第三話 雨滴の波紋(3)

「エカテ・ランプレーは堂々たる女傑に見えて、内実は張りぼてに過ぎない」


 トゥーラン自治領総督ラージ・ラハーンディのランプレー評は、極めて痛烈であった。


「あの獅子のたてがみのように逆立った銀髪も、鋭い眼光も、全て周囲を威圧するためだけにある。その証拠に奴は大途絶グランダウン以前まで、評議会でひとつの法案も提出していない」


 ランプレーの評議会議員歴は長い。三十台半ばでタラベルソ代表議員に選出されてから、既に二十年以上現職を保ち続けている。かつてテネヴェで外縁星系開発局長を務めていたラージも彼女と面識があり、そのときの経験を踏まえての評価である。


「ライバルを引きずり下ろす手法だけは長けてるから議員歴も長い、それだけの典型的な第一世代議員。ある意味わかりやすい女だったから、私もあえて近づこうとは思わなかった。ところがだ」


 ラージがそこで逆接の接続詞を口にしたのは、今現在のランプレーが彼の記憶と大きくかけ離れているからだろう。


「銀河ネットワーク構想を口にしたときは、この女もついに目が覚めたのかと驚いたものだ。いや、今でもしっくりこないというのが、正直な感想だな」


 それはおそらくラージひとりの感想ではない。ランプレーに対する周囲の評価は多かれ少なかれラージと変わりがなかったはずだ。そんな彼女がタラベルソの調査に向かうと聞いても、せいぜい通り一遍の報告しか期待されていなかった。


 だが実際には大途絶グランダウンの原因を綿密に調べ上げ、それどころかかつてない規模の大構想を提唱してみせたのである。その構想も夢物語に終わらすことなく、実現の可能性が現実味を帯びるところまで推し進めている。

 もし銀河ネットワーク計画が実現すれば、いずれランプレーを銀河連邦常任委員長の候補に挙げられても不思議はない。


 一方で、その変貌ぶりには未だに違和感を覚えずにはいられない。


 ルスランは小さくため息をつきながら、傍らのサイドテーブル兼現像機プリンターからコーヒーを取り出した。連邦常任委員会ビルの中、外縁星系開発局長用のオフィスにひとりあって、ルスランはかつてラージが語ったランプレー評を今一度振り返っていた。


 ルスランは大途絶グランダウン以前のランプレーを知らない。ただ評議会で鉢合わせた際にしばしば投げかけられる、外縁星系人コースターを見下した一瞥は身に覚えがある。銀河ネットワーク計画を推進する辣腕の政治家というには、あからさまに透けて見える浅さに落差を感じていた。


 父が下した評価は、その印象を補強するものだ。その上ランプレーがデヤン・ガークと接触していると聞いて、ルスランが抱く違和感はさらにいや増していた。


 デスタンザを訪れたウールディがデヤン・ガークの思考を読み取り、ファナとユタの《繋がり》を通じてルスランの元に情報が伝わったのは、ほとんど僥倖だ。それも政治にはおよそ関心のないはずのウールディが、慌ててルスランに知らせてきたほどの、重要な情報だった。


 エルトランザを丸ごと銀河連邦に編入させて、自治領を牽制するという構想は、その内容も動機もルスランにとっては想像の埒外にあった。


 平時であれば、そもそもエルトランザが連邦への編入を望むはずがない。かの国は銀河連邦よりもはるかに古い歴史を持つ、スタージアを除けば銀河系人類最古の国だ。しかも未だその国力は十分である。連邦の成立によって随一の座からは滑り落ちたが、今もってその影響力は大きい。後発の連邦への編入など彼らの誇りが許すはずがないし、必要もない。


 だがエルトランザに次ぐ歴史を持つ複星系国家のサカが沈黙し、旧バララト系諸国のひとつ正統バララトも同様に口を閉ざしてしまった。経験したことのない状況を迎えて、エルトランザが抱く不安と焦燥は、ルスランの想像をはるかに上回っていたということか。


 それ以上に予想外なのは、エルトランザを連邦に編入しようとするランプレーである。


「ランプレーの元にガークからの私信が届いたのを確認したわ」


 ルスランはオフィスに戻る道すがら、常任委員会ビルの廊下でファウンドルフと擦れ違っていた。まるで彼の戻りを待ち構えていたかのようなファウンドルフは、ランプレーとエルトランザの結びつきを把握したことを告げた。


