第三話 雨滴の波紋(4)

 ウールディが《オーグ》という言葉を初めて聞いたのは、父ラージと初顔合わせしたときのことだ。


「《星の彼方》の向こうには、《オーグ》という恐ろしい化け物がいる。お前の曾お爺さんは、その《オーグ》から私たちを守った英雄のひとりだ」


 まだジャランデールの奥深い山村で暮らしていたウールディとシャーラを訪ねて、ラージはラセンとルスランを伴って現れた。ふたりの“兄”とは既に面識があったウールディだが、既に十分に大きかったラセンに並ぶ長身と、それ以上の幅を持つラージの巨躯と初めて対面して、幼心に後退ったことをよく覚えている。


「その子孫、つまり私やラセン、ルスラン、そしてウールディ、お前もだが――ラハーンディの血を継ぐ者たちには生まれながら、等しく役割が与えられている」

「やくわり?」


 初めて会う父は異相に似合わぬ優しい笑顔を見せたが、彼の思念が思い浮かべる、そして口に出して言語化される思考は、当時のウールディにすんなりと理解出来たとは言い難い。


「ウールディ、この銀河系にはお前と同じような読心者たちの集団が、ふたつある。ひとつはスタージアにいる《スタージアン》、もうひとつはテネヴェの《クロージアン》だ」

「私みたいな人たちが、ほかにもいるの?」

「そうだ。だが彼らはスタージアとテネヴェを離れることが出来ない。私たちの役割とはふたつの星の間を行き来して、お互いの言葉を伝えることだ。お前もまた、大人になったら彼らと仲良くして欲しい」


 ラージにしてみれば相当に噛み砕いた表現だったろう。彼の努力は報われたというべきか、ウールディは成長と共に宇宙に飛び出す将来を自然に自身へと課していた。それは滅多に会うことのない父から寄せられた、たったひとつの期待だったからかもしれない。


「《スタージアン》と《クロージアン》が手を結んでこそ、《オーグ》の脅威に対抗出来る。銀河系人類社会の両端にある両者を《繋ぐ》こと、それがラハーンディ一族の使命だ」


 重々しいラージの台詞に、ラセンは鼻を鳴らし、ルスラン少年は真面目な顔で耳を傾けている。そしてウールディはきょとんとした顔で、父の大きなまなこを覗き返していた。彼女の後ろに控えていた母シャーラから伝わったのは、覚悟を決めると同時に父への不服を辛うじて抑え込んだ、複雑な感情である。


 ――こんな小さな子供にまで、そんな使命を背負わせるのですか――


 思い返せば父の言葉は一方的なものであり、母がわだかまりを覚えたのも当然だと思う。だが既に成人した今、住み慣れたジャランデールを飛び出してスタージアに移り住んだという選択を、ウールディは悔やんだことはない。


「へえ、そいつは大変だな」


 ウールディの一連の回想に対して、ユタは背中を向けたまま生返事で答えた。

 ユタは今、何枚ものホログラム・スクリーンや計器類と、無重力空間に浮かぶ端末棒ステッキから引っ張り出したマニュアルの間で、忙しなく視線を往復させている。いかにも手一杯であることをアピールする彼が、ウールディには面白くない。


「一度出発したら九割方コンピューター任せでいいって言ってたくせに、何がそんなに忙しいんだか」


 一週間ほどのデスタンザ逗留を終えて、ウールディとユタはスタージアへの帰途にあった。


 デスタンザを出発して以来、ユタは暇さえあれば『レイハネ号』の操縦席に陣取っている。操縦出来るのが彼ひとりなのだから当然とも言えるが、『レイハネ号』は高度な自動操縦機能を備えた最新の宇宙船だ。ウールディの言う通り、極小質量宙域ヴォイドを経由する恒星間航行時と出発到着を除けば、手放しでもほとんど問題ないはずである。実際往路では、ユタも暇そうにしている時間の方が圧倒的に多かった。なのに帰り道は操縦席に張りつく理由が、ウールディにはわからない。


 ユタの思考を読み通しても、その思考の内容が理解不能なのである。宇宙船操縦の知識は、ウールディにとって完全に守備範囲外であった。


 ようやくユタが振り返ったのは、さらに小一時間ほどしてからのことである。


「リオーレから航宙シミュレーターのプログラムを借りれたから、『レイハネ号』の機体情報を登録しているんだよ」


 ユタがそう説明しても、ウールディが彼を見返す顔はふて腐れたままであった。


「だからって四六時中張りついている必要ないでしょう」

「この宇宙船ふねが最新型過ぎて、シミュレーターに登録するのに色々微調整が必要なんだ。航行中じゃないと調整用のデータが取れないから、あんまり目が離せない」

「だったらそう言ってくれればいいじゃない」

「わかってて茶々入れてるんだと思ったよ。違ったのか」


 片方の眉だけ上げて視界の端で見返してくるユタを、ウールディは瞳にますます不機嫌さを増して睨み返した。


「そんなことしないよ。そっちこそ私の話に上の空で、適当に返事してたくせに」

「適当じゃねえよ。ラハーンディ一族の使命に《オーグ》だっけ?」


 こめかみに指を当てながら、ユタはウールディの話を思い返す素振りを見せる。


「ちゃんと聞いてたから。お前の曾爺さんは、面倒臭い宿題を残したもんだなあって」


 そう言ってユタは操縦席から立ち上がると、磁石靴の底をかつかつと鳴らしながら、ウールディが着席する四人掛けの会議卓の前まで近づいた。『レイハネ号』は操縦席と助手席が最前列に並び、その後ろにふたつの後席と、さらに後方の会議スペースがひとつの空間に収まる設計となっている。小型の宇宙船らしいコンパクトな造りだ。


