第三話 雨滴の波紋(2)

『レインドロップ』の開発と実用化を果たした銀河ネットワーク計画を、今や夢物語と指差す者はいない。このまま予定通りに計画が進めば実現する可能性は限りなく高いと、世間的に認知される域にまで達している。

 だが技術的な課題をクリアして前途洋々のはずの計画の前には、未だいくつかの障害が残っていた。


「いったい銀河ネットワーク計画は、どれほどの予算を費やせば気が済むのか!」


 満場の連邦評議会ドームに響き渡る、ほとんど怒声のごとく張り上げられた口上に、賛同する声は決して少なくない。


「サカが十年来謎の沈黙を続け、正統バララトまで音信不通に陥って、市場を失った連邦全域が不況に覆われている。加盟各国の平均失業率は、いよいよ十パーセントに迫る勢いである。今はこの状況を克服することこそ、喫緊の課題なのだ」


 ドームの天蓋の下に展開するホログラム・スクリーンには、チャカドーグー代表の連邦評議会議員が唾を飛ばしながら演説を振るす姿が映し出されている。チャカドーグーは先日、失業者たちを中心とした度重なるデモによって政権が交代したばかりであり、評議会議員自身もそのデモを率いていたひとりであった。


「このような困難な状況で連邦が真っ先に取り組むべきは、加盟各国の財政に負担を強いる連邦加盟金の免除ないしは大幅な減額である。景況回復までの時限措置として、まずは莫大な予算を占める銀河ネットワーク計画を一時凍結し、加盟金減額の端緒とするべきだ」


 彼の演説は列席者たちの一定の賛同を得たが、ランプレーの顔に焦りは見られなかった。議員に答える形で起立したランプレーは、鋭い眼光はそのままに、その口元には笑みさえ浮かんでいる。


「銀河ネットワーク計画の凍結は不況対策に寄与するどころか、さらに景況の悪化を促すことにしかならない、愚の骨頂だと申し上げましょう」


 ランプレーの大胆な回答は、場内のざわめかせるのに十分であった。苦虫を噛み潰したような顔のチャカドーグー代表議員を筆頭に、反論と野次を浴びせられながら、ランプレーの顔はなお平然としていた。


「本計画の根幹を成す自律型通信施設『レインドロップ』は、最終的に五百万基が必要です。この製造ですが、我々は銀河連邦全域のありとあらゆる民間の現像工房に委託する予定です」


 重要施設の製造を民間事業者に委託する、それ自体は特別不思議なことではない。だが特定の事業者に限らない、ありとあらゆるという点が肝要であった。


「計画の立役者であるリーンテール博士、彼は一定以上の規模の現像機プリンターであれば読み込み可能な『レインドロップ』の設計図レシピを、既に書き上げました。『レインドロップ』は原材料に稀少素材を必要としません。つまり、銀河連邦全域のあらゆる民間現像工房で製造出来るのです」


 現像工房は銀河連邦に限らない、銀河系人類社会のありとあらゆる星にごまんとある。現像機プリンターが必須の現代社会では、なくてはならない存在なのだ。しかも確かな設計図レシピと材料があれば、品質に差が生じることもない。ランプレーの言う通り『レインドロップ』の設計図レシピが存在するのなら、その大量生産体制は既にして用意されているに等しい。

 しかも現地で製造することで、各星系への配備の手間まで大幅に省くことが出来るのである。


「『レインドロップ』の製造委託は、全連邦加盟国の景気回復を促す一大公共事業となるでしょう。そこから産み出される雇用の創出と経済効果は測り知れません。むしろこの不況下だからこそ、私は銀河ネットワーク計画を強く押し進めるべきと考えます」


 先の演説とは真っ向対立するランプレーの言葉には、居並ぶ議員たちを唸らせるには十分であった。強力な財政出動を意味する彼女の主張と、予算縮小による連邦加盟金の減額という相反する構想は、それぞれがそれなりの説得力を伴うように思われて、俄に態度を決めかねる面々が大勢を占める。


 結局その日の評議会は決を採ることなく閉会となった。議論は常任委員会で再検討の上、後日改めて評議会に諮られることになる。

 計画続行の判断が保留となって、ランプレーの顔に歯がゆそうな表情を浮かぶ。彼女が議場を去り際に、傍らに座する人影を認めて漏らした言葉は、独り言というにはやや大きかった。


「加盟金の減額というなら、我々の計画を凍結する前に考えることがあるでしょうに。例えば自治領の負担拡大を検討する、とかね」


 その言葉を向けられた先が、トゥーラン自治領代表の評議会議員としてその場にいるルスランであるということは、誰にとっても明らかであった。



 トゥーラン自治領の加盟金負担は自治領の発足以来、第一世代に属する加盟国の間では常に燻り続けている問題である。


 自治領は構成される惑星数に関わらず連邦評議会議員は一名のみ、一方で連邦加盟金は一カ国分で良しとされている。当初は十分に意味のあった決まりだが、発足からおよそ百年が経過する現在、もはやその必要性もとうに失われている。当然のことながら評議会では、何度も負担額を増額を求めて見直しが検討された。