「あなたの妹さんが掴んだ情報は、正しかった」


 それはランプレーがもはや、ルスランやラージの想像を超える変貌を遂げたことを裏付けている。思わせぶりに振り返ったファウンドルフの瞳には、常にたたえられているはずの余裕が乏しいように感じられた。

 その理由は、彼女が続いて発した言葉によってすぐ明らかになった。


「ランプレーはおそらく《オーグ》に侵されているわ。《オーグ》はもう、すぐそこまで来ている」


 執務卓の上でコーヒーカップの把手に手を伸ばしたまま、ルスランは耳朶に残るファウンドルフの言葉を唸るように反芻した。


「《オーグ》だと……」


 かつてはお伽噺に登場する化け物を指したというその名前は、今ではもう口にする者さえ少ない。存在そのものすら歴史の闇に埋もれつつある固有名詞は、だがラハーンディの一族の間ではまことしやかな伝承と共に未だ伝わっている。


 すなわち、いつかこの銀河系人類社会を蚕食するであろう、恐るべき脅威として。


「そんな化け物が忍び寄っているといっても、どうしろっていうんだ」


 吐き捨てるように独りごちてから、ルスランは再びコーヒーに口をつけた。既に冷め切った黒い液体は、香りも絶えて凝縮された苦みばかりを味覚に刻みつける。ルスランは残ったコーヒーを一口に飲み下して、頭の中に散らかった状況を少しずつ整理していった。


 エルトランザと手を組もうとする、ランプレーの思考を改めて推し量る。


 連邦内で幅を効かす自治領を牽制するために、エルトランザを対抗馬として引き込もうという、その意図は理解出来なくもない。突拍子もないアイデアであるのは無論だが、今や第一世代も経済的に依存しつつある自治領に対抗するには、それ以上の独立した経済圏を確立している勢力を頼るのは理に適っている。しかも大途絶グランダウン以来の不安定な政情下で、エルトランザ自身が行く末に惑うというこのタイミングは、絶好と言えるだろう。


 問題は、あのランプレーがそんなアイデアを編み出し、あまつさえ実行に移しつつあるという点だ。


 第一世代の一員であることにアイデンティティを抱く彼女が、ここに来て銀河系最古の権威も実力も兼ね備えた勢力を、引き入れようなどと考えるものか。下手をすれば第一世代などものともしない、自治領以上に厄介な身内を作ることになりかねないというのに。彼女にはエルトランザをコントロールする自信があるのだろうか。銀河ネットワーク構想の提唱以上に腑に落ちない、ランプレーらしからぬ大胆な発想だ。


 腑に落ちないことはまだある。何より銀河ネットワーク構想を計画に推し進めることになった、『レインドロップ』の開発。


 画期的な発明が、これほど絶妙なタイミングでもたらされるものなのか。銀河ネットワーク構想に先行していた研究がちょうど実を結んだとされているが、それにしても銀河ネットワーク計画にとって、ランプレーにとって余りにも都合の良い話だ。


 そう、のだ。全てが揃いすぎている。


 だからこそファウンドルフが、《クロージアン》がわざわざ耳打ちした《オーグ》接近の報を、ルスランは一笑に付すことが出来なかった。


「……ラセンたちは今頃、ゴタン辺りかな」


 ラセンにファナ、ヴァネットの三人は、三日前にテネヴェを出立している。彼らにはトゥーランに赴き、ラージを訪ねるよう指示していた。ラージに伝えるべき事項は山ほどあったが、いずれも秘匿性が高すぎて連絡船通信を利用する選択はなかった。ラセンたちに直接報告を頼むのが確実と考えてのことだったが、いささか性急だったかもしれない。


 いずれにせよランプレーの思惑通りエルトランザの連邦加入が実現したとしたら、自治領にとって大きな障害となるのは確実である。秘かに進められていれば目も当てられなかったが、今の段階で情報を入手出来た幸運を活かさないわけはない。ランプレーは事前の根回しを徹底するまでは、絶対にことを表面化させたくないはずだ。現時点で全く噂にも聞こえないという事実が何よりの証拠である。今の段階で明らかにされて、スキャンダル化することを恐れているのだろう。


 それだけわかっていれば、いくらでも手の打ちようはあるというものだ。


 それは今のルスランにとって《オーグ》などという正体不明の存在以前に、早急に対処しなければならない案件であった。

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