど地上のカフェで一服した際に、店に置き忘れてしまった端末棒ステッキを取り戻しに行くという間の抜けた理由で引き返している最中であった。五層から地上まで一直線に結ばれたエレベーターを、いかつい巨体が慌てて降りていく様は、人混みにごった返すバジミール通りでも人目を引いたものだ。


「あのでかい図体がエレベーターをどすどすと駆け下りていくんだから、途中で足でももつれさせないか気が気じゃなかったわ」


 優雅にスロープを描くエレベーターに目を向けながら、ヴァネットが小さくため息をついた。さすがのラセンでもあのエレベーターを地上まで転がり落ちたら、ただの怪我では済まないだろう。


「ラセンなら骨の一本や二本折ってもなんてことないけどね。下のお客さんを巻き込んだりしないか、心配で心配で」


 冗談めかしてヴァネットが笑う。ファナもつられて笑おうとしたが、中途半端に開いた口元がぎこちなくなってしまった。


「なに、変な顔して」

「いやあ、ちょっと」


 口をもごもごとさせていると、ヴァネットが訝しげに眉根を寄せる。


「どうしたの。なんか言いたいことでもある?」


 さすが同じ宇宙船ふねで何年もの付き合いだけあって、ヴァネットは察しが良い。どこぞの木偶の坊の船長とは大違いだ。


 だがファナはどうにも上手い切り出し方が思いつかず、代わりにとってつけたような先送りの台詞を口にした。


「喉が渇いたから、なんか買ってくるよ。ヴァネットは何か飲みたいものある?」


 ヴァネットはあえてそれ以上突っ込んで尋ねようとはしなかった。茶髪のソバージュヘアを掻き上げながら、「じゃあシードルでもお願い」という注文に頷きながら、ファナはすぐにその場から駆け出した。


「早く戻らないと、世紀の一瞬を見逃すよ」


 ヴァネットの声を背に受けながら回廊を早足で駆け抜けて、ファナは最寄りの建物の中へと飛び込んだ。休憩所と覚しきそのフロアには、銀河ネットワークの開通時間まで間もないせいか全員出払っているらしく、人っ子ひとり見えない。

 壁一面に並ぶ現像機プリンターの前に立って、深呼吸する。操作盤に指を走らせてシードルとスカッシュをひとつずつ注文するファナの脳裏に、ユタの思念が語りかけた。


(『バスタード号』を降りる決心がついたのか)

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