 だがその都度、自治領を代表する評議会議員・兼・外縁星系開発局長は、冷ややかな目つきで述べるのだ。では、自治領はいよいよ連邦からの正式な離脱を検討することと致しましょう――


 自治領がそこまで強気な態度を取れるのは、発足以来着実に発展し続ける国力と、それに伴う構成惑星数の増加にあった。発足時には十三だった自治領構成惑星は、現在は既に二十を超える。しかも増加した惑星のほとんどは、かつての連邦加盟国が自治領への編入を希望したものなのである。


 自治領の前身、第二次開拓時代に植民された外縁星系コースト諸国を除く加盟国は、いわゆる第一世代としてひとまとめに括られる。とはいえ第一世代に属する加盟国の間でも、国力には明確な差が存在した。外縁星系コースト諸国と第一世代が対立している間はその差が目を引くことはなかったものの、自治領が成立して対立が一応の収まりをみせると、今度は第一世代の中での優劣が際立つこととなってしまった。

 結果、どのような事態が生じたか。第一世代でも国力に劣る惑星国家は、評議会に代表を送る権利を放棄する代わりに、自治領で経済的恩恵を受けることを選んだのである。

 自ら自治領への編入を望む惑星国家の存在を想定していなかった人々には、まさに青天の霹靂であった。


 こうして今や銀河連邦全域の惑星の内、およそ三分の一を占める自治領は、成立当初に比べて格段の存在感を放つ。


 銀河連邦成立当初からの加盟国タラベルソを代表する、生粋の第一世代であることを自負するランプレーにとって、自治領とは常々目に余る存在なのだ。


 ――自治領はいずれ、銀河ネットワーク計画の最大の障害となる――


 その推量はランプレーの偏見に基づくものであったにも関わらず、概ね正鵠を射ていた。かつてルスランがファウンドルフに告げた通り、自治領は銀河ネットワークの成立によって《クロージアン》の影響力が増すことを恐れている。ランプレーは《クロージアン》の存在など露ほども知らないが、自治領憎しという固定観念から導き出された考えは、彼女が思うよりも真実に近いところにあった。


 ――だが、今の我々に自治領をねじ伏せる力はない。評議会でさえあの体たらくだ――


 先の評議会でチャカドーグー代表議員が、銀河ネットワーク計画ばかりを槍玉に挙げていたことを思い返して、ランプレーは歯軋りした。計画の意義そのものは社会的に認められつつあるものの、そこに費やされる莫大な予算は攻撃の対象になりやすい。これまでもランプレーはそんな異論をことごとく撥ね返してきたが、その度に攻撃者たちを軽蔑してきた。


 ――自治領の連邦加盟金増額が成れば、第一世代の加盟金減額も簡単ではないか。それを言い出す者がひとりもいないというのが情けない――


 その怒りの矛先は、半ば自分自身にもぶつけられたものであった。


 連邦全域を覆う不況下で、自治領はその影響を比較的免れている。不況の発端とされるサカや旧バララト系諸国から遠く、関わりが薄いこと。そして自治領自体が発足から百年を経て今まさに経済的な発展の最中にあること。自治領と取引のある第一世代加盟国は多く、そのために彼らの連邦離脱のブラフも効果抜群であった。

 ランプレーもまた、彼女自身の口から公に自治領の加盟金増額を訴えたことはない。あの、常に涼しい顔のまま評議会では一言も発言しようとしない金髪の若造に対して、独白混じりの嫌みをぶつけるのがせいぜいであった。


 ――だがそんな我慢ももうこれまでだ――


 連邦評議会議員に割り当てられたホテルの一室で、応接セットのソファにひとり腰掛けるランプレーの口角が、限界まで吊り上がる。


 ――今の私はかつての万年議員ではない。押しも押されぬ銀河ネットワーク推進委員長として、連邦で最も注目を集める身だ。自治領に対抗する手段も、もう少しで手に入る――


 ランプレーはジャケットの内から私用の端末棒ステッキを取り出すと、無造作にひと振りした。空中に現れたホログラム・スクリーンには、彼女宛の通信が届いていることを示すアイコンが灯っている。そのアイコンに触れると今ひとつのスクリーンが展開され、そこに映し出されたのは一見すると事務的な連絡事項の羅列に過ぎない。


 一連の文字列を、だがランプレーはほとんど一顧だにせず、スクリーンを撫でるように左手を翳した。すると左手の中指に嵌められた指輪に反応して、指の動きに合わせるように文字列が次々と変形していく。

 やがて現れたのは、当初の事務的な連絡とは全く異なる、不穏な内容に充ち満ちた文章であった。


『銀河連邦加盟の件、既に首脳陣の半数から支持を得た。貴君にも連邦内部の調整を期待する』


 民間業者からの連絡を装って、かつ幾重もの擬装が施された連絡通信の送り主は、エルトランザ領デスタンザ市政長官デヤン・ガークであった。

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