「いつ来るかわからない化け物に備えて、《スタージアン》と《クロージアン》の間を取り持つメッセンジャーでいろってなあ。そもそも子孫がその教えを律儀に守ってるところからして、なんとも」


 現像機プリンターから取り出したドリンク入りのチューブボトルを手にしたユタは、ウールディの向かいの席に腰を下ろした。


「シャレイド・ラハーンディって人はウールディ以上の読心者だったんだろう? メッセンジャー役を務めるのに必要なその力を絶やさないために、節操なくあちこちに子供を作りまくったんだっけ。なかなかふざけた話だよな」


 ボトル片手に呆れ顔を見せるユタに、ウールディは大きな黒い瞳をあえて三白眼になるよう、上目遣いで見返した。


「節操なく作られた子供のひとりで、悪かったわね」

「ああ、いや、お前が悪いっていうつもりじゃなくって」


 両手を勢いよく交差させながら謝罪してから、ユタはボトルのチューブを吸い込みながらしばらく考え込む。やがてチューブから口を離した顔を上げると、切れ長の目がウールディの顔を真っ直ぐに捉えた。


「お前のその読心術は、別に曾爺さんやラハーンディ一族のためにあるんじゃない。お前がお前のために使えばいい」

「そんなの当たり前でしょう」

「だったらもう、スパイみたいな真似はするな」


 そう言って身を乗り出すユタの薄茶色の瞳には、いつしか真剣味が込められていた。


「エルトランザと第一世代の陰謀とか、お前の力はそんなことを探るために使って欲しくない」

「あれは、たまたまだってば。ベルタの結婚がなければ、そんなこと知る機会なんてあるわけないし」


 ユタは会議卓に視線を落として、ウールディの弁明も聞き流しながら言葉を紡ぐ。


「俺とファナの《繋がり》だって、そうだ。非常識で便利な力だってのはわかってるけど、政治とかそんな胡散臭い使命のためにいいように使われるのは、なんか納得いかない」

(俺の価値は、《繋がる》力しかないのかよ)


 唐突に漏れ聞こえたユタの内心の声に、ウールディは動揺を隠しきれなかった。思わず見開いてしまった目を、瞼を伏せるユタが見逃していたのは幸いだった。


 それは初めて双子に出会ったときから、ずっと彼らの思念の奥底にこびりついている感情である。


 双子の持つ特殊な精神感応力を知り、ラセンはウールディの格好の相手になると考えてふたりを連れてきた。まだ幼い時分の話だ。ユタもファナもそのことを、頭で理解しているわけではない。だがふたりの肌感覚には、拭いようもなく刻み込まれている。

 だからファナは《繋がる》力以外でもラセンに報いられるよう、宇宙船ふな乗りを目指した。ユタはウールディを守り続けることで、ラセンに認められようとした。


 ふたりの行動原理は、タラベルソから連れ出してくれたラセンの恩義に報いること。


 それ以上に、異能力以外の存在価値を認めてもらうことにある。


「わかったよ。そういうことには読心術を使わないよう、気をつける」


 ウールディの言葉に、ユタが居心地悪そうに頷く。自分の深層心理が不意に表へ顔を出してしまったことに、彼は気がついていない。


 ――そんなこと、気にしなくてもいいのに――


 これまでの人生の半分近くを共に過ごしてきたというのに、彼と自分の間にはまだ隔たりがある。彼が自分に向ける好意は痛いほどわかるものの、その好意はラセンに認められるための行動の延長上にある。それを無意識に自覚しているからこそ、彼は自分に対して異性として接することを自制している。


 ベルタならきっと、そんなことを気にしてどうするのか、と叱り飛ばすだろう。相手が自分をどう思っているか以上に、自分が相手を想う気持ちに素直になれと。


 でも自分には、彼の気持ちを無視して踏み込むことは出来ないのだ。


 彼の考えを、思念を読み間違えることは有り得ない。そんな好意に晒され続けて、自分だって何も思わないわけがない。そうでなくては研究材料などという不快な名目まで持ち出して、わざわざスタージアまで呼び寄せようなんて考えるわけがない。


 だが彼の自制を乗り越えてまで、自分の想いをぶつけてしまっても良いものなのか?

 ラセンに認められたと彼が自覚出来るまで、待つべきではないのか?

 それともこれほど逡巡する時点で、彼の想いに応える資格などないのか?

 そもそも自分の本当の想いは、いったいどこにあるのか?


 ――いっそ、私とユタが《繋がって》しまえばいいのに――


 どれほど他人の思念を読み取り慣れているウールディでも、自分の思考を、感情を正確には掴みきれない。自分自身のことだからこそ、冷静に捉えようにもバイアスがかかる。無自覚な本音を見失った人々は、今までにも散々見知ってきた。今まさにウールディ自身がそのような状態にあることを、彼女は自覚している。ならば誰か――それこそユタと《繋がる》ことが出来るなら、きっと彼なら自分の真意を見極めてくれるだろう。


 だがそれは叶わない夢なのだ。そしてウールディは決して口に出すことのない叫びを、胸の内で爆発させる。


 ――私の想いだけが伝わらない。《スタージアン》ですら、私の思念を読み取ることは出来ない。周りはみんな《繋がって》いるというのに、どうして私ばかりを置いてけぼりにするの――

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