第七話 “通信端末いらず(アンチカフ)”(2)

 普段の揶揄するような口調ではない。むしろその言葉には、彼女を労るかのような想いがこめられている。ファナはプリンターから二本のタンブラーを取り出しながら、ユタの思念に返信を送った。


(今すぐってわけじゃないけどね)

(……そうだな。いきなりってわけにはいかないもんな)

(たいした仕事やってたわけじゃないけど、引き継ぎだってあるしさ。次の就職先も探さないといけないし)

(リオーレに頼むのは、真面目に有りだと思うぞ。どうする?)

(どうしようかな。いざとなったらお願いするわ)


 正直なところ『バスタード号』を降りてからどうするかなど、何も考えていない。ただ下船することを決意してからファナの胸中を飛来するのは、ラセンやヴァネットと共に過ごした日々ばかりであった。


 見習いとして乗り込んだばかりの頃は、ラセンに叱られてばかりだった。すっかり落ち込んだファナを優しく慰めてくれるヴァネットがいなかったら、早々に下船していたかもしれない。やがて半人前程度には仕事をこなせるようになって、ドック入りした宇宙船のメンテナンスを初めてひとりで任されたときには、ようやく認められたのだと舞い上がったものだ。もっとも張り切りすぎて経費が予算を大幅に超えてしまい、後で大目玉を食らったのだが。


 一方で行く先々の名物料理を欠かさずリサーチするファナのお陰で、『バスタード号』の食事情は劇的に改善された。ときにはその星の特産品を買いつける切欠になったこともある。ヴァネットには、ラセンよりもよほど商人に向いていると褒められたものだった。


「我が青春は『バスタード号』と共に有り、だわ」


 芝居がかった台詞を思わず口に出して嘆息するファナに、ユタの言葉がまたいつもの砕けた調子に戻る。


(『クソッタレバスタード』な青春か。三文ムービーのタイトルみたいだな)

(あんたみたいにぐじぐじしてるよりは、よっぽどだわ)


『バスタード号』に乗り込んで以来、ファナは彼女なりに精一杯ラセンにアピールしてきたつもりであった。最初はまず仲間クルーとして認められることから始めて、一人前になればきっと自分を見る目も変わるだろうと信じて。


 だがファナを一人前に育て上げるという行為は、ラセンにとって娘の成長を見守るのと同じことだったのだろう。すっかりファナが成人した今も、彼がファナを見る目は親が子に注ぐ視線となんら変わりない。


(最初からもっと、女っぽく攻めるべきだったのかなあ)


 宇宙船ふな乗りならではのボディスーツの上から、端末棒ステッキから携帯工具まで収納した機能的なベストに、動きやすいショートパンツとブーツを履いた己の格好を見返してみる。ファナの場合は彼女自身の魅力を問う前に、身にまとうものからして女性を感じさせる要素が皆無であった。


(変わんねえよ。ヴァネットがいる時点で無理目だって)


 ユタの身も蓋もない指摘に、ファナが何か反論しようとしたその瞬間、建物の外からどよめくような歓声が飛び込んできた。


「しまった、見逃した」


 両手にタンブラーを持ったまま慌てて休憩所を出ると、屋根の下を飛び交うドローンが映し出す紙吹雪のホログラム映像が辺りを満たしている。それ以上に熱狂する人々の声と、そんな彼らに対して呼び掛けるややノイズの入った声がバジミール通りを圧倒していた。


 一・五層に広がるイベントスペースの上には、特大のホログラム・スクリーンに映し出されたエカテ・ランプレーの上半身が聳え立っている。ランプレーは興奮気味に顔を紅潮させながら、バジミール通りを埋め尽くす観衆に向かって力強く語りかけているところであった。


「スレヴィアの皆さん、私の声と姿がわかるでしょうか? タラベルソにいる私には、集まっていただいた皆さんが歓喜の声を上げている様子が、よく見えています。はっきりと聞こえています。今ここに銀河系人類悲願の恒星間通信が果たされたことを、私は心より嬉しく思います!」


 ランプレーの晴れの舞台の一声に、地上から空中回廊までひしめき合う群衆から、再び大きな歓声が湧き上がる。


 だがファナは、人々と共に興奮を分かち合うことができなかった。


 正確にはランプレーの巨大なホログラム映像さえ、ろくに目にしていられなかった。


(なんなの?)


 休憩所のある建物から一歩出た瞬間、ファナを待ち受けていたのは、彼女を見つめ返す人々の視線であった。


 回廊の手摺りに凭れて並び立つ若者たち。ベンチに腰掛ける若い母親と少女。連れ添って歩く老夫婦。


 いつもならお互いに気に留めることなどないはずの、街中を行き交う人々という光景の一部でしかない。


 そんな彼らが今、そろってファナに目を向けている。


(なに、なんか私、どっか変?)


 ファナの動揺と、彼女が感知する異様な雰囲気は、ユタにもまた伝わっていた。


(違う、そうじゃない)


 ユタの声音にも不審が色濃い。お互いの動揺が相互に作用して、ぎくしゃくとした足取りのまま、ファナはゆっくりと建物の前から歩き出した。


 するとファナを見つめる目も、彼女の動きに合わせてゆっくりと後を追う。


 そろりと足を踏み出すファナの後を、ぴたりと逸らすことなく注がれる複数の視線。そのどれもが顔も名前も知らない、通りすがりの人々のものなのだ。


 明らかに異常だった。


 しかもこの異常はかつて、ファナもユタも味わったことがある――


(これって、もしかして――)

(タラベルソのときと同じだ!)


 ユタに断言されて、ファナは思わず歩みを早めた。


 両手に持ったタンブラーからドリンクが零れ出すのも構わずに、早足で駆ける彼女を見て、視線を注ぐ人々の内の何人かが動き出す。最初に動き出したのは若者たちの集団だった。回廊の手摺りからふと手を離したかと思うと、やがてのそりとした動きでファナの後をたどり始める。声をかけるでもなく、ただ無言のままゆっくりとついてくる人々は、徐々に数を増していく。


(なんで、どうして?)

(わかんねえよ。もしかしたら銀河ネットワークの開通のせいか?)

(だからってこんな急に?)

(落ち着け。とにかくさっさと宇宙船ふねに戻ることを考えろ)


 パニックに陥りそうなファナの心を辛うじて支えていたのは、遠く離れた星から必死に届けられるユタの声であった。

 この場にいないユタは、当事者のファナよりもはるかに冷静だった。だがそれゆえに、彼の思念は想像したくもない可能性にまで思い当たってしまう。


(ヴァネットは大丈夫なのか?)


 ユタの思念がそう告げたのと、ファナがヴァネットの前にたどり着いたのは、ほとんど同じタイミングであった。両手にタンブラーを握り締めたまま息を切らすファナを、ヴァネットは驚いたような顔で見返している。


「あんまり遅いから心配したよ。せっかくのネットワーク開通を見逃してって……どうかしたの?」

「ああ、その、ごめんね。心配かけて」


 先ほどまでと変わらないヴァネットの様子を見て、ファナの青ざめた顔が心持ち和らいだ。彼女の後をつけていた人々の群れは、ファナが立ち止まると同時に歩みを止めて、距離を保ったまま近づこうとはしてこない。


「これ、頼まれたシードル」


 そう言ってファナが差し出したタンブラーと、受け取ろうとしたヴァネットの右手が、触れることなく通り過ぎる。ヴァネットの右手が掴んだのは、シードル入りのタンブラーを握るファナの右手首であった。


「ようやく掴まえたわ、“通信端末いらずアンチカフ”」

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