第四話 常任委員長の審眼(1)

 銀河連邦常任委員長ハイザッグ・オビヴィレは、すらりとした長身に活力溢れる目つきが特徴的な、壮年の紳士である。短く刈り込まれた黒髪と黒い肌、端整な顔立ちにアクセントを効かしているのは整った口髭だ。その容貌と爽やかな弁舌で銀河連邦の最高権力者の座まで登りつめたオビヴィレは、自分というものをよくわきまえた男でもあった。


 自分は次なる主役が登場するまでの中継ぎに過ぎない。そのことを彼は、十分に承知している。


 銀河連邦における様々な権力闘争の途上で、たまさか生じた空白を穴埋めするために急遽壇上へと押し上げられたのがオビヴィレである。彼に求められているのは、その凜々しい外面と朗々とした声が紡ぐ美辞麗句であった。それ以上のことを期待されていない、そう自覚するオビヴィレにとって、では五年という任期で最も重視すべきことは何か。


 それは“決断しないこと”である。


 居合わせる人々の表情を片時も見逃すことなく、その場の趨勢を確実に見極めて、大勢につく。それも決して目立たぬように、だ。


 政治家を志すような人間には多かれ少なかれ備わっている性質だが、オビヴィレはその嗅覚に磨きをかけてきた。人によっては毀誉褒貶の謗りを免れないような裏切りも、それと気づかれないようにこなしてきた自信がある。それは連邦評議会議員というステータスを維持するための手段に過ぎなかったが、常に大勢に与するその手腕は、結果的に彼を常任委員長の座に押し上げることとなった。


 今、常任委員会ビル中央会議室のドーナツ状の円卓に座するオビヴィレの目の前には、銀河連邦の最高執務部門の長たちが揃って顔を並べている。彼の左手から順に、航宙局長、通商局長、財務局長。右手には安全保障局長、外縁星系開発局長、オブザーバーの事務局長の、それぞれ三人ずつ。そして正面には本日の主賓である銀河ネットワーク推進委員長エカテ・ランプレーが軽く顎を上げて、その目つきはまるで居並ぶ面々を睥睨するかのようであった。


「今さら言うまでもありませんが、恒星間通信の樹立は銀河系人類の悲願です。私が初めて銀河ネットワーク構想を提唱した当時には夢物語でしたが、自律型通信施設『レインドロップ』の開発は、夢を一気に現実の域まで押し上げました。ここに来て計画の縮小もしくは凍結を唱える輩は、人類の進歩に仇なすと誹られてもやむを得ないでしょう」


 強気一辺倒のランプレーの発言の矛先は、主に財務局長に向けられたものであることは明らかであった。不況による連邦の財政状況悪化を嫌って、真っ先に銀河ネットワーク計画の縮小を言い出したのが、財務局長である。


「私は計画の意義を疑問視するものではありません。だがどんなに気宇壮大な計画も、それを支える財政基盤が揺らげば画餅に過ぎない。今は銀河系人類社会を覆う不況を乗り越えることこそが、先決かと存じます」


 財務局長は計画の縮小を前面に押し出そうとはしない。彼は隣りに座るランプレーではなく、そのほかの常任委員・兼・各局長たちの顔を見回した。


「加盟各国は大途絶グランダウン以後、大幅な税収減に見舞われています。この状況を放置すれば、いずれ加盟金を滞納する国が現れてもおかしくありません」


 もしくは、と言いたげな顔で、財務局長は彼の斜向かいに座る外縁星系開発局長の顔を一瞥する。この場で最も年若い、線の細い金髪の青年は、財務局長の視線に無言のまま水色の瞳を向けた。


 加盟金の負担に喘ぐ国が、またぞろトゥーラン自治領への編入を選択してしまうかもしれない。財務局長が呑み込んだ言葉は誰もが理解していたが、あえて口にする者はいなかった。自治領への編入・離脱については加盟各国の判断に委ねる決まりとなっている。ここで騒いだところで、会議室の空気がさらに悪化するだけだ。


「財務局長の仰ることはもっともだが……」


 会議の進行を促すべきは、常任委員長の役目である。ことの成り行きを見守る方が性に合うオビヴィレには不本意だが、彼はそのほかの面々からも意見を引き出さなければならない。


「銀河ネットワーク計画の成否は、今や連邦のみならず全銀河系が注目の的です。ここに来ての軌道修正は、ランプレー議員もそう簡単に頷けないでしょう」


 オビヴィレの言葉は妙に歯切れ良く、聞く者の耳に余韻を残す。平凡な内容も記憶に刻みつけるその声音は、彼の持ち前の武器のひとつである。


「例えば航宙局長、今後の銀河ネットワーク計画の在り方について、思うところはございませんか?」


 唐突に発言を求められて、航宙局長は太い眉をわずかに跳ね上げた。


「……航宙局は、今まさに計画の実施に向けて作業スケジュールを積み上げているところです。関係各所の調整も済ませて、いよいよというところで大幅な変更が生じるとしたら、思うところがないとは言えません」


 自律型通信施設『レインドロップ』の敷設を主とする計画の実施は、主に航宙局が担うことになっている。航宙局はその実績を盾に、連絡船通信に替わる通信インフラを是が非でも手中に収めようと躍起になっているのだ。列席者の中でも最年長の航宙局長は、深い皺に覆われた不機嫌そうな顔を、右斜め前へと向けた。


「それは安全保障局も同様でしょう」


 航宙局長に同意を求められて、初老の女性が仏頂面のまま無言で頷く。連邦域内の治安・軍事を司る彼女は、計画実施に当たって航宙局と連携しながら警備を指揮する立場にあった。


「ふむ。通商局のご意見は?」


 オビヴィレは丁寧に整えられた口髭を撫でながら、航宙局長の左隣に座る男に訪ねた。


「つ、通商局としては、以前から申し上げている通り……」


 つっかえながらの発言は、生来の彼の口癖である。面を伏せがちに、円卓に向かって語りかけるようにして、だが通商局長は己の言うべきことをはっきりと言い切った。


「民間の経済活動を促す強力な、ざ、財政出動を求めるものです。ランプレー議員、の、仰った『レインドロップ』生産の民間委託は、こ、公共事業として十分価値があるもの、と、して、歓迎いたします」

「なるほど」


 もっともらしく頷いたオビヴィレだが、この三人が計画続行の賛成派であることは、彼もとうに承知している。


 これで常任委員会六人の内、賛成が三人、反対が一人。ここまではオビヴィレの読み通りだ。常任委員会で決を採る際には、賛成反対が同数の場合には常任委員長が票を投じた側の意見が採用される。


 出来ればその状態は避けたいオビヴィレにとって、問題は彼を除く残るひとりの判断であった。

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